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エンジェル  作者: えんまる


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第9話 異端審問

牛鬼との死闘のすえにファントムは天使を救済することができるのか

 ちょうど十人目の牛鬼を斬り捨てたところで、ファントムはようやく一息ついた。

 後方では、地面に倒れこんだ牛鬼に向かってロキが小剣を突きつけているところだった。

「待て、ロキ」

 ファントムは、今にもとどめを刺さんとしているロキをとめに入った。

「わたしに考えがある」

「早いところ始末してしまいましょう。暴れられたら厄介ですよ」

 ファントムは、怯えきった表情の牛鬼の前に屈みこむと、その額に手を伸ばした。牛鬼は一瞬、顔をそむける素振りを見せたが、ロキの小剣に制止されて、渋々されるがままにしたがった。

「これより意識同調を開始する。今からお前は、お前であってお前ではない」

 牛鬼の若者は、名をソドムと言った。素性を探れば、エテベの遠縁にあたるようだったが、この小さな町では誰でもどこかしらで血のつながりがあるだろうから、そんなことは放っておいてもよさそうだった。

 ファントムが睨んだとおり、ソドムは天使の所在を知らされていなかった。ただし、町民が天使を捕まえたということは知っていたし、天使の生き血と称する怪しげな液体を飲んだ経験があることは間違いなかった。

 天使の生き血を啜る……。その記憶の一端に触れただけで、ひどい吐き気に見舞われる。生臭い、ざらざらとした舌触りを追体験したことで、ファントムは不快な気分に陥った。

「こんな奴を操って、いったいどうするつもりです?」

 ロキは不思議そうな顔をして不平を漏らした。養成所において異端への嫌悪感を刷りこまれたばかりだからだろう、今すぐに天罰を下したくてうずうずしているといった様子だった。

「天使の居所は掴んだんでしょう? もうこんな奴は放っておいた方がよろしいのではありませんか?」

「こいつは後々役に立つ。それともわたしに意見でもあるのか?」

「いえ! そんなことは……」

 ファントムは地面に落ちていた松明を踏み消すと、ふたたび丘の頂を目指して歩みはじめた。辺りに漂う深い霧が、ファントム一行の姿を牛鬼たちの目から押し隠してくれるはずだった。

 丘の中腹にさしかかると、道の両側に、人工物と思しき石碑が建立されているのが目についた。牛鬼たちの墓である。

 牛鬼と一口に言っても、その集落ごとに異なった風習があるが、ここヴェーダでは、死者を土葬にする習わしになっていた。あれだけの巨体を収めるというのだから、棺を作るのもまた一苦労だろう。

 丘の頂きには、幾星霜もの気の遠くなるような年月を経て、半ば朽ちかけた遺跡があった。牛鬼の祖を収めた霊廟である。この中に歴代の族長が横たわり、永久の眠りについているのだ。

 ファントムは、腰に結わえつけておいたロボスの首を霊廟に向かって放り投げた。ころころと転げまわる生首に向かって、ファントムは問いかけた。

「ロボス……」

 それまで意識を失っていたロボスの眼がふたたび光を宿した。

「聞こえているのはわかっているぞ」

 ロボスの眼は、しばらくのあいだ何もない空間を見つめていたが、瞳孔の拡張と収縮を繰りかえしたかと思うと、突然焦点を合わせたかのようにファントムの姿をとらえた。

「異端審問官……」

 ひどいしわがれ声だ。喉から下が切断されているのだから、考えてみれば無理からぬことだった。

「そこにいるのは誰だ……。ああ、ソドム! ソドムではないか……」

「彼はもうソドムではない。意識は完全に破壊され、わたしの支配下にある」

「ああ……なんということだ……」

 ロキは、はじめて目のあたりにする異端審問に、息を呑んだまま見入っている。

 ロボスの眼がロキの姿をとらえて、困惑したように震えた。

「審問官がふたりもいるとあっては、ヴェーダの歴史もこれまでか……」

「状況が知れたところで、そろそろ記憶の封印を解いてもらおうか」

 ロキは驚いてファントムの方を振り向いた。天使の居場所が分かったわけではなかったのかと言いたげな表情である。

 たしかにファントムはロボスの記憶を洗った。しかし、さすがは魔物の族長というだけあって、肝心な情報だけは頑なに封印されていたのだ。

 ロボスは笑った。首だけの牛鬼が、異端審問官を手玉に取った瞬間だった。

「お前が話さないというのなら、ゾラを締め上げれば済むことだ」

 ロボスはその名を聞いたとたんに口を噤んだ。

 ゾラとはロボスの伴侶である。幾世期にもおよぶロボスの人生において、伴侶となったのは唯一、彼女だけだった。くわえて、彼女はヴェーダの実権を握る長老衆のひとり、カザの娘でもあった。

 人身御供を行った際、ゾラは父親とともに儀式に参加していたのである。

「どうせわしが喋ったところで、ゾラもまた粛清されてしまうのだろうな……」

「首を斬り落とされて尋問を受けるか、速やかに命を絶たれるか、どちらか好きな方を選ぶといい」

 それは決して慈悲などという生ぬるいものではなく、冷酷無比な脅しにすぎなかった。元よりファントムは、魔物などという下賤な輩に慈悲をかけるつもりは微塵も持ち合わせていなかった。

「わしもまだ、人の役に立てるということか……」

 ロボスはそうつぶやいたきり、しばしのあいだ黙りこんだ。

そのまま死んでしまったのではないかと思いかけた頃、彼はふたたび口を開いた。

「天使の元に案内しよう……」


 ひどいことをするものだ……。

 深い穴の底を見下ろしながら、ファントムは思った。穴の底では、ファントムの支配下に置かれたソドムが、全身汗みずくになりながら土を掘りかえしている。

 その様子を、ふたりの異端審問官と、生首だけになってしまった老ロボスが無言で見守っていた。

 墓所からほど近い場所にそれはあった。石碑や墓標といった目印がある訳でもなく、ただ地面の一画から短い鉄パイプが突き出しているだけだった。

「空気穴だ」

 ロボスは語った。

 曰く、この下に天使が埋められているというのだ。

ソドムがスコップを振り下ろしたとき、ようやくその剣先が、天使を収めたと思しき棺状の物体を掘りあてた。

 木製の棺には金属の縛めが掛けられており、決して中からは開けられないようになっている。棺の中央部分に南京錠が掛けられているのを見つけて、ファントムはあらためてロボスを問いただした。

「鍵はどこにある?」

「わしが持っている……。いや。持っていたと言うべきか……。汝が切り捨てた体に、肌身離さず身につけていたよ」

 ロボスはごぼごぼと血を噴き出しながら笑った。

「ソドム、上がってこい」

 ファントムはソドムの巨体をかわして、代わりに墓穴の底へと下りて行った。

 一度は大剣で蓋ごと破壊してしまおうかとも考えたが、中の天使に万が一のことがあってはならないと思い直し、剣の柄から手を離した。

「ロキ、お前の小剣をよこせ」

 ロキは怪訝な顔をして、「なにに使うつもりです?」とこぼした。そんなことは言うまでもなく分かっているのだろう、渋々といった様子で小剣を放ってよこす。

「そんなもので鍵を開けられるとは思えんが……」

 ロボスの言葉とは裏腹に、ファントムは、その切先を鍵穴に差しこむと、いとも容易く施錠を解いて見せた。

 棺に屈みこみ、蓋に手をかけたとき、ソドムをのぞく三人のあいだに一瞬緊張が走った。異端審問官にはもちろんのこと、棺を埋葬した張本人であるロボス自身にすら、幽閉されている天使の安否をうかがい知ることはできないのだ。

 棺と外界を繋いでいたのは唯一、空気穴として設置されていた鉄パイプのみ。堕天が確認されてからこの方、天使にはわずかばかりの食料しか供されていないはずだった。万が一天使が絶命していたとしたら、今日までの苦労は水の泡となる。

 ファントムはゆっくりと蓋を開いた。中からはなんの物音も聞こえない。弱り切って身動きひとつ出来ないのか、突然の展開にすっかり怯えているのか、それとも……。

 ファントムの銀色の瞳がまっ直ぐ棺の中を見下ろした。

 これが天使か……。

 棺に横たわっていたのは、ひとりの少年だった。白いローブを身にまとい、血の気の引いた肌からは生気のひと欠けらすら感じられない。落ちくぼんだ瞼はひっそりと閉じられたまま微動だにせず、やつれ切った頬はこそげ落ちていた。

「どうなんです?」

 ロキの問いかけに対して首を横に振りかけたとき、足元に横たわる少年が唐突に息を吹きかえした。

 はげしく咳きこむ少年をよそに、ただちにファントムは行動に移った。

「ロキ!」

 ファントムは小剣をロキに向かって投げかえすと、間髪入れずに指示を出す。

「粛清を開始しろ!」

 ロキがその言葉を呑みこむまでに一瞬の隙があった。その瞬間を、牛鬼の長は見逃さなかった。

 頭部に残されたわずかな首の筋肉を使い、ロキ目がけて一直線に飛びかかったのだ。

 しかし、血しぶきを上げたのはロキではなかった。

 ファントムは指示を出すと同時にソドムの体を操作し、ロキの前に割って入ったのだ。

 ロボスには考えている余裕などなかったのだろう、ソドムが差し出した太い右腕を噛みちぎると、そのまま地面の上をごろごろと転げまわった。

 その首を仕留めたのは、ロキの小剣である。

ロボスの頭上から振り下ろされた小剣が、ついに老練な牛鬼の命を絶ったのだ。

ロキは満足そうに鼻を鳴らすと、串刺しにした牛鬼の首を闇の向こうに投げ捨てた。

「こいつはどうします?」

 ロキは、間一髪で己の命を救ってくれたはずの若い牛鬼に冷たい視線を向けた。

 たった今繰り広げられた戦いに興奮を隠せない様子だった。

 若いな……。

 ファントムは、ロキの血に飢えた瞳を見つめながら思った。

功を焦ってばかりいる。彼の心からは、異端者に対する憎悪しか感じられない。ときには憎むべき異端者をすら利用しなければならない場合もあるのだということに気づいてもいないのだろう。

「そいつのことは後まわしだ。まだ利用する価値がある」

 ファントムは、ソドムの体をいったん森の中に隠した。片腕を噛みちぎられても、痛みなど感じはしない。すでにソドムの意識はファントムのものだったし、痛覚神経などはあらかじめ無効化してあるからだ。

 今やるべきことは、一刻も早く天使の安否を確認することだ。

「ジョシュ……」

 ファントムは、ロボスの記憶から探り出した名前を口にした。

「ジョシュ・バーネット?」

 棺の中で咳きこむ少年が、いやいやをするように首を振った。あまりの恐怖と不安とで我を見失っているようだ。いや。目覚めてもなお無意識状態がつづいているのか。

 ファントムは対話をあきらめて、天使の薄い体を抱え上げた。ジョシュの体重は、まるで羽毛のように軽かった。

「無事ですか?」

 墓穴から出たファントムにロキが話しかける。

「緊急を要する。今すぐエクスカリバー号を呼んでくれ」

「わかりました!」

 ロキが伝達官に呼びかけている横で、ファントムはジョシュの体を地面に横たえた。

 状態は想像以上に悪いようだ。今すぐ浄化処置を行う必要がある。その設備は聖皇庁に整えられているが、この場でも簡易的な洗礼を行うことは可能だった。

 ファントムは外套の前をはだけると、腰に帯びているベルトから聖水を取り出した。栓を抜いた硝子壜を傾けて、ジョシュの乾き切った唇に含ませる。

少年は、突然口中に入ってきた液体に驚いて、聖水を吐き出した。

 体が拒否反応を起こしている……。

 ファントムは指先に聖水の滴を垂らし、ジョシュの唇を湿らせた。

 ジョシュははげしく首を振りつづけたかと思うと、唐突に上半身を起こして、悲痛な叫び声を上げた。長い断末魔が終わると、天使は深く息を吸いこみながら上半身をのけ反らせて、ふたたび地面に倒れこんだ。

 ファントムは、大人しくなったジョシュの瞼に手を添えた。瞳孔は拡張と収縮を繰りかえしながらぶるぶると振動しており、白目部分がうっすらと灰色がかって見える。

 芳しくない兆候だ。

固く喰いしばった唇をこじ開けようとしたまさにそのとき、ジョシュは大きく口を開けてファントムの指先に思い切り噛みついた。

 ファントムは痛みを感じはしたものの、指を引っこめようとはしなかった。今はただ、少年のなすがままにさせておこうと決めたのだ。

 やがて、辺りに垂れこめる濃霧を割って、エクスカリバー号の強烈なフラッドライトがファントムたちの姿を照らし出した。

 蒸気機関で駆動する巨大な飛行船から一本のワイヤーがするすると伸びてきて、ロキの手がその末端をしっかと掴んだ。

「わたしは天使を上に連れて行く。お前はここに残って、牛鬼の粛清をつづけてくれ」

「ぼくひとりでですか?」

「そのためにソドムを生かしておいたんだ」

 ファントムは、いったん木陰に潜ませておいたソドムの体を再起動させた。当初はジョシュに精神的なショックを与えないように配慮していたのだが、意識を失っている今ならば、その必要もあるまい。

「浄化の準備が整いしだい、わたしも戦列に復帰する。肝心なのは、情報を外部に漏らさないことだ。いいな?」

「はい!」

 ロキは、思わぬ言葉に感動したとでも言うように、瞳を輝かせてこたえた。

 ファントムはワイヤーを掴むと、ジョシュの体を抱えたままエクスカリバー号の船腹に向かって浮上を開始した。

 後に残されたロキの姿が霧に包まれて見えなくなった頃、一度は地表すれすれまでに降下していた飛行船は、煌々と辺りを照らし出すフラッドライトを消して、ふたたび上昇に転じていた。

 ヴェーダの町に、闇が戻った。


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