8 面倒
机上の書類の束。
窓の外からの日光に大きく頼った洋風の執務室は手元のあたりのみを照らしている。まるで照明に照らされた舞台と真っ暗な客席のようなコントラストがはっきりとした豪華な一室。
「全く、面倒を起こしおって」
ぶつくさと愚痴を垂れながら目の前の紙の山を切り崩しつつ、紫煙を燻らす。
部屋の左右二面は本棚で埋まり、赤絨毯を敷かれたこの部屋の窓際には緻密な象嵌が施された大きな机が置かれ、部屋の主である狸顔の中年男はその空間に負けない存在感を放つ風体をしている。
職人に調えさせた特注の黒の社交服。機能性を重視しつつも装飾は随所にちりばめられ、見る者全てが思わずため息をつく。
有力者然とした鎖骨辺りまで延びる髭を時折撫でているのは彼の癖だ。
傍らの側近は不穏な様子に怯えることなく、落ち着きと敬愛を持って控えている。
サカモト村の件の始末に追われ、関係各所との折り合いを強いられてここ数日全く休まらない生活をしている男の顔には深い疲労が広がっている。
側近に差し出された茶に、おうと一言返しながら受け取り、そのまま傾ける。
吐かれるため息には疲労やあらゆる負の感情がこもっていた。
面倒。全くもって面倒。
平和この上ないこの地、反乱や飢饉とは縁遠い豊かな穀倉地帯。戦争の日々も戦災の被害も今となっては嘘のように思える。最近では通常起こらないような厄介事に見舞われ苛立ちを覚えた。
なぜよその村の尻拭いをしなければならないのか。この町の統治だけで手一杯だというのに。
「・・・ザノ様、休まれては」
「よい。・・・しばし下がっておれ」
「はっ」
小さく礼をして去る側近は慣れた所作で扉を後にする。
一人残された執務室。ザノは大きく背伸びをし背もたれが微かに軋む。
「自分の尻も拭えぬ若造が。村長の器ではないと気づかぬとは当人も周囲も木偶ばかりじゃ。全くこうも厄介事ばかりでは気が滅入るわ。なんぞ気晴らしでも・・・そうじゃ。あれを久々にやろうかの」
これまでより幾分か早く軽やかにペンを走らせる。
窓から見える町のランドマーク。石造洋風建築の闘技場を眺め、狸顔の男は楽しみを一つ思い出した。
◇
未舗装の路を進む一台の荷車。旅装と町人風の衣装に身を包み、揃って荷を引く青年と少女。
村を飛び出したカケルとハルだ。
しばしば小石に乗り上げ揺れる積載物。大袋の硬貨がジャラジャラと鳴る。
「なんか桃太郎みたいだな」
「桃太郎?」
「あぁそうか・・・。童話だよ。俺の国では有名な話なんだ。昔々―――、」
大筋は誰でも知っているストーリー。細かな描写は多少の補修を加え、明朗な口調で仕舞までたどり着く。
それからというもの、旅の疲れを紛らわせるように童話・寓話・昔話など、思い出せる限り次から次へと語り続けた。
そのどれもにキラキラとした目で夢中になるハル。往々にして目が合ってしまうが、その都度三秒と持たずカケルは目を背けてしまう。悪者に啖呵を切れるようになったが青年にはまだまだ精神的に初心な部分があるのだ。
「カケルのいた国ば遠い?どこから来たん?」
「日本・・・って知らないよね」
「・・・うん」
「いいよ気にしなくて。きっともう帰れないから」
「え、なして?」
「それは・・・。そう。神隠しに遭ったからかもしれない」
「えっ?」
見開かれた目で振り返るハルに、ポリポリと頬をかきながら答える。
「あの日、家の近くの木陰に倒れてたって言ったろ?俺の国は遠い島国にあるんだ。ここまでどれくらいの距離があるのか分からないけど、目覚めたらここにいたんだ」
「そうなんや・・・もう一度神隠しば遭ったら戻れるんかな?」
「・・・分からない。けど多分無理だよ」
「そっか・・・」
「だとしても、あの国にいたってきっと楽しくなかっただろうし、別の世界を散歩するのってわくわくするだろ?だからいいんだよ」
「そっか!ならええね」
綻んだハルから向けられる愛くるしい眼差し。
カケルはその鋭すぎる矢に射抜かれる寸前で目を背けようとしたがもう手遅れ。完全に脳裏に焼き付いてしまった。真下を向くカケルは荷車を引きながら歩く自分の足元を見てニヤついている。
「どしたんカケル?気分でも悪うなった?」
「いやっ、大丈夫。平気だから」
「ならええ。明日にはトオノ村に着くけん、今日はこの辺で野宿しよう」
「ああ、わかった」
ハルは地図と道沿い近くに刺さる木の看板を照らし合わせる。
ちょうどサカモト村とトオノ村の境目辺りまで来たようだ。
太陽は赤みと傾きがだいぶ増し、今にも西の山際にかかるかといったところ。この世界でも太陽は東から西に沈むのだ。
道から外れ土がむき出しになった広い場所に荷車を止めると、それぞれ手分けして荷車から調理器具と食料を取り出し、火を起こす。
料理はハルが担当し、カケルは赤子の世話に追われる不慣れな父親のように火を絶やさぬべく薪集めやかかりきりの面倒に追われた。
夕食を済ませ辺りを夜が覆い隠した頃、たき火の明かりは幾許かの安心感を与えた。
輻射熱。そんな言葉を頭に浮かべながら、ぼんやりと火に当たる。
「それ、ひょっとしてニホンの服?」
肌寒さに重ね着した白いパーカーを差してハルは言った。
「そうだよ」
「すごい服ね。何で出来とるん?」
「・・・なんだろう」
「分からんで着とるん」
クスクスと笑うハル。
冗談を楽しむようにつられてカケルも笑う。バカにされたような嫌な感覚は覚えない。むしろじゃれてるのがとても心地良い。
「不思議ね。知らん遠くん所から飛ばされて来た人って」
「・・・普通じゃ起こらないことだよな」
「普通じゃないけん、ここにおるんじゃろ?一人ぼっち同士ば」
「ああ」
「こげん沢山の星も、お互い遠く離れちょるんに」
見上げると全天球型の天然プラネタリウム。唐突に出現した流れ星に同時にあっと声をあげた。
照明が一切ない。東京の埋もれがちな空とは違い、煌々と光を放つ星々がたくさん見える。夜特有の空気も冷たく澄んで、肺の隅々までがミントを含んだような爽快感で満たされる。
「偶然だよな」
「偶然?」
「流れ星みたいに遠く飛ばされてきたのも、その地で出会ったのも、こうして旅を決めたのも、いろんな偶然の結果なんだろうな。・・・この間の勝負も、結局は運に任せちゃったしw」
「そうそう、それ!あたし聞きたかったんよそれ!」
「え?」
「あん時、何となく勝つような気はしとったけど、どげんしてあんな金ば工面できたんやろうと思って!」
「え?あー、うん・・・。神様が助けてくれたんじゃないかな」
「なんね、それ」
「いきなり神隠しで知らない土地に飛ばしてごめんよ、代わりに勝負に勝たしてやる、ってな具合に」
「そげんこつなかやろ~!」
パシッとカケルの肩を軽く叩く音から数秒、示し合わせたかのように二人の笑い声が草原に響いた。
時計のないこの世界。
二人は眠くなる限界まで話し続けた。
それぞれの孤独や寂しさ、会話の楽しさへの飢えを埋めるかのように。
◇
草むらを音もなく忍び寄る集団。
覆面をした一党は無言での手信号で統率の取れた展開を行う。
「呑気に寝おって。あんクソガキが」
覆面の下で呟かれた呪詛。その視線は草原の中に開けた土の露出した野営地。たき火を囲んで寝ている男女の片方に向けられていた。
にじり寄りながら右手には抜き身の短剣が握られている。が、それを見たもう一人の男に手と目で制され、不服ながらも鞘に納める。
「命なんぞ取って何の得になる。見てみい、あん袋」
示された指の先。荷車に積まれたままになっている三つの袋。
それはかつて自宅で仰々しく飾られていた、いわば男の命の次に大切だった物。
「どうせ村には帰れんのじゃ。取るもんば取って、さっさと行くぞ」
「あ、ああ。分かった兄貴」
息の合った動きで野営地そばの荷車に忍び寄り、男達は音を立てぬように細心の注意を払って三つの袋を盗み出す。
「よし、行くぞ」
目当てのものを手にした集団は、行きと同じように一切の足音を立てず、来た方向とは逆の草むらに消えて行く。
その中には女子供も混じっていた。
◇
ない。
ない、ない、ない。どこにもない。
空が白んでまだ間もない早朝、焦る一人の青年の姿があった。
昨晩まであった大金が荷車からごっそりと無くなっていたのだ。
荷車の荷をすべて検める。ない。
荷車の下をのぞき込む。ない。
近くの草むらに落っこちて・・・ない。
辺り一面探し回って手が土にまみれても見つからない。どこにも金がない。
借金取りに追われ家中の小金をかき集めていた青年はここでも金を探し回って、そして突きつけられた厳しい現実に絶望。
残っているのは腰の小袋に分けて入れていた8500エルのみ。
素寒貧こそ免れたが今回のケースは別。自分の金だけでなく傍らで未だ眠る少女の見舞金代わりの大金なのだ。まさに血と涙の結晶である。
まずい。非常にまずい。
同じ箇所を三周探し回って現実を受け入れざるを得なくなった青年は、草の禿げた平らな土の地面をぐるぐると思案しながら歩き回る。
無くなった金はおよそ230万エル。
旅支度で購入した品のお釣りで出た端数を腰の小袋に移したがそれ以外は全くない。
どうしよう。どうすればいい。
「カケル、どしたん?」
「っ!!!」
背後からかけられた天真爛漫な少女の声。
青年のせわしなく動いていた足と思考は完全に停止した。
「やあ・・・おはよう・・・」
朝を迎えるにはおかしすぎる様子であった。
次話18時頃投稿予定です。
所持金・8500エル
19/6/4 加筆訂正・スペース改行追加等レイアウト修正