閑話・若女将の事情
私の名前はナンザ。この宿屋・南山亭を営む女将。独身の二十二歳。
南門から大通りを進んで角を曲がったところに私の宿はある。
一獲千金を夢見てこの町に来たけど結局流れ着いたのは宿屋の経営。集合住宅として使っていた古い建物を居抜きで使い、他の店で使わなくなった寝具などを譲ってもらってるから改装費はほとんどかかっていない。
いつかはこの宿屋を足掛かりにお金を貯めていっぱしの商人になるのよと意気込んでいたのは、もう昔のことに思える。
武闘会が行われる時にはたくさんの客が押しかけどこの店も満室になるのに、この宿だけは空室だらけだ。
「はぁ、今月も赤字だぁ・・・」
利益の上がらない日々。蓄えはがりがりと削られ、見ていて楽しくない帳簿とにらめっこ状態の今はとても憂鬱。
大通り沿いの宿屋はキャンセル待ちまでいるくらい賑わっているのにどうしてなんだろう。どこが悪いのかしら。
今も二組しかお客さんが居ない。それも今日でチェックアウトしてしまう。
そう思い悩んでいた時、三人の旅行者がやってきた。
「すみません、部屋空いてますか」
「ええ・・・ご用意できますが何名様でしょう」
「今は三人ですけど、五・・・六・・・七人です。大丈夫ですか?」
「はい。二部屋になりますがよろしいですか?」
「大丈夫です」
「よかったー。どこも混んでるからどうしようかと思ったよ。これで落ち着けるね」
「こらセンリ座らない。しゃきっとしなさい」
「そうですよ、もうしばらくの我慢ですから」
「ちぇー」
七人の泊り客が来てくれるのはとても嬉しい。
でもそれでは部屋はまだスッカスカだし、全部屋埋める勢いじゃないととてもじゃないけど今月分のマイナスすら埋まらない。もっとお客さんが来てほしい。せめて立地が良ければ。
「一泊いくらですか?」
「500エルです」
「一人500エル?一部屋まとめて500エル?」
「一部屋なわけないだろ。すみません・・・」
「いえいえ」
赤い髪のお嬢さんはにぎやかなこと、とても二部屋1000エルではやっていけません。
「じゃあ全員分で一泊3500エルか・・・」
そう言って代表の男性の方が考え込む。
・・・これはキャンセルかも知れない。
一人500エルでもギリギリなのにそんな顔をされては不安になってしまいます。
値下げしようか。でもこれ以上下げたらもう本当に耐えられない。
もう、この辺が辞め時なのかもしれない。いっそこの武闘会が終わったら宿屋は閉めてしまおうか―――
「うん、足りますね。一カ月くらい貸してください」
「えっっ!?」
「7人分で10万エルくらいですよね。先に預ける形でいいですか?足りなければ都度足しますから」
「ちょっと待ってくださいリーダー、勝手に決めちゃっていいんですか」
「武闘会の他にもいろいろあるし、やたら気前のいいあの人のことだから大丈夫でしょう。そんなことで目くじらだてる人じゃないさ、カケルさんは。――はい、お代です」
「あっ・・・はい!どうもありがとうございます!こちらがお部屋の鍵になります」
「いいんですかねぇ・・・」
考え込んでいた男性は頭の中で金額の計算していたみたい。やめようか悩んでるんじゃなかったんだ。よかった・・・。
「おっ部屋~おっ部屋~♪」
「そっちは違う部屋!こっちですよセンリさん」
「えへへ・・・」
「可愛くしてもダメですよ。ほらルームメイキングしましょう」
もう一人の男性が赤髪の女性を落ち着かせ、部屋に入っていく。
「―――お騒がせすると思いますが、しばらくお世話になります」
「こちらこそ。ゆっくりしていってください」
和やかにチェックインを済ませお客様を見届けた私は、夕食に振舞う食材を買いに行った。
この宿屋は何をするにも一人。隙を見て買い出しに行くのも大事な仕事。
お客様が一人でも百人でも、美味しいご飯を出すのが私の仕事。手は抜きませんからね。
その夜。
夕食時に合わせて、先程のお三人さんとそのお仲間らしい人が食堂に集まった。
七人と言っていたけど六人だけ。そしてどことなく空気はどんよりとしていた。
「はぁーあ・・・」
「どこ行ったんよ・・・」
「ここまで探してもいないとは」
「明日からは本腰入れて探さないとですね」
「カケル、生きとるやろうか・・・」
まるでお通夜のような雰囲気。みなさんだらりと席に着きました。
全員元気がない。時折考え込んだり、落ち込んだり、不安そうにそわそわしたりと絶対に何かがあったとしか考えられない。
お客様の事情に踏み込むことは出来ない私に出来ることは、女将として仕事を全うして元気づけるだけ。
「さ、どうぞ召し上がれ!今日は旬の山菜をとりあわせたスタミナ丼ですよ!今はこれ食べて元気出してくださいね」
年がみなさん若いので、濃い味付けにガツンとした風味は受けると思って渾身のメニューを出した。
美味しい物を食べれば笑顔になる。笑顔になれば心も晴れる。そして明日も頑張ってもらおう。
「「いただきます」」
「召し上がれ」
六人が一斉に箸でスタミナ丼を口に運ぶ。若者らしく、かきこむような豪快な一口目。
これでイチコロ。箸が止まらなくなること間違いなし―――――
カラーン。
カラカラカラカラ・・・・。
「まずっ・・・!」
取り落とした箸の転がる音と、赤髪の女性のつぶやきが嫌に響いて聞こえた。
「ちょっ・・・!」
「おいセンリ!」
「何言ってるんですか―――」
「うぇぇぇえ・・・」
両隣・真向かいの席のお仲間がセンリと呼ばれたその女性を咎める。
センリさんは苦々しげな顔で一旦口に入れたご飯を吐き出し、ペッペッと舌を出す。
「お前、失礼だろう!」
「いやケント、これはいくらなんでもひどすぎだって、まずいなんてもんじゃないよ」
「センリさん!」
「みんなだってまずそうな顔してんじゃん!正直に言いなよ。まずいだろこれ!」
「そういうことを言ってるんじゃない!」
まずい。
えっ?まずい・・・の・・・?
目の前で連呼されるほど?そんなにまずかった・・・?
耳が遠くなる。ぎゅーんと音を立てながら、耳と意識が遠のく気がする。
何かを言いながらドタバタとイスやテーブルが動いているような音が遠くの方で聞こえる。
「せっかく作っていただいた厚意を無駄にするなと言ってるんだ!」
「飯も含めての宿代だろ?500エル払ってこの料理だぜ?これが一日三食毎日一カ月も続くってなったらどうよ、みんなどう思うよ!」
「「・・・」」
「ほら、ほらあ!分かってるくせに言わないなんてそれは罪だよ!アタシ達以外にお客さんが居ない理由分かった気がする!裏道にあるからとかじゃないんだよ!」
「センリ!」
「センリさ――――」
「好き放題言ってくれるじゃないのさ!!!!」
バンッ!!とテーブルを叩きつけて怒鳴った。
しんと静まり返る。
ついカッとなってしてしまった。やっちゃったと思った。でも取り消さない。
「そこまでまずいまずいとおっしゃるんなら、どこがどうまずいのか教えてくださる!?言いがかりじゃありませんよね!?」
そう言うとセンリさんは「本当に言ってほしいの?聞いて後悔しない?」と喧嘩を吹っ掛けてきたので、「どうぞおっしゃって下さい」と買ってあげた。
小さく一息呼吸を整えると、センリさんは一気につらつらと列挙し出した。
「まず、初めて来たお客さんへの初日の夕食。これは言ってみればその宿の顔なわけ。うちはこういう料理を出しますよ、こういう味で勝負しますよ、っていうすっごく大事な第一印象・個性なわけ。その夕食次第でその旅行が良いものになるのかダメなものになるのか変わるの。それなのに、山菜だらけの丼って何を考えたらそうなるの?普通は旅疲れしてるから力をつけるために肉か魚でしょ。海も川も遠くないんだから魚介類は豊富でしょ?貝の網焼きとか魚の塩焼きとかでいいんだよ。そのどれにも当てはまらない山菜で、しかもえぐみが残りまくってる。味付けも間違いまくり。ご飯は水分が多すぎてベチャベチャ。これは本当に無理。まずい以外の言葉が浮かばないから。むしろ良い部分を探せって方が無理。まずい夕食を一日の最後にして寝るのって本当に最悪な気分になるし、口直ししようと思ったら余計に食費かかるし、ひょっとしたら店は閉まってて口直しできないかもしれない。まともに食べられないからお腹もすいてすごく寝つきも悪くなってその日だけじゃなくて明日にまでその最悪を引きずるの。宿屋って心も体も休まるところじゃないといけないのに、第一印象でこんなダメダメ宿ですって思い知ったお客さんの気持ちわかる?連泊するならお金返してほしいさっさと他の宿に行こうって気持ちになるし、時間も思い出も無駄になるってことを本当に分かってほしい。なんで今までこのスタイルでやってきたのかが分かんない。きっと誰にも何も言われなかったんだろうね。だから間違いに気づかなかったんだろうね。奥まったところにあるからガラガラなんて思ってるかもしんないけど、奥まってても旨いご飯出すなら埋まってるからね。きっともっと早めに誰かが注意してればこの武闘会シーズンもきっと空室だらけなんてことには―――」
「うるさああああああいっっっっっっ!!!!」
叫んだ。
そこまで捲し立てるように心無い暴言を言うことないじゃんと。
それ以上けなされたくなくて、辛い言葉を聞きたくなくて。
周りのみなさんは黙って私とセンリさんを見ていた。
「偉そうに・・・!偉そうに言いたい放題言ってくれちゃってっ・・・!」
この維江原に夢見てやってきて、将来の夢のために頑張ったことを否定されたみたいで悔しくて、思わず涙が出る。
「そこまで言うなら、私と勝負しなさいよ!」
「勝負?何を賭けるんだい?」
センリさんは重心を下げて片足を踏み出して構えを取った。
私はまさか殴り合いになるんじゃないかと少しだけ怯んだ。
「えっと・・・その・・・」
「ちょっと待ってください」
これから見るからに強そうな人と戦うことになるんじゃないかと血が冷えるのを感じた時、代表の男性・ケントさんが手を挙げて、眉尻を下げながら穏やかな表情で立ち上がった。
「今日、ちょっといろいろありまして・・・。仲間の一人が不慮の事態で面倒事に巻き込まれたんです。そのせいでずっと大慌てで、きっとセンリもそのせいで少し気が立っていたのかもしれません。代わりに私がお詫びします。どうもすみませんでした」
そう言うとケントさんは私に向かって頭を下げた。
「ほら、お前も謝れ」とセンリさんの頭に手をやって私の方へ頭を下げさせる。
それを見ては私としても頭を上げてと言うしかない。
「私も、熱くなりました。今までそうはっきりとけなされたことがなかったので、つい・・・」
「いえ、悪いのはこちらです。――――見たところ、経営状況は芳しくない様子。従業員の方も見えませんからきっとお一人でされているんでしょう。お部屋を拝見しましたが、隅々まで掃き清められていて過ごしやすそうな部屋でした。掃除に接客に料理まで何から何までたった一人で。大変でしたね、ずっと」
私の事情に寄り添ってくれたケントさんの言葉に、思わずまた涙があふれる。見てくれている人がいるんだと報われたような気持ち。
優しい眼差しのケントさんは一人の男性を立ち上がらせて数歩連れ出す。
「仲間のフウタです。旅の間はフウタが炊事をやっています」
どうも、と頭を下げて挨拶してくれる。
年は二十歳前後か、それよりも若く見える。
「海の物、山の物、野の物、どれを使っても美味しい料理を作ってくれる欠かせない仲間です。もしよければ料金はこのまま据え置きで、泊まっている間は食堂のキッチンを自由に使わせていただけませんか?フウタは料理のレシピを沢山持っていますから、きっと参考になると思います。限られた食材と調理法だけでも十分においしくする方法を一杯知っていますから、これから教えてもらってみてはどうでしょう。使う客室の掃除は私達自身でやりますし、食事の用意は私達各自で行いますので女将さんは料理の勉強だけに専念できるように配慮しますが・・・。どうしても勝負するというのであれば仕方ありません。このフウタと料理で勝負していただこうと思います。あなたが負ければ、一カ月私達はタダでこの宿屋を利用させていただきます。その場合フウタのレシピも教えません」
どうされますか、と見て来たケントさんの目はさっきとは全然違う目線だった。
顔は笑っているのに目が全く笑っていない。
思わずヒッと声を上げ、ここから逃げたくなった。
勝負だと言ったのは言葉のあや。ついカッとなって言っただけで、そこまで本気でやりあおうなんて考えてなかった。
そこまで言うんだったらどんなもんか腕前を見せてごらんなさいよ、解決策を出してごらんなさいよ、と子供じみた駄々だったのかもしれない。
タダで七人も一ヶ月泊めてしまってはいよいよ宿屋を本当にやめないといけなくなる。借金まで抱えてしまうかもしれない。それだけは避けるべきだ。奴隷になんてなりたくない。
客足が遠のいてる理由が私の料理だっていうなら改善しないといけない。
せっかく安くて簡単で美味しいレシピを教えてくれるって言ってくれてるんだ。教えてもらわない理由がない。
「・・・教えてください。よろしくお願いします」
「では勝負はなしでいいですね」
「はい。つい頭に血が上って考えなしに言ってしまいました。すみませんでした」
「ほら、謝る」
「・・・すいませんでした」
ケントはセンリに謝らせながら、あれほどまでに非難されてなお自らの弱さを認めてその弱さを罵った相手に頭を下げられるとは、なんて強いお人だ。と感じ入った。
自分の弱さを真っ直ぐ見つめ直しそれを克服する気概のある人こそが真に強く、外聞をかなぐり捨てて実を取る女将さんのような人を負かすのに最も苦労するのだと。
翌日。
この日からフウタを教官として南山亭の経営刷新の日々が始まった。
「まずこの南山亭の宿泊は素泊まりを前提としてください。おそらく客足を遠のかせているのは立地よりナンザさんの食事のせいです。腕がまともになるまで、今の悪評が薄れるまでは素泊まりの宿にしてください」
「はい!」
「食堂はそのまま宿泊客に自由に使わさせてください。キッチンで自炊するもよし、外から持ち帰って食べるもよし、出前を取るもよしと選択肢を広くとってください。素泊まりで安く泊まりたい需要と料理まで節約したい客層は合致します」
「なるほど!」
「そしてほとんどの内容をセルフサービスにしてください」
「えっ?それだと客がつかないんじゃ・・・」
「食事の時間も内容も部屋の清掃もベッドメイキングも全部自分で整えたいという需要も存在します。この宿の強みは、他の宿ではやっていないことをやっている、というニッチな需要を満たすことを目指すんです。とにかく安い宿に泊まれればそれ以外は全部受け入れるという考えを持っている人は多いですから、素泊まりで基本はセルフサービス、食事などは全て各自の自由、その代わり宿代は地域内最安値を目指しましょう」
「最安値!?そんなことしたら儲けが・・・」
「大丈夫です。どんなに客が増えてもセルフサービスなので仕事は増えません。また全ての部屋を最安にするんじゃなくて一部の部屋だけです。広告塔ですね。地域内最安値という冠さえ押さえれば客足は次第に回復して行きます。部屋を遊ばせているのはもったいないですから、安くてもとにかく埋めるんです」
「そんなの、思いもしませんでした」
「素泊まりセルフサービスならチェックインチェックアウト料金精算以外はほぼ仕事がないんですからこれといった問題はありません。今はとにかくポジティブキャンペーンを打ち出しましょう。生まれ変わった南山亭をアピールするんです。ピンチこそチャンスへの近道ですよ」
「なるほど・・・分かりました!」
「ではまずチェックインのお客さんが来たら鍵とベッドのシーツ、枕カバーを渡して、セルフサービスの旨を・・・」
「ふむふむ・・・」
「チェックアウトの際には鍵と使用済みのシーツとカバーを受け取って、料金の精算を・・・」
「ふむふむ・・・」
フウタの一言一句を聞き逃すまいとテーブルに広げたノートにびっしりとメモしていく。
「―――ここで塩と酒です。これは味付けではなく臭みをとったり余計な水分を抜く効果があります。しっかりと紙で拭くことも合わせて行ってください。この一手間を惜しんでしまうと料理が台無しになります・・・」
「ふむふむ・・・」
「―――火加減は立体的に行います。強火中火弱火の他、近火と遠火、あとは余熱調理があります。外は焦げて中が生というのは料理が下手な人には多く共通するので・・・」
「ふむふむ・・・」
「―――玉子料理は全ての料理に応用がききます。焼く炒める煮る茹でる蒸す揚げると、あらゆる調理法が会得できます。これは火加減を見る目を養う訓練にもなり・・・」
「なるほど・・・」
ザノ男爵によって拉致されたカケルの捜索の合間を縫って、夕食作りの際には横でメモを取らせながら説明する。まずナンザ自身には料理は作らせずイロハからたたき込むことにした。
フウタが多忙の際には人気店の出前を積極的に注文しそれを実食してどこがどう美味しいのか、気づいた点やどこが自分の料理に活かせそうかを感想文で出させる。夜にはその感想文をもとに訂正や意見交換などを行う。
カケルが無事宿屋へ戻ってた頃にはナンザの料理の知識は十分深まり、他の全員が寝静まって誰もキッチンを使っていない深夜に実際に調理での特訓をした。
「これがきちんと下処理をした豚骨スープです。こっちが何もしなかった豚骨スープです。飲んでみてください」
「・・・・・・うわっ。こっちのほうがなんか血生臭いですね」
「そう。スープは素材の味が全部染みだす分少しでも雑味があればすぐにバレてしまう、特に生臭さがごまかせない料理です。その後にどんな調味料を入れても消せなくなります。善は急げ、さっき言った通りに下処理してみてください」
「分かりました!」
だし・スープの知識と寝かせるという概念を叩き込んだフウタはカケルとセンリに出すための味噌ラーメンに使うスープをお手本として徹底的にスープの腕を上げさせた。
「スープさえ上手になればあとは旬の具材を入れるだけで済みます。保存もきいて大量生産に向くので経済的です。肉のスープの味、魚のスープの味、香味野菜のスープの味、それぞれの特性と風味・掛け合わせるとどうなるのか、何が必要で何を足すべきか引くべきかをしっかり覚えてくださいね」
スープ一点突破。他の料理は一切教えない代わりにスープをとことん突き詰める。
これまでの特訓の日々でフウタはナンザがマルチタスクには向かない性格であることを早めに見抜いていた。
今後の宿屋の経営においても出来るだけ負担を減らしてあげたいという考えと豪華な食事を提供できない経営状況を勘案した結果、数種類のスープを極めさせて具材は好きに選ばせるセルフサービスの鍋を発案。そのセルフ鍋をメインで提供して軌道に乗せることを目標にしてナンザをしごきにしごいた。
連日の特訓でいよいよナンザのスープの腕は仕上がり、ここから鍋料理の具材について教えようと考えていた時。
ある日の昼、一枚の書置きを残してフウタ達は前触れなく突然この町を発った。
フウタ達が裏口から抜け出してから数十分後、チェックイン客の応対のために裏口から出勤してきたナンザはなぜ裏口が開いているのかを訝しみつつも玄関のドアの取っ手に掛けられていたロープをほどく。
すると詰めかけていた民衆が一斉に雪崩れ込んできた。
「ななななななんですかいきなり!」
「ケントさまは!」
「どこにいるのよ!」
「いるんでしょ!この中に」
「二階よ!二階を探しなさい!」
嵐のようにやってきた民衆を前にナンザはおろおろとするばかり。
どたどたどたと駆けずり回った民衆は二階を探し尽くし息を荒らげて戻って来る。
「いない・・・」
「どこにいるのよ」
「奥も探すわよ!」
暴徒と化して侵入した民衆たちは女性が多く目立つ。
バッファローの大移動を思わせる猛烈な人の波の前には抗する術なく横の壁に貼り付いて難を逃れようとするしかないナンザ。なんでこんなことになったの。早く終わって、と泣き顔だ。
そんな中、一階の食堂の奥に入った女性の一人がアッと声を上げた。
「ちょっとこれ見て!」
「なになに?」
「開いてる!!!」
「うそっ!?」
「えっ!?」
裏口のドアが開いてる。
逃げられた。逃げられた。と口々に悔しがる。
「―――追うわよ!今ならまだ遠くには行ってないはずだわ!」
「裏路地のどこかに隠れてるかもしれないわ!行きますわよ!」
「「ケント様~~!!」」
「「英雄さま~~!!」」
町娘や婦人たちの中にドレスの裾を持ちながら走る御令嬢も混じりながら慌ただしく去っていった。
残されたのは台風が通ったかのように散乱した食堂のテーブル・椅子と、一枚のメモ。
―――慌ただしい出立となってしまったこと、お詫びいたします。直接お別れをすべきでしたがそうもいかず、こうして筆を取らせていただきました。
フウタのレシピは長い旅の中で培った研究の結晶です。お役に立てていただければ幸いです。
過ごしやすい宿でした。お世話になりました。残りのお預けしたお金はそのままお納めください。せめてもの迷惑料です。
これからの商売繁盛とご多幸をお祈りいたします。ケント他、一同。
よほど時間がなかったのか筆跡は走り書きが多く文章は平易で簡略的。
しかしその文脈のいたるところにケントの優しさがにじみ出る。
センリと喧嘩をしかけそうになった時に仲裁してくれたケントの顔がナンザの脳裏に呼び起される。
今となってはセンリさんのあの厳しい物言いはとても耳が痛かったけど良い薬になった。フウタさんも熱心に教えてくれて本当に幸運に恵まれたとナンザは散らかった食堂を見ながら思う。
七人が旅立ち、客は出払った。食堂はぐちゃぐちゃで先が思いやられるほどに見るも無残な光景。
だがナンザの顔はそんな現状に反して晴れ晴れとしている。
一カ月弱の間、徹底的に鍛えられたこの知識と腕があれば立て直せると強い自信が湧き上がってきていた。
―――ピンチこそチャンスへの近道ですよ。
フウタの激励がナンザの脳内でリフレインする。
「・・・よし、やるか」
ナンザは倒れたイスとテーブルを一つ一つ立て直し始めた。
二か月後―――。
維江原のある奥まった路地。
大通りから一本入った細い通りには個人商店や文房具屋など、大通りには進出できず細々と商いをする者たちの店が連なる。
その店主たちはある店を眺めては苦々しく見つめ、羨んでいた。
この大通りから離れた細い通りにはとても似合わしくないほどの行列がとある店に向かってずらりと続く。
「いらっしゃい!二名様どうぞー!そのまま奥の席までお進みください!」
「こちらへどうぞー!らっさっせー!」
「「らっさっせー!」」
客の出入りはコマを回すように目まぐるしく、出ては入り出ては入り、勢いは留まるところを知らない。
常に店員の声は賑やかに響き、旨味薫る風は一帯の全ての人間の腹時計を鳴らしにかかる。つい先日お披露目となった革新的な一杯。
「ご注文は?」
「風神ラーメン並で」
「俺も」
「風神並二つですね。風神二丁ー!」
「「あいよー!」」
従業員同士の威勢のいい掛け声がひっきりなしに聞こえる。
真昼間から行列の絶えない店として有名となったこの店はさらに客を引き寄せる。その客は口コミでさらに二次三次に輪を広げていき、その誰もが舌鼓を打った。
そしてこの店はラーメン屋のみを営業しているわけではない。夜になれば宿として営業しており宿泊することも出来る。この維江原で最も安く泊まれる宿としても有名なこの宿は旅人の財布にとても優しい。
キッチンと食堂は開放されており誰でも自由に食材を持ち込んで調理することが出来るが、この宿に宿泊した客は誰もが揃って同じ物を夕食に頼む。
「女将!風神鍋一つ!」
「はいはい、少々お待ちくださいね~」
「あ、こっちシメのラーメン二つ!」
「ごめんなさい夜はラーメンやってないのよ」
「「ええ~~」」
「頼むよ~、あんな旨いもん食っちまったら止まんねえって!これに入れたら絶対旨いんだって!ほら、この通り!」
「・・・追加料金いただくからね」
「おおうありがてえ!」
「俺も!」
「じゃあ俺も!」
「私も食べたい!」
「しょうがないわねぇもう―――」
女将はやれやれといった様子で保存室から熟成麺を取り出し渡す。
「うんめえ~~!」
「やっぱこれなんだよなぁ~~!」
「ああもう本当これ好き」
「―――はぁ、宿の夕食はセルフって言ってるのにこれじゃあ変わりないじゃないの、ちょっとくらいは考えて欲しいもんだね」
「悪い悪い、また明日も泊りに来るからよ」
「とかなんとかいってまたゴネるんでしょう」
「あ、バレた?」
「バレバレよ、そんなに食べたいなら昼来なさいよ」
「もちよ!今月の給料全部ラーメンにしちゃう!」
「ほどほどにしなさいよね」
客との談笑を終えると女将は明日のスープを仕込み始める。
しっかり下処理をして、丁寧に慎重に煮込み続ける。
先生の言いつけを守って、一切の妥協を許さない。
愛と感謝を込めて、今日もじっくりと。
第二章・王国北部編 完
もちろんこの後もまだまだ続きますが一旦区切りとさせていただきます。
ブックマーク・評価よろしくお願い致します。




