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36 決勝6

毎週金曜投稿(ストック次第で可能なら月曜も投稿)予定です。

 アレッドは想定外の告白にあからさまに動揺した。


「まさか、そんな・・・」


 何かを呟いたようだが大雨にかき消されアレッドが何を言ったのかは分からなかったが恐らく生き残りがここにいるとは思わなかったといったところだろうか。

 水の民の生き残りであることを告白した私に向かって焦点の定まらない黒目をびくびくと痙攣させながら震える手で剣先を突きつける。


「っ・・・嘘を吐くな!お前の髪は黒じゃねえか!本当に、お前が水の民の生き残りだってんなら、証拠を出してみろ。それに、本物は水色の髪をしているはずだろうが」


 語気を強め反論してくるアレッド。言い切るや否や、「お前は水色の髪じゃないだろ。それでどうやって水の民だって言い張るつもりだ」との思惑の見えるにやつき。どうだと言わんばかりの態度を表すのに対して私は小さくため息をついて肩を落とした。


「・・・そうです、確かに水の民は水色の髪をしています」

「じゃあ――」

「確かにあなたの思う通り私の髪は黒い。どこから見ても水の民とは思われないでしょう。ですがそれが私の命を救ってくれました。水の民たる自分を隠すことでこうして今ここに立てているのです。あの日あの時、村と私のなにもかもが滅びた時に髪の色さえもを捨てたことで―――」



 ◇



 十余年前。

 私は母なるウードにあって水の民の隠れ里に過ごす一人の村人として生きていました。

 水の民の頭領でありまた村長である父と踊り手である母の間に生まれ、三人の弟妹を束ねる次期村長・水の民の次期頭領として。

 水神祭祀のために父母とともに日々祈祷を行い、近隣の村々と交易をし、村人たちが狩って来た猪や川魚、野草果実木の実などを纏めて管理しながら空いた時間には剣の修行。村の誰もが笑顔で争いとは無縁の生活をしていました。

 それが壊れたのは突然のことでした―――。




「「うわーーっっ!!」」

「「きゃあぁぁぁ!!」」


 ある日、昼食の準備に取り掛かっていた時外から聞こえてきたのは何重もの男女の悲鳴でした。

 表に飛び出すと、狩猟採集に出かけていたはずの村人たちがその一切の道具を持たず手ぶらで村に駆け込んでくるのが見えました。誰もが走りながらしきりに後方を確認し、手を振って合図したり口元に添えて声をかけたりしています。

 村の中に最後の一人が逃げ込むとすぐに村の正門を閉鎖。門番がすぐさま内から閂を通して防衛体制を敷き始めました。村の入り口から駆け込んできた村人の一人は慌てふためく村人たちの間を縫って息を切らながらそのまま村長屋敷の方まで向かおうとするのが見えたのです。ただごとではないと私はその村人に声をかけました。


「なにがあったんですか!」

「ああ若!・・・麓から、多数の兵士が武装してこちらに向かってきています!その数、確認出来るだけでも千五百・・・!」

「何っ、千五百!・・・早くお伝えしろ!」

「分かりました!」


 伝令を村長屋敷の方へ見送り、急いで一人で監視用の矢倉に登る。矢倉には見張りの兵が数名詰めており、私に気付いて膝を突こうとするのを手で制しながら手すりから身を乗り出して村の外の方へ目をやる。

 麓から村へ山の中を縫う細い一本道、その木々の間から土埃が塊のようにもうもうと上がっており、決して広くはない山道には果てしないほど長く沢山の旗と銀色が・・・。


 傍らの見張りが話しかけてくる。

「若!」

「あれは?」

「あの旗、おそらく帝国軍です。話には聞いていましたがまさかここまで――」

 他の見張り達に動揺が広がる。

「どこまで下がる、王国軍は食い止められないのか」

「帝国軍の勢いはそれほど凄まじいのか」

「しかしなぜ帝国軍がここに・・・よもやこの村を」

「な、何を言う!」

「皆慌てるな。取り乱してはなりません。冷静になって対策を」


 矢倉に立っていた見張り番たちが動転するのを宥めて収拾し、私は今できる対応・・・なぜこんなことになったのかを考えました。

 王国と帝国が平野で長く戦争をしているのは聞いてはいて、山奥深くで暮らしていた私達には戦火は及ばないと考えていたのです。王国軍が南に押し込まれ帝国有利に戦争が運んでいる今、ウードから平野側最寄りの麓の町には半月ほど前に帝国の旗が翻ったとも聞きます。

 ウードは王国の影響圏内ではありましたが自治を認められているこの一帯は王国領とは扱われず、平時からの納税も労役も兵役もしていないので支配被支配の関係になくここは中立を通せるだろうと考えていたのになぜ帝国軍はこちらに向かって来ているのか。


「・・・俺が話をつけてきます。若は安全な場所で待っていてください」

「分かりました・・・くれぐれも気を付けてください」

「はっ!」

 交渉役は足早に矢倉を駆け下りて行った。

「それでは私は――」

 と矢倉から眼下に目をやると、

「―――男衆は守りを固めろ!門と壁だ!女衆は詠唱準備!その他の者は石と矢を揃えろ!老人と子供は家に入れ、絶対に出るなよ!」

「・・・父上!」

「おうケントそこか!そんな所に突っ立っとらんで早う降りてこんか!」


 使者を見送った後聞こえて来た声を頼りに矢倉の上から父を探すと、屋敷の前から手招く父の姿を見つけました。すぐさま矢倉を駆け下りると父もこの事態への対応に四苦八苦していました。


「何の訳があって帝国はここに兵を向けたんじゃ」

「分かりません、ですがまだ今なら話し合いで何とかなるかもしれません。先程一人向かわせました」

「そうか、金や食料でどうにか済めばよいが・・・占有となると・・・うーむ」


 進軍中の帝国軍部隊に向かった使者の方角を案じながら、村内には不安で慌ただしい十数分が流れました。





 村の門から左右に延びる丸太壁の内側に詰める弓を持った村人たちは今か今かと待ち構えながら壁の上からわずかに目だけを覗かせて待機。

 霊水法を主とした法術が使える女の村人は母を中心として門の手前向かいの広場で円陣となって予備詠唱を始めました。


 このまま何事もなく交渉が進み進軍の足を止められれば。衝突さえしなければ誰も死なずに済む。どうか踏み留まってくれ―――。


 見回せばあちらこちらで私たちと同じく手を組んでの強い祈りを捧げる村人たち。

 誰もがまだ信じてやまない衝突回避の機会。使者として送った彼ならやってくれると皆がそう思っていましたが。


 最後の可能性を信じていた私と村人たち全員の希望は、無情にもあっけなく打ち砕かれました。



「ああっ!!?」

「あれは・・・!」

「いやああっっ!!リアノーーー!!」


 こちらへ迫る部隊から数歩先行して進む帝国軍兵士の槍の先には水色の髪をした生首・・・先程使者として送り出した村人が物言わぬ首となり果てていたのです。

 妻と思しき村人の絶叫が村中に響き渡り、皆が予想だにしていなかった結末に怒り、恐れ、震撼しました。


 交渉は最悪な形で決裂。穏便とは全くかけ離れ、生きて帰って来られなかった彼の口からは血が垂れ、瞼は無念に閉じられていました。

 さながらお前らの話など聞くつもりはないとの意思表示。帝国軍兵士の誰もが傲岸不遜に笑いながら甲冑の金属音を歩き鳴らしながらこちらに寄せてきていました。


「あいつらよくもリアノを!」

「野郎、許しちゃおけねえ!!」


 防壁上の村人たちは弓を次々に構え、無念にも首とされ辱めるよう槍の先に掲げられた夫の妻は錯乱して髪を振り乱しながら防壁によじ登り単身で詠唱準備に突入。剣を帯びた村人は次々にシャキシャキシャキンと抜剣しました。


「ええい、全員、射撃用意!!」

「詠唱準備、構えーー!」


 防壁上の隊長が剣を真上に構えながら、そのまま寄せる帝国軍をじっと引き付けます。女師長は隊長の号令に続いて詠唱準備をさせて帝国軍を待ち構えました。


「まだ射つなよ!十分に引き付けろ!」


 防壁の上にて矢を番えられ満を持した弓二百数丁が帝国軍を狙う。

 剣を上に振り上げたまま止めた隊長は帝国軍が弓の射程圏に侵入する時を今か今かと待った。


 あと二十歩。


 あと十歩。


 もうまもなく。



 今にも射程圏に差し掛かるとみた頃合。隊長が振り上げた采配をそのまま振り下ろそうとした途端、

「ようし、撃――――っ!?」

「・・・な、なんだあれは!」

 バザバザァン、と重厚な音を何重にも立てながら正面の森の中から真っ直ぐ空中へと無数のカラスの群れが飛び上がりました。


 空に突如浮かび上がったその無数の黒い点の集合体を呆気にとられた様子で眺める。

 村人たちがその正体に迷っていた時、いち早く隊長が気付いて叫びました。


「・・・!まずい、伏せろ!!斉射だ!!!」


 カラスの大群と見紛ったのは数千本にも及ぶ矢の塊。千五百どころかその倍はある。大量の矢がこちらに飛来しているのだと防壁上の村人たちが気付いた時にはもう逃げることも隠れることも出来ないほどの距離に迫っていました。

 蝗のように空を塗りつぶした矢の壁はオオオン、と唸りをあげながら飛来して――



 ドドドドドドドドドドドドドドドドスドスドス!!!


「うア゛ァ゛!!」「ぐぉえッ・・・」

「ぎゃあ!」「ごっ・・・!」「ふ・・・ぁ゛」


 三千本もの矢は防壁上と門の裏、向かいの広場にいた大多数の村人の命を逃げ隠れる隙さえ与えずほんの一瞬にして奪い取りました。

 矢の絨毯の下、悲鳴にもならない小さな声が微かに、命もろともか細く消えたのです。

 大量の矢が刺さる凄まじい音が収まるとそこに立っている者はいませんでした。


「・・・・奥方様っ!」

「母上!!!!!」


 後方で待機していた踊り手見習の女性の指の先には全身針鼠となった母がピクリとも動かぬまま地面に倒れていました。

 広場の中央で詠唱指揮に入っていた母は他の村人もろとも矢の餌食となって絶命。防衛戦力の大半を壁側に張りつかせていたのが災いし、たった一撃で壊滅させられました。


 そして門の向こうからはワァァァーーー!!と山を揺らすほどの鬨の声が上がり、その声は接近とともにみるみる明瞭に増大していきます。防壁上には誰も生き残っていません。門の裏にも、正面広場で食い止める女たちも。残っているのは後方にいた多くない数の村人たちと屋内退避した子供や老人のみ。


「う、うそだろ」

「来るぞ、来るぞーー!!」

「早くしろ!水壁でも水弾でもいい!早く打て!!」

「駄目です、この距離では詠唱が間に合いません!」

「私達だけの力ではもう・・・無理です!」

「ふざけるな!クソォォ!クッソぉぉぉ!!!」

「ああ、もうおしまいだあ・・・っっっ!!!」


 広がる絶望。ここでみんな死ぬのか。あっけなく皆殺しにされてしまうのか。

 ごくわずか生き残った村人が防壁に登り、床に落ちていた弓を拾って帝国兵に射かけるも即座に十倍返しで殺され、次いで反撃を試みた者たちは弓持ちの男と法術見習いの女の分も問わず皆殺し。前線が押し上げられひっきりなしに飛んでくる矢によって後方にいた村人たちも次々に倒れます。


「どうすれば・・・どうすればいいんだ・・・・!」


 子供の頃から見知った村人。家族と言ってもいいみんなが全身を矢に貫かれてどんどん殺されていく。逃げ惑う声もいつしか断末魔とともに減っていき、散発的に訪れる静けさが私の恐怖を掻き立てる。

 もう終わりかも知れない。そう思い村人たちと同じく恐慌に陥りかけた時、聞き慣れた父の声が辺りに轟きました。


「者共落ち着け!!わしらは水の民、水神様に愛された由緒ある伝統の一族!ここで無様に背を向けては名折れじゃ!覚悟を持って戦えい!頭領のわしがまだ無傷でピンピンしておるのじゃ、負けてはおらんぞおお!」


 周囲の地面に刺さった無数の矢を引き抜く。逆にくれてやると帝国軍に向かって同時に二本の矢を三回飛ばして応戦する父。体のどこにも傷は負っておらず気力十分な父がそこに立っていました。

「そうじゃ」「我らには頭領様がおられる!」「まだ戦えるぞ」「勝って仇を取るんじゃ!」と村人たちの声が上がり互いを励まし合い奮起。その様子を腕を組みながら見て一つ頷いた父は私に向き直りました。


「ケント」

「は、はい父上!」

「残りの村人を集めてなんとかここで時間を稼ぐ。じゃが反撃に転じるにはあれしかない。お前は裏の地下室に入り、隠し部屋の最奥に隠された大きな箱を取りに行くんじゃ」

「大きい箱・・・その中身は」

「先祖代々伝わってきた召喚陣がある。こうなってしまっては他に手段がない。今はそれを用いてなお勝てるかどうかじゃが・・・残るはそれしかないのじゃ、行け!!」

「わ、分かりました!」


 足を縺れさせながら駆け出し、屋敷の裏にある蓋を持ち上げすぐさま地下通路の中に滑り込みました。通路の突き当たりの格子戸を急いで開け、隠し部屋の一番奥にあるという大きな箱に向かって真っ直ぐ走る。


「どこだ・・・、違うこれじゃない。これ、も違う!どこだ・・・!!くっどこにあるんだよ!早くいかないとみんなが!!」


 隠し部屋に置かれている様々な箱を開けては後ろに投げるように置き、召喚陣があるという箱をひたすらに探す。だが、どこにも見つからない。


「ない、ない・・・!これじゃみんなが、父上が、村が・・・!!!!」


 そう焦りながら必死に探し回っていた私の後ろから何か物音がしました。



 カタンカチッ、ガチャン!!


「!?」



 バッと振り返るとそこには父の姿。

 格子戸の向こうでじっと私を見ながら立ち尽くしていました。


「父上・・・?」

「・・・」

「・・・父上、召喚陣が見つかりません、どこにあるんですか!それさえあれば勝てるんでしょう?教えてください」

「・・・・・・そんなものはない」

「っっっ!?」


 咄嗟に立ち上がり格子戸の方へ駆け寄る。

 ないとはどういうことか問い質そうと格子戸に手をかけるとガチャンガチャンと鳴るのみで戸が開かない。外から鍵がかけられている。どうしてと驚きに父を見上げました。


「・・・・・・許せ、息子よ。これしか方法がないのじゃ」

「な・・・・何を言っているのですか」


 父は格子戸に下ろした錠の鍵を懐に隠す。

 頼もしき頭領だった父は今までに見た事のないような悲し気な目で私を見ました。


「もはや抗しきれぬ。周囲は完全に囲まれた。千や二千ではない、何千という数の兵がこの小さな村を囲んでいるのだ。逃げようにもとても突破できるものではない。ここまでだ」

「なん・・・ですと」

「あの矢の数を見たであろう。少なくとも総兵力はこの倍はいる。四、五百がやっとのこの村にひょっとすれば一万の兵が。それほどまでに恐れられていたという事か」

 と父は諦めにため息をつきました。

「・・・私たちが何をしたというのですか。これまで帝国に刃を向けたことなど一度も――」

「こうしている間にも村人は次々に討ち取られているだろう。もう既に猶予はない。お前だけをここに隠すことしかもう手は残されておらん。わしが不甲斐ないばかりに・・・すまない」

「父上!諦めてはなりません!まだどうにか活路が見いだせるかもしれません」

「何を待つというのじゃ。この村が襲われているということはつまり他の村も襲われ応援は望めぬという事じゃ。ここで耐えて何を待つ。徒に死を待つだけじゃ」

「―――でしたらせめて父上も!弟たちとともに父上もここで隠れて難を逃れてください!敵もここまでは気づきません!」

「わしも隠れては・・・誰が、ここの蓋を閉めるのじゃ」

「!!」

「蓋の上に土でもかけてやらねば早くに見つかる。彼奴らの狙いはこの村のすべて。こちらの説得に耳も貸さず男女問わず殺し尽くす奴らに慈悲などない」

「・・・ではせめて弟と妹たちをっ」

「・・・・・・ならぬ。もうこれしかないのじゃ。万策ここに尽きた」

「・・・」


 格子戸の間から父の手が差し込まれ、私の左頬を包むように撫でる。


「お前の目は母さんによく似ている。慈愛に溢れ、隔たりのない優しさで全てを赦してくれるようなその眼差し。髪の色もそっくりじゃ」

「・・・」

「わしのようにならずともお前なりの頭領の形もあっていいと思っていた。村を強く保ち守り抜いていくことと同じく、他の村の民との和を尊くするお前の生き方は。このわしくらいに剣の腕があれば尚よかったがの」


 小さく笑った父の手はいつしか私の左肩の上に乗せられ、力強く目で訴えながらがっしりと掴まれた。


「ケント。お前は、正々堂々生きろよ」

「・・・父上」


 言うや返事を待たず振り返り、父は歩き出す。歩きながらつぶやくように背中のまま語る。


「わしはこれ以上にないほどの果報者だ。愛する妻と子に恵まれ、充実した日々を謳歌できた」

「待ってください」

「当分の食料と水はその中にある。わしが良いというまでは出てはならんぞ」

「父上!なりません!!」

「・・・ケント」


 父は去りゆく背中を大きく一呼吸で正し、えずきそうな胸をぐっと堪えて半分閉じていた地上への蓋を横に滑らせ開く。勇壮に立ち上がった父は差し込む昼明かりに白い歯を煌めかせながら私に言った。


「後は託したぞ。"頭領どの"」

「!?・・・っ!!父上っ!お待ちを父上!!父上ーーーー!!!」


 ゴウン、と重たく蓋が閉じられ、次いで地上へ通じる蓋の上にザラザラーッと砂が幾度もかけられる。

「お前は、ゆっくり来いよ」と噛み締めるようにケントに聞こえぬ声で呟きながら。




「開けっ!!開けっ・・・くうっ!!!父上ーーーーー!!!!」

 父を呼び止めること叶わなかった私の声のみが地下に響く。格子戸を破ろうにも開かず、体当たりしてもびくともしない。

 必死になって何度も破ろうと突進するも全く開かず、やがて外の音は完全に遮断され地下に封印されたのを悟った私は、格子戸にしがみついたまま泣きながら地面に膝から崩れ落ちました。



 自分の無力さを嘆きました。


 目の前で死にゆく者たちを守れない。迫る脅威に抗えない。たった二本の腕では誰も救えなかった。数歩先で矢に倒れた母。喜んで捨て石となった父。弟も妹も共にここへ連れて隠れることすらできず。

 せめて父のように剣が強ければ。母のように霊水法に秀でていれば。きっと守れた。一人でも多くの家族と村人を助けられたはずだったのに。




 ・・・私は父と共に死を飾ることもなく母の許へ参じることもなく、弟妹を救えなかった事を父のあの遺志を言い訳にして虚しく地下に一人隠れ、浅ましく干し肉と干し芋と甕の水で生き恥を忍ぶ。

 何が次期村長だ。何が次期頭領だ。霊水法も十分に使いこなせない半人前の私が若と呼ばれて何を舞い上がっていたんだ。


 ひたすらに自分の非力さを責め、無力感に苛まれ、目の前で死に行く母と去り際の父の笑顔に寝ても覚めても魘され。

 油皿の小さな灯で昼夜も分からない地下洞の中、私は永遠のように長い何日をたった一人で過ごしました。




 ◇




「地下から出たのはそれから五日も後。その日もこんな雨でした」


 頬を伝う雨が雨なのか、それとも私の涙なのか。

 闘技場のフィールドにて向かい合うアレッドの姿が滲みゆく中、私は目頭を熱くしながらそれでも語る。


「同じように攻め込まれた隣村から逃げてきた幼馴染に助け出され見た私の村は、惨い有り様でした。村中の家はすっかり瓦礫と崩れ果て生存者は誰もいない。村人たちの死体はゴミ山のように積み上げられ野犬が腕や足を食いちぎっていました。父や弟妹たちは広場の真ん中で磔にされて、槍に突かれて息絶えていました。父と弟の首まで持ち去って・・・弟はまだ、六つだったというのにっ・・・!」


 せり上がる涙声を飲み込みながらなんとか息を落ち着けようと努める。ここで無様に泣いてはいけないと自身を留め、自然と力の込められる両手をそのままに。


「父たちは罪人のように殺されました。私達はあなた方に何をしましたか。ただそこで暮らしていただけなのに。戦争にも関わらずどちらにも与せず仇成さず平和に過ごしていたのに。あんなふうに殺されなければならないほどに、父は、母は、弟は、妹は、村人たちは、それほどまでに罪深かったというんですか・・・・!!」


 白い仮面越しには伝わらないが顔を赤く腫らせ、悲しみに肩を震わせる。

 黙って聞いていたアレッドは先程の動揺から一転幾分か落ち着いた様子で話し始めた。


「戦争とは時に残酷だ。何の罪もない人が大した理由もなく殺される事がある。きっとその時もそうだったんだろう。かわいそうに」

 アレッドは口を真一文字に結び、目を伏せながら哀悼を示す。

「俺はしがない一兵卒だ。上の命令とあらばどんなことでもしなきゃいけねえ。敵の最前線にメイス一本で突っ込めと言われりゃ突っ込まなきゃいけねえし、死んでも守れといわれりゃそうしなきゃいけねえ。お前さんの村が燃えちまったのは残念だったけど、でもそれで負けてやれるほど俺も余裕がある訳でもねえんだ」

 アレッドは私に向けていた剣を下ろし、同情めいた言葉で私を慰めようとした。

「聞いただけで出処は知らねえが、水の民が使う不思議な術を将軍は大分恐れてたみてえだ。誰に味方するでもなく山の中に暮らしてるってのを不気味に思ってたらしくてな。味方になってくれって何度も言ったらしいが断られて、王国に味方されるくらいなら・・・って思ってそんなことになったのかもしれん」



 そんなくだらない理由のために。戦争に加わらなかったという理由で根絶やしにしたのか。

 私は全身の毛が逆立つのを感じた。


 私達は先祖代々自分と周囲の人々を守るための秘術を伝統として継承し守ってきた。そこには無為に人を傷つけるような用途や目的はなく、だからこそ戦争や争いも一貫して避け続けた。

 水の民と同様に一族で古くから秘術の継承を貫く近隣の村とも平和的に交流していた。お互いに争わずいがみ合うことなく平野にちょっかいもかけずに慎ましく暮らしていたのに。

 受け継いできた法術が傍から見て恐ろしいからとただそれだけの理由で私達の気持ちや歩み寄る姿勢も理解せず殺し奪い消し去った。その将軍の指先一つで地図から村はなくなった。その事実に思わず私の奥歯がギリと軋んだのを感じた。



 だがしかし、私はその前にアレッドが放った言葉を聞き逃さなかった。

 アレッドが口にした決定的なキーワードを。その場にいなければ知り得ない情報を。たとえその帝国軍の将軍が私達水の民の隠れ里が疎ましく思えて殲滅を企て遂げたことを目の前に突きつけられたところで、それよりもさらにあの日の真実に近い言葉が出てきたのでは名も知らぬ将軍のことは遠く二の次へと追いやられた。


 私は先程出てきたそれを確かめるべくアレッドを問い詰めた。



「アレッドさん」

「どうした」


「・・・なぜ村が燃えた事を知っているんです?」


 アレッドの眉がピクリと動いた。そして黙って私をじっと見つめる。なんでそんなことを聞くんだとでも言いたげな、そして思った通り核心に触れたようなピリついた空気が一気に立ち込めた。

 私が放った言葉が思ったよりずっと冷たい声色になっていたのにも構わず、私はアレッドに言葉を刺し続ける。


「私は村が燃えたとは一言も言っていませんよ。なぜ村が燃えたと知っているんです」

「・・・」


 動揺を隠そうと同情ながらについ口を突いて出たのだろう一言を私は聞き逃さなかった。

 地下から這い出た時に見た村中の建物は全てが燃やされたのか黒焦げとなって朽ちており、磔となった家族の亡骸にも火が付けられていた。磔刑に処した上、父と弟の首まで持ち去ってさらにはその亡骸を燃やす。あまりにも惨過ぎる光景がそこにはあった。地下での数日をそれでも希望を捨てずに生きていた私の何もかもが崩れた瞬間だった。


「あなた―――」

「・・・・・・なんだ」



「あの時―――――――あそこにいましたね?」




「っ・・・・!!」




 そう突きつけた途端ハッと息を吸い込んでアレッドは固まった。

 何かを言おうとしているのかそれとも言葉を選んでいるのかはたまたこれから言おうとしていることが神経を逆撫でしないだろうかと活動か停止かを決めあぐねて口はどっちつかずに痙攣した。


 目線が明らかに動揺している。

 まばたきも増え、鳥肌でも立ったのかブルリと体を震わせた。





「・・・なるほど。そうか。そうだったか」


 ケントは点と点がつながったような腑に落ちた納得感を感じ、それと全く同じくして燃え上がる何かが脳天へ突き上げられたのを感じた。

 理屈っぽいものではなくとても本能的なそれでいて激烈な感情。これまでに感じた事のなかったどす黒い感情。在りし日の平和な村の景色と穴から這い出た瞬間広がった灰燼と化した廃墟が今フラッシュバックして重なる。

 雨の中で磔のまま晒された亡骸。水の民の頭領と次期頭領である私の身代わりとして首を切られた父と弟。首はあるが槍で突き殺された後に燃やされた妹。周囲には生存者は一人もなく山積みとなった村人たちの亡骸には無数の矢が刺さったまま。

 あの日もこんな大雨だった。


 飾り気のない真黒紅が全身の血管から筋肉に伝わり、ケントの脳内は一切の痛覚が遮断され全身に力が漲った。

 大雨のカーテンの中に隔離され白む世界の中で際立つケントの姿。仮面で表情を読めない事が心情と挙動に謎を深め、先程までの防御一辺倒の戦いの中でどこか怪我の箇所を庇いながら避けていたようなぎこちなさは今は完全に消え、幽鬼の如く立ち上がった。

 騒がしい雨の中だというのにケントの声はクリアにアレッドの鼓膜を揺さぶった。


「磔刑に飽き足らずその亡骸を辱めるとは―――」

「・・・ま、待て、」

「一族郎党皆殺し、家まで焼いて完膚なきまで―――」

「・・・おお落ち着け、な、冷静に話そう・・・」


 剣を持っているはずのアレッドは素手ながら鬼気迫るケントに尋常でない何かを察知し思わず後退る。

 土砂降りの雨の中ピタッ、ピタッ、とケントが歩を進めるのに合わせてアレッドは空いている手でケントを宥めようとしながらただならぬ気配に足を後ろへ下げてしまう。ただならぬ様子のケントを説得しながら生唾をゴクリと嚥下し、アレッドはとてつもないプレッシャーに口がカラカラに渇くのを感じた。


「平和な村を跡形もなく、女子供の命まで―――」

「違う、落ち着け!落ち着いて俺の話を・・・」


 アレッドの方に向けて進み続けるケントの両手はにわかに光を帯び始め、その青い光は真っ直ぐ地面と引き合う。

 この短時間で急激に打ち付けた大雨で巨大な水鏡となってフィールド上に湛えられた大量の雨水がケントの両手の真下二ヶ所で円形に淡く青に光りながら、ケントの光る手にそのままゆっくりと吸い上げられていく。


「お前が踏みにじった命。未来。数百の希望。償ってもらう・・・!」

「待て!違うんだ!俺は命令に従っただけなん―――!!」


 足元の大量の雨水を吸い上げた両手をケントの顔の前で交差すると、二つの水球はそのままクロスし二本の巨大な青い水柱となって眼前に聳える。

 高さにして三メートル程度の斜め十字架はケントの交差した手が大きく印を結んで一回転したのを合図に空中で巨大風車のように回り始める。


 目の前で起こっていることが現実で起こっている事なのかとアレッドは自分の目を疑うが、ただならぬ様子のケントと今巻き起こっている巨大十字架のこれからを予想すると全身がガタガタと震え出した。

 お目にかかるのも有名な将軍が恐れていたのはこれだったのかと目まぐるしく回る十字架を見ながらこの戦いを挑んだことを今になって後悔した。


「分かった、分かった!降参する!降参―――」

「講和を認めなかった男の何が降参だぁぁぁああああ!!!!」


 風にたなびく帝国軍の旗の中、水色の髪した首が槍の穂先に掲げ揺られていたのは忘れない。磔にされた家族同様強い衝撃を持って今も瞼に焼き付いている。


 ケントとアレッドの周囲は大雨がなぜか壁を形成するように集中して降り、外の実況席や観客席からの視覚や音の一切が絶たれている。こちらからも外を見ることかなわないウォーターカッターに囲まれたような水の牢獄と化している。外に出ようと手を触れればたちまち指が切れてしまいそうだ。

 わずか直径三十メートル程度に水の円壁で切り取られたフィールド上にて、目の前で巨大な十字架がうねりを上げながら回転する。

 たまらずアレッドは降参を申し出たがケントは犬歯をむき出しにしながら拒否。仮面の下に見える口元は執念に燃えた憤怒が隠れもせずにあふれ出る。


 ケントは両手それぞれ印を結び、十字架はさらに青く、早く回り出す。

 大雨の音なのかこの十字架の回る音かが分からなくなる位の轟音を生み出して高速回転しながら、十字架は一帯の大雨を吸収してさらに成長する。

 十分に育った十字架をケントはアレッドにめがけて狙いすまし、呪印を結んだ手を振り抜きながら唱えた。


「――――<水十字旋八掌>!!!」


「うわぁぁぁぁぁああああっっっ!!」


 巨大送風機のように一点に留まって縦回転していた十字架はケントの呪文で一気に加速しアレッドに向かって一直線の軌道で突っ込んだ。

 アレッドは水の壁に阻まれ左右へも後方へも逃げられず、もう立ち向かうしかないと決死の覚悟で剣を構え、猛烈に迫る十字架を切り裂こうとする。


「――――っっ!!!」


 切っ先が十字架に突き刺さる。

 否、飲み込まれる。何の抵抗も手応えもなく。


 水本来の感触のみを手に伝えながら何か物体を斬ったという感覚も実感も全くなく、アレッドはこんなことがあるのかと息を飲む。


「ぐっ!なんだこれは!ふざけんぐがごぼバぶ・・・っッ!!」


 剣先から腕まで、そこからは一瞬にしてうねる水の十字架に全身が飲み込まれた。

 風鳴りを起こしながら回る十字架だが触れると水。一見硬そうにも見えるがジャバゴバァ!と音を立てながらアレッドの抵抗を意に介さずいとも容易く飲み下した。


「・・・っ!!っ・・・!!!」


 巨大な水の中に取りこまれ呼吸を奪われる。

 乱暴に剣を振り回しながら水の塊の中から這い出ようと必死になる。回り続ける十字架の中は奔流となっており、遠心力とは別の水流が巻き起こっている。アレッドは呼吸できないパニックによっていつしかその水流に乗って十字架の中央部分に移動してしまい上下感覚を奪われた。


 バシャン!バシャン!と音が響く。十字架から抜け出そうと時折腕や足が生えるも力が働いてすぐに内部へ引き戻されるように戻っていく、声にならない必死の叫び。

 いつの間にかアレッドは剣を手放し、フィールド上にバシャンともカランとも聞こえる音を立てて剣が落下した。

 交点が自分の形に丸く膨らんだ十字架の中から脱出しようと両手両足をばたつかせ鬼の形相になっているアレッドは剣すらも邪魔になっているのだ。

 回り続ける十字架はアレッドがもがき進んだ方向に向かって先回りするように水の層を継ぎ足し、さらに回転で揺さぶりをかけて努力を無に帰す。


 この間三十秒。そろそろ息が持たなくなってくる。

 激しく動いたこととパニックになっていることで息がもう間もなくと言った様子。


 それを十歩先で見ていたケントは右手は呪印を結んだままおもむろに左手の呪印を一旦解いて別の呪印を結ぶ。

 途端、縦回転していた十字架は一つの大きな水球への変化を経て、そこからさらに九十度横転した十字架となって横回転を始めた。取りこまれたままのアレッドは今度は十字架の中心ではなく末端に移動して回り出す。


「―――ぶわハッ!!!ハァ、ハァッ・・・もう、ハァ・・・もう、やめて゛く゛れ゛え゛え゛ぇぇえぇぇええ!!」


 横向きとなった水の十字架の側面からなんとか顔を出すことが出来たアレッドは禁じられていた呼吸にありつく。そして必死の哀願。懇願。先程までの余裕や挑発など見る影もない。

 顔だけを覗かせながら十字架は回転し続けるもケントは無言を貫く。


「お願いだァぁぁアア!!もうゆ―――くれぇぇ!!」


 一帯の大雨と回転する十字架によるドップラーによって節々はっきりとは聞き取れないものの、アレッドが泣きそうになりながら叫ぶ声と完全に心の折れた音が聞こえた。


 ケントは仮面の奥で光の消えた目で渦に巻き込まれるアレッドを眺める。

 もう殺してしまおうか。それとも徹底的に謝罪を要求しようか。そんな選択肢が浮かんでいるのだろう。決して緩めることなく両手の印を保つ。


 アレッドは死に物狂いで回る水中から這い出ようとするが底無し沼にはまったように手足が虚しく動くのみで脱出の取っ掛かりを捉えられない。呼吸でやっと、継戦などもってのほか。前日と開始直前の余裕綽々の態度はすっかり剥がれ落ち、そこにいるのはどこにでもいる哀れな一人の男だった。


 全身ずぶ濡れとなり顔に垂れ下がった髪から滴る水。アレッドの苦悶の表情と相まってそれは涙にも見える。されるがままの悲鳴はやがて力ないものとなり、すすり泣くような哀れな声が漏れ聞こえるようになった。



 だが。


 ・・・やりきれない。


 欲していたものに辿り着こうというのにどこか満たされない。


 落胆したのかケントは回る十字架を見つめていた目がやや下がる。

 このまま殺してしまって私はそれでいいと思えるのだろうか、と。


 追い打ちをかけることも出来る。

 しかし、出来なかった。


 アレッドに向けて構えた手に何かが触れたような感触があったから。

 もちろん雨以外に何もないが明らかにそれは冷たく無機質な雨なんかではなくて。


 ―――ひょっとしたら・・・いや、そんなことはあるはずない。


 あるはずないしそうだと考えたくもない。そんなものがまだ影を落としているほどにあの時と同じく変わらず弱いままだとは思いたくない。


 何のために今日まで修行を重ねて自分だけでなく周りの人も守れるようになるために鍛えてきたのか。

 何も復讐のためだけに日々を生きてきたわけではない。

 あの日の自分の無力さと悔しさをもう味わわないために、あの日と同じ悲しみを繰り返さないためにだろうが。





 数秒、瞼を閉じる。


 自分の手に触れた懐かしい温もり。

 錯覚だ。錯覚に違いない。


 しかし、錯覚で済ませたくない自分もいる。あの頃よりはずっと成長した。

 二十代も後半とすっかり大人になって手も大きくなったはずなのにその感触は自分の手を包むほどに大きく、温かく、柔らかい。


「なん・・・だよ・・・・・・」


 小さく噴き出すように笑った。

 誰が見ているとも知れない周囲の視線から隠れるように顔を伏せ、唇を噛みながら肩を震わせる。

 信じたくない自分とすがりたい自分もいて、そんな弱さを認めたくなくて。

 ただそれでもそれぞれ異なる感触を左右の手に感じながら迷い、惑う。

 今私はどうすればいいのか。どうすれば私自身後悔しないだろうか。この選択にして良かったと思えるだろうか。


 そして、もしもここにいて見てくれているのなら。

 二対の眼差しに見守られているその目の前で私が取るべき行動は果たして報復一つしかないのか。



 そんなことは考えるまでもなく、分かっていた。



 ・・・



 ・・・分かったよ。



 ・・・分かったから、もう―――。



 力んで固まっていた腕と肩を回して後ろ髪の引かれる思いを追い出しながら、鼻からゆっくりと吸い込み、ゆっくりと吐く。

 名残惜しさも残るが、いつまでもあの時と同じ子供のままではいられない。


 心の中ではっきりと別れを告げた。



 ・・・大丈夫だから。安心して待っていてください。



 心配はもういらない、もう一人で平気だよとケントは小さく笑って送り出した。

 両手を包んでいた二つの温かさは、そうか。とケントの出した答えを受け入れたかのように彼方へ溶けだしていく。

 懐かしいせせらぎ。爽やかな香り。微かに微笑みを残していきながら。


 手の平を手の甲をふんわりと包んでいた温もりがケントの下を去り、今も降り続く雨がクリアに肌に戻ってきたのを感じたケントはいつまでも感傷に耽っているわけにはいかないと気を取り戻す。

 そして再び十字架に視線を戻し、温かみ残る手で胸を撫でてそっと落ち着ける。

 叫びながら今も回る十字架に向けてケントは両手の呪印を胸元に構え、決意新たにきりりとした表情でパンッと手を打ち鳴らした。


「―――――八掌解ッッッ!!」

「ぬおッ!?ぐああぁぁぁあああっっっ!!」


 アレッドを巻き込んで回る十字架に変化が起こる。

 顔だけを出し手足を十字架の中に縛り付けられていたアレッドだがケントが手を叩いた途端にその拘束が解け、高速回転する十字架の遠心力を乗せてスリングショットのように飛び出した。

 頭から発射されるように飛び出したアレッドは勢いそのままに周囲を囲んでいた水の壁を突き抜け、そのまま数十メートルも飛び――



 ドヂャァァァァ!!!ドォォン!!!



 ぬかるんだ土の地面に落下し、そのまま濡れた泥の中を速いスピードで滑りながら真っ直ぐ石壁に激突した。


 フィールドの外、アレッドが現れた赤い扉のある西の壁だ。



「「「「「・・・・・・・・・・」」」」」


「「「・・・・・・・・・・・・・・おおおっっっ!!!」」」

「「え?・・・・えっ!!?」」

「ちょまっ!な、なんだ!!」

「おい、いきなりぶっ飛んできたぞ!」

「何が起きたんだ!!」

「どういうことだこりゃあ!」


 西の壁にいた観客たちは水のカーテンの中からいきなり発射されたように飛び出してきたアレッドの姿に驚愕。長い沈黙のあと何が起こったのかとフィールドを覗き込む。


 試合終盤以降からいきなり覆われ始めた雨のカーテンの中どのような試合展開がなされているのか戸惑いとじれったさの篭る目で見ていた観客たちは、突如その雨のカーテンを突き破って飛び出してきたアレッドがそのままのスピードで場外に墜落し水切りのように低い軌道を描いて転がりながら壁に激突したのを見るや、唖然としてただ目の前の光景を頭が追い付かない様子で眺める。


「・・・まさか・・・!」

「お、おい!あれを見ろ!」


 徐々に思考が眼下の現状に追い付いてくると観客たちにある結末を予感させる。

 そんなことはまずないと決めつけ、そう強く思い込んだもしやが来るのではないかと。もしもそうなれば、間違いなくこの場にいる人々は歴史の瞬間に立ち会ったと言える。

 木札を買おうが買うまいが、当たろうが当たるまいが、これほどまでの大どんでん返しがあったんだと後々まで語り誇れるだろう。

 そして声を上げながら誰かが指差した方向へ皆が揃って目を向け、固唾を飲んで細目で凝視した。


 フィールド上にて向かい合っていたケントとアレッドを円筒に囲うように降っていた大雨はみるみる収まり、それどころか辺りに広く降っていた雨の勢いは急速に弱まって雲間からは光が差し込み始めた。

 その光はフィールドから四方の客席まで闘技場のあらゆる場所に数十枚の光の幕が下りるように注ぐ。


 そしてフィールドの中央、晴れ行く空の下で先程までアレッドが持っていた剣を真っ二つに折った状態で両手に誇示するよう持ったまま雨のカーテンからその姿を現したケントは、スポットライトのような光が真っ直ぐ差す中とても神々しく、そして威風堂々に彫像のような立ち姿でそこにいた。


 そして、現実に数秒早く立ち帰った実況の男がこれまでにないほど声高に叫んだ。


「・・・・な、な、なんと!なんと!!決勝戦を制したのはケント選手だァァあああ!!」

「「「「ウワァァァァァァァァァァァァァアアアアアア!!!!!」」」


 万雷の拍手喝采。驚天動地の結末。


「素手からの大逆転!一度ならず二度までも、絶望的な劣勢を覆して勝利をもぎ取ったあああああ!!!」

「「うおおおお!!」」

「「よくやったーーー!!」」

「凄いぞー!」

「さすがですわケント様ぁぁぁ!」

「英雄さまーー!」

「「「英雄様ーー!!!!」」」


 雨上がりの闘技場に瞬く間に伝播。雷に打たれたような衝撃の試合。数万観衆からの大称揚が走った。


「「「「英雄!英雄!英雄!英雄!・・・」」」」


 全周から木霊す英雄コール。

 幾重にも重なった大群衆の手拍子がバァンバァンと重層に鳴り聞こえる中、場外に飛ばされたアレッドは上体をのそりと起こし、何かを呟いた。


「・・・・・・どうしてだ・・・?」


 全身から顔まで泥にまみれたアレッドは場外の端の壁からフィールド上に立つケントを見ながら問う。

 ケントは自分を見ながら何かを口にしたアレッドに気付くと落ち着いた歩調で進み出で、フィールドから場外のぬかるみに降り立つとそのまま壁を背に座り込むアレッドの前に向かった。


 今度は聞こえる位置。アレッドは痛み残る体で顔をしかめながら改めて疑問を投げかけた。


「――――どうして、俺を殺さなかった・・・」


 あれほどの力を持っていながら。

 殺されるには十分の動機がありながら。

 命を奪われるどころか手足を切り落とされることもなく五体満足で無力化されたその理由。それがどうしても腑に落ちず、納得のいかなかったアレッドはそれをケントに聞いた。


 殺されても仕方ないと覚悟しつつも醜く命乞いをしてしまった自分を恥じながら、この際これ以上に恥はもうないと上塗り覚悟で止めを刺さなかった理由を。


 その質問を受けたケントは相変わらず白い仮面で表情の深くをはかることは出来ない。

 先程試合中一瞬だけ殺意に満ち満ちた猛獣の如く歯を剥きだしたと思いきや、今は穏やかささえ仄かに醸し出されている口元。サイコロのようにコロコロと変わるケントの面相に翻弄されっぱなしだ。



 なぜ殺さなかったか。

 その問いを前にしてしばらくの間考え込んだ。


 やがて答えの見つかったケントは前進と決別を込めた決意を深く噛み締め、訥々と語り出す。


「私は、私でなければならない」


 両手の折れた剣を握る爪先がにわかに白む。

 ケントの言葉に真意を測りかねたアレッドはそれはどういう意味かと次の言葉を待った。


「あなたを殺すのは簡単だ。怒りに任せて、一時の感情に任せてしまえばどうとでもなる。ですが、私が武闘会を目指したのはそうではありません。あなたなら分かるでしょう。あなたでなく私が勝たなければならない理由が」

「・・・仕官か?」


 その問いにゆっくりとケントは首を振る。では金か?と問うも、これもまた横に首を振った。

 アレッドは三つ目の候補が喉元に上がるのを早くに自覚し、ゴクリと飲み込んで黙り込んだ。

 何も言わず、なぜ武闘会に挑んだのかを目線で聞いた。


「・・・私が勝たなければならない理由は、王国を第二の焦土にしない為。あなたが将軍となれば王国は滅ぶ。なぜかはもう分かっている事でしょうから割愛しますが。・・・私は王国を守りたいというよりは帝国の好きにはもうさせたくないのです。貴族になったところで帝国生まれの考えること、欲に冒されていなければそもそも武闘会も闘技場もここにはなかったはずなのです」


 顔は動かさず、目線のみを観客席の一部を見やる。

 そこには大雨の影響で既に空席となった豪華な二脚の椅子とテーブル。そこに座っていた人物のことを思い浮かべる。


「私は娯楽のためなら人を殺しても構わない、自らの栄華の為なら他の何が犠牲になっても咎めない、そんな意識を、常識を砕くためにここに来ました。末端をいくら切っても意味がない。元から断ち切らねばこの腐った世界は変わらない・・・!」


 ケントが両手の折れた剣を地面に乱暴に投げ捨て、ギロリと眼光鋭くなるとヒッとアレッドは息を飲む。


「―――ですから、あなたは殺しません。たとえあなたが私の村に火をかけ村人たちを殺したとしても、家族を首にして焼いたとしても。それを命じた人間が、それを望んだ国があるのなら、あなた一人を斬ったところで意味はなく仇も遂げたとは言えません。・・・それに」


 そっと首を上げ、今もまだ熱狂降りやまない観客席を一瞥する。ケントを称え手を叩いて叫ぶ十万の歓呼。

 憂いに深く吸いこんだ息をハァと吐き出して東の壁の方へ振り返り、立ち止まる。

 場外の泥の中、座って壁に寄りかかったままのアレッドが見上げたケントの背中。先程まで溢れんばかりに出ていた圧倒的な威圧感や覇気はすっかり収まり、それどころか物悲し気にも見えた。


「・・・やつらの掌の上で転がされるのが嫌だっただけです。怒りに任せて同じ所まで堕ちたくはありませんからね」


 ケントの双肩にのしかかった筆舌に尽くしがたいほどの膨大な何かに気圧されたアレッドはそのまま背中で語るケントの言葉を聞き届け、すとんと心に落ちたような安らかな面持ちで意識を手放した。


「――――仕方ないですね」


 ドチャリ。とアレッドが泥の中に倒れた音にわずかに振り向き、声小さく漏らす。

 壁にもたれかかった姿勢そのまま横九十度に倒れて目を閉じたアレッドの腕を掴んで起こし、やれやれといった風に肩に担ぐ。

 全身傷だらけの状態で、泥まみれで意識を失ったものの十分無傷に見えるアレッドを赤の扉の方へ運ぶ。立場が逆だろと内心では思いながらケントはアレッドを介助した。

 そのスポーツマンシップ溢れる姿に観衆はさらに一層の盛り上がりを示す。


「はぁん!なんて紳士的なの!」「格好良すぎます!」「お美しい・・・!」

「だ、だめですわ、わたくしはもう・・・あぁ」「お嬢様!?お気を確かに!」

「あんなズタボロでも負けたやつに手を差し伸べるなんて・・・!」「あいつこそ英雄だな」

「すげえな、俺あんな奴と戦ってたのかぁ」「勝てるわけねえよな」「そもそも器が違ぇや」「そうさなぁ」

「もうすげえ以外の言葉が見つかんねえよ」「いやあもう、神だ」「すげえ。うん、すげえよ」


 誰もがケントを褒め称えるが目もくれず黙って気絶したアレッドを係員だろう二人組の兵士に引き渡し医務室へ送られるのを見送った。

 振り返り、自らは青の扉のある東の扉へ向かう道中、フィールドの中央に戻ると四方の観客席―――貴賓席の方へは深めにそれぞれ一礼。その度に割れんばかりの拍手が巻き起こる。

 貴賓席はつい先程まで土砂降りとなっていた大雨の影響で空席となっている。観客席も屋根の方へ避けた客が多く空席もちらほらと見えるがまだ十分に満員と言えるだろう。



「正々堂々―――・・・」


 戦えたでしょうか、私は。



 感触残る手を軽く握りしめてそう小さく呟いた。

 思い出すように、自分に言い聞かせるように、思った通りに戦えていたのかを誰かに聞くように。


 礼から復帰したケントは歩き出す。

 フィールドの向こう、最後の仕上げが待っている。


 こんな狂技に付き合う馬鹿と愉しむ阿呆。こんなものがあるから人はいつまでも見果てぬ夢に命を散らせ、その無益極まりない散り様に何の疑問も持たず娯楽を強いられる。

 今拳を上げている民衆もそう。まんまと無抵抗に踊らされている。様々な調理法と調味料で英雄に味付けされた私はさぞ甘美で馥郁として美味だろう。しかしその美味にありつくためには無数の血滴る生肉を舐らざるを得ない。

 野草粥で十分。刺激物に慣れる必要はない。


 この箱の中でしか通用しないうたかたの呼号など要らない。英雄は目指していないから未練も何もない。将軍位も、王国仕官も要らない。


 ただ私は、帝国の好きにさせたくない。帝国の侵略によって故郷は消え、生まれ育った土地を捨てざるを得なかった。

 そのために苦しい日々を強いられるように生きてきたし、そうしてこれからも自らを鍛えながら研ぎ澄ませながら生きていくのだろう。


 興奮冷めやらぬ観客席からフィールドへそそぐ声援や呼びかけの一切に止まらず、私は青の扉から自力で医務室に向かい、あとは勝手に治療してくれと泥のように眠った。

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19/6/26 加筆訂正・スペース改行追加等レイアウト修正

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