6 決着
揺らめく灯明の炎。固まった幾十人の影は波を受けた海草のように漂う。
大小問わず、ただ物言わぬまま海流に動かされ流されている。
奥歯をギリギリと噛み締める大男。
額には青筋が浮かび上がり、首を絞められているように顔中が赤紫色に鬱血している。
彼の顔を眺めれば誰もが仁王像と回答するに違いない形相だ。
この離れ小屋には毎回のように熱気で満ち、誰もが血が沸騰し蒸し暑くなるのを感じるが、常勝無敗敵なしだったはずのその男は今は雪山さながらに全身が震えている。
悪寒が体中を襲う。寒さを感じているのになぜか噴き出る汗。
とめどなく手足から分泌される嫌なぬめりと一向に止まない震え。
額の汗を拭い、震えを散らそうとせわしなく座り替え腕を組み替えるも全くもって体の定位置が定まらない。
クソクソクソクソッ!
ふざけんなふざけんなふざけんな!
無意識に右手の親指の爪を噛んでいることも気づかない男。シン。
大枚を張って大負けしたのもあるが、それよりなによりも、完全に思惑通りに進んでいたとばかりに思っていた必中必勝の策がなぜか狂っていることに狼狽していた。
さっきまで強者だった男の今まで見せなかった姿を目にした村人たちはどちらともなく互いに目配せを始め、消沈。
その膠着を―――
ダァンッ!
青年が打ち砕く。
その重さゆえ、台に叩きつけるように置かれた金額。
村人たちのひそひそがたちまち悲鳴と咆哮に変わる。
「「ええーっ!?」」
「おまえ・・・!」
「なんつーことをっ」
「嘘だろ、嘘だよな」
カケルの張り、なんと400万エル。
「さっきの300万、そのまま張ったぁ!?」
「・・・バ、ここんな張り受けられるか!こんガキ!!」
立ち上がり唾を吐き飛ばしながら叫ぶシン。
それに対しカケルは座ったままで至って冷静に。
「あれ?先に300万賭けたのはあなたですよね?他人には普通じゃ受け切れないような金額を張って受けさせておいて、自分が張られたら否、ですか?それは通りませんよ。通りませんよねーえ?」
左右と後方を囲む農夫たちに聞こえよがしに問う。
・・・群衆、無言の肯定。
「さっき誰かも言ってましたよ、"全部張れ"って。借りた100万エルも賭けるための軍資金として貸してくれたんでしょう?もちろん、それも使って良いんですよね?」
「・・・」
「良いんですよね?」
カケルは立ち上がって吐息が顔面に吹き付けられる距離にぐいと詰める。
目をそらし、その焦点は目的地を見つけられず大いに揺らぐ。
・・・シン、反論なし。無言の肯定。
「さあ、では行こうかみんな!もう二度と見られない、ひと引き400万エルの大勝負!!」
「・・・!」
「・・・っっ!!」
「お、おう!!!!」
カケルは振り返り両手を広げて群衆をたきつける。
先程まで背後両隣三方を囲んでいた村人たちの熱気は自身の熱気を鏡のように映し、拡声器の様に増幅させた。
開幕当初のアウェー、完全にホーム化。
受けざるを得なくなったシン。震撼のピーク。
居ても立っても居られない。
「ま、待て!わ、わしが引く!」
「ダメですよ。イカサマされちゃ困りますから」
「ぐっ・・・」
無駄な抵抗。畳台に置かれた袋に手を伸ばすが先に動いたカケルによってひょいと持ち上げられる。虚しくシンの手は空振った。
カケルはイカサマの現場を認めているのかいないのか。イカサマを見破られたのかそうでないのか。その真意は分からないが先手を取られ、シン、完全に手詰まり。
手足をもがれた。俎上の魚。必至の痛打。
腕をまくり素肌を晒したカケルは両手の平をすべての者に見せつけるよう開き、群衆に呼びかける。
「白か黒か。黒か黒以外か。見届けてくれ、400万の行く末!」
「いいぞーー!!」
「いけぇーーー!!」
「みんなが勝ちを祈りそして負けを呪った神に、俺も祈ろう。この勝負に勝つ、勝たねばならぬと。みんなの無念、苦しみ、悲しみ、奪われた夢、希望。すべて、俺が雪いでやる!!」
「うおおおおおおおおお!!!」
大きな地鳴りのような歓声。
ボルテージは最高潮。小屋の入り口の内戸役と表の番人までもが混じってその結末を見届けようと食い入る。
男は、数十本の腕が生み出す賭け金の山を焦点の合わない目で眺めていた。
台上の400万エルに合わせ、すべての観戦者がカケルに張っている。その額およそ20万エル。
もし負ければ400万エルと20万エルの五割払戻額10万エル、合計410万エルのマイナスが決定する。
なおかつこれが最終戦。すべての賭け金が精算され、先程の300万負けと合わせて実質負け金額700万を超える。
しかしここでカケルが白を引けばシンの300万負けはチャラ。それどころか100万勝ち・・・!
台上の100万エル入り袋四つの結び目はとても真新しい。
袋と紐を定期的に上等なものに取り替え、手元にあること自体に意味を付け加えた、貧民に見せびらかすためだけの代物。
先程までの持ち主による、見せ金だけが唯一にして最大の目的のアクセサリー。使用消耗する気など毛頭ない。
そして、これ以上の金はもうない。
黒!
黒!!
黒!!!
猛烈な火災旋風。
誰もかれもが汗を垂れ流し、唾を何度も嚥下しながら青年の指先を追う。
白、
白っ、
しろ・・・っ!
一縷の望みを託し、力なく祈るのみの張りぼての強者。
かつて見た粗暴さなど見る影もなく、雨の日の子犬の様に力なく震え、すがっている。
「黒!」
「白、」
「黒!!」
「白っ!」
「黒ぉ!!」
「白おおおおお!!!」
握り潰すほどの力で両手を組み、わなわなと動かしながら群衆に混じり叫ぶ。
青年の手の先を凝視。凝視。凝視。
袋から取り出した青年の拳。
ゆっくりと解かれる。
小指、薬指、中指。
そして決着を認めた青年の口が開かれる。
「白・・・」
しろ?
白。
白!!!
「白じゃと!!白!白っっ!!」
シンは立ちあがり思わず天に拳を突き上げる。
一人の男の歓喜とカケルに託した群衆の悲鳴が割れるように空気を劈く。
勝った!勝ったぞ!わしの勝ち!!
大勝負!400万の大勝負に勝った!
調子付きおってこんガキ、最後の最後で見放されおった!!
一気に真っ逆さま!100万負けじゃあ!
わしに逆らうからじゃ、天罰じゃ!!神に祈るなんぞ・・・
神はわしの味方!わしこそが神!こんわしに土ば付けようなんぞ百年早いわ!!はっはっは!!
借金漬け。あん娘と揃って一生こん地で飼い殺し。じわじわと吸い付くしちゃる。
くっくっく。大勝利。よそ者に負けるわしではない!一世一代の勝負に見事なまでの大勝利――――
「―――だったらよかったのになぁ?」
「・・・何?」
カケルは口の端をわずかに上げ、手元に下げていた目線を踊り狂う男に向ける。
「ここで勝てたらよかったのに。残念だ、本当に。
黒だ」
掌中の石。
最後の決定打。
―――黒。
黒だ。
黒だ。
黒だ。
目の前の現実とリンクして山彦の様に脳内を駆け巡るカケルの声。
受け入れがたい現実。静止する時間。数秒。
「黒じゃああああ!!!」
「勝ったーー!!」
「よかったのう、よかったのう!!!」
喝采が爆ぜる。
抱き合う者。号泣する者。
カケルの下に駆け寄り肩を抱く者。
「どけっ!!」
人混みをかき分け、カケルの手の上の石を奪い取る。
青ざめた面。さらに血が引き白さが広がる。
黒。
黒。
黒。
どこからどう見ても黒。
なぜじゃ。黒。なぜ黒なんじゃ。なぜ。
床にうずくまるシンの背後にカケルは歩み寄る。
「なぜ勝ったか分かるか」
「・・・」
皮袋から残りの石を取り出す。
それは先程取り出した黒石と対となる白石。
空の皮袋をシンに下手投げで寄越す。
「たまたまだよ」
「たまたま・・・じゃと・・・!」
みるみる熱いマグマが頭頂部まで湧き上がり、カケルの胸ぐらに飛び込み掴みかかる。
「そげなもんに、お前は400万も張ったってぇのか!!」
「そうだ」
灯明だけの薄暗い部屋の中、掴みかかられた拍子に床に転がり落ちた白石。
白一点、薄闇に斯くありと存在をほのめかしているよう。
「運に命を賭けてこそ運命は回り出す」
「・・・」
「命も賭けられないチキンが粋がるな。小手先だけのテクニックでしか挑めないような根性無しにはそもそもギャンブルなんかやる資格ねえんだよ」
「くうっ・・・・!」
「一度地獄を見た人間は怖いぜ。持たざる者の一撃ってやつは。搾取しかしてこなかったお前には分からない、想像もできないようなことを成し遂げるやつってのがいるんだ」
シンの胸ぐらを掴み、ぐいと持ち上げながら至近距離まで顔を近づけ睨みつける。
「お前も地獄に落ちてみるか。なんなら一遍死んでみるか?ひょっとしたら、どっかの神様が助けて強くしてくれるかもしれないぜ?」
「・・・うっ・・・!ごべ・・・っぅぅぅぅうううぁぁぁぁぁぁ・・・っっっ!!!」
慟哭。無様な男泣き。
決壊したダム。子供の様な泣き叫びはそれこそ放水サイレンのようだ。
そしてぐちゃぐちゃの顔面を露わに村の恥を晒す男の耳元で囁く。
「俺も鬼じゃあないよ。700万なんて普通に働いて返せる金額じゃないよな。今日は特別にもう少し付き合ってやろう。夜はまだ始まったばかりだ」
「・・・え」
「流れが悪かった、さっきのはたまたまだよ。きっと取り返せるさ。あんた・・・
運が強いんだから」
「あ・・・ああ・・・・ごべんなはぁぁあああぁぁぁ、ぁぁ―――」
◇
戦いは前日の昼から始まっていた。
石当てで使われる白黒石を手に入れることが勝利条件だったからだ。
本物は手に入らなかったが手頃な白色の玉石を見つけ、夜少女が寝静まった家を抜け出して、昼に村人に聞いたおおよその記憶をもとにサイズと質感が本物に近づくまで一晩研ぎ続けた。
カケルはこの遊戯の抜け穴が石のスペアにあるとすぐ見破っていた。
手を入れるのが箱やコップではなく皮の袋であれば握り込みとすり替えは容易。
ならば、敵は完全なシナリオを設計するに違いないからそのシナリオをかき乱してやるのが敵の虚をつく最善手と見たのだ。
一回戦。
カケルが親、シンの引き番では袋の中身は白黒スタート、シンは握り込んだ白でわざと負け、二回戦でカケルにわざと勝たせるために手持ちの黒二個を中身とすり替えた。
二回戦。
シンが親、カケルの引き番では袋の中身は黒黒スタート、シンの予定通りカケルが黒を引いて勝つが、ここでカケルは手持ちの白を中身の黒と一個ずつすり替えた。
三回戦。
カケルが親、シンの引き番(5万張り)。
両方黒のままだと思っているが白黒スタート、たまたま黒を引いて勝ち、次のカケルの引き番の布石に手持ちの白二個を中身とすり替えた。
四回戦。
シンが親、カケルの引き番では100エルのみの張りのため軽い損害でやり過ごす。白白スタートから予定通りの白で負けるが、カケル手持ちの黒と中身の白を一個ずつすり替える。
五回戦。
カケルが親、シンの引き番(300万張り)。
(シンは白白だと思っているが)白黒スタート。手持ちは黒三個だと思っているが実は黒二白一。三回戦の最後にすり替えた黒石と白石を隠す際、白石をそのまま次戦のために握り込んでしまい、そのまま本戦で白を出して負け。ここでのすり替えはなし。
六回戦。
シンが親、カケルの引き番(400万張り)では白黒スタート。手持ちが白一個なので真っ向勝負。カケルが黒を引き当て勝利。
最後の最後は運否天賦の勝利であった。
勝因は前日からの下準備や、勝負の最中に挑発的な100エル賭けやシンに逆上の300万賭けをさせた結果、手元の注意が散漫になってシンが黒石と勘違いして白石を取り違えて握りこんだのもある。
それもあるがやはり決め手は本人の言う通り「たまたま」である。
カケルには<天賦の博才>がある。
運を味方としてしまうこのスキルの前では五分五分の勝負などははなからなくなってしまう。
"たまたま"黒を引いた。
"たまたま"勝った。
それ以上でもそれ以下でもなくその通りなのだ。
それでもあえて理由をつけるとすれば、マシンガンを持っているが絶対に傷を負わない防具を着なければ戦えない男と、生身の刺し合いで相討ちになっても相手の息の根を完全に止めようと食いかかることが出来る男の二人にそもそも大きな差があったと言うことだろう。
◇
全六回戦終了。
カケル、通算四勝二敗。
途中シンから借りた100万エルの返済と少女の借金60万エル、中盤の負け分を差し引き、トータル収支537万エルのプラス。
日本円にして5400万円弱の超絶大勝利。
「払えねえってどげんこつや!!」
「シンてめえ!!」
「ざけんなコラァ!」
多額のマイナスにより弁済不能と陥った男。
村人たちから手元の皮袋などが投げつけられる中、亀のように身を縮こまらせながら平身低頭のシン。
今回、カケルとの勝負の他に第六回戦の観戦五割払戻も絡んでいる。
観戦賭け金およそ20万エル。半額の10万エルを足して410万エル。
わずか一時間も経たない間に500万エル以上の金を失った今、支払いは困難を窮める。
これまで村人達から継続的に吸い上げて貯め込んだ金はすべて吹っ飛び、代わりに村人達からの積年の恨みと莫大な負債だけが残った。
抑圧から解き放たれ爆発した怒りはシンにそのまま向けられる。
金返せ。負けたんだから金払え。これまで取った分全部出せ。と。
無い袖を振ることはできず、飛んでくる罵声と礫から身を守るように額を床に擦り付けながら耐える。
「・・・一つ提案がある」
この空間を牛耳る新しい主の声。村人たちは一斉に静まった。
畳台に腰掛けている青年の姿はまるで玉座の王。平伏する男はその王に傅いているようにも見える。まさに逆転した今の立場を象徴していた。
「な、なんだ」
「ここにいる村人たちはみんなお前に負けてきた人たちだろう。その金、全部チャラにしてやれ」
「なっ!!!」
「もちろんタダでとは言わない。お前がチャラにするなら俺も考えてやらないこともない」
「し、しかし」
「それともまだ勝負したりないか?いいぞ俺は。次は500万張ってやろうか。あんたが勝てば一発で取り返せるぞ。次はお前が勝つかもしれないからな」
不意に揺れた灯明の炎がカケルを照らすが、シンにはカケルの顔が修羅のような笑みに映り思わず後退った。
「・・・そ、それはもう、勘弁してください・・・」
「なら、この村に住む人たちの今日までに至る賭博による借金はすべてチャラにしろ。いいな」
「・・・」
「どうなんだ?」
「・・・わ、かりました」
牙を抜かれた負け犬がそこにいた。
村人たちの数人は一目散に小屋を飛び出し、村々へと事の経緯とその驚きの結末を伝えに行った。
残った村人たちは皆手を取り合って喜び、何人かは転落敗者となったシンに軽い嫌味をぶつけたりもしている。
「勝ちの内半分は取り消してやる。残りは持って行くが、いいな」
「えっ」
「全部チャラにするわけがないだろうが。あの子にこれまでどんな仕打ちをしたと思ってる。土地も家畜も家族も全部奪ったのはお前だろうが。目の前で苦しんでる年端もいかない女の子を助けないお前らもお前らだ。そんな鬼畜の村に彼女を一人だけ置いておけるか」
男の返事を聞かず、100万エル入り袋二つと銅貨大袋を一つひっつかみ、小屋の戸を開ける。
先程の戦勝気分から一転、少女の窮状を我が身可愛さに見て見ぬふりしていた村人たちは言い当てられた事実に対して申し訳なさそうに俯き、黙り込んだ。
「・・・みんながどうしようもなかったのは分かるよ。負けが込んで手一杯になると他人に配るやさしさもなくなることくらい。こいつら兄弟に良いようにされたみんなは共犯とは言わないが仲間や友人とは言えない。彼女は俺が連れて行く。借金は取り消させたけどそれまでの手持ちの負け分は授業料と慰謝料だと思って諦めろ。そこに転がってるそいつ後の事は、みんなの好きにしてくれ」
村人たちはその去り行く背を黙ったまま見送る。
深まった夜の中、カケルは外の先程までの温度差に小さく身震いをしながら小屋を後にした。
次話18時頃投稿予定です。
19/6/4 加筆訂正・スペース改行追加等レイアウト修正