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36 女豹

 山越え四日目。


 ここからの道中は下り坂が多くなり、重い荷車を引く者にとってはやっとピークを越えたと顔が晴れるものだが、先日に引き続きカケル達一行は沈んだ表情のままだ。


 カケルから会話を切り出すことはほぼなく、後ろから一緒に荷台を押しているハルとリョウ、先行する斥候役のタクもカケルに話しかけるのに躊躇している。

 業務連絡以外の雑談を切り出すのには勇気がいるらしく、目を見合わせては黙り、結局カケルの沈黙に巻き込まれてしまう。


 しかしその沈黙は、山の斜面に沿うように作られたつづら折りの山道の上方から突然聞こえてきた悲鳴と絶叫に吹き飛ばされた。





 朝に時は遡る。

 カケルから銀貨袋を盗み出すことに成功した男は、山の深い森に迷っていた。

 決行前夜は仮眠だけに留めて、十分に体が休まっていないのに山の急勾配を全速力で走り続けてはさすがに途中でバテてしまい、近くに雨風しのげそうな木の洞を見つけてそこで一度きちんと睡眠を取った。

 山小屋にも歩きやすい山道にも出ることは出来ない。誰にも金を盗む瞬間を見られてはいないと思っているが、もしも・・・があってはまずいのだ。


 せっかく手に入れた金。借金を返して余りある大金だ。150万エルもあれば、十分人生の再起を図れる。

 土地家屋は借金のカタに取られ、妻子にも逃げられ、家財道具も一切合切売ることになってしまったが、これだけあれば市区に出てもやっていける。

 しばらく見なかった希望が降り注いだ。未来への展望が開けていくようなスカッとした気分である。


 ・・・だが今はとにかく腹が減った。一日中道なき道を走り続けてくたくただ。

 男はとぼとぼと歩いていくうち、遠くの方から激しく打ち付ける水の音を聞きつけ、その方向へ向かった。


 果たしてそれは男の思った通り水の音の正体は滝であり、全身に汗がまとわりついている今は近づくだけでとても涼しく爽快な場所であった。

 水際に駆け込んで空になっていた竹の水筒に水を汲む。汲んだ水を飲み干してまた水を汲む。それをもう一度繰り返した後、脱いだ上着を置いて思いきり水の中へと飛び込んだ。

 じっとりと張り付いた肌と下着の間に冷たい水が入り込んでくすぐった気持ち良い感覚に身震いしながら水浴びを存分に楽しんだ男は、水から上がった後濡れた下着を脱いで水を絞り、近くの枝に引っ掛けてからそのまま寝っ転がって満足げに大きく息をついた。


 全裸で大地に寝そべるのはとても気持ちがいい。とはいえ腹が減った。ぐうぅと悲しげな腹時計が響き渡る。

 とにかく早く何かを手に入れないと、と考えて横へふっと視線を向けると、ベンチ大の岩の上に竹皮の包みが置かれていた。

 その包みに見覚えがあった男は凄まじい速度でその包みへと這い寄った。

 急いで包みを開け中身を確認するや、自分の予想は正しかった、よかったと胸が躍った。それは山小屋で売られている二個入りの肉巻き握り飯だった。


 男はすぐさま握り飯にかぶりつく。

 二日ぶりの食事。走り詰めでヘトヘトになっていた体に動物性のダイレクトな旨みが広がり、感動に打ち震える。

 一個、二個とあっという間に食べ終えてしまい、もう食べ切ってしまったと寂しさ半分に空の包みを見ていると、少し離れた別の岩の上に竹皮の包みがもう一包み、さらにその先の岩の上にももう一包み置かれていた。

 誰かは知らないがありがたい、とその包みを当然広げパクパクと食べ進める。

 追加一つ目の包みの最後の一個を食べながら残る最後の一包みをどう楽しもうか考えていた時、男のささやかなひと時は絶叫によって終わりを告げた。


「はぁ~さっぱりし・・・誰だアンタ!!!」


 振り返るとそこには赤い髪をわずかに濡らした女が立っていた。

 冒険者風の布服に短剣を佩く少女は洗顔に使った手拭を腰帯に突っ込み、すぐさま得物を抜き放って切っ先を男に向け構えた。

 女の絶叫を聞きつけ、「何かあったか!?」「どうしましたセンリさん!」と剣使いの男と短弓使いの男がどこからともなく集結。


 一対三の状況に追い詰められた全裸の男。

 数秒の沈黙ののち、最後の竹皮の包みと銀貨袋をひっつかんで脱兎のごとく逃げ出した。




「待てコラー!!!」

「ひいいっっ!!」


 後方からどこぞの女豹か鬼嫁のような咆哮を浴びながら逃げ続ける。

 全裸に靴だけという間抜けな格好だがそんなことはこの際度外視。とにかくこの金と飯は死守。

 斜面を駆け下りジグザグに逃げまくる。すぐ後ろから追いかけられては必死になるのは当たり前だ。


 男は追っ手を振り切ろうとするが全く距離が開かない。センリの執拗な猛追を振り切ろうとするあまり、男は森の中からうっかり山道に出てしまった。


「・・・っ!」

「待てーーー!!!」

「―――チッ、ざけんな・・・っ!」


 整地された山道に出れば逃げやすいが反面追われやすい。

 状況が一切好転していないことに絶念しかけるが男は走り続けたのだった。








 カケルがその雄叫びの発信源へ顔を上げると、物凄い勢いで走って来る男と女。と、振り切られそうになっている男二人の姿。モーゼの十戒の如く二つに割れた山越えの行列の中を突っ切る。

 今カケル達が歩いている道は斜面に作られた連続したつづら折り。斜面の上を見上げれば先程歩いていた道があり、斜面の下を見下ろせばこれまで進んできたようなヘアピンカーブが何個も待ち受けている。


「「キャー!!!」」

「・・・っ!?あいつ、裸だぞ!」

「えっ!」

「なして服着とらんのや!!」


 先頭を走っている男は裸に見える色味の服を着ているなと思いきや実際に裸だったことに驚愕。

 その全裸姿を目視したらしい女性たちからの悲鳴はそれが理由だったのかとカケルは合点がいった。


 周囲の悲鳴はお構いなしに後先考えず逃げ続ける男。つづら折りの山道をひたすらに駆け下りる。

 なんとかして後ろから追ってくる女豹をどうにかしないといけない。でも振りきれない。森の中でも道の上でも全然距離を開けられない。むしろ道に出てから次第に詰められている。

 焦りと恐怖に歪む顔面。先程の水浴びで流したはずの汗がまた全身から噴き出す。


「―――あっ」


 いくつものヘアピンカーブを過ぎある直線に差し掛かった時、男の足は突如止まってしまった。

 その視線の先。目と鼻の先に。今一番会いたくない人物。遭ってはいけない対象に出くわしてしまったのだ。


 そう、カケルである。


 目の前で立ち止まってしまった男は進退を決めあぐね、目の前で立ち止まられたカケル本人は謎が深まる。


 なんで俺の前で止まるんだ?

 なんで服を脱いでるんだ?靴だけ履いて。

 なんで裸で逃げてるんだ?両手に何かをかばうように持ってるんだ?

 飯と・・・、



「あれ?」

「・・・ッ!」



 カケルが呟いた一言に全身をビクつかせた裸の男。その顔はすべてを察するには十分な表情であった。


「まさかお前―――」


 と呟いた瞬間、すぐ近くから聞こえてくる女豹の咆哮によって我に返った男は走り出そうとする。しかし、その女豹は上から飛んできた・・・・・・・・



「待てって言ってんだろォォ!!!!」

「ごあッ!!?」


 ここで追いついたセンリは、位置エネルギーを最大限に乗せた飛び蹴りを男の後頭部に食らわせた。

 ヘアピンカーブを道なりに逃げていた男を追い詰めるべく、道なき斜面を直線状に突っ切るように駆け下りてきていたのだ。


 そしてたまたま斥候から戻ってきており現場に居合わせていたタクがカケルの発した一言に機敏に反応し、センリの飛び蹴りが男の後頭部に当たるタイミングと同時に、鞘付きの剣で裸の男の腹めがけてフルスイングを浴びせた。


「とアぁぁぁっっ!!」

「んご・・・はッ・・・!」


 前後からの強烈な一撃を同時に食らって「く」の字に折れ曲がった男の体は、そのまま顔面から地面に倒れ込む。


「カハ・・・ッ・・・!これだ・・・け・・は・・・!」


 気絶させられる間際、男が取り落とした銀貨袋はすぐ近くに転がり落ちたが、竹皮の包みはなぜか男の胸に強く握りしめられ、倒れ込んだ衝撃でグシャッと無惨な音を立てて潰れた。


「ん!?・・・おい!てめえ!!」


 その音を聞き取ってしまったセンリは慌てて気絶した男を仰向けに乱暴に蹴り起こす。

 そして受け入れがたき現実を目にしてしまった。

 男の体重でプレス機にかけたようにペシャンコにされた竹皮の包み。中から米粒諸々が痛ましく零れ出していた。



「い、いやぁぁああ!!アタシのご飯があああぁぁぁぁ!!!」



 ご飯がぁぁ―――!



 ごはんがぁ―――!



 はん・・ぁ――・・!



 ・・・ぁ・・・―――!




 センリの悲痛な叫びが山彦となって昼下がりの山々に何重にも木霊した。

19/6/9 加筆訂正・スペース改行追加等レイアウト修正

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