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35 幸と不幸

 

 走る。

 走る。

 走る。


 険しい傾斜、山の森の中。春にもかかわらずその針葉樹林帯は鬱蒼とした空気。

 早朝だと言うのに光はほとんど差し込んでこず、暗い足元に転がっている無数の石や、罠のように張り巡らされた木の根に何度もつまづく。

 ぶつけた箇所を庇いながら何度も立ち上がり、必死に逃げ続ける。


 道から外れた山の中は傾斜が更に急なため非常に歩きにくく、急速な勢いで体力を消耗させられる。息は上がり、どんどん足は重たくなっていく。

 しきりに後方を振り返りながらただ真っ直ぐ走り続けていくと、一層森は深くなってきた。

 人も獣も一切おらず、虫や鳥の鳴き声がわずかほどしか聞こえない耳の遠くなるような深い静寂。自分以外の生命がここには全く同居していない。


 つまりここは安全圏でありそうだ。


「ハァ・・・ようやく逃げ切った。ここならもう大丈夫だろ・・・!」


 と、大木の下に座り込み、汗を拭いながら息を整える。


 そして腰にくくった一つの袋を外し、ぎっしりと入った中身をザラザラザラと手の平に出した。

 それらは間違いなくあの時に見た輝き。正真正銘の1万エル銀貨だ。

 その眩さは暗い森の中で自ら光を発しているかのよう。未だ荒い息だが、一枚の銀貨を摘み上げて裏表に何度も返しつつまじまじと凝視してからは仄かに色味を帯びた吐息に変わっていた。




 その男は人夫として遥華山脈の北道越えに混ざっていた。

 マエノ村でなけなしの金を全て失い、明日の飯にも困っていた矢先に見つけた物資運搬の仕事である。

 荷車を引いて山道を登っていくと、その道中で男は運命のいたずらとも言うべき再会を果たしたのだ。


 昼過ぎ頃、崖から落ちかけた荷車を周囲の男たちが総出で引き上げようとした時、ある一人の少年が男たちに混ざって荷車を引き上げようとしているところを目撃した。

 その少年はつい先日酒場の六連コインで大口払戻した白覆面男の同行者。タクだった。

 あれほどの衝撃だったのだ。カケル本人はあんな大金を手にしたのだから当然として、それに年不相応な子供の同行者がいれば忘れるわけがない。


 ・・・まさか。

 近くにいるのか?あいつが・・・?


 男はキョロキョロとタクの周囲を見回すがそれらしき人物は見つけられない。

 一緒に荷車を引き上げようとする大人も複数いるがそれはあくまで一時の協力という形、お互いに他人への距離感だった。



 でも、まだ子供。

 一人で山越えなんかするわけがない。

 ついこの前まで一緒にいたんだから一緒のはず。


 そう思い至った男は、雇い主に小用とごまかして、荷車を無事引き上げ終わったタクの後をつけた。


 男は道を逆走するタクを追って一分少々の距離でとうとうあの男と思しき人物を発見した。

 今はあの時の白覆面はしていないが、身長や体格が同じ。タクと交わした声色もさることながら、腰に下げている特徴的色味の皮袋からしてほぼ間違いなく本人だと確信したのだ。


 カケルの姿を確認して自分の荷車のもとへ戻った男は、山道にある待避所スペースで小休止を装い、カケルらの荷車に先を行かせて行列のすぐ後ろに張り付くように位置取った。

 背後からカケルの腰の袋をなめ回すような視線で荷車を引く男は、鼻先にニンジンをぶら下げられている馬車馬のようである。

 雇い主の旅人にとっては男が熱意を持って真面目に働いてくれているように映っているので少なからず良く思っているが、もちろん馬のように従順ではない。

 人間の三大欲求に匹敵するほど強くどす黒い感情に突き動かされているのだから。




 数時間後。


 二日目の山越えを乗り切ったカケルらは、疲れたぁ、腹減ったー、と口々に言いながら山小屋に向かった。日中張り切って荷車を引いていた男は昨日よりも疲労が強い。全身くたくただ。

 しかしそれは言い訳にならないと気を取り直し、カケルを見失わないよう、後をつけるように雇い主を伴って同じ山小屋に入った。


 食堂も大部屋の就寝スペースも終始カケルたちの近くに陣取り隙を窺う。

 どこかのタイミングでスリをしようとするものの周りに人がいたりカケルに隙がなかったりでチャンスがなかった男はイライラし始めるが、雇い主がそばにいる手前その感情を強く表に出すことはなかった。

 山越えで全身疲れきっていたので今すぐにでも眠ってしまいたかったのが本音。とはいえその間に急にカケルが気変わりしてどこかに行かれて見失ってはたまらない。

 なんとか気合いだけで乗り切ろうとした男は閉じかける瞼に力を込め目をひんむきながら腕や太ももをつねったりする。

 雇い主は男の挙動不審な様子に多少引くが、雇い主の自分がいると休まらないから必死に起きようとしているのだと思い、男を一人にするべく離れた場所で早々に床についた。

 今寝ては努力が水の泡と頑張った結果、カケルらが寝入ってくれるまでなんとか男は堪えきった。

 何度もうつらうつらしていて辛くなっていた男も、これでやっと落ち着けると一安心して続くように床についた。




 三時間程度の仮眠の後、クリスマスの早朝にプレゼントを意識して早起きしすぎてしまった子供のように、未だ寝静まった山小屋の中でゆっくりこっそりと体を起こす。

 男は深い眠りにつくことはなかった。目の前に大金があるのにみすみす見逃すわけがない。仮眠で留めるのが当たり前だ。



 一切の気配と物音を消し、息を潜めてゆっくりと立ち上がる。

 目指すは眠りこけているカケルの枕元に置かれた銀貨袋。

 カケルの翌朝の着替えに紛れさせて覆い隠すように置かれているが、寝る前にバッチリと隠すところを確認していた男は迷わず一直線に歩いていった。

 一歩歩き出すのに五秒以上もかけ、床板が鳴らないように細心の注意を払う。

 暗闇の小屋で手元の怪しい中、カケルの枕元にたどり着いた男は瞳孔を全開にしながらゆっくりと着替えをどかして慎重に銀貨袋を盗み出す。


 あまりにもゆっくり動かなければならないので、男は膝がギュイ、ギュイと軋む音が鳴ってしまうのがいたく気になる。

 激しく動いてもないのに汗が滲み今にも滴りそうだ。


 優しく言って将棋崩し。厳しく言って爆弾処理。


「うう~ん・・・」

「・・・・・・!」


 カケルや仲間が寝返りを打つたびに息を止めてやり過ごす。


 一切の失敗が許されない状況下で、男は十五分間も耐久レースを強いられた。

 そしてその苦労は実り、無事誰にも気づかれることなく銀貨袋を手に山小屋を脱出。

 雇い主のことはこの際関係ない。これだけの金があるんだからどうとでもなる。

 今は早くこの場を去るのが先決とばかりに、男は土地勘がないことなど忘れて全速力で森の中へと駆け出していった。




 ◇



 翌日。


 枕元の金が消えているのに気付いたカケルは、朝から自分の布団や荷物をひっくり返し散らかし放り投げのてんてこ舞いとなった。

 リョウやタクの荷物に紛れていないかと思い探すも見つからない。ハルの荷物にも入っていないという。

 一度確かめた置き場所をまた確かめ、一通り見てはまた最初から検め直す。

 どこにもない。誰も行方を知らない。


 それらから導かれた結論。"また盗まれた"。


「嘘だろ・・・」


 受け入れたくない現実を突きつけられたカケルは膝から崩れ落ち額を床にこすり付けて絶望に打ちひしがれた。

 その姿は真正面に立っていたハルへの土下座にも見えてしまったので、ハルは慌ててカケルを宥めて抱き起そうとする。だが力なく垂れ下がる手足は重たい肉人形のよう。

 リョウとタクに肩を借りて起き上らされた肉人形は色濃い悲愴にまみれた様相。焦点の合わない目で呆然としたまま朝を迎えたのだった。




 ―――前回置き引きされた時(一章八話参照)から全く成長していない。

 荷台に置きっぱなしだったのが枕元に変わっただけ。


 しかも六連コインの勝ち金は銀貨と銅貨で払戻されたのに軽さを重視してハルから返された金も合わせてほとんどを銀貨に両替してしまった。その150万エルをそっくりそのまま盗まれたのである。

 心底自分で自分が嫌になる、とカケルは頭をかきむしる。


 残りの手持ちは2万エルと少し。猛烈な後悔と底知れぬ怒りが沸き起こる。いや、もはや怒りの範疇を超えているかもしれない。自分のこの激烈な感情が外か内かどこに向かっているのか分からなくなっていた。

 防犯カメラはもとより指紋鑑定などないこの世界、犯人の特定など不可能。聞いて回っても目撃者は皆無。まさに八方ふさがり。後悔先に立たず。

 カケルは山越え三日目となる今日、前日を大きく上回ってさらに最悪なテンションで迎えた。






 道中の会話はさらに減った。


 二日目までのカケルの心境は"町に着いてリョウの求める薬師を見つけたらリョウを見送った出先でハルとも別れよう"と言う、ネガティブながらもある程度整理のついた落ち着いた心境だったのが今回はそれを大いにかき乱してくれた。

 なぜならその150万エルはハルが一人でも当面を余裕をもってしのげるための生活費。いわばカケルにとっては養育費や手切れ金のようなもの。

 カケルにとってはハルとの決別は決定事項であるが、せめて最後までは一定の格好はつけたい。

 それなのにその先立つものを盗まれては怒髪天を衝くのも無理はない。さすがに所持金ゼロで放り出すような鬼ではない、と自負しているのだから。


 カケルの気持ちが急落しているせいか荷が増えたわけでもないのに荷車がかなり重たく感じている。山道を進む一行の体感スピードは前日の比ではない。

 心のテンションに体のテンションが引きずり込まれているのだ。似た言葉で病は気からと言うものがあるが、今のカケルはそれに近い状況。


 大金を紛失した現場とその被害に遭ったカケルとを間近で見ていたハル・リョウ・タクは当然カケルに話しかけられるような状況ではなかった。投げかけられるような言葉が全く見つからなかったからだ。

 ゾンビの様に歩いている今のカケルには、どんな慰めも一切通じる気がしない三人。互いに目を見合わせるもカケルの方をちらりと見ては、小さく頷いたり小さく首を振る事しかできない。



 全く和やかさとはかけ離れた一行は三日目の山越えを終え、就寝。


 この教訓から、カケルが眠る時は手回りの貴重品は厳重に管理するか、一切肌身離さずそのまま寝るようになったのは後世に語り継がれることになる。

 平和な日本で暮らしていたカケルがこの世界ヤマトで生きるためには、長い目で見ればほぼ必要なことだったと言えるだろう。

19/6/9 加筆訂正・スペース改行追加等レイアウト修正

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