28 心理
仕合ほどの殺伐さはない。
市場ほどに平和でもない。
だがカケルにとっては此処こそが戦場であり、居場所である。
命は削らないが、
身を削る。
心を削る。
魂を削る。
そうして勝ちへつなげるための試練である。
弾がある限り撃ち続ける。
一発入魂。会心の一撃。
弱気になって保険なんかを掛けるくらいなら。
でかく、張る。
三連単六点。日本円にして一点当たり50000円、総計30万円。
カケルの一撃は顕著に麻袋に現れた。
今回のカケルの購入は10000エル銀貨三枚での支払いだが、ロープ天秤の麻袋に反映されるのは100エル銅貨・10エル銭貨である。
カケルと酒場のマスターとの間で締結された条件に倣い、金券売上金の二割を控除金としてカウンター裏の袋に集金していた。
一レースで集めた二割控除金をもとにカケルから受け取った銀貨を手元の100エル銅貨と両替しC袋に投入。結果として三百枚もの100エル銅貨が一カ所に大口投入され、投票開始間もなく人気首位を競うAB袋の天秤を一瞬にして追い抜いた。
それに目を輝かせたのはABから既に購入あるいは購入を検討していた多数の客。
Cの袋に掛け金が増大したということはそれが外れればそのまま儲けが増える。重く飛び出しやすい銅貨ABから予想して買えば、いともたやすく勝てる。
ある者は一レースまでは少額だった張りが増え、ある者は既に購入済みであるのに買い増しを行った。
Cの天秤はカケルの3万エルによって吊り上げられ、すわABCの三つ巴かと思われたがABに駆け込みが殺到したためオッズのパワーバランスは回復していき一レースの最終オッズと同等となった。
「それがこのザマだよ」
「・・・分かってたんですか」
「さあね」
カケルは横目で一つのテーブルに座る男をタクに示す。
その彼はこの二レースに少なくない金をつぎ込んだのだろうか。
アタマにCを含めた金券を全く買っていなかったらしく、ハズレ金券を手にぶっきらぼうな口調でホールの店員を呼びつけて無料の酒を注文。供に運ばれたつまみを一気に流し込む寂しげな姿があった。
嚥下直後の唸り声からはどことなく怨嗟がにじみ出ている。
それを気の毒そうな顔をしたタクが見、刺激しないよう目をそらした。
タクの問いに対してカケルはさも分かってるさ、というしたり顔で煙に巻くが、本人自身この展開を百パーセント先読み出来ていたわけではない。期待とある種の願いがまぜ込められていた。
―――競馬には中央競馬と地方競馬の二種類がある。
農林水産大臣の監督の下政府から資本金を拠出されている中央競馬と比べて地方自治体によって細々と運営されている地方競馬。
その母体の異なる両競馬場では地方競馬の方がオッズの変動がとても急激。いともたやすく動いてしまうのである。
そもそも国と地方自治体とでは売上規模が異なるので、たった10万円でもオッズが大きく傾いてしまうことが多々あるのだ。
あまりにも人気が一点に集中しすぎてしまうとオッズが一.〇倍の元返しとなってしまい、当たってもそのまま増えずに返金or外せば全損というハイリスクノーリターンという誰も喜ばない結果になる。
そこで、"いつ"、"何に"、"締め切り何分前までに"、"どれだけ"ぶち込むかの心理戦がカギとなる。
購入段階であまりにも人気が一カ所に集中しすぎていてオッズが安い場合儲けるには他の馬を買わざるを得なくなり、投票締め切りまでに他者に他馬の馬券を買わせることでオッズをある程度回復させるという作戦が要となる。
が、事前の撒き餌たる大量購入が早すぎるとオッズの回復が早めに来てしまい、締め切り前までにさらに他者のぶち込みがされる可能性が生まれ、逆に大量購入が遅すぎると締め切りまでにオッズが回復せず一.〇倍止まりになってしまう可能性がある。
オッズが良い感じに回復するためには絶妙な金額を絶妙なタイミングで投下しなければならない。
通常、圧倒的人気馬で用いられるこのぶち込みの手法であるが、カケルは中穴であるCをターゲットとしてそのオッズの反発を応用したのだ。
穴が買われて人気サイドのオッズが旨くなったら、さらに買われるだろう―――。と。
果たしてその通りオッズは回復し、カケルの3万エルは見事に森の中へと隠すことに成功した。
そして見事その目論見は小さいものながら蕾をつけた。
「一枚目はCだぞ!Cだー!!」
二階の階段の端にいた男が階下の代理購入組に聞こえるよう大声で途中結果を中継すると、一階から山彦の様に多数の落胆が漏れ聞こえてきた。
やはり六対天秤の指し示す通りABを一枚目で買っていた者は相当数いたようだ。
「普通、袋をひっくり返したら重い硬貨が真っ先に出るんじゃないんですか?」
「だと思うだろ?みんなそう思うからこうやって"想定外"が起こった時傷が深くなるんだよ」
「想定外?」
フロアの隅から窓際の方、幾分空気の流れのある新鮮な所へ流れつき、少々顔色が回復したタクの問い。
「これは安全だ、絶対来ると思うと、人間ってのは横着したくなる。勝てる勝負に見えたら最後、一発で大金を稼ぎたくなっちゃうんだよ。だから―――」
「あんなふうになる、と」
目線の先、おっさんA.Bのテーブルのもとへ次々と酒が運ばれてくる。みみっちく安酒で嵩増ししようとしているのだろうが、それにしてもなかなかの数だ。
ハズレ金券購入額の五パーセントがそのままお食事券になるわけだが。
どれだけの金をつぎ込んだのだろうか―――。
「絶対に勝てる勝負だと一度思ったら、その瞬間にマイナスの要素は見えなくなるんだ。自分に都合のいい情報だけ受け入れて、不安に押しつぶされないよう心を守るためにね。だってそうだろう、全財産突っ込んだのにこれは負ける勝負なんですなんて言われたら発狂もんだろ」
「確かに・・・」
「それに、タクは見たことがあるはずだ。絶対に勝てると思って油断した男がどうなるか」
「―――あっ」
―――早朝の草原。
つい先日。追い詰められた末、剣を握ったこともない男が無謀に吹っ掛けた喧嘩を余裕たっぷりに買った男。
抜刀の速度は子供にも追い抜かされそうなほどに遅々として冴えないくせに居合抜きでの一騎打ちを仕掛けるなどと嘲った黒覆面の襲撃者だ。
殺気を向ければ膝を笑わせ、至近距離で威圧すれば失禁。
武器も白鞘の鈍。心得もなく度胸もない。間違いなく負けるわけがない。
そう、剣術に長けた自分とど素人の小便垂れを比べても誰もが意見を同じくするはず。絶対に負けるわけがない。と驕った。
しかし、結果は真逆。
徹底して油断させ全力で醜態を晒すことで光明を見出し完遂した奇襲。完全なる大金星。
男の敗因はカケルが全力を尽くした事も然りながら、自分が負ける可能性を完全に排除し油断したことである。
「"絶対"こそが目を曇らせる。それだけで勝てるような気がするから。クスリみたいなもんだよ」
「・・・」
「―――負ける前提で勝負を組み立てる。なぜ負けるのかをきちんと考え、それの逆を行えば勝てるのか思考を巡らせる。もしくはそれの反対の可能性を周囲に問いかける」
「反対の可能性?」
「自分が勝つ方法が見つからなくても、負けまっしぐらの行動を取ってる奴を探す。そうしたら・・・」
「―――その逆をすれば」
「そう。勝てる」
カケルは二レースで多くの客が参入しても売り上げ規模が大きくならなければ見をすることも視野に入れていた。
しかし、ついたった今目の前で儲けた男が一レース終了直後から祝勝会だと言わんばかりに中グレードの酒を注文し高笑いしたのが引き金になり、こぞって腰の銅貨袋をひっつかんで前へ前へ人波をかき分けようとするまた別の人波が生まれた。
カケルはその波の予兆をいち早く察知し、月給相当ともいえる、遊びでは済まされない3万エルもの大金をCにベット。意図的に波をABへと誘導・増幅させたのだ。
―――理論や馬券術として頭では理解していたが、日本で暮らしていた最後の大学二年間で日に日に膨らんでいく借金と貧しくなる食卓と失われていく交遊関係の生活にいては、頭の中で分かっていたのに実行に移せなかった方法。
自分に自信がなかった。どうせ負けるんだと思っていたし、実際負けた。
負ける。
負けた。
負けるだろう。
やっぱり負けた。あの手この手で負け続けた。
そうして勝てるわけないと決めつけ、自ら勝ち筋を断った。
でも。
生まれ変わった今なら。
新天地で、新しく生まれ変わった自分を自分こそが一番に信じてやることができたのなら。
「・・・でもまだだ」
「?」
「勝負はまだついてない」
あれを見ろ、とタクを指先でカウンター奥を示す。
黒山の人だかりの向こう、二枚目のコインを引くべくシャッフルを始めたディーラーである。
「スタートダッシュがうまく行ってもゴール出来なきゃ意味がない」
まだ六分の一を切り抜けただけなんだから、と自らを鼓舞し戒めるようフッフッとリズミカルに強く息を吐き出す。
袋に残るコインはABDEF五枚。次は五分の二の確率で勝ち残れる。
六分の一と比べれば一見比較的高確率に見えるかもしれないが、前提が連戦であることを加味すると現段階では十五分の一に挑戦しているのだ。確率にして六パーセント強。
大卒初任給の一.五倍相当額をそんな細い糸に託しているのだ。今この酒場の二階で最も白熱しているのは間違いなくカケルだ。
見るからに盛り上がっている周囲の群衆が赤い炎であるなら、傍から見て冷静には見えるがカケルのその中心部は数千度にも達する高温、青い焔である。
「さあこい!!!」
「AB来いAB来い!!」
方々から野太い祈りが立ち上る。
ディーラーの右手は袋の口でコインを一枚ひりだすべくもぞもぞと動かされている。
さあ、いつ出る。
いつ出る。
緊張の瞬間。誰もが息を飲んで幾百の眼が店員の手に集中する。
天国と地獄の分かれ目。
熱気に一同ひしめく空間、永遠にも思える十数秒が流れた。
そして飴玉のように。鉄琴のように陶器のどんぶりを鳴らして零れた一枚のコインを手に取り、高らかにそれは告げられた。
「二枚目、D!!」
「くそぉぉぉ!」「嘘だろおおお!!」と数十色の絶叫が二階フロアに木霊す。
すぐさま二枚目の途中経過を階段横の中継男を介して階下に伝わり、全く同じ悲鳴が床下から二階まで漏れ聞こえた。
「んだよおい!」
「チッキショー、二枚続けて荒れやがった」
一枚目をCと予想していたが二枚目をDと予想していなかった男連中。ある男は思わず悔しさに金券を強く握りしめグシャっと丸めかけてしまうが、「おい待て何してんだ!もったいないだろ!」と横の連れに諫められ、ハッとした顔で慌てて金券のしわを伸ばしにかかる。
あちこちから吐かれる嘆息と後悔。やれあっちも買っときゃよかっただやれ買うんじゃなかっただと覆水をかき集めようと無駄な足掻きと悪態の末、途方に暮れた。
一方タクは。
「に、兄さん」
「ん?どうした」
「な、なんで・・・?」
「・・・」
「・・・」
「なんで、そんなのを・・・」
カケルに対して投げかけられた問い。
なぜ、そんなに大金を賭けられたのか。
なぜ、そんなに自信を持っているのか。
・・・なぜ、Dを買い目に含めているのか。
タクの目には驚愕が張り付いた。
カケルの手にはC一枚目固定三連単フォーメーション六点の金券。
その組み合わせはC-BD-BDEFであった。
二枚目、D。
カケルの予想、第二関門突破である。
19/6/8 加筆訂正・スペース改行追加等レイアウト修正




