1 送還
「ん・・・」
眠りから覚めると、知らない天井が真上に映った。
古き良き日本の様な、木の香りがする木造家屋。
長い年月を経た深みのある色をたたえる梁や柱、壁などもすべてに味がある。
俺はゆっくりと起き上り、寝かされていた薄い布団の手触りを確かめる。
コケーコッコッコ、コケーコッコッコ。
窓からは鶏の鳴き声。それらはテレビで良く扱われるような共感性の高い懐かしさを揺さぶる。
外から運んでくる風は芳しい香りも運んできた。
「あっ、お目覚めですか」
山吹色と灰色の野良着の少女が膳を手に部屋へ入ってきた。
顔は日焼けしていて肩までの髪を後ろで一つに束ね、はつらつとした目からは活力を窺わせる。
口調はなまっているが、響きはやわらかい。
俺は咄嗟に正座に組み替え居住いを正す。
「すみません!いきなり、あの・・・お世話になったみたいで」
「いえいえ良いんですよ、大事無うてほっとしました。畑ん近くの木陰で倒れてらしたので連れてきたんですが」
俺が着ていたシャツやパーカー、ジーパンなどは竹竿で干され、江戸の町人か農民のような服装を纏っていた。
素材は麻だろうか?色は地味。上はよもぎ色の古着と下は灰色の半ズボン。全体的に和服に分類されるので多分着物と袴と言うのかな?多少重たく感じるが手触りは案外悪くない。
「めんずらしい服だけどあなた、ヨウライの方?」
「え?」
「・・・あっ、違いましたか。あたしてっきり」
と少し照れくさそうに両手をもじもじさせる。
ヨウライにはパーカーがあるのか?いや、それはともかくあんまり俺を不審がっていない。
素性も知れない奇抜な格好をしていただろうに割と友好的に受け入れてくれている。彼女ならある程度いろいろと聞けそうだ。
「・・・あのすみません、ここはなんていう場所ですか?」
「サカモトって言います」
「坂本!?」
俺がガタッと立ち上がった拍子に少女はビクッと体をすくめる。
「え、ええそうです」
「何県ですか!?」
「ナニケン・・・は分からんですが」
「えっと・・・じゃあ地方は?関東とか関西とか」
ずいずいと近寄りながら熱のこもった口調で問いただす。少女は詰めた距離と等間隔で後退り、頬を引きつらせながら受け答える。
「カントウ、カンサイ?・・・分からないです、すみません」
「いや・・・こちらこそごめんなさい。ちょっと気が動転していて」
「・・・お疲れなんでしょう。これ食ったら元気さ出るから」
少女から差し出されたのは焼き魚と芋、野草の汁物と玄米のような雑穀が並ぶ膳。
手作り感溢れる素焼きの器と木製の椀に盛られた、とてもあっさりとして健康的な見た目。
手前側に目を落とすと、飾り気はないが箸が添えられていた。
「・・・箸だ」
「箸、使えます?匙の方がよかったですか」
「いや、大丈夫。箸使えます」
見慣れた食器があるとそれだけで安心感が広がる。
一般的な家庭で育った俺は、ナイフとフォークに一種の息苦しさすら感じる。
持つ、よそう、切る、と1つで何役もこなせる箸で済む和食がつまるところ、楽だからだ。
ステーキは好きだけどナイフで切った後のフォークの扱いに困る。左手で肉を食べてそのまま左手でライスに行くのがどうしても慣れない。ライスは右手で行きたくなってしまう。その辺り俺は日本人なんだなあと思う。
ほどなくして二人分の食事が並ぶ。タイミングを合わせながらも俺は何の迷いもなく箸を手に両手を合わせる。
「いただきます」
「ん?なんですそれ?」
「えっ?・・・何がですか」
「その、"いただきます"って」
「あぁ、ええと―――」
彼女と話したことで分かったが、建物や景色、服装や人種などの雰囲気は中世~近代日本と似ているが、やはりここは過去の日本にタイムスリップしたという訳ではない。
かつていた地球とは全く違う全く別の場所なようだ。
ただ、全く違うがすごく似ている。言葉も通じるし文字も分かる。農村ではあまり用いられていないが漢字も存在し、ひらがなやカタカナが存在する。
この世界は大陸が一つしかない。
「ヤマト」と呼ばれているらしいがその呼称はこの世界つまりこの大陸のことを差す。
ヤマト大陸のみが存在するこの星はそのままヤマトと呼ばれているということだ。
当然ながら複数の国家がこの大陸に存在する。
大陸共通語が浸透しており、言語や文字に差異はない。多少の方言、こまごまとした慣習やしきたり、日常生活のあれこれに多少の違いはありこそすれ、俺にとっては偶然では片づけられないほどに馴染みのある世界であった。
「なるほど―――。あの、ご両親は?」
「・・・」
まずい。
カケルが感じた地雷の予感。空気が一気に張り詰めたのを感じた。
初対面にも拘らず踏み込み過ぎた。まさに軽はずみ。何の気なしに聞くんじゃなかったとカケルは悔いた。
少女の先程までの生き生きとしていた表情が一転して沈んだのを見て内心気もそぞろだ。
一瞬にして重たくなった空気の中、少女はゆっくりと口を開く。
「・・・死にました」
「それは、戦い?病・・・?」
「いえ・・・賭けで死にました」
「え・・・っ」
ビシャンッ!!
突如乱暴に戸が開け放たれる音。
音の方へ振り返る。
白地の服に朱や紺などを豪奢に染めた身の丈百八十センチ後半はありそうな大柄な男が白木の刀を手に立っていた。
「おいおいおい!誰が勝手に魚取っていいっつったんだ?アァ!?」
「シンさん・・・倒れてた人さいたもんで、看病せんとって・・・」
「金返せねえくせに他人ん土地の川から勝手に魚持ってくんは立派な盗みだよなぁ!!」
「それは・・・!堪忍してください、堪忍してください・・・」
「堪忍で済んだら証文なんざいらねえんだよ!工面してから言いやがれ!!」
醜く顔を歪めながら少女に詰め寄る男。
至近距離から唾を浴びせられながら罵声を受けさせられる。
やがて、ぬらりと刀身を鞘からいやらしく見せびらかす。
「それとも、お父お母んところさ連れてってやろうか?んん?」
「やめろよ・・・!」
たまらずその男と少女に割って入る。
少女を背にかばい、男を睨みつける。
至近距離に近付くと真上から見下ろされる圧迫感、存在感が一層圧力となって増す感覚に思わず圧倒されかける。
「・・・チビが。一丁前に男んつもりか」
「お前の言う一丁前の男は女を脅していいのか」
「ほう、面白い。ならお前が工面すんだな?」
「・・・いくらだ」
「ざっと60万エルってところか」
この世界の通貨は「エル」となっている。
日本円とエルのおおよそのレートは10円=1エル。
少女には現在600万円相当の負債がのしかかっていることになる。
「到底払えんだろ?てめえみたいな小僧には」
「・・・もし、払えなければ?」
「お前も男なら、・・・分かんだろ?」
男の黄ばんだ歯が曲げられた口元から覗く。不快極まりない。
少女に横顔で返済のあてを目で問うが、首を横に振るばかり。
「そいつとこの家、畑で・・・果たして足りるかなァ~?」
「・・・っ」
「足りない分は働いて返すっきゃねぇよなぁ~」
「やめろ!!」
少女の顎元に手を触れようとした男の胸を突き飛ばす。
二、三歩よろめき後ずさるが、俺への明確な敵意が男の瞳に帯びる。
ここで退いたらダメだ。
俺は対峙を決め込んだ。
「勝負だ」
「・・・勝負ぅ?へっ、ガキが。やめとけよ、命ばいくつあっても足んねえぞ?」
「お前の方こそ、家族道連れに路頭に迷っても知らねえぞ」
「言うじゃねえか。・・・いいぜ、やってやろう」
袖の下から取り出されピンと指ではじかれた硬貨が床に転がり落ち、俺の足元に滑る。
「割銭だ、明後日の夜家に来な。入り口の男に見せろ。合図代わりになる」
「シンさん、まさか・・・!」
「うるせえお前は黙ってろ。ガキ、やるんだよな?」
「当たり前だ」
「待ってください、あん人の口車に乗っちゃならんです」
「黙ってろって言って――」
「手を出すな!!」
少女に掴みかかろうとした男を制し咄嗟に掴んだ箸を喉元に突きつける。
木製の箸だが十分凶器になりうる。
「ケリがつくまで、この子に手は出すな」
両手を開き示し立ちはだかると、男は愉快そうな顔でまるでたばこを楽しむかのように大きくフゥーと深呼吸をする。
やがて玄関へ振り返り歩きながら背中越しに手を振る。
「わずかな命ば、せいぜい楽しむこっちゃな」
閉められた戸の向こう、高笑いがしばらく続き次第に遠のく。
外の様子を窺いにそろりと戸を開けると、先程まで元気に鳴いていた鶏が四方に羽根と鮮血を飛び散らせ絶命していた。
眼下の惨状。恐怖に拍車のかかった少女はカケルに涙ながらに訴え、引き止める。
だがこれはカケルにも同様に拍車をかけた。
それは義憤。
いたいけな少女をあらゆる揺さぶりをかけていたぶる男のやり口に憤慨していた。
情もあったかもしれない。
だが、先程朝食時の少女との会話で知ったことがある。
この世界の争い事はほぼすべてと言っていいほどギャンブルで決着がつけられると。
その最たるものが「命を賭ける」。命を賭けて生を得る。生を得るために殺す。殺される前に殺す。生きとし生けるものすべてが死のハズレくじを押し付け合うのだ。
今の俺には神に授けられた<天賦の博才>がある。
普通にあの大男と一騎打ちでもしようものなら一撃で首だ。
あいつに勝つためには実力以外の要素で勝ちが拾えるものでないといけない。
つまりギャンブルという形式を取れば俺にも勝ちの目がある。
探れ。出来るだけ、運に左右されるものを。
次話18時頃投稿予定です。
19/6/3 加筆訂正・スペース改行追加等レイアウト修正