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K─anzen seKai  作者: δ
9/9

Ⅸ─0 degree fahrenheit

「ほう。素手で……」


 隊長室にて椎樹から事情を聞いた将矩は、禿げ上がった頭を拭いつつ感心した。


「木刀相手に素手で勝つつもりだったのかね?」


「勝つつもりは……その、負けたら負けた、ですので」


 両足を揃え、返答するキリヤからも多量の汗が流れ出ている。

 涼しい顔なのは椎樹だけ。彼はノックスの使い手なのだから、熱に耐性があって当然だ。


「……椎樹。何とかならんのか」


(ノックス)の効果ですので、何とも」


 椎樹は不機嫌だった。「自分はただ喧嘩を止めただけなのに」と言いたそうな、というかさっきまで半泣きで主張していたのだが、懲罰房処分の書類に判が押されてからはずいぶんと投げやりな態度を取り続けた。


「もうよい。乙梨は三日間、椎樹は五日間、明日の朝から懲罰房に入れ」


「ちょ、なんで自分のが長いんですか」


「以上だ。下がれ」


「がびーん了解しました」


 私闘よりも無許可服用の方が罰が重いのは自然なことだった。むしろ五日間は短いと言える。薬の使用理由が「喧嘩の仲裁」だったからこそこの程度で済んだのだ。


 退室の指示が出た途端、カグヤは礼もせず部屋を飛び出していった。椎樹のほうは一礼し、中途半端に体を起こして猫背気味に廊下へと去ってゆく。

 続いてキリヤも頭を下げ、踵を返す。だがそこで隊長に呼び止められた。


「飛田君。私の記憶が正しければ──」


 将矩隊長は指を組み、座ったままキリヤの目を真っ直ぐ見上げる。


「君がここに来たのは一年半前だったかな?」


「ええ、はい」


「たった一年半でよくぞここまで……。改めて訊くが、乙梨君に負けるのは怖くなかったのかね?」


 隊長室に呼ばれた三人のうち、キリヤだけは何の懲罰も無しだった。

 薬を使ったわけでもない。決闘こそ受けて立ったが、自ら不利な状況で臨んだのだから罰する理由が見あたらなかった。


「痛い思いするのは怖いですけど……、しかしあの勝負、勝つ自信がありました」


「ほう」


「事実、椎樹」あわや呼び捨てそうになり、取って付ける。「……さん、が来る直前、自分の手のほうが僅かに早く乙梨さんの手を捉えていました」


 将矩は一呼吸置いた。そして組んでいた手を解き、背もたれに寄りかかる。


「本当に、乙梨君を武装解除することだけが目的だったのだな」


 自分の実力を分からせるためなら、キリヤも木刀を持って勝負に臨んだに違いない。相手の得意な分野で打ち負かせば他のどんなやり方よりプライドを殺ぐことが出来る。


 遂に将矩は一つの決心をした。

 この男。飛田桐哉ならば、もうそろそろ“特異錠(ペル・アーツ)”を使わせてやってもよいだろう。

 実力、人格ともに申し分ない。そして将矩の見込みによれば、キリヤにはリーダーとしての素質もある。

 やはり彼はラッシュだけでなく、もっと高次元の戦い方も知っておく必要がある。


「……ときに飛田君。つかぬことを訊くが」


 上辺の人格や実力だけでは判断できないものもある。

 その人を動かす原動力たる“真念”だ。


「たまに小耳に挟むのだが、君は決められた訓練だけでなく、自由時間のほとんどをも自身の鍛錬に費やしているようだね」


 何故かな。と問う。

 質問の意味が分からなかったのか、キリヤは答えに詰まるばかりだった。将矩は少し反省し、問い直す。


「いやすまない。聞き方が悪かった。つまりだな……君がそこまでして強くなった理由は何だ? 強くなって、どうしたい?」


 この秘匿憲国軍に所属する隊員は、一部の軍人や学者を除いて一般人だ。

 つまり彼らは、軍の存在の認知はおろか堕滅者と遭遇したことすらない。

 それがある日突然、非日常に(いざな)われるのだ。

 正体を隠した憲国軍人の出現だ。


 令状の封筒が渡されるとき初めて、彼らは“秘匿憲国軍”なるものを知る。

 その封筒を渡すか否かは全て憲国軍人の自己判断だ。

 訓練生候補の対象(ターゲット)と面会し、秘匿憲国軍については隠したまま日常の放棄を促す。そこで大部分の者は誘いを拒否するが、中には今の生活を捨て、どこへでも連れて行けと言ってくる人間も一定の割合で、いる。

 軍の封筒が渡されるのは基本的にそういう人間なのだ。


 だからこの飛田桐哉も、以前の人生を自ら捨て去った者の一人だ。将矩はそう確信している。

 人生を捨てる理由。それは様々だ。

 退屈。

 憂鬱。

 絶望。

 悲嘆。

 失恋。

 家庭環境。

 いじめ。

 借金。

 そして過去への不満はなくとも、漠然とし過ぎた“未来への不安”から逃れようとする者もいる。

 真実を言わせてもらえば、そういった理由でここに来た連中は大抵、腰抜けだ。

 もしくは変人ばかりだ。ラッシュを安全に扱える体質だから良いものの、そうでなければ秘匿憲国軍の殆どに軍人としての能力はない。


 が、稀にキリヤのような“本物”に出くわすことがある。

 一年半で彼ほどの戦闘力を身に付けるのは生半可なことではない。捨て去った人生の中で唯一彼に遺された“真念”。それを、将矩は知りたかった。


「強くなった理由、ですか」


「そう身構えるな。返答次第で罰則が与えられるなどということはないから、正直に答えなさい」


 何故このタイミングでそんなことを尋ねられるのか、キリヤからすれば不思議だろう。やはり彼は怪訝な顔をしていた。


「……そうですね……。何と言っても自分、ここの隊員ですから」


 将矩は眉を吊り上げ、聞き返す。


「と、言うと?」


「ここに来てから自分は、色んな人を見てきました。自分なんかよりもっと優れた人もいますし、ケミカルメンテナンスや資金調達で精一杯働いてくれている人もいます。同期にも乙梨さんや芦原君ら、優秀な人材が数多くいて……自分、そういう人たちの足を引っ張りたくありませんでした。日頃の鍛錬を怠らなかったのは、そういう理由であります」


「……そうか」


 ギィ……と椅子が軋み、将矩の背が深く沈む。

 将矩が机のティーカップを口に運ぶ間も、キリヤは直立の姿勢を崩さなかった。

 退室の令はまだ出ていない。彼は隊長の底知れない瞳を見つつ、汗を流していた。


 紅茶を置き、将矩はようやく立ち上がった。


「それは嘘だ」


 立つと背丈はキリヤよりも高い。歳は五十近いが、その肩幅の広さは老弱とは対極にあるものだった。


「正直に言えと言った筈だな? 貴様の目は真実を語っていない」


「……!」


 キリヤとは比べものにならない実戦経験の差。

 秘匿憲国軍という闇の名の下、数多の人間を殺してきた男の眼が双刃となってキリヤを睨む。


「もう一度だけ問う。真念を述べよ、飛田桐哉」


 さもなくばただでは済まない。隊長の目はそう言っている。

 窓から八月の風が舞い込んで、開いたままの出入り口からまた逃げて行く。

 キリヤの拳は震えていた。


予定変更。

11話(次の次)で戦闘シーンを盛り込もうかと。

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