Ⅴ─teen five
こんな感じでよいのだろうか
ここに来て一年が経つ。
与えられた個室で、過去に母へと送ったメールを読み返すうちに、芦原零一の一日の疲れがどっと押し寄せてきた。
一年前、芦原は高校を卒業し、県内の国立大学に進学する予定だった。
受験後の解放感を切り換え、鏡の前で気を引き締めた春の朝。鳥が木の実を啄み、山間からのぞく日が水たまりを温める。道端の残雪も新しい季節の訪れを感じさせた。
何もかもがこれからだった。
新鮮な日常が終わりを迎えたのは、梅雨の半ば。自宅に帰る雨の日の無人駅だった。
──生まれ変わってみないか
あの白髪の男性はこう言った。
あの時は、秘匿憲国軍なんていう自警組織があるなんて思ってもみなかった。よしんば組織の存在を知っていたところで男性については行かなかっただろう。当時の生活で芦原は十分満足していた。
事実、彼はその時も断った。
──満足? 未来を見据えろ。若者よ
余計なお世話だ。ちゃんと将来のことも考えている。順調にいけば難なく今の大学を卒業し、そこそこ安定した企業に入る。
生活が安定したら付き合っている二歳下の子と入籍して……
──不可能だ
男性の勝ち誇った顔は今でも思い出せる。老獪で、かつ軍人らしく体重の乗った立ち居姿。
彼の言うとおり。不可能だった。あの時点で、いやもっと前から、自分がこの組織の管理下にはいることは決定していたのだ。
「もうこんな時間……」
明日は朝から集団演習がある。50人対5人に分かれて、50人側が占拠した建物に5人が乗り込んで制圧する設定の訓練だ。
最後に母へ送るメールを読み返す。
母に心配をかけないよう嘘をつき続けて一年目。「一念発起して世界一周の旅に出た芦原零一」は、最期に母への感謝を述べて紛争地帯で死を遂げる。
怪しまれる文はないか。過去の記述と矛盾するところはないか。慎重に探し、送信ボタンを押す。
「ふぅ……」
一年分のメールを読み返す作業は重労働だ。憲国軍での基礎訓練の疲労も重なって首から背中がじんじん痛む。
これで自分は死んだことになった。そのことに関しては何の感慨も抱かない。
生きていようと死んでいようと故郷に帰れないのに変わりない。明日に疲れが出ないよう入念にストレッチをし、芦原は早めにベッドに潜り込んだ。
「ちっくしょ、戦果無しかよ!」
広大な盆地に構えられた秘匿憲国軍活動本部。
カムフラージュのため生化学研究所も兼ねたこの施設群、名を“カルデレラ”という。
そのカルデレラ東ブロックに位置する“特別実戦棟A”の地下、不法集団の武器庫を模した部屋の隅で、警棒を持った男が悔しげに喚いていた。
「セコいぞてめえら! 十人ごとにグループなんか作られたら勝てるわけねえだろが!」
「そういう訓練なの。文句言うな」
彼を取り囲む者たちも同じ炭素質の警棒を手にしている。その警棒が訓練用の特殊スーツを一定以上の撃力で叩くことによりスーツは動かなくなり、戦闘不能と見なされるシステムなのだ。
「ふっざけやがって……。その辺のチンピラどもにそんな高度な戦略スキルがあってたまるかっての」
「僕らが相手するのがその辺のチンピラだったら楽なんですけどね」
芦原が言うと、壁にもたれて動けない男──ケントはぐうの音も出ずに押し黙った。
彼らがゴロツキの寄せ集め衆だったなら、ケントの言うとおり、遠信機器を用いた巧みな誘導戦術などできるはずもない。
50人を五つに分けて、敵を一人ずつ迎え撃つなど事前に鍛錬した者にしかできない動きだ。
だが敵がある程度強いと仮定してこその訓練だ。もし実際の突入戦で敵の統率力を見誤り、今回のように5人ばらばらにされてしまったのでは目も当てられない。
「にしても、あんたら。いくらなんでもあっさり分断されすぎじゃなあい?」
ケントに止めを刺した女性、ユミは呆れている。手首に巻かれたバンドには“1”と、討ち下した相手の数が表示されていた。
「ま、どーせカグヤが足引っ張ってんでしょーけど」
「全くだ! あんにゃろスキル高えからって調子乗りやがって! 連携取れなきゃ意味ねえっての!」
ケントはユミに同調した。その場の何人かが、芦原に冷やかしの目を向けてくる。
カグヤとは、この秘匿憲国軍最年少の少女、乙梨かぐやのことだ。17歳にして個人戦闘ではナンバー2の実力を誇る。
が、強気な性格にその実力の高さが拍車をかけ、チーム内での協調性はあまりよろしくない。
そんなカグヤは、芦原の二歳下の彼女だ。
そのせいか、カグヤが何か問題を起こしたらいつもこの芦原に収め役が回ってくる。彼女は芦原の言うことだけは素直に聞くのだ。
「いいかお前ら! 今回俺たちは運悪くカグヤと同じチームになってしまったがな、俺たちの本当の実力はこんなモノじゃない! カグヤとチームさえ組まなけりゃ敵の十人や五十人……」
「それ。カグヤの前でも言えるのかしら?」
訊くまでもない。今の豪語がカグヤの耳に入ろうものなら、ケントは二度と実力を発揮できない体にされてしまう。
ケントは一瞬怯んだが、このまま引き下がれば男が廃るとばかりに目を怒らせた。動かなくなったスーツが微かに軋む。
「……聞こえてんのよ」
が、その声は不意に届いた。
ぞわっ……とケントの顔が凍り付く。
「フン、なによ。一人も倒せてないくせに」
「……来たか! カグヤ」
武器庫に続く段梯子の頂上で、敢えなく倒れた仲間を見下す17歳の少女。
室内の暖色灯が彼女の赤い髪を照らす。ツインテールは背中まで伸び、深緑を基調とした戦闘服に彩りを添えていた。
「一斉にかかれッ!」
階段に最も近い男が警棒を構えた。三段とばしで駆け上がり、後ろの者もそれに続く。
「そこだッ!」
無防備に見えるカグヤの足をめがけて警棒を突き出す。
カグヤの警棒が一足早く振り下ろされた。が、それも読み筋。
男は身を翻し、カグヤの右手に籠手を放っ──
「──あっ!?」
するり、と足をとられた。
軸足がいとも簡単に払われ、体勢を崩す。
鳩尾に強烈な突きが入り、後ろに転がり落ちた。
「次!」
転がり落ちてきた男に躓き、後続の一人が前のめりに。
袈裟に一撃を打ち込まれ、ノックアウト。
一斉にかかると言っても、横幅の狭い踏み板の上ではどうしても一対一の戦闘にならざるを得ない。
バンドのカウントを「12」に増やしたカグヤに立ちはだかるのは、芦原だった。
「!」
武器を逆手に持つ芦原の突進。カグヤの反応が一瞬遅れる。
僅かな隙が、回避行動を遅らせた。カグヤは転倒こそしなかったものの一つ二つたたらを踏む。
続く芦原の連撃。体勢を崩しながらもカグヤはそれを全てかわす。
ガ、キッ──! 二人の武器が打ち合った。
力は拮抗する。が、芦原の手が警棒から離れた。
「っ!?」
力余ってカグヤの腕ががくんと下がる。
勝負あった──芦原はその両腕を絡め取り、カグヤをうつ伏せに抑え込んだ。
「カグヤ────」
「もーらいっ!」
後ろから現れたユミがカグヤの背に警棒を突き立て、ゲームセット。ユミの討伐数がまた更新された。
「手加減、したろ」
全部で四人が、この薄暗い武器庫で戦闘不能になった。
前に屈んで芦原が問いただすと、カグヤは自由な両足をバタつかせて喚いた。
「してないしてないっ! ちょっと油断しただけだもん!!」
「なあ、カグヤ。訓練なんだからたとえ相手が僕でも……」
「してないって言ってるでしょ!!」
カグヤは頑なだった。しかし不意打ちでもしない限りこの場の誰もカグヤに勝てないことはよく分かっている。
「これで、残ってるのはあと38人……。あーあ、もっも上手くやれるはずだったんだけどなぁ」
スーツのせいで両手首を後ろに固定されたケントが無念そうにうなだれた。カグヤの目の前でこれ見よがしに溜息を吐いたのは彼にしては勇敢だ。
「……なにその言い方。かぐやが悪いって言いたいの!」
「べべっ、別にぃ? ただもーちょっとくじ運が良かったらなぁって思っただけで!」
「キイィィィッ! なによなによ! あんたなんか一人も倒せなかったくせに! バカみたいに、寝っ転がってた、だけの、くせに!!」
「へぶっ!? いてっ、やめっ! てっ!」
とうとう癇癪を起こしたカグヤがケントの頭をガシガシ蹴った。体の自由が利かないケントは防ぐこともできない。
「こらっ、カグヤ!」
「どこさわってんのよレイちゃん! みんな見てるじゃない!」
「どこも触ってない!」
罵詈雑言を浴びつつも、慌てて芦原はカグヤを後ろへ引き離した。手を離すとまたケントを蹴りに行きそうなのでほとぼりが冷めるまでしっかり抱えておく。
「ケッ、ケント? あんた大丈夫?」
「大丈夫じゃねェ……。おいアシハラ! 何なんだよコイツ! てめえの彼女ならちゃんと首輪つけてシツケとけ!!」
「くっ……!?」
また暴れるか、と芦原は腕に力を込めたが、様子が違った。
カグヤの体温が急上昇した。顔が真っ赤になり、スーツを食い千切らんばかりに慌てだした。
「あ、あ、あ、あんたバカじゃない!? くく首輪なんてレイちゃんがそんな……あんた何!? そういう趣味なの!?」
「へっ? 趣味?」
「ヘンタイ! レイちゃんは紳士なんだから! あんたと違って女の子にシ、シ、シツ、シツケなんか……」
「カグヤ落ち着いて! それ以上言うと君と僕の社会的何かが失われる」
発端たるケントはまだ混乱している。芦原の腕の中でカグヤはオーバーヒートし、へなへなと力無く座り込んだ。
「はあ……。はいケント。混乱するの一旦停止。あんたの仲間があと何人残ってるのか見せてもらおうかしら」
ユミやケントたちが巻いているバンドには、倒した人数の他にも味方が今どこにいるのかを3Dマップで示す機能も備わっている。
それを見れば味方の動きを視覚的に確認できるし、アイコンの色で戦闘不能かどうかも判別できる。
ユミはケントの手からバンドを剥ぎ取った。
これで制圧側5人の動向が全て敵に筒抜けになってしまうが、ケントにそれを防ぐ手段はない。
ケントのバンドに取り付けられたカウント数「0」のモニターを摘み、パチンと開く。
バンドによって空中に投射された建物の立体図面。
その上を二つの赤い点が移動している。それは、五人中二人がまだ生きていることを示していた。
そして目の前に戦闘不能が二人。あと一人はどこかと目を走らせた、そのときだった。
「ぐあっ!?」
芦原の仲間の一人が突然呻いた。警棒が床に落ちる音がする。
何事かと振り向くと、彼はすでに“戦闘不能”になっていた。
「何だ……?」
「ちょっと待って! いる! この中に!」
ユミの手元を見る。
彼女の指さす先、この武器庫を示す空間上に赤い点が一つ、留まっていた。
この部屋のどこかに敵がいる。
「……!」
皆が一斉に背中合わせになった。壁にも、部屋の隅にも隠れる場所はない。
なら一体、どこから──?
「あっ!」
最初に反応したのはケントだった。
それとほぼ同時。円陣を組んで外を向く彼らの中央に何者かが着地した。
「天井ッ!?」
ドスッ! ドスッ!!
続けざまに二人が薙ぎ倒された。
スーツが固定化し、倒れる二人。その彼らの間に立つ者は、次なる攻撃態勢を整えていた。
「ッ! “θ”!!」
残る五人は合図とともに、突然の侵入者を取り囲む。
三人が第一包囲網を築き、他の二人は直ちに外側へ。波状攻撃によって相手を仕留める“フォーメーションθ”だ。
不意打ちで三人やられてしまったが、相手は一人。圧倒的優勢に変わりはない。
だが──
「がっ!?」
「きゃあっ!」
「ンのやろっ……!」
武器庫を占拠していたあの大人数が、たった一人によって次々と討ち倒されてゆく。
「くっ……」
ユミが前のめりに倒れ、その後ろから芦原は胴切りを放つ。
だが相手は難なくそれを受け止めた。芦原の武器は相手の警棒に弾かれ、直後肩に打撃を食らう。
芦原で最後だった。天井から降りてから僅か20秒足らずで、“彼”は八人全員を地にねじ伏せてしまった。
「ヒダ……キリヤ……」
芦原たちの所属する秘匿憲国軍東方隊、いや憲国軍内でもナンバー1の実力者“キリヤ”。
彼はバンドの数字をカグヤに見せ、言った。
「残りの四人はスズカとリョウが相手してる。お疲れさん」
圧倒的実力差だった。
カグヤは彼の討伐数「34」を、歯軋りし、悔しげに睨みつけていた。