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「リリス、どうかしたのか?」

「はい? 何がですか?」

「いや……いつもより、元気がないように思えるが……」

「そそ、そんなことないっす」

「……そうか」


 いつもは次々と言葉が飛び出すリリスの口が、ひたすら食事をとることに集中していて微妙な沈黙が漂っている。

 そのことを訝しく思ったジェスアルドだったが、問いかけてみれば反応はいつものリリス。――要するに怪しい。

 さらには控えているリリスの侍女たちもどこか緊張しているようで、ジェスアルドは覚悟を決めて食事を続けた。

 何の覚悟かはわからないが。


 やがて食事が終わると、お酒かお茶かと問われてジェスアルドはわずかに悩んだ。

 しかし、ここは酒の力を借りるべきではないだろうとお茶を頼むと、すぐさま温かいお茶が運ばれ、侍女たちは姿を消した。

 改めて席をテーブルからソファへと移しても、リリスにいつものような明るさはなく、そわそわしている。

 何かよくないことでもあったのだろうかと、次第に心配になったジェスアルドは、知らず眉を寄せていた。


 リリスは静かにお茶を飲むジェスアルドを前にして、緊張のあまり何を言えばいいのかわからなくなっていた。

 色々と言葉を考えていたのに、どうにも頭が機能しない。

 リリスがあたふたとしている間に、ジェスアルドの眉間のしわがどんどん深まっていく。

 焦ったリリスは、思ってもいなかったことを口にしていた。


「私、変なんです!」

「は?」

「え? あ、いえ……その……たぶん……」


 変わっているのはいつものことだが、今日は特におかしい気がする。

 そう気付いたジェスアルドはいきなり立ち上がると、リリスの隣に腰を下ろし、その額に手を当てた。


「ジ、ジェド?」

「熱はないようだが、どこか具合が悪いのだろう? 無理をせず、すぐにでも横になったほうがいい」

「だ、大丈夫です! そうじゃなくて、――あの、ごめんなさい!」


 ジェスアルドの険しかった表情は心配の表れだったのだ。

 誤解させてしまったことが申し訳なくて、黙っていたことが申し訳なくて、謝罪の言葉がリリスの口から飛び出した。

 するともう止めることができなくなってしまう。


「ごめんなさい、本当にごめんなさい! 私、ずっと……ずっと、ジェドに隠していたことがあるんです! 本当はもっと早くに打ち明けるべきだったのに……怖くて……ジェドに嫌われるんじゃないかって、どんどん怖くなって……ごめんなさい……」


 突然の謝罪に驚いたジェスアルドは、思わず立ち上がっていた。

 膝の上で両手を握り締め、俯いたまま肩を震わせるリリスの姿が、あのコリーナの姿と重なってしまったのだ。

 動揺するジェスアルドを見上げたリリスの瞳から、涙が一粒こぼれ落ちる。


 その涙に潤んだ緑色の瞳を目にして、ジェスアルドは我に返った。

 たとえリリスが別の男を好きでもかまわない、少しでも自分のことを好きになってくれるよう努力しようと決意したのはつい先日なのだ。

 そしてリリスは、ジェスアルドの気持ちに応えてくれた。

 今はまだ他の男が心に残っていても、自分のことを少しでも好きになってくれたのだから十分ではないか。

 そう思い直したジェスアルドは再び腰を下ろし、硬く握られた小さな手に手を重ねた。


「すまない、リリス。あなたが正直に打ち明けようとしてくれているというのに、取り乱してしまった」

「……ジェドが謝る必要なんてありません。私が悪いんです。急にこんなことを言うとジェドに嫌われるんじゃないかと思って、私のほうこそ取り乱してしまって……。まだ肝心なことを何も言えてないのに……」

「いや……。人は誰しも少なからず秘密を抱えているものだ。そのことを打ち明けるのは勇気がいることだし、動揺してしまうのも仕方ない。それでも、リリスの秘密を打ち明けてくれるのなら、私はどんなことでも嬉しい。嫌ったりなんてしない。だから、大丈夫だ」


 ジェスアルドの低く優しい声が、大きくて温かな手が、リリスの混乱していた気持ちを落ち着かせてくれる。

 まだ何も告白していないのに、どんなことでも受け入れると言ってくれているのだ。


「ジェドは……優しすぎます」

「優しい? 私がか?」

「そうです。だから私はこんなに……怖いんです。ジェドが好きすぎて、嫌われるのが怖い。ジェドの許に嫁ぐことが決まった時には、もっと冷静に打ち明けることができると思っていました。父たちも、この秘密を打ち明ける時期は私に任せると言ってくれましたので……」

「ドレアム国王が?」

「はい」


 別の男がまだ好きだと告白されるのではないかと、いつの間にか勝手に思い込んでいたジェスアルドは驚いた。

 そのような告白は同盟のための婚姻では明らかに不適切だ。

 しかし、あの男と妹王女との突然の婚約を考えれば、やはり関係があるのだろう。

 そう判断したジェスアルドは、できるだけ心を落ち着かせて、リリスを促した。


「それで、リリスの秘密とは?」

「私の、秘密は……〝フロイトの謎〟についてです」

「は?」

「え?」

「あ、いや……続けてくれ」

「……はい」


 各国が躍起になって探っているフロイト王国発展の謎。

 今、リリスの口から語られようとしているのは、とても重要なことだった。

 それなのに、思い込みから愚かな反応をしてしまったジェスアルドに、リリスも戸惑っている。

 急ぎ取り繕ったものの、ジェスアルドは羞恥のために顔が熱くなるのを感じた。

 リリスはそんなジェスアルドには気付かず、どう説明するべきかと悩んだ。


「近年……フロイト王国が目覚ましい発展を遂げていることに、周辺国が疑問に思い、その秘密を探ろうとしているのは知っています。それが〝フロイトの謎〟と呼ばれていることも。全てを秘密にしてしまえば、たくさんの血が流れてしまうことを懸念して、父たちは製法などに関しては公にすることにしていますが、それでも多くの人たちはそれ以上を求めてくるのです」

「そうだな」


 しっかり身に覚えのあるジェスアルドは、苦笑まじりに肯定した。

 エアーラス帝国は同盟を結んだ今でも、〝フロイトの謎〟を探ろうとフロイトに幾人もの間諜を潜入させている。

 もちろん、知りたいのはそれだけではないが。


「〝フロイトの謎〟が知られてしまえば、間違いなく各国はそれを狙ってくる。父はそのことをひどく心配して、絶対に知られてはならないと、徹底して秘密を守ってくれています。ですから、知る者はほんの一握りなんです」

「当然の措置だな。だが、それを私に打ち明けていいのか? リリスが困ったことになるのなら、私は知らなくてもいい。謎を探らせることだって、やめていいんだ」


 夫に秘密を作りたくないという理由で打ち明けるのなら必要ないと、ジェスアルドは伝えたかった。

 リリスがいくつもの秘密を抱えていようと、自分の気持ちに変わりはないのだから。

 きっとドレアム王もリリスの性格を考えての助言だったのだろう。


 そう伝えてくれるジェスアルドの言葉が、リリスにとってどれほどに嬉しいか。

 リリスは泣き笑いの表情で、ジェスアルドの手を逆に握り返した。


「私なんです」

「うん?」

「私が〝フロイトの謎〟なんです」




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