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「――リリス様、お目覚めですか?」

「……うん」

「やはりお疲れだったようですね。一度様子を窺わせていただいたのですが、ぐっすりお休みでしたので」

「それはジェドが……ううん、何でもないわ」

「――まさかとは思いますが、殿下は〝あれ〟をお飲みくださったのですか?」

「うん、あれ……すごく効くみたい」

「……さようでございますか」


 リリスがベッドの中でごそごそしていると、いつものようにテーナがそっと顔を覗かせた。

 カーテンの隙間から射し込む光から、どうやらお昼も近いと気付く。

 隣を見ればジェスアルドがいた気配だけはあるが、当然シーツは冷たくなっている。

 今朝のジェスアルドを思い出して、一人むふむふと怪しい笑いをするリリスに、心なしかテーナの冷ややかな声がかかった。


「リリス様、窓を開けますよ」


 しゃっと勢いよくカーテンを開け、その眩しさにリリスは呻いたが、テーナはかまわず窓を開ける。

 それから例の〝特製飲料〟が入ったピッチャーやグラスに布をかぶせて運んでいった。

 外からの爽やかな風が、〝特製飲料〟から放たれていた微妙な臭いを消していく。

 リリスはベッドでごろごろしながら、ほうっと息を吐いた。

 未だに自分に臭いが染みついているようで、腕をくんくん嗅ぎながら、ジェスアルドのことがふと心配になった。


(どうしよう……この臭いのままジェドが皇宮内を歩いていたら、また〝紅の死神〟が復活しちゃうかも……)


 リリスだって、魔女の特製飲料が怪しい臭いだったことは、ちゃんとわかっている。

 テーナやレセにかなり止められ、二人が助けを求めたフレドリックが楽しそうにしていたことからも間違いない。

 だが、外の風を入れただけでここまで改善されるなら、大したことはないだろうと結論を出した。――飲んだ本人は意外と臭いに気付かないものだと知らずに。


 そのため、一方のジェスアルドは朝から湯を浴び、香を焚いてみたものの、デニスに「まだ臭います」と言われて諦めたのだ。

 そのまま朝の会議――リリス誘拐事件について主だった者たちが集まる場に顔を出した途端、父である皇帝や大臣たちに毒を盛られたのかと心配されたほどだった。

 結局、国土調査庁長官のアレッジオが「ここまで怪しげな臭いのする毒などないでしょう」と発言し、それもそうかとその場は収まったが、ジェスアルドとしてはアレッジオのにやにや笑いが気に食わなかった。

 色々なものを見聞きしているアレッジオは原因に気付いているらしく、それをあとで絶対に皇帝に報告するはずだ。

 ジェスアルドは平静を装って、始終にやにや笑いのアレッジオを無視していた。


 リリス誘拐の主犯であるサウルは帝都に移送してからも、ずっと黙秘を貫いている。

 拷問をして口を割らせるのはあまり好んだやり方ではない。

 それでも今のままだとそれもやむえないだろう。

 フォンタエ王国には今回の件に関して抗議の使者を送ってはいるが、おそらくサウル単独の犯行だと突っぱねるはずだ。

 もちろん本国が関与を認めると、戦に発展することは間違いないので、それでかまわない。


 問題は、この帝国内に――皇宮内にフォンタエ王国に内通している者がいることだった。

 末端の者たちについては、大方の目星はついている。

 その者たちを見張っているのだが、なかなか上が正体を現さないのだ。

 しかし、ジェスアルドはとある疑いを抱いており、ちらりと父である皇帝に視線を向けた。

 すると、どうした? とでもいうような表情を返される。

 おそらく、皇帝も気付いているのだろうが、まだ手を下すつもりはないらしい。

 いつになれば自分は父に認められるのだろうと思いながら、ジェスアルドは目の前の会議に集中した。


 午後になり、疲れて執務室に戻ったジェスアルドは、リリスから手紙が届いているとフリオに告げられ、気分が浮上した。

 今度はいったい何をしでかすつもりなのかと思いながらも、封書を開く。

 だが内容は『近々、時間に余裕がある時に、夕食を一緒にしたい』と、いたって普通のもの。

 これくらいなら昨夜伝えてくれればと思い、以前の自分の態度を思い出してかすかに顔をしかめた。

 昼食を一緒にしたいといったリリスの願いに、かなり腹を立てたのだから。


 フリオに予定を確かめれば、今日は難しいが、明日なら大丈夫だと返ってきたので、ジェスアルド自ら返事を書いた。

 そのことにフリオは驚いていたが、リリスからの手紙も間違いなくリリス自身が書いたものなのだから当然だろう。


 その後は執務室で書類仕事を片づけていたところ、またリリスから手紙が届いた。

 どうやらジェスアルドの返事が嬉しかったらしく〝明日の夜を楽しみにしています!〟と弾んだ文字で書かれている。

 こんな他愛ない内容を手紙でやり取りすることがおかしくもあり、新鮮でもあって、ジェスアルドの心は温かくなった。

 特製飲料などなくても、リリスの存在そのものがジェスアルドを癒し、元気にしてくれるのだ。

 そのため、ジェスアルドはこの日も夜の会食まで仕事をさくさくとこなしていった。


 ちなみにこの手紙のやり取りは、また皇宮内で話題になった。

 両殿下は同じ皇宮内で過ごしていてなお、手紙を交わすほどに仲が良いのだと。

 ただ絵葉書ではなかったために、内容については色々な憶測を呼んだ。


 しかも皇帝ラゼフはアレッジオに内容を探らせようとし、きっぱり断られていた。

「そんなことに公的機関を動かさず、素直に本人に訊けばいいではないですか」と。

 それに対し、「ジェスが教えてくれるわけないだろう」と答え、「アマリリス妃に訊いて、キモいおっさんって思われたらどうしてくれる!」と逆切れしていた。


 昔からラゼフは為政者として冷静沈着、時には残酷な面を見せることもあり、計算高い人物ではあったが、こういう子供っぽいところも昔と変わらない。

 このちぐはぐさに臣下たちは惹きつけられてしまう。

 アレッジオは自分もその一人であることにため息を吐いて、ラゼフの執務室を出ていった。


 今はもう、ラゼフの悪い噂はジェスアルドが引き受けてしまっている。

 回廊を進んでいたアレッジオは、立ち止まって夜空を見上げた。

 このままジェスアルドが憎まれ役を続け、アマリリス妃がラゼフの役割を担うようになるだろうと思っていたが――。


(どうやら妃殿下は予想以上の効果をこの皇宮にもたらしてくれそうだな……)


 自分の勘がいい方向に外れたことが嬉しく、アレッジオはにやりと笑った。

 と同時に、今回の事件は自分たちの失態でもあり、今度こそ絶対に妃殿下を守り抜かなければと心新たに誓った。


 一方、新たにトイセンへ赴く政務官たちとの会食を終えたジェスアルドは、そのまま自室へと戻り、寝支度を整えた。

 そして時間を考えて、そっとリリスの寝室の扉を開けて足を踏み入れ、またその場で固まった。


「ジェド! お仕事お疲れ様です!」

「あ、ああ。……リリス、この匂いは……」

「ラベンダーです! ラベンダーの精油をお湯で拡散させているんです」

「ラベンダー……?」

「はい。本当はフロイト自慢のバラにしたかったのですが、やはり眠る前にはラベンダーがいいかと思って。カモミールとも悩んだんですが……」

「そうか……」


 花の香りをさせるのもどうかと思ったが、昨夜の怪しげな特製飲料よりは周囲への影響もないだろう。

 そう考えたジェスアルドだったが、次にリリスはベッドの上掛けを大きくめくって、とんとんとベッドを叩いた。


「では、ジェド。ここに裸になって寝てください」

「は?」

「明日のためにも、ジェドの疲れを少しでも癒せるように、オイルマッサージをしようと思って。これでも私、けっこう上手いんですよ」


 言いながら、リリスは何やら道具が置いてあるテーブルへ向かった。

 その姿を見つめながら、ジェスアルドはリリスの言葉を理解しようと頭を働かせる。


 オイルマッサージなるものは、ジェスアルドも一応耳にしたことはあった。

 帝都でもそのような店はいくつかあるらしく、怪我をした兵士が痛み軽減のために効果があると話しているのを聞いたこともある。

 だが王女であったリリスがなぜ知っているのか。

 そもそも、今まで誰を相手にしたのかが気になる。

 しかし、結局はその無駄な考え――嫉妬を脇へとやった。

 リリスの目的はあくまでも、自分の疲れを取り、癒してくれようとしているのだから。


 ジェスアルドはベッドへと歩み寄ると腰を下ろした。

 それを見てリリスは嬉しそうに微笑み、道具を載せた盆を持ち上げようとしたが、ジェスアルドが止める。


「リリス、それはいらない」

「え? ですが、マッサージには――」

「いいから、ここへ来てくれないか?」


 困惑するリリスに、今度はジェスアルドが自分の隣を叩いて示した。

 すると、リリスはかすかにためらい道具を見下ろしたが、結局はジェスアルドに従ってベッドに近づいた。 

 が――。


「ひゃっ!?」


 気がつけば、ジェスアルドの隣ではなく膝の上にリリスは座っていた。

 無意識に立ち上がろうとするリリスを、ジェスアルドはぎゅっと抱きしめて離さない。


「ジ、ジェド……?」

「これだけでいい」

「はい?」

「私はリリスが傍にいてくれるだけで、それだけでいい。こうして触れて、抱きしめて、キスをして……」


 そう囁きながら、ジェスアルドはリリスの細い体を抱きしめ、額に、頬に、唇にキスをしていく。

 リリスは突然のことに、まともに頭が働かなくなってしまった。

 真っ赤になって固まってしまったリリスの顔を、ジェスアルドは覗き込み、くすりと笑う。


「特製飲料やマッサージがなくても、リリスの存在そのものが私を癒してくれるんだ」

「そ……ジェドは本物ですか?」

「本物?」


 まるで繊細な宝物のように優しく触れる手や、美しい微笑みや、甘い言葉が自分に向けられているとは、リリスは信じられなかった。

 思わず本物なのだろうかと、ジェドの顔や肩をぺたぺたと触る。


「だ、だって……ジェドがこんな……こんなに甘いなんて……」

「甘い?」


 ジェスアルドは首を傾げながらも、リリスの手を掴んでその手のひらに口づけると、紅い瞳を細めて笑う。

 その笑顔にぼうっとなっている間に、リリスはベッドへと横たえられていた。


「甘いのはリリスだ。だから私は、リリスの全てを食べてしまいたい」

「え? ええ? それ、ちがぅ……」


 言葉の意味を訂正しようとするリリスの唇にジェスアルドはキスをして遮ると、さらに息を奪うようなキスを繰り返す。

 そして、ジェスアルドはまるで自分の言葉を証明するかのように、リリスを甘い夢の中へと誘ったのだった。



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