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「皆さん、今までお世話になりました。また必ず戻ってきますので、その時を楽しみにしていますね!」


 リリスたちがトイセンの街に戻ってから二日後、皇太子夫妻一行は王都へと帰ることになった。

 その出発を惜しみながらも、旅の安全を祈り、街の人たち全員が宿の前や沿道に集まって見送ってくれている。

 わざわざブンミニの町からも見送りに来た人たちもいるほどで、街全体が人であふれ返っていた。

 リリスはそんな人々に感謝の気持ちを込めて、馬車の小さな窓からも手を振りながら別れを惜しんだ。

 やがて人々の姿が見えなくなり、喧騒が遠のくと、リリスは馬車の座席に背を預け、大きく息を吐いた。


「リリス様、白湯をお飲みになりますか?」

「そうね。もらおうかな」


 普段、移動中に水分をとることはあまりしないが、今回はさすがに喉が渇いていた。

 白湯を口にして再びほっと息を吐いたリリスは、今度は見えもしないのに小さな窓からジェスアルドの姿を捜した。

 残念ながらジェスアルドは、先の旅と同じように騎乗して移動しているのだ。

 それでもリリスの気持ちは違った。


「ふふ、ふふふ……」


 ここ数日間のことを思い出して、リリスはつい声に出して笑っていた。

 そんなリリスに、テーナもレセも気の毒そうな視線を向けたが、もちろん気になるわけもない。


「私ね、決めたの」

「……何をでございますか?」

「皇宮に帰ったら、殿下に私を好きになってもらおう作戦を決行することを」

「はい? ですが――」


 リリスの怪しげな決意の言葉に、テーナは胡乱な視線を向けて訊ねた。

 すると返ってきたのは、予想外の言葉。

 好きになってもらうも何も、ジェスアルドはどう見てもすでにリリスのことを好きになっているだろうとのレセの突っ込みを、テーナが口を塞いで止めた。

 こういうことは本人同士に任せたほうがいいのだ。

 ただし、問題はある。


「……それで、どのような作戦なのですか?」


 いつも斜め上の行動に走るリリスの作戦を知っておかねばと、テーナはさらに問いを重ねた。

 しかし、途端にリリスの顔が曇る。


「まずは現実夢のことを打ち明けるつもりなの」

「リリス様……」


 予想していたよりも真面目な内容に、テーナもレセも顔つきを変えた。

 そんな二人を安心させようと、リリスは笑ってみせる。


「もうこれ以上は先延ばしにできないわよね。今回のこともあったし、きっとこれからもたくさんのことがあると思うわ。それなのに、秘密にしていることで殿下にちゃんと正確に伝えられないなんてことがないようにしたいの」


 本当はジェスアルドを好きになればなるほど、怖くて仕方なかった。

 自分のこの特異な力が、どのように捉えられるのか予想がつかないのだ。

 きっとジェスアルドなら受け入れてくれる。――そう思うのに、小さな不安がつきまとって離れない。


(コリーナ妃の夢を見たことは、黙っておこう……)


 卑怯かもしれない。

 でもどうしても、コリーナ妃については触れることができないのだ。

 リリスは不安を押し込めて、再び笑って続けた。


「問題は、そのあとなのよね。殿下の反応がわからないから、一つに絞るんじゃなくて、何通りかの作戦が必要だと思うの。それで考えたのが四通り。すんなりと『へ~便利だねえ』って受け入れてくれる場合、理性ではわかっているけど何となく近寄りがたくて『へ、へ~すごいね』って受け入れたふりをする場合、利用価値はあるけど自分はかかわりたくないっていう『ちょっと近づかないでくれるかな』って仮面夫婦になる場合、生理的に無理で『この婚姻はなかったことにしよう』って離縁されてしまう場合……他にはあるかしら?」

「その前に、その予想に出てくる人物はいったいどなたですか?」

「まさか、皇太子殿下はリリス様の前ではそのような話し方をされるのですか?」


 真面目な話であるのはわかっているのだが、テーナとレセはリリスの仮定に登場する人物が皇太子とは結び付かず、思わず突っ込んでしまった。

 すると、リリスは二人に向けてむっと唇を尖らせて答える。


「やだ、今のはたとえよ。殿下がどんなに優しくてかっこよくて甘いかなんて、二人に言えるわけないじゃない。それはもう、夢に見ていた理想の王子様そのものなんだから」

「……実際、皇子様ですけどね」

「というか、今おっしゃってますけど」


 二人の突っ込みも、ジェスアルドの優しさを思い出してふやけたリリスの頭には届かない。

 その様子を目にして、テーナはため息まじりに呟いた。


「アルノー様へ恋されていた時よりも重症ですね……」


 小さな呟きだったが、今度は聞こえたようでリリスは驚いて目を見開いた。


「知ってたの!? 私がアルノーを好きだったこと!」

「それはまあ、リリス様にお仕えして長いですから」

「いつから知ってたの!?」

「最初からです。初めてアルノー様にお会いされた時のリリス様の浮かれ様はそれはもう……」

「そんなにひどかった?」

「はい。それから恋物語を片っ端から読まれるようになって、婚約のお話が正式に上がった時も、なぜお受けにならないのかと……一人でまた空回りなされているなと心配になりました」

「……ごめん」

「いいえ、それは慣れておりますからお気になさらないでください。ただ……」

「ただ?」


 テーナの言葉にひっかかるものを感じながらも、リリスは続きが気になって先を促した。

 そして話に夢中になるあまり、馬車の外をちょうどジェスアルドが並走していたことにも気づいていなかった。

 ジェスアルドは次の村で一度休憩すると告げに来たのだ。

 本来なら車内の会話など聞こえるわけはないのだが、リリスの叫び声だけは運の悪いことにしっかり耳に届いてしまっていた。

 その内容に最近の浮かれていた自分が腹立たしくなり、ジェスアルドは馬車からそっと離れた。


「ねえ、ただ何なの?」

「……このことをお伝えするつもりはなかったのです。ですが、今のリリス様のご様子につい口を滑らせてしまいました。もうアルノー様のことはリリス様のお心のどこにもいらっしゃらないどころか、皇太子殿下で埋まっていらっしゃるようですから」

「ま、まあね」

「埋まっていらっしゃるというより、収まりきらずにあふれ出ていらっしゃいますよね」


 テーナの言葉に動揺しながらもリリスが答えると、レセがぼそりと突っ込む。

 すると今度はリリスもなぜか胸を張った。


「だって、あんなに素晴らしい方なんだもの。噂なんて本当にあてにならないわよね。初恋は実らないっていうし、あの時のヒヨッコな自分を褒めてあげたいくらいよ。そうでなかったら、今頃は殿下と結婚どころかお会いすることだってなかったと思うわ」


 うっとり呟くリリスに安堵しながら、テーナはその気持ちを隠してわざとらしく呆れのため息を吐いた。

 それから仕方なくといった調子で続ける。


「結果論にはなりますが、私もこれで本当によかったと安堵しております。おそらくアルノー様とリリス様がご結婚なされても、お二人とも遠慮なさって堅苦しいものになっていらっしゃったかもしれません。ですが、今のリリス様はのびのびとしていらっしゃいますもの。最初はどうなることかと心配いたしましたが、殿下と少しでも親しくなりたいと考えられたリリス様の無茶苦茶な――いえ、懸命なお心に、殿下もほだされ――いえ、寛大なお心で受け入れてくださったのでしょう。今のお二人を拝見しておりますと、お二人とも自然に笑っていらっしゃる。そのことを私はとても嬉しく思います」

「テーナ……。色々と本音が端々に聞こえたけれど、でも言いたいことはわかったわ。確かにその通りだと思う。ありがとう」


 リリスの視線はテーナを睨みつけているようだったが、それでもその口から出たのは感謝の言葉。

 怒っているふりをしたが結局リリスは噴き出し、テーナもレセも笑った。

 やがて馬車が速度を落とし、休憩が近づいたのだと知った三人は、それらしく姿勢を正して馬車の扉が開けられるのを静かに待ったのだった。




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