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「……ジェド?」


 リリスは目の前に立つジェスアルドの姿が信じられなくて、そっと声をかけた。

 でなければ、この幻は消えてしまうかのように。

 だが幻ではなかったらしく、ジェスアルドはかすかに笑みを浮かべた。

 しかも、照れくさそうに。


(え? 何、これ。やっぱり夢? 私は現実夢だけでなく白昼夢も見てしまっているとか?)


 呆然として立っているようで、リリスの胸はこれ以上ないほどに高鳴っていた。

 このままだと止まってしまうかもしれない。

 そんなリリスに、ジェスアルドは低い声でそっと囁いた。


「……入ってもいいだろうか?」

「も、もも、もちろんです!」


 もしジェスアルドが時間を考慮して小さな声で問いかけたのならば、その気遣いは台無しなほどに、リリスの声は上擦って大きかった。

 しかし、テーナが顔を覗かせる様子はない。

 おそらくすでにテーナとは話をつけているのだろうが、リリスにはそんなことは考えも及ばず、ただ大きく扉を開いてジェスアルドを招き入れた。


 部屋へと入ってきたジェスアルドは上着は脱いでいるものの、くつろいだ姿ではなく、まだ剣も佩いている。

 とはいえ、リリスの寝室に来る時はいつも小ぶりの剣を持っているのだ。

 皇宮でもそれだけ警戒しなければいけないのかと、リリスは残念に思ったものだった。

 そこで、リリスはようやく何か問題が発生したのだろうかと思い至った。

 急ぎトイセンか、帝都に戻らなければならない事態になったのかもしれない。


「何かあったのですか? 急ぎ戻らなければ――」

「いや、違う」

「では、急ぎ支度を――って、あれ? 違うんですか?」


 ジェスアルドの返答は予想外のもので、リリスは動き始めて、止まった。

 背中を向けかけていたリリスが振り返り、向き合って不思議そうに見上げた途端、ジェスアルドはぐっとリリスを抱き寄せた。


「ジェド!?」

「まだ本調子でないのはわかっている。だが、しばらくこのままで」

「だ、大丈夫、です。本当に……」


 どうやら夕食時にジェスアルドに見惚れてぼんやりしてしまったことをまだ誤解しているらしい。

 慌てて否定しようとするが、色々といっぱいいっぱいで上手く言葉が続かなかった。

 そのため、リリスは首を振るだけ。


 自分で自分の恋心を追い詰めてしまったリリスは激しく後悔した。

 乙女の夢なんか見ずに、さっさとアルノーと婚約してしまえばよかったと後悔した、あの時の何倍もひどい。

 だが、恋する乙女は強し。

 言葉にできないなら行動あるのみなのだ。


 リリスは一度ぎゅっと強くジェスアルドを抱きしめると、少々強引に離れた。

 名残惜しそうにしながらも体調を気遣ってか、腕をほどいたジェスアルドの手を握ると、リリスはベッドへ向かった。


「……リリス?」

「私は、まだジェドが足りません」

「……私が、足りない?」


 リリス語に戸惑うジェスアルドにかまわず、リリスはベッドに腰をかけ、隣を叩いた。

 そして、剣帯ごと剣を外して隣に腰を下ろしたジェスアルドを、リリスは押し倒した。

 しかし、今度はジェスアルドも驚くことなく、仰向けになったままリリスをぐっと引き寄せ、口づける。

 逆に驚いたのはリリスだった。

 すぐに体勢は入れ替わり、気がつけばすっかりジェスアルドにリードされている。

 それでも当然、リリスに異議があるわけもなく、されるがままに任せた。

 が――。


「すまない」

「え?」


 急に唇を離したジェスアルドは、勢いよく起き上がって謝罪した。

 さっぱりわけがわからず、ぽかんとして見上げるリリスだったが、ジェスアルドはベッドに腰をかけて深く息を吐き出している。


「あの……私、何かまずいことでもしましたか?」

「まさか! あ、いや、ただやはりリリスは本調子ではないのだから……」

「ええ……」


 わからなければ訊けばいいとのリリスの問いに返ってきたのは、納得できかねる答え。

 リリスは思わず不満を漏らしてしまっていた。


「ジェドはひどいです。これじゃあ、生殺しじゃないですか」

「いや、それはこっちの――ではなくて……」


 言いかけたジェスアルドの声は震え、そして噴き出した。

 堪えきれないようで声を出して笑うジェスアルドを見ていると、リリスの毒気も抜けていく。

 リリスはそっと後ろから抱きついて大きな背中に頭を預けた。

 すると、ジェスアルドはお腹に回されたリリスの手を優しく撫でる。


「本当に、リリスは変わっている」

「ええ?」

「だが私は、そんなあなたに会いたかった」


 予想外のようで当然の言葉を告げられ、ショックを受けたリリスの手を宥めるようにジェスアルドはそっと握り、続いた言葉は本当に予想外だった。

 嬉しさ以上に驚きが勝るリリスの手を、ジェスアルドは再び優しく撫で始める。


「皇宮に一人戻り、いつものように執務に追われ、あなたと出会う前の日常を過ごし、そして気付いた。とても、寂しく思っていることを」

「ジェド……」

「ただ、寂しいと気付くこともかなり遅かった。私には馴染みのない感情だったからな……。あなたからの絵葉書が届いて嬉しくもあり、楽しくもあり、でもなぜか心に引っかかるものがあって、返事を書いた。だがどうにも……私的な手紙というものを書いたことがなく、何を書けばいいのかわからなかった。そんな時に、フリオから話を聞いたんだ」

「……何の話ですか?」

「皇宮で行われている賭けの話だ」

「はい?」


 もっと艶めいた話なのかと期待したリリスは拍子抜けしてしまった。

 今までの喜びと感動が台無しである。

 その反応にジェスアルドは小さく笑った。


「皇宮に仕える者たちは、私たち高位のものを対象によく賭けをしているが、それを私たちは見て見ぬふりをしている。彼らにも息抜きは必要だろうからな。そして、今回の賭けの内容は、私とリリスの関係についてだ」

「ジェドと、私?」

「ああ。リリスから毎日届く絵葉書のお陰で、私の印象も少しだが変わってきたようだ。それで、〝妃殿下は本当に殿下のことを慕っているのか?〟〝本当に二人は仲が良いのか〟と賭けが始まったらしい」

「それ……賭けは成立しているんですか? 普通に考えて、慕っているに決まっているじゃないですか。でないと、毎日絵葉書を送ったりなんてしません」


 納得いかないとばかりのリリスに、ジェスアルドが声を出さずに笑う気配が伝わってくる。

 その笑顔を見たくて、リリスがそっと覗き込むと、そのまま抱き寄せられてしまった。

 あっという間のことでどうなったのかよくわからないが、なぜかジェスアルドの膝の上に座っている。


「あれ?」


 不思議に思ったリリスだったが、ジェスアルドの笑顔を見ているとどうでもいいかと思えてくる。


「疑り深い者はどこにでもいる。〝絵葉書で毎日送られてくるのは逆に怪しい。ひょっとして妃殿下は脅されているのではないか?〟などの意見もあるようだ」

「ええ!? 意味がわかりません! 確かに、みんなに見えるようにしたのはわざとらしかったかもしれませんが、全部本心なのに……」


 ぶつぶつ文句を言うリリスをジェスアルドは愛おしそうに見ていたが、残念ながらリリスは気付かない。


「それでだ、その意見が出てからは一気に〝ユリ〟に傾いているらしい」

「〝ユリ〟?」

「リリスが私のことを慕っているなら〝バラ〟。そうでないなら〝ユリ〟というのが賭けの暗号のようなものだな」

「それなら私は〝バラ〟に持参金の全てを賭けます!」


 意気込んで言うリリスに、ジェスアルドはまた噴き出した。

 こんなふうに何度も笑う日がくると、もし数ヶ月前に誰かに言われていたとしても、ジェスアルドはそれこそ鼻で笑っていただろう。

 ジェスアルドは笑われて不満そうなリリスに軽く口づけた。


「残念ながら掛け金には上限がある。それに当事者や関係者は――いや、ある程度の官職や身分のある者は、賭けに参加できない。そもそもが、皇宮に仕えている者たちの娯楽であるからな」

「では、大儲けの機会を失ってしまいました。残念です」


 自分の立場も忘れて、リリスはがっかりした。

 しかし、ジェスアルドはにやりと笑う。


「フリオとデニスは給金の半分を〝バラ〟に賭けたようだ」

「関係者は参加できないんじゃないですか?」

「それは適当に誤魔化せるからな。だから大臣などもよく参加しているようだ」

「ええ……」

「そして私も、フリオに頼んで、同じだけ〝バラ〟に賭けた」

「そんなのずるいです!」

「そうだな。私が直接リリスを迎えにきたことで、〝二人の仲は本当に良い〟と皆に知れるだろうからな」

「ジェド、それは不正です」


 正義感の強いリリスは、もはや状況も忘れてジェスアルドを窘めた。

 するとジェスアルドはらしからぬ、頼りなげな表情になった。


「だが、リリスが本当に私を慕っているのか、それとも見せかけなのか、私にはわからない。だから私は〝バラ〟に賭けたんだ。そして、直接答えを訊きたくて――いや、とにかくリリスに会いたかったんだ」

「ジェド……」


 こんなに自信のなさそうなジェスアルドを初めて目にして、リリスは驚いた。

 本当に今夜は驚くことばかりだ。

 それでもリリスだってずっと、会いたいと思っていた。

 その気持ちを込めて、リリスはジェスアルドの紅い瞳をじっと覗き込み、そしてキスをして答えた。




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