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「ところで……さらに今さらなんだけど、ハンスはどうしているの? ちゃんと会ってお礼を言いたいわ」
リリスは昼用のドレスに着替えた後、テーナに問いかけた。
するとテーナは申し訳なさそうに――というより、呆れたように苦笑いを浮かべる。
「フレドリック様からリリス様のご無事を確認した後、すぐさまトイセンに戻ったようです」
「ああ、そうね。窯を放り出してきてしまったんだもの。悪いことをしたわ」
「……いえ、ハンスさんが言うには、レセが心配だからと……」
「そ、そっちね。うん、確かにレセのことは……本当に大丈夫なのよね?」
相変わらずなハンスの行動にリリスも苦笑しかけ、まさか内緒にされているだけでレセは重傷なのではないかと心配になった。
途端にテーナは真顔になり、はっきりと否定する。
「いいえ、ご心配には及びません。本当に大丈夫ですから。むしろ、フレドリック様に同行しようとしたのを、強く止めなければならなかったとか……。もちろん、リリス様のご無事を伝えてはおりますが、今頃はやきもきしながらお待ちしているのではないでしょうか? ですから、まあ……気持ちを逸らせる存在がいるのはいいことではないかと……」
「そうね、レセにも……ううん。ハンスには本当に感謝しなければいけないことばかりね」
レセにも申し訳ないことをしたと言おうとして、リリスはやめた。
きっとレセも騎士と同じように責任を感じているはずだ。
トイセンに戻ったら、また三人でいつも通りいっぱいおしゃべりをして楽しく過ごせばいい。
そう考えていると、テーナが困惑ぎみに続けた。
「ハンスさんには私からも感謝の言葉を述べさせていただこうとしたのですが、何と言いますか……冗談ではぐらかされてしまいました。しかも、殿下が褒賞をとおっしゃったにも拘わらず、それもあっさり辞退してしまって……。その態度にサイラス隊長などは少し苛立っておられましたが、殿下は苦笑されただけでしたので、大事にはなりませんでした。しかし、私としては、はらはらしてしまって見ていられませんでした」
「うーん、それは仕方ないかも。ハンスにも色々と事情はあるだろうしね」
ハンスの性格上、そのような改まったことは嫌なのだろうが、殿下からの褒賞となると、家族にも知れることになるだろう。
それを避けたかったのではないかとリリスは思った。
「でもまあ、いつまでも逃げ回ることはできないわよ。いつか絶対に、エドガーとともに国中に――ううん、世界中にその名が知れ渡ることになるんじゃないかしら? それほどに、今度の焼き物は見事だったもの」
「それはようございましたね。私もぜひ拝見したいです」
「ええ、もちろんよ。トイセンに戻ったら、さっそく……陛下と殿下にお見せするために、いくつかの品を馬車に載せていたのだけれど、ダメになっているかもしれないわね……」
リリスは思い出して、大きくため息を吐いた。
あの振動で割れていなければいいのだが。
今度のことは色々な意味で教訓になった。
夢のことも、これ以上ジェスアルドに隠し通すわけにはいかない。
打ち明けるのは怖くもあるが、ジェスアルドならきっと受け止めてくれる。
そう信じて、リリスはそれからテーナと焼き物の話などをしながら過ごした。
そして夜になり、寝支度を整えたリリスは一人、寝室のベッドに腰かけていた。
嬉しいことに、夕食はジェスアルドと一緒にとることができたのだ。
テーナや他にも人がいたために、込み入った話はできなかったが、ジェスアルドが目の前で動いて、話をしているのを見るだけで楽しかった。
というより、どきどきしてしまって、あまり食欲がわかず、逆に心配をかけてしまったほどだった。
(あー、ダメだ。どうして今頃になって自覚するかなあ。思い出せば、私って恥ずかしいことばかりやってない? いくら夫婦でも、夜這いはまずかったわよね、夜這いは……)
過去の自分の言動を思い出して、ベッドにうつ伏せになってじたばた悶えた。
(そうよ。そもそもがジェドを好きにならないわけがないのよ。あんなにかっこいいし、優しいし、剣だって持ったらすごいんだから!)
サウルたちから助け出された時のことを思い出し、今度は別の意味で悶えた。
いわゆる萌えである。
(乙女の夢! あれは間違いなく、物語にしたって人気が出るわ! ……そうよ、いっそ今度のことを物語にして広めれば、誰ももう〝紅の死神〟なんて呼ばないんじゃないかしら? そして、明け方に颯爽と助けに現れた〝暁の星辰〟の名が広まるのよ!)
ジェスアルドにとってはた迷惑なことを考えていたリリスは、枕を抱えて妄想を繰り広げた。
帝都に戻ったら、吟遊詩人か文筆家を呼び、ちゃんとした物語にしてもらおうと思い、ふと気付く。
(待って。物語って、やっぱり最後はハッピーエンドよね? 愛し合う二人は末長く幸せに暮らしました。めでたしめでたし。よね?)
そう気付いた途端、リリスの妄想は急速にしぼんでいった。
自分の恋心にはようやく自覚したけれど、ジェスアルドはどうなのだろうか。
ジェスアルド自ら助けに駆けつけてくれたのは、責任感が強いからだろう。
たとえリリスでなくても、人が攫われたと聞けば、それが誰であろうと全力で助けるはずだ。
ジェスアルドのことを知るようになった今なら、それぐらいはわかる。
だが、離れたくないというリリスの言葉には同意してくれたのだ。
(それに、私のことは本気で心配してくれていたし、キスもいっぱいしてくれたもの……ふふふ)
久しぶりのキスと抱擁は、リリスの寂しかった心を幸せに満たしてくれた。
ぜいたくを言えば、もっと一緒にいたかったが、これ以上仕事の邪魔をするわけにもいかないのだからと、我慢したのだ。
きっとトイセンでやり残したことが――不正の証拠集めなどがあっただろうに、この騒動でかなり遅れをとってしまっただろう。
それなのに我が儘は言えない。
わかってはいるが、せめてトイセンの宿なら扉一枚で繋がっていたのにと、リリスはがっかりした。
この宿は完全個室なのだ。
(ああ、会いたいなあ。さっき一緒にいたばかりなのに……ジェド成分がまだまだ足りない)
リリスはベッドに横になったまま、深くため息を吐いた。
確かに、物語は愛し合った二人のハッピーエンドだが、別に片想いでもいいのではないかとも思う。
(だって、片想いでもジェドは私の夫だし、家族としての愛情は間違いなくあるはずよ。たとえジェドの愛がコリーナ妃とともに亡くなってしまったのだとしても、いいじゃない。私の幸せでジェドを包んでしまえば、私が妻でよかったと思ってもらえるかもしれない。少しくらいは幸せを感じてくれるかもしれないもの)
そう結論を出したリリスは、居間へと繋がる扉をじっと見つめた。
おそらくリリスの部屋の前にも、ジェスアルドの部屋の前にも護衛がいるはずだ。
夜這いをするなら、その難関をくぐり抜けなければならない。
(うーん、それはさすがに恥ずかしいよね……。でも、まだまだジェドが足りない! すぐ近くにジェドがいるのに会えないなんて、生殺しと一緒じゃない! そうよ、恥ずかしくたっていいじゃない。私たちは夫婦なんだもの!)
先ほど羞恥に悶えていたリリスだったが、それを思い出させる者は残念ながらこの場にはいない。
生殺しに耐えられなくなったリリスは、決意して立ち上がった。——と、そこへノックの音が響く。
まさか、テーナが気配を察して止めにきたのかと思いながら、リリスは扉へ向かった。
「どうしたの? テーナってば、まさか予知能力を――」
ちょっと不貞腐れて扉を開けたリリスは、そこで固まってしまった。
入口に立っていたのはテーナではなく、これから夜這いしに行こうと思っていた相手――ジェスアルドだったのだ。




