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何度かキスを繰り返して、ジェスアルドが起き上がった時には、リリスも仕方なく手を離した。
途端にリリスは寒さを感じて身震いした。
ジェスアルドは上掛けを引き上げてリリスに掛けると、包帯が巻かれたリリスの両手をそっと持って口づける。
「ジェド……」
「すまない。怖い思いだけでなく、怪我までさせてしまったな」
「い、いいえ。ジェドのせいではありません。むしろ、私が悪いんです。ゆ…噂で聞いていたのに、もう男爵もフォンタエの官僚もいなくなったからと、油断してしまったのですから。私のせいで、騎士たちに怪我をさせてしまいました。……彼らは大丈夫なんですよね? みんな命に別状はないとは教えてくれるんですけど、詳しくはまだわからなくて……」
「……確かに重傷者はいるが、大丈夫だ。そのうち傷も治るだろう。ただ……リリスの護衛に復帰することはない」
「そんな!」
わずかにためらってから教えてくれたジェスアルドの言葉に、リリスは驚き飛び起きた。
「なぜですか!? 彼らは何も悪くないんです! 私を守ろうと精いっぱい戦い、傷ついて……危うく命まで落としかけたのに!」
「たとえ命を落とそうとも、リリスを守ることが彼らの使命だ。それを果たせなかったのだから仕方ないだろう」
「でもーー」
反論しかけたリリスを、ジェスアルドは手を上げて制した。
その迫力に、思わずリリスは息を呑んだ。
厳しい表情のジェスアルドを目にして、初めて怖いと思ってしまう。
「リリス、彼らには彼らの矜持がある。今回のことで何の処罰もなければ、逆に彼らを追い詰めるだろう。私は彼らを近衛隊から降格させるつもりだ。だが、話に聞いたところ、彼らは処分を受けた後、騎士の位を返上するつもりでいるらしい」
「そんな……」
明らかにショックを受けた様子のリリスの頬に、ジェスアルドはそっと触れた。
その手は温かく、思わずすがりたくなってしまう。
しかし、リリスにそんな資格はないように思えた。
「彼らはリリスを守れなかったことで、己を責めている。だが、リリスがそのことを悲しみ、責任を感じてしまっていたら、彼らはもっと傷つく。だからリリスは、労ってやるだけでいい。それに、彼らはもう一度初めからやり直すつもりだそうだ」
「……やり直す?」
「ああ。軍に入隊して、一兵卒から自分を鍛え直すと鼻息荒くしているらしい」
これはジェスアルドの近衛隊長のサイラスから聞いた話だった。
本来なら、責任を取って自害する者もいるほどの失態ではあるが、それをジェスアルドもリリスも望まないことを、側近くで仕えていた彼らは知っているのだ。
「……わかりました」
すっかり落ち込んでしまったリリスに、これ以上何を言えばいいのかわからず、ジェスアルドは黙って見つめることしかできなかった。
こういう時は自分の対人能力の低さを呪ってしまう。——今まで必要と感じたこともなかったのだが。
そこにノックの音が響き、ジェスアルドはほっとした。
応対すれば側近のフリオが指示を待っているとテーナから伝えられる。
「殿下、私は大丈夫ですから、どうかお仕事に戻ってください。ご心配をおかけいたしました」
「……では、もしリリスの体に無理がなければ、明日にはトイセンに戻ろうと思うが、大丈夫だろうか?」
「はい、もちろんです」
「そうか……。ならば今日は無理をせず、ゆっくり休んでくれ」
「わかりました。ありがとうございます」
にっこり笑うリリスは、ジェスアルドのよく知っているリリスだった。
逃げるようで情けないが、ジェスアルドはリリスの頬にもう一度そっと触れ、テーナに頼むというように軽く頷いてから出ていった。
その背をリリスは名残惜しそうに見送る。
せっかくジェスアルドが会いに来てくれたというのに、自分は騎士のことで落ち込んで黙り込んでしまった。
しかも、久しぶりの再会が嬉しくて、かなり怪しい行動をとってしまったような気がする。
「あうぅ……」
「リリス様? いかがなされました?」
俯き呻くリリスを心配して、テーナが駆け寄る。
だがリリスは上掛けを頭まで被り、悶えた。
「私、また馬鹿なことをしてしまったの……。どうしよう、殿下に変態って思われてたら……」
「ああ……」
どこか体が痛むのかと心配したテーナは、安堵の息を吐いた。
どうやらリリスはまた暴走してしまったらしい。
「殿下は、その、安心されたのではないでしょうか? リリス様がお目覚めになるまで、それはもう心配なさっていらっしゃいましたから。お会いして、いつものリリス様でいらっしゃることに、お喜びになっていらっしゃるのでは?」
「いつもの……私……」
「あ、ほら、えっと……」
「いいわよ、フォローしなくても。今さらだし、殿下は怒ってはいらっしゃらなかったのでしょう?」
「はい、それはもちろん。とても安心なさっていらしたようです」
フォローになっていないテーナの言葉に諦めつつ、リリスは上掛けから顔を出した。
ジェスアルドが怒っていなかったのなら、それでいい。
そこまで考えて、リリスはふと気付いた。
「ねえ、テーナ……」
「はい、何でしょう?」
「今さらだけど……どうして殿下はここにいらっしゃるの?」
リリスが攫われたと聞いて駆けつけたにしては早すぎる。
助けてくれた時の状況も、先回りしていたとしか思えないのだ。
「直接お尋ねにならなかったのですか?」
「ええ、その……騎士たちのことが気になって……」
その前の変態行為のことはあえて言わなかった。
するとテーナは納得したのか、少し悲しげな顔になったものの、ベッドに座ったままのリリスにお茶を渡して、控えの椅子に座る。
「私も理由は存じないのですが、突然トイセンの街にいらっしゃったのです。それはもう街の人たちも私どもも驚きました。ですが、その驚きも冷めやらぬ間にエドガーさんが大事を知らせに戻ったので、それこそ収集がつかないほど場は騒然としてしまって……。それが殿下のご一喝で静まり返り、そこから殿下は素早く冷静に皆へと的確な指示を与えてくださったのです。さらには殿下ご自身もあっという間にリリス様を追って発ってしまわれて……」
「そうだったの……。トイセンの街のみんなにも、すごく心配をかけてしまったわね」
「——リリス様がお元気でお戻りになれば、皆さんそれだけで喜びますわ」
リリスの性格上、それは気にしないように言っても無理なことはわかっていたので、テーナはそう言うにとどめた。
それから少しためらい、テーナは続ける。
「申し訳ございません、リリス様」
「え? 何が?」
突然の謝罪にリリスは驚いた。
いったい何があったのかと、テーナの顔をまじまじと見つめたが、珍しくテーナは俯き、目を合わせようとしない。
「実は私、殿下が動揺なされることなく、あまりにも冷静で迅速に対応なされるので、リリス様のことをそれほどに想ってはくださっていないのかと、少し疑ってしまいました。殿下がいらっしゃらなければ、これほどに早く、リリス様に大きなお怪我もなく解決することなどできなかったでしょうに……」
「殿下は……とてもお優しい方だものね。ただ少し誤解されやすいのよ」
「さようでございますね。ですが、ただお優しいからだけではないのだと思います。リリス様がお眠りになっていらっしゃる間、それはもう心配なされて、何度もご様子をお尋ねになっていらっしゃいましたもの。それでひょっとして、殿下はリリス様にお会いになるためだけに、トイセンに戻っていらっしゃったのではと思ったのです」
「ええ? それはないわよ。殿下はお忙しい方だもの。きっとトイセンで何かやり残したことがあるのよ。今だって、お仕事をされているのよ? そう考えると、申し訳ないことをしてしまったわ。うん、明日にはトイセンに出発だもの。今日はお言葉に甘えてゆっくり休んで、しっかり回復するわ!」
テーナの考えを、リリスはあっさり否定して笑った。
そのため、テーナは自分の考えにかなり自信を持っていたが、もう何も言わなかった。
そして言葉通り、この日のリリスは部屋から出ることもなく、のんびりと過ごした。
 




