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 ようやく馬車が止まった時、リリスは今はまだ何もしないと結論を出していた。

 追手が近くまで来るのを待ったほうが確実な上に、サウルたちも今夜はかなり警戒しているはずだ。

 自力で逃げるならフォンタエとの国境を間近にした頃が、一番油断しているだろう。

 追手が現れたとしたなら、自分が盾に取られてしまわないように行動するべきだ。


 必死に考えるリリスは、抵抗をなくした無気力状態に見えたらしい。

 両手を縛られたままのリリスに、モラが頭さえすっぽり覆う外套をかぶせて、馬車から降ろす。

 だが支えるふりをしてリリスの腕を掴むモラの手はとても強く、痛いほどだった。

 そのまま、先に降りていたサウルの後をついていく。

 それでもリリスは、見えにくいながらも、必死に周囲を観察した。


 ここはおそらくコーナツの街だ。

 コーナツは交通の要所としてそれなりに栄えており、この宿屋はかなり上級のようだ。

 さっと見上げただけでも五階はあり、部屋が上階になればなるほど、リリスが窓から逃げることはできない。


 モラに掴まれたまま宿屋へと入るリリスの後ろから、護衛にみせかけた見張りの男が二人ついてきていた。

 帯剣している者は全員で四名。しかし、御者と交代要員の御者も体つきから剣を握れるのだとわかる。

 しかし、これだけ用意周到なサウルならば、この一行とはまた別の仲間が近くにいるかもしれない。


 やはりこの街では逃げるのは無理だと判断したリリスは、おとなしく連れられるがまま三階にある最上級の部屋へと足を踏み入れた。

 五階と四階は従業員用らしい。

 確かに、そこまで階段を上るのは大変なので、三階が無難だろう。

 三階でも結局リリスには逃げることができないのだから。


 モラに出入口が一つしかない寝室に押し込められ、リリスは両手を縛られたまま、ベッドに腰をかけて深く息を吐いた。

 食事の用意や、メイドにお湯を運ばせたりと、モラが居間で動き回っているのか、忙しない足音が聞こえる。

 運び込まれている荷物をちらりと見た限り、リリスの旅行支度も万全だった。


 リリスは自分が今着ているドレスを見下ろし、わずかに顔をしかめた。

 ドレスの胸元の飾りは引きちぎってしまったので、無様なことになっている。

 このことにサウルが触れなかったのは幸いだった。


 それから、食事を済ませて湯を浴び、寝支度を整えたリリスはベッドに寝かされていた。

 食事と着替え以外の間は手を縛られたままで、ベッドの中でもそのままである。


(こんな状態で寝ろってほうが無理よ)


 リリスは徐々に腹が立ってきて、ついでにお腹もすいてきて、がばりと起き上がった。

 ショックのあまり食欲もないふりをしたので、食事はほとんどとっていないのだ。

 動きにくくはあったが、リリスはベッドから下りて、窓辺へと近づいた。


 残念ながら、飛び移れそうな木もない。……あっても下りられないことは幼い頃に証明済みだが。

 さらには、先ほどまで闇夜を明るく照らしてくれていた月も、いつの間にか雲間に隠れてしまっていて、眼下の道に人影はまったくなかった。

 助けを呼んでも誰も気付いてくれないどころか、今よりも扱いが悪くなるだろう。


 そもそも今はもうかなり遅い時間なのだ。

 宿の主人が「車輪が壊れたそうで、大変でしたね」と、サウルに声をかけていたことから、前もって使者を遣わし、今夜泊まるが馬車の故障で遅くなると伝えていたようだ。


 はあっとため息を吐いて、窓に背を向けた時、コンコンと窓を叩く音が聞こえ、リリスは驚いて振り向いた。

 そこで目にしたのは、誰かが窓に張り付いている姿。


「——っ!」


 思わず悲鳴を上げそうになり、慌てて口を押えたリリスは、その不審人物がハンスであることに気付いた。

 どうにか呼吸を整え、縛られたままの手で不器用に窓の鍵を開ける。

 するとハンスは、音を立てないように窓を開け、静かに部屋の中へ入ってきた。


「ハンス、いったいどうやって……」

「俺、屋敷に忍び込むのは得意なんです。あ、盗みなんかはしてませんよ? ちょっとばかり女の子に会いに行ったりする時に……すみません」


 小声で問いかけたリリスに、ハンスは得意げに答えたが、リリスの胡乱な視線に気付いて謝罪した。

 それがおかしくて、一気に緊張が解け、リリスは噴き出しそうになってまたまた急いで口を押えた。


「このまま妃殿下を連れて逃げることができたらいいんですが、宿の入り口や周辺にさり気なく見張りもいるようだし、ちょっとそれは無理っぽいですね」

「ううん、いいの。こうして来てくれただけで……。首謀者はサウルという男よ。フォンタエ王国の官僚なの。だから、きっとこのままフォンタエに連れていくつもりなんだと思うわ」

「はい、それはフレドリックさんから聞きました」

「フレドリックから?」


 できるだけ情報を持って帰ってほしくて伝えたリリスだったが、ハンスはすでに知っていたようだ。

 しかも、フレドリックから聞いたと言う。

 わけがわからないでいるリリスに、ハンスは説明した。


「こう言っちゃ悪いですが、妃殿下たちが襲われた場所がよかった。夜の山はよく音が響きますから。あそこは特に音が反響する場所で、俺たちのいる窯まで、馬のいななく声や剣がぶつかり合う音が聞こえてきたんです。それで急いで俺の荷車に二人を乗せて駆けつけたんですが、到着した時にはもう、妃殿下は連れ去られたあとで……」

「レセは? みんなは大丈夫なの!?」


 その状況を聞いて、リリスは小声ながらも切迫した様子で問いかけた。

 ハンスは安心させようとすぐに大きく頷く。

 途端にリリスは力が抜けて、その場に座り込んでしまった。

 その時、隣の部屋で足音が聞こえ、ハンスは急ぎリリスを抱き上げベッドへと寝かし、自身はその向こうに隠れた。

 リリスが不自由な両手でどうにか上掛けを引き上げたところで扉が開き、ランプを持ったモラらしき人物がそっと部屋の中を照らす。

 リリスが息を詰めて眠ったふりをしていると、ランプの光はやがて遠のき、静かに扉が閉まった。


「……危なかったっすね」

「心臓に悪いわ……。それで、本当にみんな無事なのね?」


 ベッドの陰に隠れたまま呟いたハンスに、リリスもそのままで念押しした。

 しかし、ハンスは少しだけ気まずそうにして答える。


「無事とは、言えないと思います。レセさんは打ち身以外には怪我はなさそうですが、騎士たちは重傷者ばかりですから。フレドリックさんがその場に残って救護にあたり、エドガーが荷車を使って街へ助けを呼びに行ったんですが、あの人は馬を御すのはあまり上手くない。まあ、走るよりは速い程度なんで……死者はいないと思いたいですが、はっきりとはわかりません」

「そう……」

「本当は俺が馬に乗って助けを呼びに行ったほうが速かったんです。ですが、フレドリックさんに追えるなら、妃殿下を追ってくれと頼まれたので、一番元気そうな馬に乗ってここまで来たってわけです。俺、乗馬は昔から得意だったんで、森もあいつらが踏み固めた後だから、難なく走れましたし」

「……ありがとう、ハンス。あなたがここにいてくれて、どれだけ心強いか……」


 騎士のことを考えればつらかったが、泣くわけにはいかない。

 フレドリックは医学の心得もあるから、きっと大丈夫だ。

 どうにか笑ってお礼を言ったリリスに、ハンスは首を振った。


「無理して笑う必要はないですよ。泣いたっていいくらいだ。それなのに妃殿下は、ちゃんと目印を残してくれた。本当にご立派です」

「……気付いてくれてたのね」

「ええ、あの時は幸い月が夜道を明るく照らしてくれてましたからね。そのお陰で、四つ辻にさしかかった時、こっちに——北西に向かう道にきらきら光るものが見えて……。それまでは馬の蹄の跡を追って、南東に向かいかけていたんです。まさか北上するとは思いませんでしたからね」


 そう言って、ハンスは懐から真珠を取り出した。

 きらりと光る三粒の真珠は、リリスが馬車に乗せられる前に、ドレスの胸元に縫い付けてあった飾りを引き千切ったものだった。

 あの無残なドレスの胸元を見れば、いくつもの飾り真珠が道に落ちたことはわかる。

 リリスは真珠に気付いてくれたハンスに、感謝の眼差しを向けた。


「他の真珠はまだ道に残したままにしてあります。エドガーが助けを呼ぶと同時に、追手がかかっているはずですから。ただ月は隠れてしまったから不安はありますが、念のために何本も枝を切り落として目印も残したんで、きっと気付いてくれるはずです」

「何から何まで、本当にありがとう」

「いや、正直なところ、ここでかっこよく助け出せたらいいんですけどね。俺、乗馬は得意でも、剣の腕はからきしで。この街の警備兵に助けを求めようとも思ったんですが、どうも信用できないっていうか、信用されないっていうか……」


 ハンスの言葉に、リリスは心から笑った。

 もちろん小声でだが。

 今までのハンスの生き様がわかるようでおかしい。

 それに、確かにハンスの言う通り、いきなり警備兵に助けを求めることは難しいだろう。

 それなら、事情を知った追手が来るまで待ったほうがいい。


「大丈夫よ、ハンス。私はこのままでも頑張れるから。迷惑をかけてしまって、ごめんね」

「何をおっしゃるんですか。責められるべきはあいつらなんですから、妃殿下が謝罪なさる必要はありません。俺はこのまま部屋を出たら、浮浪児に頼んで色々と情報を集めます。あいつらの方がよっぽど信用できますから。宿も見張らせるんで、しっかり休んでください。あ、ちなみに俺は基本、夜型人間なんで気にしないでくださいね」


 そう言って立ち上がったハンスは、音もなく手慣れた様子で窓からするりと出ていく。

 リリスは慌てて起き上がり、はらはらしながら見守っていたが、ハンスは壁を器用に伝って隣の建物の屋根に移り、そこから入り口の見張りに見つからないよう、無事に地面へ下り立った。

 月が隠れていて幸いだった。

 そして、物陰に隠れたハンスは、リリスに向かって投げキスをする。

 一瞬、暗闇のせいで見間違えたのかと思ったリリスだったが、やはりハンスらしく、状況も忘れて、また小さく笑ったのだった。




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