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「お久しぶりです、妃殿下。体調はもうよくなられたんですかい?」
「ええ、大丈夫よ。エドガー、ありがとう」
「妃殿下にお会いできなくて、寂しかったっすよ。もちろん、レセさんにも」
「……ハンスは相変わらず元気そうね。それで、焼成はどう? 上手くいったの?」
後ろでレセが小さく鼻を鳴らしたが、淑女として聞かなかったことにして、リリスはハンスに答え、続けて問いかけた。
フレドリックは遠慮なく声を出して笑っており、ハンスまでにやりとした笑みを浮かべている。
「まだ窯から出したわけじゃないっすから、はっきりとは言えませんが、俺たちは上手くいったと思ってますよ。なあ、エドガー」
「あ、ああ。その、あっしらは火を焚いている時は、窯から目を離すわけにはいかねえんです。ですからハンスと二人、交代で薪をくべながら窯を見ていました。そうすると、音が聞こえるんですよ。薪の爆ぜる音、器が響かせる音が。年数も重ねれば、その音でだいたい焼き上がりはわかるもんです」
「もちろん、窯の熱を冷ましている時だって、音は聞こえますからね。というわけで、俺とエドガーの二人ともが、今回は成功だって思ったわけで、間違いないんすよ」
「それは……大変だったのね。それに、私の我が儘を聞いてくれて、ありがとう。焼き上がりを見るのがすごく楽しみだわ」
二人の話を聞いて、リリスは驚いていた。
焼成の間、窯から目を離せないとは知らなかったのだ。
そのため、謝罪とともにお礼を言うと、エドガーは「とんでもねえです」とすっかり恐縮してしまった。
ハンスは「ありがたいっす」と素直に受け止めている。
そして、いよいよ窯出し作業が始まった。
エドガーとハンスが窯へと入り、まず一番手前にあるものを持って出てきた。
「妃殿下、成功です! 大成功ですよ!」
「マジで大成功っすね! ざっと見た限り、割れているものもほとんどないんすから!」
出てきた二人は興奮に顔を輝かせている。
リリスはエドガーの手元にあるものを見て、ほっと喜びと安堵の笑みを浮かべ、次にハンスの手元にあるものを見て、目を瞠った。
「ハンス……その色は……」
「俺の開発した釉薬っす。すごいでしょう? 俺もまさかここまで綺麗に色が出るとは思わなかったっんすけどね。きっと素地との相性がよかったんすよ」
ハンスの手元にあるのは、青色がかった緑色の大皿だった。
まるでエメラルドのように美しい輝きを放っている。
もちろん、エドガーの手元にある真っ白なティーカップもとても美しい。
それからも、次々と取り出された品を目にして、リリスもレセも、フレドリックでさえ息を呑んだ。
「これはまた、珍しい模様ですな……。ハンス殿は本当に絵付けの才能がおありになる」
白い皿の縁を囲むように青色で描かれた模様は、花と葉が描かれているのだが、リリスには見たことのない種類だった。
それはフレドリックも同様らしい。
「いやあ、それほどでもあるっすよ。って、俺はこれのことを染付って呼んでるんですけどね。絵付けに関しては、まだまだ試したいことがたくさんあるんっすよ」
自信満々でハンスは答えると、リリスを見てにやりと笑う。
「で、この模様は、妃殿下にお会いして考えついたんです」
「私?」
「はい。妃殿下のお名前でもあるアマリリスからっ——と、失礼。その花から想像したんすよ」
ハンスはレセに睨まれて呼び捨てになってしまったことを謝罪し、説明した。
リリスにとっては、花の名を言っただけのハンスを睨むレセをたしなめるべきだったのだろうが、嬉しさのあまり胸がいっぱいで、それもままならなかった。
それなのに、ハンスはあの緑色の大皿を持って、さらに続ける。
「この色は妃殿下の瞳のように綺麗っすよね。自分で言うのもなんですが、これってこの焼き物の代表格になると思うんす。もちろんエドガーさんの人形もっすけどね。この焼成の間、乾燥させた人形は問題ないんっすよね?」
「そうなの?」
「へ、へい……。次は素焼きに入る段階なんですが、その前に妃殿下に見ていただこうと」
「ぜひ、見たいわ!」
新たな情報に、リリスは興奮して答えた。
そんなリリスを見ながら、ハンスは珍しくためらいがちに口を開いた。
「で……これなんすけど……」
「どうしたの?」
ハンスの態度を訝しく思いながらも、リリスはハンスがひっくり返した大皿の裏を見た。
すると、皿の高台内の中央に小さな模様がある。
「これって……」
「その、妃殿下のお名前と同じ花の…アマリリスです」
「え? ……あ、本当だわ」
目を凝らせば、かなり簡素化されたアマリリスが描かれていた。
それでもきちんとアマリリスの花だとわかる上に、真似て描くのは簡単なようで難しいのではないかと思える。
「実は、これらにも全部描かせてもらってます。勝手なことをして申し訳ございません。ですが、まだ試作品なので、いいかなと思って……」
緊張のためか、ハンスの言葉遣いがいつもより丁寧になっている。
隣に立つエドガーも気まずそうにしていたが、それでも意を決したのか、リリスに真っ直ぐな視線を向けた。
「贋作を防ぐためなんです。今までも有名どころの窯元の品の贋作が出回るのはよくありました。それに最近ではシヤナの贋作が--あまりにも粗末なものですが、それでも出回っているって聞きました。ですから、これらの贋作もいつか絶対に出回ると思うんです。制作方法を秘匿しないなら必ず。もちろん、この印だけで贋作を防げるとは思いませんが、それでもこの顔料は珍しいものですし、少しは予防になるのではないかと……」
エドガーは力んで訴えていたが、リリスの真剣な表情を目にして、徐々に声を小さくしていった。
普段はにこやかなリリスの厳しい表情に気圧されたようだ。
そこに「ごほん」とわざとらしいフレドリックの咳払いが聞こえ、リリスは我に返った。
「すごいわ! そこまで考えているなんて、もうすごいとしか言い様がないわ。エドガーの言うことはもっともだものね。しかも私の名前から、アマリリスを模様にしてくれるなんて、ありがとう、エドガー、ハンス。嬉しいわ」
「い、いや、あっしは……」
「んじゃ、もう一つおまけにずうずうしいお願いをしてもいいっすか?」
「ええ。何かしら?」
気を取り直して笑顔になったリリスの言葉に、エドガーは再び恐縮してしまったが、ハンスは調子を取り戻したようだ。
何かとリリスが問うと、ハンスはにやりと笑いながらも、どこか真剣さを帯びた表情になった。
「たいてい焼き物の呼び名は、その窯がある土地の名前になるのはご存じっすよね?」
「ええ、そうね」
「ここはストーンウェアが有名で、すでにトイセンとも呼ばれています。んで、新たにこの土地で、この素晴らしい焼き物を作り、流通させる上で必要なのが名前だと思うんですよ。なあ、エドガー?」
「あ、ああ……」
「それで、二人で考えたんす。この焼き物に相応しい名前は何かって。で、すぐに俺たちの結論は一致しました。それが……妃殿下のお名前から頂くことなんす」
「私の名前を?」
「はい」
「ちょっと! それでは、世間の人たちがリリス様のお名前を呼び捨てにすることになるじゃない!」
真剣ながらもいつもの話し方で説明するハンスに異を唱えたのは、今までずっと黙っていたレセだった。
ハンスは待ってましたとばかりにレセに満面の笑みを向ける。
思わずレセは一歩後退し、フレドリックの抑えた笑い声が聞こえた。
「もちろん、俺たちだって、それは思いました。いくら花の名前とはいえ、正式なお名前では畏れ多い。愛称であるリリス様やアマリー様でも失礼だと。でも、やっぱり妃殿下のお名前以外にいい名前が考えつかなくて少々行き詰ってしまったんですが、エドガーが名案を思いついたんです」
「い、いや、俺はただ単に……」
ハンスと違って、エドガーはそわそわと落ち着きがない。
いったいどんな名前なのだろうと、リリスは興味深々だった。
「それで、どんな名前なの?」
「〝マリス〟っす」
「……マリス?」
「ダメっすか?」
「いいえ、すごく素敵だと思うわ。でも〝マリス〟は農耕の神様の名前でもあるでしょう?」
「あ、やっぱりご存じでしたか?」
「それはそうよ。たとえ南方地域の神様だとしても、農耕の神様はフロイト王国にとっても大切だもの。私の名前からっていうのは、それこそ畏れ多くて……」
リリスにとって〝マリス〟は南方神話の本を読んだ時から好きな神様だった。
確かにアマリリスに因んでいる名前でもあるが、気が引けてしまう。
「いや、いい名前だと思いますぞ。私は賛成ですな」
「でしょう? さすがフレドリックさんっす!」
しばらく黙って聞いていたフレドリックが、リリスを説得するように見つめながら口を開いた。
途端に、ハンスが喜んでフレドリックの背を叩く。
「っ……これ! 年寄りを粗末にするでない!」
リリスは本当に驚いたらしいフレドリックを目にして笑った。
フレドリックはわざとらしく怒ったふりをしていたが、お陰でその場の空気が一気に和む。
「……そうね。ちょっと畏れ多い気もするけれど、とっても素敵な名前だもの。二人がいいのなら、〝マリス〟でいきましょう。——もちろん、陛下に許可を頂いてからね」
「やった!」
「へ、へい!」
リリスの了承の言葉に反応の違いはあれど、ハンスもエドガーもほっとしたようだった。
そして、焼き上がった品を眺めた後、エドガーの作った人形を見せてもらうために、リリスたちは成形品を乾燥させている場所へと移ったのだった。




