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『知らぬ! 知らぬ、知らぬ! わしは知らぬぞ!』


 いきなり聞こえた怒声に、リリスはびくりと肩を震わせた。

 そしてここが夢の中だと気付き、ほっと息を吐く。

 どうやらまたどこかに迷い込んでしまったようだ。

 いったい誰が何を怒っているのかと、周囲を見回して、リリスははっとした。


 リリスは豪奢な部屋の一角に立っており、怒声の主——コート男爵は部屋の中央で一人掛けのソファから立ち上がり、目の前に立つ人物を睨みつけている。

 ここはコート男爵の屋敷の応接室だ。

 もう一人は知らない人物だったが、服装と少し後ろに騎士が二人控えていることから、皇宮からの正式な使者だとわかった。


(ってことは、陛下の勅使だわ。工場の不正について、お呼び出しがかかったのね。それを男爵は突っぱねているのかしら……)


 正式な使者に対して、あのような態度は愚かとしか言いようがない。

 そのことに自分でも気づいたのか、うるさく喚いていた男爵はやがて観念したように首をがっくりとうなだれた。


『たとえ冤罪であっても、陛下からのお呼び出しに逆らえるわけもなかったな……』


 その言葉に、使者はほっと息を吐いた。

 やはり強硬手段には出たくなかったのだろう。


『ただ、私もこの地の領主として、このまますぐ帝都に向かうわけにはいかない。領地の管理人と今後のことも含めて話し合いを持たねばならぬし、その他にも色々と整理が必要だ。いつ戻ってくるにせよ、このままでは混乱を招きかねないからな。よって、出発まで三日待ってもらえないか?』

『……三日、ですか?』

『ああ、二日と言いたいところだが、それではやはり心許ない。四日後の朝には発てるよう準備を整えると約束する』

『……わかりました。私の一存ではありますが、許可いたしましょう。もちろん、このことはすぐに陛下にお知らせいたしますよ。それに、逃げようなどとは考えないことです。無駄ですから』

『ああ、それは当然だ。では、申し訳ないが、わしはさっそく仕事に取りかかるゆえ、これで失礼する。もちろん、あなた方はこの屋敷に滞在してくれてかまわない。わしは留守がちになるだろうから、あまりもてなしはできないが……』

『どうぞお気遣いなく。では、お言葉に甘えて、こちらにお邪魔させていただきます』


 使者が深々と男爵に頭を下げると、男爵はベルを鳴らして執事を呼び、使者たちの滞在と自分が出かける旨を伝えた。

 使者にとっては、屋敷に滞在することで、男爵を監視するつもりでもあるのだろう。

 そして部屋から出ていく男爵を、使者とともに見送ったリリスだったが、気がつけばまた目の前に男爵がいた。


(あれ? 場面が変わっちゃった? って、ここは……どこ?)


 また男爵は誰かと話しているが、相手の正体はわからない。

 老齢の男性はそれなりの身分であるらしく、仕立てのいい上等な衣服を身につけているが、今度は見当もつかなかった。

 そもそも、この現実夢がいつのものなのかもわからない。

 とにかく状況を把握しようと、リリスは二人の会話に耳を澄ました。


『どうやら証拠は掴まれてしまったようだ。この呼び出しに応じても応じなくても、間違いなく爵位も領地も取り上げられ、牢に入れられてしまう! いや、最悪の場合、絞首刑もありえる……どうすれば……どうすればいいんだ……』


 うろうろしながら蒼白な顔でぶつぶつ言う男爵はかなり怖かった。

 よくよく見れば、男爵の服装は使者と対面した時と変わっていない。

 そこで、リリスはこの現実夢が先ほどの場面からほんの少し時間が経っただけだと気付いた。


『まあ、落ち着きなされ、男爵。座ってお茶でも飲めば、いい考えも浮かびましょうぞ』


 部屋の中を歩き回る男爵と違って、もう一人の男はソファに座り、のんびりお茶を飲んでいる。

 男爵は足を止め、そんな男を睨みつけた。


『これが落ち着いていられるか! わしの命がかかっているんだぞ!? 時間稼ぎに三日待ってほしいとは言ったものの、この窮地を抜ける策は何も思い浮かばない! やはり殿下の訪問は、不正を探るためだったのだ。わかっていながら、わしは何をやっていたんだ。ああ、どうすれば……』

『素直に逃げ出せばよいのではないですかな?』

『馬鹿な! 逃げ出してどうする!? 今現在、財産は差し押さえられているような状態だぞ! もう工場にも別の使者が行っているらしい。だからあやつらも逃げようがないだろうし、もし余計なことでも言われたら……。そもそも、これはそなたが持ちかけた話であろう! ストーンウェアを横流しすればいいなど。これでそなたを——フォンタエをどれだけ儲けさせてやったと思っているんだ!』


 その言葉に、リリスははっと息を呑んだ。

 もう一人の男はフォンタエ王国の人間なのだ。

 それが、男爵の屋敷からそう遠くない場所にいるということは……。


(そうよ! この人、誰かに似ていると思っていたけど、フウ先生だわ! 顔は全然似ていないけど、なんていうか学者的な雰囲気が……穏やかなフウ先生とは違って、意地が悪そうな感じもするけど。ひょっとして、フウ先生のお知り合い?)


 部屋も注意深く観察すれば、リリスが滞在している上級宿の一室とよく似ている。

 わざわざ遠回りをしてまでフレドリックの知人はトイセンに来たと言っていたが、そもそもが近くに屋敷を構える男爵に会うためだったのかもしれない。


(それでもまさか、今回の不正にフォンタエの人間が絡んでいたなんて……)


 もうジェスアルドたちはそのことを掴んでいるのだろうか?

 それとも、これから取り調べの中で聴き出すつもりなのだろうか?

 とにかくリリスは、今すぐこのことをジェスアルドに伝えたくて仕方なかった。

 やっぱり現実夢のことを打ち明けるべきだったのだ。

 どうすれば、どう伝えればいいのだろうと、リリスが焦っているうちに、二人の会話は進んでいく。


『もちろん、長年にわたる男爵の功労を、我が王も軽く見てはおりませんぞ。あなたがフォンタエにいらっしゃれば、それなりの待遇をお約束しましょう』

『それなり? それなりとは何だ? フォンタエ国王は爵位でも授けてくださるのか? わしは今の地位を失うのだぞ?』

『残念ながら、今はそこまでの期待はできないでしょうな。仮にもあなたはこの国で陛下の勅命に逆らった重罪人となる。そのような方に爵位を授けるなど、新たな火種を作るようなものですからな』

『では、そなたがどうにかしろ! わしをこのような立場に追い込んだのは、そなたに唆されたせいではないか! それに、わしが調べられたら、そなたたちフォンタエも困るであろう! 十分な火種になるのだからな!』

『幸いなことに、我々フォンタエは国家としてこの話には関与していない。あなたはフォンタエを拠点としているだけの、ただの商人と取引なされただけだ』

『し、しかし、そなたは……』


 今や怒声を響かせている男爵を前にしても、男はあくまでも平静だった。

 男爵は二重になった顎を震わせ、こめかみには青筋を立てている。


『あなたに爵位を授けることは、我が国と帝国とのさらなる火種になるのは間違いありませんが、それならいっそ、もっと大きな火種を作ればいいのです。さすれば、大火に飲まれる小火など誰も気にしないものですぞ』

『……大きな火種?』

『男爵は非常に幸運ですよ』

『馬鹿を言うな! 何が幸運だ!』


 がなり立てる男爵を、男はいやな笑みを浮かべて見上げた。

 そして続ける。


『幸運ではないですか。今、あなたの手の届く範囲に、この国にとっても、フロイト王国にとっても大切な、高貴なお方がいらっしゃるのですから』


 その言葉に、リリスはとっさに口を押えた。

 知らず体が震える。


『ま、まさか……皇太子妃殿下のことを言っているのか?』

『ええ、そうですよ。あなたは妃殿下を攫えばいい。そのままフォンタエまでお越しください。もちろん、逃走のお手伝いもさせていただきます。万が一、途中で帝国兵に見つかろうとも、妃殿下を盾に取ればしのげましょう。フロイト国王は妃殿下を見捨てられることはないでしょうし、最近では、あの皇太子殿下でさえ、妃殿下に情を移しておられるとか』

『た、確かに……トイセンでの様子から、お二人の仲はまんざらではないのではと思っていたが……しかし、妃殿下の護衛は何人もいるのだぞ? それを攫うなど、無茶だ。しかも、そのような大罪、捕まれば本当に縛り首になってしまう!』

『元々、縛り首だと心配なされていたではないですか。生き延びられるためには、妃殿下を攫われた方が確率が高いかと思いますがな。それに、方法は簡単。妃殿下をおびき出せばよいのですよ』

『おびき出す?』

『はい。今、男爵のお屋敷には皇帝陛下の勅使が滞在している。彼らをもてなす口実で晩餐の席を設け、妃殿下も招待なさればいい。ご自分のお屋敷でなら、どうにかなるでしょう?』

『なるほど。そうか……。先日も妃殿下は我が家での滞在を楽しんでおられたから、また誘いに乗られる可能性は高いな……』

『おお、よいではないですか! 妃殿下をフォンタエの手中に収めれば、帝国だけでなく、フロイトの弱みまで握ることができる。我が王もさぞかし喜ばれるでしょうな』


 無謀とも言える計画に、初めは怯えていた男爵も、次々と繰り出される男の言葉に乗せられ、真面目に考え込んでいる。

 そんな二人を見ながら、リリスは後悔していた。


 もし、自分がトイセンに行きたいと言わなければ。

 もし、自分が夫婦の仲を良く見せようとしなければ。


 自分の作戦が裏目に出てしまった。

 リリスが余計なことをしなければ、冷酷非道な皇太子は妃の命も顧みないだろうと、こんな馬鹿げた計画が立てられることもなかっただろう。


 しかし、リリスの後悔はほんの一瞬。

 悔やんでも何も解決しないのだから、やるべきことをやるしかない。

 そう決意したところで、リリスは目が覚めたのだった。




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