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 リリスが慎重に馬車から降りて顔を上げると、ブンミニの町の多くの人たちが広場へ集まっていた。

 しかし、その顔はとても不安そうに見える。

 そこでリリスがにっこり笑うと、皆は途端にほっとした表情に変わった。

 さらにゆっくりと周囲を見回しながら、リリスがジェスアルドの隣に立って笑顔のままで手を振ると、わっと歓声が上がった。

 町の人たちは、皇太子妃が町をどう受け止めるかが不安だったらしい。


 リリスの耳には、「華やかな場に慣れているはずの妃殿下が、こんな寂れた田舎の町に訪れるなんて信じられないわね」や、「この町をご覧になっても、嫌悪する様子もないわ」との女性たちの声が入ってくる。

 また、「あんなの見せかけだけよ」という声も。

 どうやら本人たちはこっそり話しているつもりらしい。


 リリスにとっては、現実夢で町の様子をすでに見ていたこともあり、今さら驚きはなかった。

 他の夢では、もっと貧しい農村だって見たことがあるのだ。

 しかもフロイト王城の近場の村では、身分を偽って、汚れも気にせずに牛やヤギの乳しぼりだってしたことがある。鶏に突っつかれながらの卵回収まで。

 だてに田舎の王女だったわけではない。――ちなみにダリアは一度もそんなことをしたことはないが。


 ただリリスはそんなことよりも、町の人たちのジェスアルドに対する反応が気になった。

 この旅行で出会ったどんな人たちよりも、ジェスアルドを恐れていないように見えるのだ。


「殿下は、この町にいらっしゃったことがあるのですか?」

「ああ、三年ほど前に一度、鉱石の採掘量が激減した時に視察に来たんだが……なぜだ?」

「この町の人たちは、殿下よりも私に興味があるようですから」

「それはきっと、あなたがとても可愛いからだろう」

「え……」


 素直に疑問を口にしたリリスは、このジェスアルドの返答に驚いた。

 きっと今のは聞き間違いだろうと、ジェスアルドをまじまじと見つめると、いつもと変わらない無表情のまま。

 だが、かすかに耳が赤くなっている。


(これは、ひょっとして……照れてる?)


 そう思うと、今のあまりにも嬉しい言葉を、リリスは周囲に大声で自慢したくなった。

 しかし、どうにか両手を固く握りしめて我慢する。

 これまで「変わっている」「おかしい」などは言われたが、「可愛い」と言われたのは初めてなのだ。


 以前、瞳の色を褒められはしたが、あれは半ば強制的に引き出したようなものである。

 そのため、嬉しくてにやにや笑いが抑えられないリリスを、周囲の者たちはかなりの好感を抱いて見ていた。


 初めは皇太子妃も視察に同行すると聞いて、困惑というより迷惑に感じていたのだ。

 だが予想とは違って、皇太子妃は寂れた町を目にしても嫌がるふうもなく、にこやかな笑顔を浮かべている。

 すると、暗い表情だった町の人たちまでもが、自然と笑顔になっていた。

 そしていつの間にか、到着当初の固い空気は和やかなものへと変わり、皇太子夫妻一行は、町の人たちに心からの歓迎を受けたのだった。



 * * *



 皇太子夫妻が滞在するのは、町にある小さな公館だった。

 鉱山として栄えていた頃の、国から派遣された役人たちが滞在していた建物で、今ではすっかり古びてしまっている。

 それでもかなり丁寧に掃除がなされているのを目にして、リリスは気まずそうに案内してくれた町の長に笑顔でお礼を言った。


 リリスの滞在する貴賓室には、ふんだんに花が飾られており、町の人たちの心遣いを感じる。

 それはホッター山脈特有の花々で、フロイト国花でもあるウスユキソウも数多くあり、テーナやレセも懐かしさに顔を綻ばせていたほどだ。

 その後、町の長たちはリリスの反応にほっと胸を撫で下ろして引き上げていき、各々の家では親しみやすい妃殿下だと語られることになった。


 そして、ようやく落ち着いたリリスは、夕食までのんびりとくつろぐことにした。

 今回の訪問では、特に歓迎の催しなどは必要ないと、ジェスアルドが町の人たちに前もって伝えていたので、支度のための時間もかからない。

 やがて夕食の時間になり、簡単に着替えただけのリリスは、食事室へと案内されて喜んだ。

 そこに準備されていた食器は二人分だけだったのだ。

 これならあまり取り繕う必要もないと、すぐにやって来たジェスアルドと食事を始めたリリスは、かなりおしゃべりになっていた。


「――それで、話は戻りますけど、殿下は以前この町にはいらっしゃったことがあるのに、なぜトイセンへはお立ち寄りにならなかったんですか?」

「……なぜわかった?」

「トイセンの街の人たちの反応です。それに道中の街でも同じように感じましたが……」

「ああ、それはできるだけ道中では姿を見せないようにしていたんだ。寒くなる時期だったから、外套だけでなく頭も顔も厚い布で覆っていたからな」

「それは……奥ゆかしいですね」

「いや、そこはせめて用心深いと言ってくれ」


 寒さ対策というよりも、道中で出会う人々を怯えさせたくなくて、そのような姿で移動したのだが、それを〝奥ゆかしい〟と言われて、ジェスアルドはすかさず訂正した。

 リリスの奇怪な言動にもかなり慣れてきた結果である。

 ちなみにその時のジェスアルドは、騎士たちを伴っていたため、盗賊などに間違われることはなかったが、その姿だけでも行き交う者たちをかなり怯えさせていた。


「トイセンへは、後で立ち寄る予定だったんだが、急きょ皇宮へ戻らねばならぬ事案が持ち上がったために、取りやめになったんだ」

「そうだったんですね。てっきり工場の竣工式などには参加されたのかと思っていました」

「いや、それはコンラードが陛下の代理で出席した。あの時は確か、陛下も私も別件で皇宮を離れられなかったからな」

「なるほど。コンラードが……」


 あれほどの大掛かりな工場なら、きっと竣工式があり、主賓として招待も受けていただろうとのリリスの予想は当たった。

 しかし、当時はマチヌカンの利権を巡って、フォンタエ王国との問題が表面化してきた頃であり、コンラードが代理で出席したというのも納得である。

 コンラードならば陛下の代理としての身分も申し分ない。


(まあ、コンラードなら妥当よね。でもそれならコンラードも、行ったことがあるって教えてくれてもいいのに……)


「それで、あなたはこの町を目にしてどう思った?」

「――え?」


 コンラードの名前を聞いて、ぼんやり考えていたリリスは、ジェスアルドに問われてすぐには答えられなかった。

 正直に言えば、質問の内容もわからない。

 そんなリリスに、ジェスアルドはわずかに訝しげな表情をしたものの、もう一度問いかけた。


「あなたの目で実際に見て、この町をどう思った?」

「それは……正直なところ、まだわかりません。町の人たちはとても親切ですが、やはり活気がないというか……諦めているような印象を受けました。それでもこうしてもてなしてくれているのは、義務からではなく、心からのものだと思えます」


 そう言って、リリスは部屋の中を手振りで示した。

 この食事室も美しい花々で飾られている。


「この町の人たちは、殿下のことを今までの人たちとは違った目で見ていました。怯えなどはなく、ちょっとの疑心と期待です。ですから、本来お荷物のはずの私のことも、あのように歓迎してくれたんだと思います」

「いや、それだけではないと思うが……。まあ、とにかく、それならばその期待に応えなければいけないな」

「はい!」


 町の人たちが期待しているのは皇太子に対してだが、実際に動くのはリリスだ。

 それはおそらく期待から不信に変わるだろう。

 リリスならそのことも予想しているだろうに、返事には迷いがない。

 そんなリリスに、ジェスアルドは意地悪く続けた。


「だが、簡単ではない。もし、ここの岩石がシヤナの素地に使えなければ、あなたの計画は失敗に終わってしまうかもしれないが、どうする?」

「ですが、その場合、また別の対策をこの町のために、殿下は考えてくださっているのでしょう?」


 確信をもって答えたリリスの言葉に、ジェスアルドは驚いた。

 実際、父である皇帝と次策は考えている。

 もちろんシヤナの素地として岩石が使えることになる場合とは比べ物にならない策ではあるが、そのことをリリスが察しているとは思ってもいなかった。


(本当に……エアム王子のあの言葉――〝得難き宝〟とは、嘘ではなかったんだな)


 リリスの洞察力が鋭いことは、ジェスアルドもこの視察を通して気づいていた。

 当初は、あのフレドリックとかいうペテン師――賢人グレゴリウスの助言で動いているのかとも思っていたが、どうやら違うらしい。

 リリスは自分の立場をわきまえながらも、またそれを上手く利用し、情報を得て周囲を動かしている。


(俺もそのうちの一人だな……)


 少々悔しいが、それでこの国の民が一人でも多く幸せになれるのならば、素直に受け入れるべきなのだ。――民に関係なく、振り回されてもいるが。

 おそらく、あの小さな頭には、ジェスアルドのまだ知らない知識がたくさん詰まっているのだろう。


(フォンタエ王国との問題がなければ、リリスのお手並み拝見といきたいところだったがな……)


 それでも明日一日は時間がある。

 ジェスアルドは明日を楽しみにしている自分にこっそり笑いながら、リリスの話す計画に耳を傾けていたのだった。




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