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ジェスアルドの言葉通り、あれから楽しい夢を見て目覚めたリリスは、かなり幸せな気分だった。
久しぶりにフロイト王国の家族の夢を見たのだ。
(うん。きっとジェドのお陰ね!)
上機嫌のリリスは筆も進み、ジェスアルドに提出するべき文書の下書きがお昼前にはできあがった。
あとはフレドリックにチェックしてもらうだけだ。
「ふむ。よくできているのではないですかな。ただここが少し説得力に欠けるのと、こちらがおかしな文章になっているのと、こっちは綴りが間違っておりますな。あと……」
と、かなりのダメ出しをもらったものの、どうにか合格点をもらい、清書してジェスアルドへ提出できた時にはお昼をかなり回っていた。
それからようやく一息ついて、フレドリックと一緒にのんびり昼食を食べていると、驚くことにさっそくジェスアルドから返答があった。
「フウ先生、どうしよう……。さっきの文書、疑問点があるから今日の夕方にでも直接訊きたいってあるわ。しかも、皇帝陛下まで同席なさるって!」
「まあ、当然でしょうな。もし、リリス様がシヤナを再現できるのなら、国家事業となってもおかしくないほどのことですからのお。では私も同席させて頂いてよろしいかな?」
「もちろんよ!」
皇帝陛下とはまだ数回しか会ったことがなく、さすがにリリスも緊張してきてしまった。
だが、フレドリックはとても楽しそうだ。
そんなフレドリックを見ていると、リリスも落ち着いてきた。
(そうよね。今さらうだうだ悩んだって仕方ないし、なるようになるわ)
すっかり開き直ったリリスは、夕方になり、皇帝陛下の私室に向かった時も足取りは軽かった。
話し合いの内容をまだ公にできないために、皇帝が息子夫婦と少し遅めのお茶を楽しむという設定らしい。
さすがにリリスも皇帝と面した時は少々緊張したが、それもすぐに緩和された。
そして驚くことに、リリスがトイセンでシヤナを試作する話はすんなり通ってしまったのだ。
「なんだか、煙に包まれた気分だわ……」
「リリス様、それでは死んでしまいますぞ。確か〝狐につままれた〟ではなかったですかな? なんでも、異世界の狐は人を化かすとかで」
「ああ、そうそう。そうだったわ。すごいわよね、異世界の狐って。それに狸もよ。それで化かし合い合戦をするの……って、そうじゃなくて」
自室へと戻ってから、まだ信じられない気分でリリスが呟くと、フレドリックが突っ込んだ。
それに答えたリリスだったが、話が逸れてしまったことに気付き、咳払いをして姿勢を正した。
先ほどお茶を頂いたばかりなので、今日の夕食は少し遅めにする予定だ。
「だって、まさか陛下が私の話を疑いもせず、昔使っていた窯を試作用に使えるようにしてくださって、協力してくれる熟練の焼き物師さんまで捜してくださるのよ? ブンミニから石も運んで」
「実行されるのは、皇太子殿下ですがな」
「ええ。でもたったこの数刻の間に、そこまで二人で話を決めてくださっているなんてびっくりよ。それにもうすでに、トイセンには内偵まで送っているのよ? 本当に、アメとムチ作戦なのね、お二人は」
「どうやらこの国にも狐と狸はいるようですな」
「え? それはもちろんいるけど……?」
「リリス様、お気をつけなされ。この皇宮は狐と狸の化かし合いですぞ」
「ああ、そういうこと……」
フレドリックの絶妙な例えを理解して、リリスは納得した。
皇帝のあの穏やかさはやはり見せかけなのだ。
実際、噂が全て嘘というわけではないだろうが、皇太子が皆に恐れられる一方で、皇帝はそのカリスマ性をもって慕われている。
過去に併合した国々の中には、侵略と言われてもやむを得ないほど、強硬な手段を取ったことが幾度もあるにも拘わらず。
「でもずるいわ。それじゃあ、殿下が損な役回りだもの。たとえ殿下が納得されているにしても、私は納得できない。それに今はいいとして、この先はどうするのかしら?」
「この先とは?」
「こういうことを言うのは憚られるけれど、陛下がご病気になったり、お亡くなりになった時よ。今の体制だと、崩壊とまではいわなくてもかなり揺らいでしまうわ。はっきり言って、コンラードが陛下の代わりを務めるにはあまりにも力不足だもの。だからといって、今さら殿下が優しくなっても、不気味に思われるだけよね……」
はあっとため息を吐くリリスを、フレドリックは目を細めて見ていた。
世の男性陣のように、女性はか弱く守るだけの存在と思っているわけではないが、今のこの世の中でここまで将来を見通して国の政治体制に悩んでいる女性は、リリス以外にはいないだろう。
「陛下はかなり優秀な密偵をフロイトに潜入させているのでしょうな」
「え?」
思わずといった様子で呟いたフレドリックの言葉が聞き取れなくて、リリスは訊き返した。
すると、フレドリックはにんまり笑う。
「どうやら陛下は――おそらく殿下もですが、私の本名をご存じのようでしたよ」
「そうなの?」
「はい。私が名乗った時の、お二人の顔にはっきりと〝この嘘つきめ〟と責めが浮かんでおりましたからな」
「気付かなかったわ……。でもまあ、特に何もおっしゃらなかったってことは、それでいいってことよね? ということは、フウ先生がいるからこそ、私のことも信用してくれたのね。なるほど」
ふむふむと頷くリリスに、フレドリックは何も言わなかった。
皇帝はおそらく自分の役割をリリスに振るつもりなのだ。
リリスの現実夢のことまで知っているとは思えないが、間違いなくリリスの能力は買っているのだろう。
そこまで考え、皇太子はまだまだだなと、フレドリックは老獪な笑みを浮かべた。
「でも、少し反省したわ。夢で見たことだけで判断してはいけないって」
「ほう?」
「例えば、夢の中で二人の男性が悪だくみをしていたとしても、それが嘘だってこともあり得るってことよね? 片方が片方を陥れようとしているとか。ほんと私もまだまだだわ。夢で見ただけで、陛下のことをお人好しと判断していたけれど、大失敗。未熟者の自分が恨めしい……」
そう嘆くリリスを見て、フレドリックは大声で笑った。
当然のことながら、リリスは不機嫌そうにフレドリックを睨む。
「人間、一番難しいのは己を知ることですぞ。リリス様はそのことをよくご存じでいらっしゃるのですから、これからいくらでも成長できます。心配なされるな。未熟さでいうのなら、わしだってまだまだですからな」
「ええ? フウ先生でまだまだなら私はいったいどうなるの? ひよっこどころか、まだ卵からも孵れてないんじゃない?」
「鳥にとって最初の試練は、卵から孵ることですぞ。とすれば、リリス様はこのご結婚で今、最初の試練に立ち向かっているのでしょうな」
「ああ、悔しいけど納得」
リリスはばたりとテーブルに突っ伏した。
その姿にテーナは眉を上げたが、何も言わず夕食の用意を進める。
「フウ先生、お願いだから長生きしてね。そしてこのひよっこ未満を立派な成鳥へと成長させてね! ……今の面白かった?」
「まだまだですな」
「厳しいわね」
いつものくだらないやり取りに二人で笑いながらも、フレドリックは絶対に長生きをしようと誓っていた。
こんなに面白いものを間近で見もせず死ぬなど、心残りもいいところだからだ。
今度は好々爺らしい笑みを浮かべて、フレドリックは俯いたままのリリスを見つめたのだった。




