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「まさか、殿下がそのように安堵なさるとは思いませんでした」

「……なぜだ?」

「なぜって、殿下は私の我が儘に仕方なく協力してくださっているのでしょう? 子ができれば、その義務からも解放されますし、できるだけ早い妊娠が望ましいかと。でもそうですよね。そもそもが妥協なんですから」

「いや――」

「あ、そうそう。もう一つ、殿下に大切なことをお伝えしなければいけませんでした。実は私、シヤナの作り方を、フロイトにいた頃に遊学していた方から聞いて知っているんです。詳しいことはまた書面にてお知らせいたしますが、トイセンの実情を知って、できればトイセンの窯でシヤナを試しに焼いてみたいと思っております。ただそれには日数がかかりますので、殿下がせっかく調整してくださった日程に修正が必要になってしまいますが、どうかお許しください。殿下は大切な会談があるようですので、もちろん予定通りの日程をこなして、この皇宮にお戻りくださいね。私だけ、しばらくトイセンに滞在させて頂きます。そのため、警備に関しては殿下と私と、別々に警護して頂かなければなりませんが、よろしくお願いいたします。その他のことについては、私がフロイトから連れてきております者たちでどうにでもできますので、ご心配には及びません。本当に、このような大切なことを今まで黙っていて申し訳ございませんでした。でも、もしシヤナのような器が上手く焼き上がれば、トイセンにまた活気が取り戻せますもの。ですから、お許しくださいますよね?」

「それは……」


 リリスのあまりの勢いに押されて、ジェスアルドは思わず了承しそうになった。

 だが、さすがに今の内容が本当ならば重要なことであるため、即答はできない。

 ただ下手なことを言えば、取り返しのつかないことになってしまう。

 そう直感したジェスアルドは一度大きく息を吸って気持ちを落ち着かせ、そして答えた。


「すぐには返答できない問題なので、その書面を見て判断したい」

「わかりました」

「それともう一つ」

「何でしょう?」

「あなたがシヤナの作り方を知っているということは、他に誰が知っている?」

「……私の教師のフレドリックだけです」

「そうか。なら、そのことについては他に誰にも知らせないでくれ。……今のところは」

「もちろんです」


 リリスがはっきり答えると、ジェスアルドは黙って頷き、残っていたりんご酒を飲み干した。

 それを見て、部屋に帰るのだろうと判断したリリスは立ち上がった。

 ジェスアルドもやはり立ち上がったが、すぐには出ていこうとせず、その場にとどまる。


「リリス……」

「はい?」

「私は確かに、最初に子はいらぬと言った。正直に言えば、今も迷いはある。だが、あなたに対して、妥協や義務といった気持ちで接しているわけではないんだ。あなたといると、むしろ……楽しいと思う。だからまた、ジェドと呼んでくれると、嬉しい。では、リンゴ酒をありがとう。美味しかった」


 ジェスアルドのこの言葉には、リリスもさすがに驚き何も言えなかった。

 まさかこのように気持ちを打ち明けてくれるなど、思ってもいなかったのだ。

 そんなリリスを残して、ジェスアルドは寝室へと繋がるドアを抜け、そして自室へと帰っていってしまった。

 ドアの閉まる音を聞いて我に返ったリリスは、慌てて寝室まで後を追ったが、やはりもう姿はない。


 当たり前だが、ジェスアルドがこの部屋の構造をよく知っていることに、リリスの胸はちくりと痛んだ。

 しかし、もう一度先ほどの言葉を心の中で反すうすると、痛んだ胸がほんわりと温かく和らいでくる。


「……ジェド」


 ジェスアルドの願いの言葉通り一人で呟くと、なんだか嬉しくなってきて、顔がゆるむ。

 さらにむふふと笑っているところにテーナがそっと顔を覗かせ、その姿を目にして顔をしかめた。


「リリス様、大丈夫ですか?」

「もちろんよ! って……ああ、どうしよう! ちょっと暴走しちゃって、勢い任せに話してしまったわ! 本当はもっと作戦を練るべきだったのに……」

「大丈夫ではなさそうですね」

「また……失敗してしまったわ……」


 浮かれていたリリスは、テーナに問いかけられて、現実に戻ってしまった。

 怒りに我を忘れて、作戦も計画も全て台無しにしてしまったのだ。

 ジェスアルドがどう受け止めたのか、先ほどの反応ではよくわからない。


 テーナは落ち込んだ様子のリリスにかける言葉を探した。

 リリス本人が「ちょっと暴走」と言うというからには、相当の暴走をしてしまったらしい。

 珍しく後悔しているリリスにテーナは近づき、そっとその背をさする。


「リリス様はいつもおっしゃいますよね? 人は失敗するものだと」

「ええ。でも……失敗しても、やり直せばいいのよ」

「私もそう思います」

「……うん、そうね。ありがとう、テーナ。とても、かなり、ひどく失敗してしまった気がするけれど……頑張ってみるわ!」


 徐々に元気を取り戻したリリスは、ぐっと拳を固く握り締めて顔を上げた。

 その緑色の瞳はきらきらと輝いている。


「それで、失敗してしまわれたのに、先ほどは喜んでいらっしゃるようでしたが……」

「ああ、それはね……なんと! 殿下にジェドと呼んでくれたら嬉しいって、言われたの!」

「……相変わらずチョロいですね」

「え? 何て?」

「よろしかったですね、と申し上げたんです」

「でしょう?」


 思わず洩れでた呟きを訂正したテーナは、嬉しそうに微笑むリリスを心配そうに見つめた。

 恋愛事に疎いリリスが、初恋のアルノーの時のように、また傷つくことになりませんように、と心の中で願う。

 だが、あれは初恋ゆえに理想を求めてしまったのも敗因なのだ。

 今回も政略という形で始まったために、リリスは割り切っているようで、無意識に防壁を築いてしまっているようにも思える。

 テーナはため息を飲み込んで、レセを呼び寝支度を始めた。

 一方のリリスは、これからのことを前向きに考えていた。


(まあ、言ってしまったものは仕方ないわ。むしろラッキーだと思うべきよ。どう切り出そうかの悩みは解決したんだから。あとは説得力のある説明だわ。詳細は書面にてって言ったし、明日フウ先生に相談して、立派な文書を書き上げてみせるんだから!)


 そう強く決意したリリスは、もう後悔など微塵もしていなかった。

 リリスの信条は〝前進あるのみ〟である。

 というわけで、ベッドに入ってからは、ジェスアルドの言葉――ジェドと呼んでくれると嬉しい――を思い出し、幸せに浸って眠りについたのだった。




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