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「出発は、五日後……ですか?」
「ああ、少し急だが、どうしても外せない会談が一月後に控えているので、この日程になったんだ。すまない」
「い、いいえ。謝罪なさる必要はありません。そもそも私の我が儘から始まったことですから。それまでにしっかり体調を整えて、準備万端にしておきます」
「そうか……」
リリスはにっこり笑って答えながらも、心の中ではがっかりしていた。
五日後と言えば、月のものがようやく終わる頃。
名目は新婚旅行とはいえ、実際は視察旅行なので、真面目なジェスアルドが夜にリリスの部屋を訪れるとは思えない。
(いえ、ちょっと待って。ひょっとして、旅先の宿や領主館などは気を利かせてくれて、二人で一部屋ということもあるかも……? って、それはダメだわ。やっぱり別々の部屋じゃないと。一緒には眠れないもの)
本来の目的はまったくそっちのけで、リリスは淑女にあるまじきことを考えていた。
そこにジェスアルドの声が耳に入り、我に返る。
「途中で立ち寄る街などは、また明日詳しい日程を書いたものを渡すので、確認していてほしい」
「はい、わかりました。全行程は何日ほどになるのでしょうか?」
「一応は全ての移動に往復で約二十日、トイセンとブンミニは数日滞在するので、全二十五日で予定している」
「わかりました。楽しみですね」
五日の滞在ではとてもではないが、シヤナは作れない。
そのため、リリスは滞在を延ばす理由を頭の中で必死に考えていた。
病弱設定は心配をかけるので、できれば使いたくない。やはりフレドリックの言う通り、ある程度をジェスアルドに打ち明けるしかないだろう。
問題はそのタイミングと説明の仕方である。
リリスはフロイトでの面白かった出来事などを話しながら、相変わらずあまりしゃべることのないジェスアルドの反応を窺っていた。
もっとちゃんと彼の性格を掴まなければ、失敗してしまう。
フレドリックには同行してもらう予定だが、頼ってばかりはいられないのだ。
そうして食事が終わったところで、ジェスアルドが立ち上がった。
「リリス、部屋まで送ろう」
「あ、りがとうございます」
小さめの晩餐用の部屋から二人で出ると、昼間と違って静かな皇宮内を歩いた。
とはいっても、すぐ近くに護衛が控えているので、大した会話もできない。
(ああ、本当ならお部屋でお酒を勧めて、そのまま押し倒すのに……)
またまた淑女らしからぬことを考えているうちに、リリスの部屋の前に着いてしまった。
それでもやはりここは礼儀として、部屋へ誘うべきだろう。
「殿下、あの、よろしければお部屋でお酒でもいかがですか? フロイト自慢のりんご酒が……他にも色々とあるんですよ」
フロイト産のりんご酒はチーズと並んで有名で、本当にお勧めなのだが、テーナの咳払いを聞いて、リリスはぎこちなく言い添えた。
「――そうだな。では、そのりんご酒をもらおうか」
ジェスアルドはそう答えて、護衛が開けたドアから先にリリスを通し、後に続いた。
テーナは用意のために急ぎ控室へ入っていく。
リリスは応接用のソファにジェスアルドを勧め、向かいのソファに座った。
ジェスアルドはかすかに視線を動かして、リリスの居間の様子を窺っている。
(そういえば、この部屋にジェドが入るのは初めてだったわね。けっこう私好みに模様替えしたんだけど……)
大きな家具などは動かせば壁紙などの色褪せなどがあり、大々的な改修が必要となるので、壁にかかっていた絵をフロイトから持参したものに掛け替えたり、新たに運び込んだ家具を置いたりした。
それに加えて、窓際のチェストにダリアが贈ってくれた手編みのレースを飾り、ソファには母お手製のクッションを置いたりと、細々した物も増えている。
「あの……お気に召しませんでした?」
「何のことだ?」
「この部屋です。かなり私好みにしてしまったのですが……」
「ああ、いや。それは全然かまわない。あなたの部屋なのだから、あなたの好きにすればいい。ただ……」
「ただ?」
「……ずいぶん雰囲気が変わるものだと思ったんだ。ここはとてもあなたらしい部屋だと思う」
そう言ってかすかに微笑むジェスアルドに、リリスも微笑み返した。
が、内心では少々腹を立てていた。
(お母様も言ってたけど、どうして男の人ってこんなに鈍感なんだろう。絶対、今、ジェドは無意識に私とコリーナ妃を比べているわよね? まあ、それは仕方ないにしても、口にしたことに気付いていないなんて)
恨めしそうに見つめても、また部屋の中に視線を移したジェスアルドは気付かない。
そこにテーナがレセとともにお酒の用意をして入ってきたので、仕方なくリリスは接待役をすることにした。
「このりんご酒は発泡性はないんですけど、私のお気に入りなんです。こちらのチーズは――」
「いや、説明はいい。一応、私もあなたを迎えるにあたって、フロイトのことはひと通り学び直したから」
「そうなんですか?」
ジェスアルドの言葉にリリスは驚いた。
だがすぐに納得する。
あれほどこの婚姻を嫌がっていたが、それでも真面目なジェスアルドはしっかり勉強したのだろう。
リリスのためというより、自分のために。
「それで、あなたは私に何か言いたいことがあるのだろう?」
「え?」
「フロイトの話は面白かったが、今夜のあなたはずっと上の空だった。いや、正確には私の様子を窺っていた。ひょっとしてトイセン行きを迷っているのかとも思ったが、違うようだ」
「それは……」
リリスの企みはしっかり見抜かれていたらしい。
ここで打ち明けるべきなのに、どうしてもためらってしまうのは、まだ作戦をしっかり立てていないからだ。
ここには助けてくれるフレドリックもいなければ、テーナたちも席を外している。
どうしたものか悩み、リリスはようやく口を開いた。
「あの、実は今日、その……月のものがきてしまって……」
やっぱりまだ計画不足なので、結局口にしたのはもう一つの告げるべきこと。
すると、ジェスアルドは一瞬理解できなかったのか眉を寄せ、すぐにほっとした表情になった。
「そうか……」
これが、リリスの怒りの導火線に火を点けてしまった。
もちろん皇太子妃であるリリスが妊娠したとなると、素直に喜ぶだけではすまないことはわかっている。
だが、それとこれとは別なのだ。
リリス的には、ジェスアルドと親密になれる気がする夜のひと時が気に入っていた。
それが当分持てないことを残念に思っていたのだ。
しかし、ジェスアルドは違うらしい。
さらには、先ほどの無神経な発言と、昨夜見た夢のせいもあって、リリスの怒りに燃料が追加された。
しかも最悪なことに、ここにはリリスの暴走を止める者はいない。
そして、リリスはにっこり笑って、再び口を開いたのだった。




