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 翌日、朝から忙しく執務をこなしていたジェスアルドは、とある書類に署名していた手をふと止めた。

 リリスに昨夜言われたことを、なぜか急に思い出したのだ。――しっかり休むことも大切なのだと。

 確かにここ何年も、休むどころか食事時間さえも削って働いていたような気がする。

 昨夜はいつもより早く休んだせいか、今日はどことなく体も軽い。


「……フリオ」

「はい、殿下」

「妃殿下に使いをやってくれないか。その……今日の夕食を、一緒にできないかと」

「――かしこまりました」


 側近のフリオは少し驚いたようではあったが、すぐに立ち上がり部屋から出ていった。

 そんなフリオを見ながら、ジェスアルドは義務ではなく誰かと夕食を共にするのは、かなり久しぶりだと気付いた。

 先日のリリスとの昼食でさえ、珍しいことであったのだ。

 そう思うと、なんとなく落ち着かず、やはり夕食は中止しようかと思った。

 だがそれも今さらである。

 結局、ジェスアルドはそのまま執務を続けたのだが、今度はリリスからの返事がなく、落ち着かなくなってしまった。


「使いの者が申しますには、妃殿下はまだお休みになっていらっしゃるらしく、お返事が頂けないそうです」


 フリオの言葉に、ちらりと時計を見れば、もう正午近くになっている。

 昨日はコンラードに会ったために、疲れているのはリリスのほうだったのではないかと、ジェスアルドは心配になった。

 その様子を見たフリオが小さく笑いながら呟く。


「〝フロイトの眠り姫〟とはよく言ったものですよね。お会いした時はお元気そうに見えましたが、やはりお体があまり丈夫ではないのでしょうね……」


 フリオの笑顔は次第に不安に変わっていった。

 自分で言っておきながら、心配になってしまったらしい。

 先ほど決まったばかりのトイセンとその周辺への視察――新婚旅行の日程に耐えられるのかと。


「……妃はおそらく大丈夫だ。トイセン行きは本人の希望でもあるし、自分の体のことは自分が一番わかっているだろう」


 気がつけば、ジェスアルドはリリスを庇うようにフリオに告げていた。

 そこに使者がようやく戻ってきたらしく、フリオが少し席を外し、リリスからの「喜んで!」という返事が伝えられた。

 それを聞いてほっとしていることに気付き、ジェスアルドは慌てて表情を引き締めた。


 いつの間にか、リリスにすっかり振り回されている。

 だが、このままではまずい。

 自分が流されてしまった以上、その責任はしっかり取らなければいけないのだ。

 もしリリスが妊娠すれば、ただでさえこの婚姻で動き始めた皇宮内の勢力図が大きく変わる。

 今まで味方だったものが、敵へと変わり得ることも十分あるのだ。

 ジェスアルドは幾人かの顔を思い浮かべながら、厳しい表情でため息を吐いた。



   * * *



「そんな……嘘でしょう……」


 夕方になり、ジェスアルドとの食事のために支度をしなければいけない時間になっても、リリスは長椅子に突っ伏して嘆いていた。

 そんなリリスをレセはおろおろしながら見ている。

 しかし、テーナは心を決めたように大きく息を吸い、リリスに声をかけた。


「リリス様、お気持ちはお察しいたしますが、こればかりは仕方ありません。御子は天からの授かりものなのですから。それにまだ、ご結婚されてひと月も経っておりませんもの。焦られる必要はございませんでしょう? ですから、お支度を。今日は特に美しく装いましょう。さあ」

「……わかってるわ。そりゃ、いくらなんでもすぐに赤ちゃんができないことくらい……。でも何も今日、こんなに予定よりも早くこなくてもいいじゃない。せっかくの殿下からの夕食のお誘いなのに。その後、こう、ほら、雰囲気が盛り上がって、……ねえ? それなのに、食事をしたら、さっさとおやすみなのよ!」

「……レセ、気にせず、ひん剥いてしまいましょう」


 嘆くリリスの訴えを聞いて、テーナの目は冷ややかになり、レセに向き直りにっこり笑った。

 その笑顔には逆らえず、レセは黙って頷きリリスを抱えて移動させる。

 レセは見かけによらず、かなりの力持ちであった。

 おとなしく抱え上げられたリリスは、鏡の前に立たされて、テーナの言葉通りにひん剥かれていく。


「リリス様、どうぞ。こちらはご自分でお持ちになって軽く押さえていてください」


 少し赤くなってしまった目を冷やすための、ハーブ水を染み込ませた布を渡され、リリスは素直に受け取って目に当てる。

 その間、「右手を上げてください、左足を、次に右足を……」など指示に黙って従いながら、リリスは昨晩のことをまた後悔していた。


(ああ、こんなことなら、昨日は馬鹿な意地を張るんじゃなかった。でも、殿下は疲れているように見えたし、間違ってはいないはずよ。でもせっかく、今夜は夕食に誘ってくれたのに……しかも当分……)


「さあ、リリス様。お支度が整いましたよ」


 リリスが悶々と考えているうちに、いつの間にか布は取り上げられ、化粧を施されて、髪の毛も綺麗に結い上げられていた。

 そんな自分をリリスは目を開けて改めて見る。


「……なんだか、今日はいつもより綺麗な気がするわ」

「それはもう、頑張りましたもの。リリス様は本来可愛らしいお顔立ちですが、今日は少し大人仕立てにしてみましたので」

「ええ、殿下からのお誘いですから。いつもより少し雰囲気を変えて……私、気合を入れさせて頂きました!」


 鏡を見て呟くリリスに、テーナは満足げに頷き、レセも胸を張る。

 そもそも、リリスの容姿は美しいというよりも可愛いのだ。

 ただ今までずっと、吟遊詩人が女神だと歌い讃えるほどに美しいダリアと一緒にいたために、見劣りしていただけ。

 噂にしても、ダリアと並べられて讃えられていたために、民は女神のような美しさを期待していたのだ。

 そのあたりをいい加減にリリスは理解するべきだと、テーナは思っていたが、これには時間が必要なこともわかっていた。


「こんなに……綺麗になれたのに……今日はご飯を食べるだけなんて……」

「リリス様。そのお言葉で色々と台無しです。お化粧が崩れるので嘆かれるのは、あとになさってください。それと、レセはまだ独身ですから、そのあたりもお気遣いください」

「あら……。ごめんなさいね、レセ」

「い、いいえ。大丈夫です」


 独身とはいえ、侍女として城に仕えていれば色々と耳に入ってくる。

 さらには騎士にときめいたり、男性から言い寄られたりもするのだ。

 そんな中で上手く適応していかなければ、侍女などやっていられない。


「でも、もし好きな人ができたら教えてね。協力するから!」

「い、いいえ。大丈夫です」

「そう?」


 リリスに協力されれば破壊されかねないことを、レセもよくわかっていた。

 若いレセだが、この輿入れに同行する人員に選ばれたほどなのだ。――特に婚約者や恋人がいないというのも理由の一つだったが。


「まあ、人の恋愛にごちゃごちゃ他人が割り込まないほうがいいこともあるものね。私も偉そうに言いながら、恋愛に関してはさっぱりだし。でもね、これから言うことは、絶対に約束してほしいの」

「はい」


 急に真剣な面持ちになったリリスに、レセは何だろうと思いながらも答えた。

 リリスの言うことはとんでもないことも多いが、まず間違ったことは言わない。


「好きな人ができたり、言い寄られたりしたら、私はともかく、テーナにだけは相談してほしいの。レセはしっかりしているし、大丈夫だとは思うけど……甘い言葉で近づいてくる人はかなり多いと思うから。本当はこんなことを言いたくはないんだけどね、どうしても私の侍女ってことで、レセを利用しようとする人はいるはずだから。……ごめんね」

「そんな、リリス様が謝罪なさる必要はございません。私も気をつけてはいるつもりですが、やはり恋は人を愚かにしてしまいますから。何かあれば、必ずテーナさんに相談すると、お約束いたします」


 このことは、国を出発する前にリリスの母である王妃からも言い含められていたことだった。

 レセもテーナもそのことは十分に理解している。

 だが改めてリリスに言われ、またこうして自分を心配してくれるリリスのために、心からお仕えしようと、レセは新たに誓ったのだった。




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