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翌日、さっそくリリスはフレドリックにトイセン行きが決定したことを伝えた。
すると、フレドリックのジェスアルドに対する評価は急上昇したらしい。
「ふむ。どうやら、皇太子殿下はなかなかに頭の柔らかい方らしいのお。では、第一関門は突破ということで、次に陶工たちとどう話をつけるかですなあ」
「そうねえ。そんなに大勢じゃなくて、一人、二人でいいんだけど、その人をどう見つけるかが問題なんだと思うわ。もし工場で不正が行われているなら、気安く誰でもというわけにはいかないし……。できれば熟練の焼き物師さんがいいんだけど。私、人を見る目には自信がないのよね」
「リリス様、そこは自慢するところではありませんぞ」
堂々と自分の欠点を宣言するリリスに、フレドリックは突っ込み、ふむと考えた。
そして、拳をもう一方の手のひらにポンッと打ち付ける、ありきたりの仕草をしてみせる。
その白々しさに、リリスが胡乱な視線を向けると、フレドリックはにんまり笑った。
「人選は殿下にお任せすればよろしいのですよ」
「ええ?」
「わしの弟子が今、この皇宮で要職に就いているのは、殿下に抜擢されてのこと。つい先日も弟子は『この私の実力を見抜かれた殿下は、人を見極めるお力をしっかりお持ちです』と申しておりましたからな」
「……さすがフウ先生のお弟子さんね。その自信家さんを信用するとして、まさか殿下に全てを打ち明けるってこと?」
「別に全てでなくてもよろしいのですよ。殿下に納得して頂ければ。事実を少し脚色してしまえばいいのです。そうですな……今回は、たまたまシヤナの作り方を知っていたことにしましょう」
「誰が?」
「リリス様が」
「それは無謀すぎない?」
「なら、わしが知っていることにしてもいいですぞ。何せ、わしは〝賢人〟ですからな」
「変人でもあるけどね」
ぼそりと突っ込んだリリスを、フレドリックはわざとらしく睨みつける。
それを無視して、リリスはシヤナのカップからお茶を飲んだ。
「まあ、冗談はさておき、フロイト王国はここ十年ほどで大きく発展しましたな。それも全て新しい知識によって。もちろん、それがリリス様の夢のお陰だとは皆知りませんが、何か秘密があるのではと思う者は多くいますからな」
「ええ、そうね。今までに何度も各国から密偵が送り込まれていたもの。でも私たちは新しく得た知識を隠しはしないから、そこまで問題にはならないんだけど……。ただ、まだ他にも新しい知識が隠されているのではないかって、探ってくる人たちが一定数いるのよね。特別な錬金術を知っているんじゃないかって。ほんと、人間の欲望には際限がないのかしら」
呆れのため息を吐くと、フレドリックは達観した様子で笑った。
人生経験の長い彼にとって、人間の欲望についてはよく知っているのだろう。
「ですが、密偵だけでなく、素直に他国から遊学に来ている者もいたはずですぞ。中にはかなり遠い国から来ていた者もいたでしょう?」
「フウ先生みたいにね」
「そうですな。要するに、その中の一人から聞いたことがあると言えばいいのですよ。ですが、知識しかないので、実践できる熟練の陶工に試してもらいたいと」
「ああ、なるほど。ちょっと嘘臭い気もするけど、口裏はお父様たちがいくらでも合わせてくれるはずだから、そこの心配はないわね」
一応は筋が通っている説明に、リリスは納得したが、フレドリックの顔からは先ほどの笑みは消えている。
「まあ、少々問題はありますぞ」
「……問題?」
「フロイト王家出身のリリス様がその知識を知っているということは、他にも珍しい知識を持っているのではと思われることです。先ほどおっしゃった特別な錬金術を。それは身を危険にさらすことでもあるのですぞ」
「あら……」
「リリス様がおっしゃった通り、人間の欲望には際限がない。ただこの提案をさせて頂いたのは、リリス様がエアーラス帝国の皇太子妃になられたからでもあります」
「……要するに、私の護衛がたくさんいるから?」
「その通り。フロイト王城よりも、ここは厳重な警備体制がしかれていますからな。それにほれ、リリス様がたとえ知識の宝庫でなくとも、この国の後継者問題に絡んでくる存在ですからの。さらには呪いとは関係なく、今までの戦で数々の恨みを買っておられるであろう殿下のお妃様なのですから、狙われる確率は倍率ドン! まあ、狙われる理由が一つ増えるということですな」
「それについては諦めるわ。護衛の人たちには申し訳ないけれど、基本的に私は引き籠りだし、守りやすいと思うの。というわけで、殿下へ打ち明けるべきタイミングなどの詳細はまた詰めるとして、次に問題なのは、材料なのよね」
自分の命がかかっているというのに、リリスはあっさり片づけてしまった。
フレドリックだけでなく他の皆も思っていることだが、リリスは自分の価値を軽く見ていることが問題である。
しかし、そのことを今ここで論じても仕方ないので、フレドリックは次なる話題に集中した。
「陶器やストーンウェアのように、土から捏ねるのではなく、シヤナは石を細かく砕いて粘土を作るということでしたな」
「そうなのよ。でも、その石が何でもいいわけじゃなくて、重要みたいなの。そして、私の予想では、その石がブンミニの町の近くの鉱山を掘った後に放置されている石――岩なのよね。夢だと実際触れないのが残念だけど、じっくり見る分にはよく似ていたわ」
「では、その岩も運ばなければ試験はできないというわけですな」
「ええ。しかも水に沈殿させて上澄みを取り出し、程よく水分を抜いて粘土にするのに時間もかかるから……。いっそのこと、私だけでもしばらくトイセンに滞在したいのよね。そして、それだけの難題をこなして焼き上げたとしても、素焼きでしかないから……」
「釉薬ですか?」
「そうなの。ストーンウェアは自然釉らしいから、釉薬については他の……陶器の窯元の協力がいるんだけど……トイセン近くに陶器の産地ってないのよね」
トイセンのことが気になってから、焼き物についてリリスは調べられるだけ調べ、陶器では釉薬というものが使われていることを知ったのだが、ストーンウェアでは使われないらしい。
土と炎と灰で生成される自然なコーティングの美しさを楽しむのだそうだ。
そして、同じ模様のものは作れないからこそ価値があると、今までもてはやされていたのだ。
また自然釉で美しい模様を焼き上げるためには、トイセンの土が最適だったために、トイセンの街はストーンウェアの一大生産地になったのだった。
リリスが夢で見たシヤナの生産過程では、素焼きの白い器に液体――釉薬をかけてもう一度焼いていた。
すると、あの美しい光沢が生まれていたのだ。
さらには色々な釉薬があるらしく、真っ白な器だけでなく、エメラルドのような色の器や、模様を描いた器まであった。
きっと、あれらと同じようなものを作ることができれば、今大陸で流通しているシヤナを上回る人気が出るはずだと、リリスは確信していた。
リリスとフレドリックがあれやこれやと話し合っているところに、テーナがやって来た。
外を見ればまだ陽は高く、夕食の時間でもない。
いったいどうしたのかと思えば、テーナは申し訳なさそうに告げた。
「あの、ボルノー伯爵がご面会にと、いらっしゃっております」
「コンラードが?」
「はい。リリス様は只今お勉強をなさっていらっしゃいますと申し上げたのですが、でしたらご自分もご一緒したいと。フロイトからわざわざ教師をお連れになったのだから、よほどの知識人なのだろうと……」
テーナの言葉に、リリスとフレドリックは顔を見合わせ苦笑した。
これは嫌みなのか、それとも本当にフロイトの知識を得たいと思っているのか。
「フウ先生はどう思います?」
「わしは別にかまいませんがの」
「そう。では、テーナ。コンラードをお通ししてちょうだい」
おそらくフレドリックは了承するだろうと思っていたが、予想通りだった。
何でも知りたがりのフレドリックは、ジェスアルドの後継者とされているコンラードが気になるのだろう。
リリスは急ぎ広げていたメモを片づけ、適当な――トイセンやブンミニの町周辺のことが書かれた風土記を広げた。
そして、部屋へ入ってきたコンラードを迎えたのだった。
 




