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「こんにちは!」

「……ああ」


 リリスはジェスアルドの自室の居間に繋がるバルコニーで、現れたジェスアルドに元気良く挨拶した。

 昨夜のことは気にしていないとばかりに笑顔を向けて。

 ジェスアルドはリリスから目を逸らし、いつもはないはずのテーブルセッティングを見て眉を寄せた。


「今日はお天気がいいので、デニスがこちらに用意してくれたんです。とても素敵なアイデアですよね?」


 皇宮内のいずれかの部屋を利用すれば煩わしい噂が流れるかと、自分の部屋でと誘いはしたが、まさかバルコニーで食事をとることになるとは思いもしなかった。

 しかも大きめのパラソルの下に座って笑うリリスは、まるでこの部屋の女主人のよう見える。

 ジェスアルドの信頼する従僕のデニスも平静を装ってはいるが、リリスの言葉を喜んでいるのは間違いない。

 ジェスアルドは大きく息を吐いて、リリスの向かいに腰を下ろした。


「それで、願いとは何だ?」

「殿下……まだ一皿目も運ばれてきていません」

「それがどうかしたか? 用件は早く済ませたほうがいいだろう?」


 この言葉に、リリスはカチンときた。

 いつもは心の広いリリスも、今日は機嫌が悪いのだ。


「殿下は私と昼食を一緒にとってくださる約束をしてくれました。でも食事も会話も楽しむこともなく、そんなに事務的になさるのなら、食事の約束なんてなさらなければよかったのです。ただ会うだけの約束で。いいえ、それとも手紙にしたためてお渡ししたほうがよろしかったでしょうか? そのほうが殿下のお忙しいお仕事の合間に読んで頂けるんですから。お急ぎなら今も無理してここに座っていらっしゃる必要はありません。どうぞ、お仕事に戻ってください」


 鼻息荒く一気にまくし立てたリリスを、ジェスアルドだけでなく、デニスも唖然として見ていた。

 今まで呪われた皇太子に対してこのようにはっきり言う者などいなかったのだ。

 給仕の手伝いをしていたテーナだけが、まるで天を仰ぐようにかすかに上を向いた。


 微妙な沈黙が漂う中、相変わらず小鳥たちが煩わしく鳴いている。

 やがて、ジェスアルドが気を取り直すように軽く咳払いをして、何事もなかったかのように口を開いた。


「では……まず食事にしようか」

「はい」


 リリスの明るい返事で、ようやくその場の緊張が解けた。

 めったに怒らないリリスだが、怒った時も長くは続かない。

 ほっとデニスは息を吐いて、一皿目を二人の前に置いた。

 昼食なので晩餐ほどには形式ばっていないが、結婚後初めて二人での昼食ということで、用意を頼まれたデニスは悩んだ末に料理人と相談して準備をしたのだ。


 それからは礼儀にのっとった会話が――ほとんどリリスが一人で話しているのだが、食事とともに進められた。

 そしてようやくデザートも終わり、お茶が運ばれてくると、ジェスアルドが改めて最初の質問を口にした。


「それで結局……願い事とは何だ?」

「あ、はい。新婚旅行に行きたいんです」

「……新婚……旅行?」


 耳慣れない言葉に、ジェスアルドは一語一語を切って問いかけた。

 デニスも何のことかわからず不思議そうな顔をしているが、テーナはリリスの突拍子もない発言はいつものことなので冷静そのものだ。


「殿下、私たちは新婚です。巷では新婚夫婦はお仕事を休んで、しばらくのんびりと二人で旅行に行き、新しい思い出を作るものなんです。ですから、私も新婚旅行に行きたいんです。そうすれば、まだ知らないことばかりのお互いのことを、少しでも知ることができるじゃないですか」


 リリスの言う〝巷〟はこの世界のことではないが、細かいことは気にしない。

 だが、ジェスアルドは大体の内容を理解して、難しそうに眉を寄せた。

 普通の者ならこの表情を見ただけですくみ上がるだろう。


「残念だが、私にはそのような時間はない」

「そうなんですか? 例えば今、殿下が二十日ほどこの皇宮を留守にすると、戦争が起こるとか? それほどに切迫した状況なんですか?」

「いや、そんなことはないが――」

「確かに多少の執務は滞るかもしれませんね。でも、ここには陛下も、頼りになる大臣方もいらっしゃいます。その方たちに少しずつ、殿下のお仕事を肩代わりしてもらえないんですか? それほどに負担のかかるお仕事を殿下はなさっているんですか? ああ、できる人ほど陥りがちなんですよね。自分がいないとって。でも意外と一人くらいいなくても、どうにか現場は回るものなんです。ですから大丈夫です! もし、お休みをくれないって陛下がおっしゃるなら、これもお仕事の一環だとおっしゃってください。視察だと」

「……視察?」


 相変わらず口を挟む間もないほどのリリスの訴えはようやく終わったらしい。

 その勢いに、デニスはまた唖然としているが、かなり慣れてきたジェスアルドは、最後の言葉を気に留めた。


「はい、視察です」

「どういうことだ?」


 ジェスアルドは警戒しながらも興味を引かれたらしい。

 リリスは一昨日から考え、昨日その理由もできたことで自信を持って口にした。


「私、新婚旅行にはトイセンの街へ行きたいんです」

「……トイセンだと?」

「はい。この食器はシヤナですよね? とても素敵だと思うんですけど、私はトイセンのストーンウェアも好きなんです。それが昨日、公爵夫人のお茶会で出会ったトイセンの領主夫人のコート男爵夫人が、シヤナの人気でストーンウェアがまったく売れなくなってしまったと嘆いていました。ですから、私たちがトイセンへ行って、ストーンウェアを一つ二つ気に入ってお土産に買って帰れば、売上も多少は上がると思うんです」

「一つ二つでか?」


 鼻で笑うようなジェスアルドの態度に、リリスはにっこり笑って返した。


「殿下、私を誰だと思っているんですか? 殿下の妻ですよ?」

「……それで?」

「流行というものは、たいてい女性が作るものなんです。そしてその女性の中でも、私は殿下の妻――皇太子妃なんです。ですから、私の影響力はとても大きいんです。もちろん、変なやつだと思われないようには気を付けますから、安心してください」

「……」


 確かに、結婚するまで多くの目がある時には、リリスも普通の姫に見えていた。

 そう思えば、そこは心配するべきことではないだろう。

 そしてリリスの言うことにも一理ある。

 さらには一利どころか、かなり効率のいい話でもあった。

 新婚旅行とやらのふりをして、トイセンの実態を直接探ることもできるのだから。


 すっかり考え黙り込んでしまったジェスアルドを、リリスは根気よく待った。

 ここが勝負所だ。

 自分の力のことを知られずに、これからのことをジェスアルドに納得してもらわなければいけない。


「……あなたの願いはわかった。だが、なぜあなたがそこまでトイセンのことを気にするんだ?」


 やがて口を開いたジェスアルドの言葉に、リリスは心外だという表情をしてみせた。

 いや、実際に心外なのだ。


「先ほども申しましたが、私は殿下の妻です。この国のことを思うのは当然ではないでしょうか? 確かに、この国にはたくさんの優秀な政務官の方たちがいて、私が口を出す問題ではないのかもしれません。ですが、フロイトでは父や兄だけでなく、困った状況に陥れば母や妹のダリアも一緒になって解決策を考えています。みんなフロイト王国のことを大切に想う気持ちは変わりませんから。それに、男性ばかりが頭を突き合わせて考えるより、女性の意見も取り入れてみると違った視点から見ることができて、意外に解決できたりするんですよ」

「……なるほど。確かに、あなたの言う通りかもしれない」


 女性が政治に口を出すと余計なことにしかならない。

 愚王の例もあり、そう考えられているが、固定観念に囚われているのも、また愚かなことだろう。


「すぐに返答はできないが、考えてはみよう。場合によっては予定を調整しなければならないしな。では、私はこれで失礼する」

「――はい、今日はお付き合いくださり、ありがとうございました」


 お茶を飲み干して立ち上がったジェスアルドを見送るために、リリスも立ち上がった。

 ここはジェスアルドの部屋だというのに、まるで本当にリリスが女主人のようだ。

 だが実際、ジェスアルドは忙しいのだろう。

 先ほどはかなり不躾なことを言ってしまったが、ジェスアルドが皇宮を留守にすれば政務官たちが苦労するのは間違いない。


(本当はブンミニの町にも行ってみたいと言うつもりだったけれど、今日はここまでで十分だわ。あまり要望が多くても怪しまれるだけだし……でも……)


 深く深く息を吐いて、リリスはデニスにお礼を言うと、部屋へと戻った。

 今までにないほど疲れている。


「リリス様、少しおやすみになられたほうがよろしいのではないですか? かなりお疲れのように見えます」

「ええ、そうね。そうするわ」


 テーナの気遣いに頷くと、レセに手伝ってもらって軽い寝支度をした。

 そしてベッドに横になり、改めて息を吐き出す。

 やっぱりかなり疲れているらしい。


 それでも夜までには回復して、ジェスアルドに部屋へ来てほしかった。

 本当のところは、それが一番の願い事だった気がする。


(でも、最初に失敗しちゃったしな……)


 言い返す女性が男性にあまり好かれないことくらいは、リリスも知っていた。

 それに体調のせいか、いつも以上にしゃべり過ぎてしまった気もする。

 きっとジェスアルドは呆れているだろう。

 だけどそれはもう考えないようにして、リリスは目を閉じたのだった。




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