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「大丈夫なのか?」
「何がですか?」
夜になり、リリスの部屋に訪れたジェスアルドは開口一番そう問いかけた。
何のことかわからず首を傾げるリリスを、ジェスアルドは上から下から状態を確かめるようにじろじろと見つめた。
「今日はバーティン公爵夫人の茶会に出席したと聞いたが……」
「ああ、はい。公爵夫人も皆さんも、とても温かく迎えてくださって、楽しい時間を過ごすことができました」
「そうか……。だが、途中で退席したのだろう? 今日はゆっくり休んだほうがいい」
「え? あ、でもお昼寝をしましたから……」
にっこり笑って答えたリリスだったが、ジェスアルドは納得しないのかそう言って踵を返した。
リリスは慌ててさらに否定したものの説得力はない。
病弱設定失敗である。
「あ、あの、お願いがあります!」
「……何だ?」
そのまま部屋に戻ろうとするジェスアルドをつい呼び止めてしまったが、リリスは特に何か考えていたわけではなかった。
ただこのまま帰したくなかったのだ。
だが、たった今、名案を思いついたリリスはにっこり笑った。
「明日……いえ、明後日でも、昼食か夕食をご一緒したいのです」
「それが願いか?」
「いいえ、お願いはその時に申します」
リリスの言葉に、ジェスアルドは初めて会った頃のような、不機嫌そうな表情になった。
「なぜ今、言わない?」
「皇后さまの元侍女の方が言ってましたから。寝所で夫に願いを口にするのはご法度だと。国が乱れる原因になるからだそうです」
「……それで、昼間に言うつもりなのか?」
「はい」
リリスの言う通り、過去の歴史を振り返れば、寵姫の甘言に惑わされ、国を滅ぼした愚王は数多くいる。
「……では、明日……昼食を一緒にできるよう手配しよう」
「わかりました。ありがとうございます」
「ああ」
その返事にぱっと顔を輝かせたリリスを見て、思わず微笑みそうになったジェスアルドは、すぐに気を引き締めた。
これでは嫌悪する愚王そのものだ。
ひょっとして今までのおかしな言動は、油断させるためだったのではないか。
そんなことまで考え始めたジェスアルドの耳に、リリスの明るい声が聞こえた。
「おやすみなさい」
しかし、ジェスアルドは笑顔のリリスに軽く頷いただけで、自室へと戻っていった。
その背を見送ったリリスは、どうやら大失敗をしてしまったことに気付いた。
(やっぱり、お願いなんて言うんじゃなかったかな……)
後悔しても仕方ないが、あの時とっさに口から出てしまったのだ。
ジェスアルドと会えるのは夜しかない。
それで昼間に会えれば、さらに昨日から考えていたことをお願いできれば、一石二鳥だと思ったのだ。
(まあ、いいわ。言ってしまったものは、なかったことにできないんだから、初志貫徹! 頑固一徹!)
リリスは寝室で一人立ったまま、拳を振り上げた。
だが、なんとなく虚しくて拳を下ろし、ため息を吐く。
(あーあ。自業自得とはいえ、今日はしないのか……)
ベッドまでしょんぼり歩いて、気を紛らわすためにもダイブする。
それでもまったく気は晴れない。
病弱設定が仇になってしまったばかりか、昨夜自分からジェスアルドに無理をしなくていいと言ったばかりなのだ。
(これって、やっぱりジェドは妥協してくれていたってことだよね……)
そう思うと何だか落ち込んできて、ベッドの上をゴロゴロ何度も往復してみたものの気分は沈むばかり。
仕方なく起き上がったリリスは、ローテーブルの上に用意されたお酒に目を止めた。
今日はちゃんと、りんご酒もある。
(うん、こうなればあれよ、あれ……。そう、やけ酒よ!)
そう決意したリリスは、生まれて初めて、やけ酒なるものを実践した。
要するに、今までに飲んだことがないほど――リンゴ酒を丸々一本飲み干したのだ。
そしてリリスはふらふらとベッドへ千鳥足で戻り、ばたりと倒れ込んだ。
そのまま意識を失うように、リリスは眠ってしまったらしい。
次にリリスが目を開けた時には、知らない場所にいた。
そこでこれが夢だと気付く。
(頭が痛い……。それに気持ち悪い。……ということは、間違いなくこれは現実夢ね……)
今までになく気分が悪いが、現実夢なら何か情報はないかと、リリスはふわふわふらふら移動していった。
(あれ? ここって、ひょっとしてちょっと前に来た場所じゃない?)
頭痛を我慢しながら周囲を見回すと、行きかう人々の服装や建物から、やはりつい最近訪れた場所らしいことがわかった。
とはいえ、前回とは違う地域のような気もする。
まるで千鳥足のようにふわりふらりと揺れながら視線を動かした時、山の麓らしき場所から幾筋かの煙が上がっているのが見えた。
(まさか……山火事? なわけないか。何か美味しいものでも作っているのかも)
そう思った瞬間、リリスは知らない建物内に移動していた。
いつものことなのでそのことには驚かなかったが、目にした光景には驚いた。
真っ白い器がずらりと棚に並べられているのだ。
まるでシヤナのようだが、それにしては色も模様もなく素っ気ない。
建物から外に出れば、薪が大量に積まれた壁のない簡易な小屋も見える。
その隣の建物では人の気配があり、リリスはそちらへ向かった。
そして目を瞠る。
(これって……どういうこと? だって、焼き物って……。ダメ、気持ち悪い!)
リリスはぱっと目を開けて、あまりの気分の悪さに急いで洗面所に向かった。
寝起きにすぐ動くこともきつく、必死に足を動かしてどうにかたどり着いたリリスは、そのまま吐いてしまった。
どうやら二日酔いらしい。
こんなに気持ちの悪い思いをするなんて、二度とやけ酒なんてするものかと、リリスは後悔とともに強く誓ったのだった。




