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「……まあ、それなりに……」
「……ですね。美味しいですけれど……」
「何よ。十分美味しいわよ! ねえ?」
「え、ええ、まあ……」
出来上がったプリンをリリスとテーナ、ジェフと料理人見習いのセブとで食べてみた感想は、微妙なものだった。
もちろん不味くはない。どちらかと言うと甘くて美味しい……と思う。ただ何か違う。
強引に美味しいと訴えたリリスは見習いの――と言っても、料理人としては十分なのだが師匠のジェフがまだ認めていない――セブに同意を求め、セブは目を逸らしながら頷くしかなかった。
「この絡めるソースがどうにも歯に引っ付いて……」
「そりゃ、焦げたあめだからなあ」
「でも材料も作り方も間違ってないはずなのよ! わたし見たんだから!」
「ああ、俺が直接その現場を見ることができれば……」
「とにかく! お嬢様、これで満足なされましたか? これ以上はジェフたちの邪魔になりますから、お部屋へ戻りましょう」
テーナの言葉にリリスはむうと唇を尖らせたものの、それ以上の我が儘は言わず素直に頷いた。
その姿を見て、セブが慌てて口を添える。
「あの、俺! いや、僕がもう少し工夫してもっと美味しく仕上げてみせますから!」
「こら、セブ! 何を生意気なこと言ってんだ! お前には十年早い! こういうことは俺に任せとけ!」
リリスに甘い二人の言葉にテーナは呆れのため息を吐きつつ、喜びにほころぶリリスの顔を見て自身も気付かず笑みを浮かべた。
結局、テーナもリリスに甘いのだ。かなり。
「二人とも、ありがとう! でも無理はしないでね! 私の我が儘を聞いてくれて、本当にありがとう!」
リリスの秘密を知る二人に手を振り、調理場から去ろうとしたそのとき。
調理場にはめったに姿を見せない人物が現れ、ジェフとセブは直立不動の姿勢になった。離れた場所にいる他の料理人も然り。
「ああ、やっぱりここにいたのか。リリス、父上がお呼びだよ。お急ぎだから、そのままの恰好でかまわないだろう。すぐに父上のお部屋に来なさい」
「お父様が? わかったわ。ありがとう、エアム兄様」
エプロンを外してテーナに預けると、エアムについてリリスは国王の私室へと向かった。
わざわざエアム兄様が呼びに来るなんて余程のことではないのかと、リリスは心配になったが口にはしなかった。
そして国王の私室に到着すると、エアムが軽くノックしてからドアを開けてリリスを先に入るよう促す。
「ありがとう、お兄様。――失礼します、お父様」
「ああ、リリス。呼び出してすまないね」
部屋に入ると国王だけでなく、王妃、王太子、そして妹姫までいることに少しだけ驚いた。しかも弟王子のリーノも王妃の膝の上にちょこんと座っている。
みんなが立ち上がってリリスを迎える中、国王のドレアムがくんくんとわざとらしく鼻を動かした。
「いい匂いがするね、リリス。また何か調理場で作っていたのかい?」
「はい、お父様。でもみんなに召し上がっていただけるほどには成功しなくて……」
「そうか。どんなものか気にはなるが、ジェフの腕を信頼して気長に待とう」
「そうね。ジェフはリリスのどんな無茶振りでも美味しく調理してくれるものね。楽しみだわ」
「お父様、お母様、確かにお二人の言う通りだけど……なんだか納得いかないわ」
リリスがぼそりと呟くと、みんなが笑った。
国王も「ごめん、ごめん」などと気軽に言いながら笑い、リリスを軽く抱きしめる。
そのお陰か、リリスが部屋に入ったときの張り詰めた空気は少し和んでいた。
だがリリスがソファに座り、国王が気を取り直すようにこほんと一つ咳払いをした途端、またその場が緊張する。
「ここ最近、我が国はフォンタエ王国と摩擦が生じているのは知っているね?」
「はい。失礼なことに属国になれって言ってきているんでしょう?」
「まあ、簡単に言えばそうだ。その言い分を受け入れれば、我々はかなりの物を上納しなければいけなくなる。そうなれば民にも負担を強いてしまうことになるからな。今まではやんわりと濁して断っていたんだが……」
「強硬手段に出ようとしているんですか?」
「見たのかい?」
「いいえ、まだです。でも、それぐらいはわかります」
国王の言葉にリリスが頷き答えると、国王は少し意外そうな顔をして問いかけた。
それにリリスは首を振って否定する。
さすがに寝てばかりでも一応は王女として教育を受けているし、今のみんなの浮かない顔を見れば自ずとわかるというものだろう。
「どうやらフォンタエ王国は戦の準備をしているらしいんだ。そして今、フォンタエが争う相手と言えばエアーラス帝国くらいしか考えられないんだけどね……。内偵の報告でもマチヌカンの利権を巡ってすでに何度か外交官たちがぶつかっているらしい」
「ですが、マチヌカンは商業都市として独立しているはずです。その利権を争うなど、おかしいではないですか」
「そうだね。リリスの言う通りだけれど、今までマチヌカンが独立を保っていられたのはエアーラスの後ろ盾があったからこそなんだ。そこにフォンタエが入り込んで圧力をかけ始めたものだから、エアーラスも黙っているわけにはいかないだろう?」
王太子である兄のスピリスが説明してくれる。
その内容に理解はできても納得のできないリリスは顔をしかめた。
フォンタエのやりようはあまりにも卑怯だ。
「要するに、このフロイト王国は両国に挟まれ、戦火に巻き込まれてしまうということですか?」
腹立たしさが収まり冷静さを取り戻してくると、これから起こるだろうことにじわりと恐怖が湧いてきた。
その気持ちを抑えてリリスは平静を装って訊ねる。
それに答えてくれたのは二番目の兄であるエアム。
「素直に考えればそうなるだろうけれど、内偵の話では今のフォンタエにエアーラスと争うだけの国力はないそうなんだ。とすれば、考えられることは一つ。このフロイトを強制的に従属させようとしているんだろうね」
「そんな……」
あまりにも理不尽な話にリリスは言葉を失った。
母である王妃と妹姫のダリアは二人とも沈痛な表情で押し黙ったまま。
そこに国王の大きなため息が落ちた。
「ここ数年、この国はリリスのお陰でとても栄えている。そこにフォンタエが目を付けたんだ。数年前の飢饉でフォンタエはかなりの打撃を受け、それ以来かつての栄光を取り戻すことができないでいる。フォンタエはこの国の富を狙っているのだろう。だが、この国に富をもたらしてくれているのは金でも銀でもない。豊かな自然とそれを生かすリリスの知恵、そしてこの国の民の尊い働きだ。もしこのままフォンタエに従属させられてしまったら、全てを搾取され、民は疲弊し、この国は、この土地はやがて枯れてしまうだろう」
国王の言葉を最後に、部屋は重苦しい沈黙に包まれた。
リリスも予想以上に厳しい状況を知って必死に考えていた。
いつもリリスが重大だと思える現実夢を見たときや、問題が起こったときにはこうして家族全員が集まり相談する。
リリスが八歳の頃から、妹のダリアはまだ五歳だったが、それは変わらなかった。
「私……これからはできる限り、フォンタエ国王の身辺にいけるよう願ってみます。そうすれば何か打開策が見つかるかもしれないですから」
残念ながらリリスの夢――本人曰くの〝現実夢〟は希望するものが見えるわけではない。
たいていは無作為なのだ。
ただ寝る前に強く思うと、その場に行くことがたまにできたりするので、リリスはそれに賭けることにした。
だが、国王は悲しそうな顔をして首を振る。
「実はね、エアーラスから援助の申し出を携えた使者が先ほど到着したんだ」
「それなら受ければいいではないですか! 確かに、この国がフォンタエに侵略されてしまうと、エアーラスは国境を脅かされることになりますものね。エアーラスにとっても損はないはずです」
今までフロイト王国がどちらの国にも侵略されずに独立を保っていられたのは、取るに足らないような存在というだけでなく、両国の均衡を保つためでもあったのだ。
リリスはようやく笑顔になったが、国王や兄王子たちの様子に眉を寄せた。
どうやら事はそう簡単にはすまないらしい。
「……どんな条件があるのですか?」
「条件は……いや、エアーラスは同盟を申し出てくれたのだよ。両国間が血縁関係で結ばれることによる同盟を」
「血縁関係……」
「エアーラス皇帝はジェスアルド皇太子の妃に、我が娘をお望みなのだ」