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「こんばんは!」
「……ああ」
リリスの元気良い挨拶に、ジェスアルドは微妙に答えただけだった。
まさか本当に今夜もこうして自分の寝室に訪れるとは思わず、ジェスアルドは二人の部屋を繋ぐドアを開けたまま立ち尽くしている。
そんなジェスアルドの横をお構いなしに通り抜けて、リリスはベッドによじ登った。
おかしい。何かが絶対におかしい。
ジェスアルドの頭の中では無駄な言葉がぐるぐるしていたが、何事もないかのようにベッドに腰を下ろした。
「リリス……」
「はい」
「その……体は大丈夫か?」
「はい、ばっちりです!」
「……そうか」
ジェスアルドが念のためにリリスに体調を訊ねると、目に見えた通りの答えが返ってきた。
それでもジェスアルドはほっと息を吐く。
たとえそれらしく思えなくても、リリスは初めてだったのだから。
それはジェスアルドにもわかったことだが、何より今朝シーツにはっきり残されていたのだ。
そのことをうっかりしていたジェスアルドは、朝になって血痕を発見した従僕に心配され、剣の鍛錬中にできた怪我がどうこうとか苦しい言い訳をせねばならず苦い思いをした。
普段、身の回りの世話の全てを信頼できる従僕――デニスに任せていたのは幸いだった。
しかもデニスは、そのあたりのことには鈍い。
あれがおしゃべりなメイドだったら、今頃はどんな噂が流れていたかと思えばぞっとする。
そこまで考えて、ジェスアルドは我に返った。
今はそんな場合ではない。
昨夜はつい流されてしまったが、やはりもう一度話し合ったほうがいいのではとリリスを見れば、期待に満ちた視線を向けられ待っている。
「リリス……」
「はい?」
「本当に大丈夫なのか?」
「もちろんです」
「……そうか」
ここまで真っ直ぐに自分を見つめてくる相手は、今まで両親しかいなかった。
もちろん信頼できる者はたくさんいるが、立場上か瞳のせいか、いつもわずかに目を逸らされてしまう。
リリスが信頼できるとはまだ思えないが、エメラルドのように輝く緑色の瞳で真っ直ぐに見つめられれば悪い気はしない。
しかも、リリスは正式な妻なのだ。
ジェスアルドはしばらく葛藤したのち、リリスをそっと押し倒した。
やはり自分も所詮はただの男だなと自嘲しながらも、リリスにキスをすれば、照れくさそうな笑みが返ってくる。
まだ緊張はしているらしいが、懸命にこらえているらしい姿を見ていると、不思議と情がわいてきてしまう。
これではいけないと思いつつ、それでもジェスアルドはもしリリスに何かあれば、必ず守ろうと心の中で誓った。――コリーナのようにならないようにと。
リリスはドキドキしながらジェスアルドにされるがままになっていた。
キスは心地良く、大きな手は温かい。
リリスを気遣いながら触れてくるジェスアルドは、やっぱり優しい人なのではないかと思っていたが、ふと動きが止まった。
どうしたのかとリリスが目を開ければ、ジェスアルドはひどく冷めた表情をしていた。
「……ジェド?」
何か失敗をしてしまったのかと不安になったリリスが声をかけると、ジェスアルドははっとした。
だがすぐにリリスの唇に唇を重ねる。
それはとても激しく、かなり驚いたリリスだったが、受け入れているうちに頭がぼうっとしてきてしまった。
やがてジェスアルドが大きく息を吐いて横たわると、リリスもほっと息を吐いた。
身構えていたが、昨日よりも全然平気だったことに少し嬉しくなる。
(うん、これなら悪くないわ。皇后様の元侍女だったあの人は、さも恐ろしいことのように言ってたけど、やっぱりお母様の方が正しかったわね。これで赤ちゃんができるなら、どんとこいよ)
など考えてちらりと横を見ると、ジェスアルドは片腕で両目を覆っていた。
昼寝をしたリリスと違い、ジェスアルドはおそらく眠いのだろう。
これ以上ここにいては夫の睡眠の妨げになると、リリスはごそごそと動いて夜衣をまとった。
「リリス?」
その気配を感じてか、ジェスアルドが肘をついて上体を起こした。
しかし、リリスはベッドからするりと下りると、ジェスアルドに向けてにっこり笑う。
「ジェド、今日もお疲れ様でした。しっかり休んでくださいね。それでは、また明日もお願いします」
昨夜に引き続き、まったくわけのわからないリリスの言動に、ジェスアルドは唖然とした。
言葉だけ聞けばかなり事務的だが、リリスを見ているとそうは思えない。
ジェスアルドは部屋へと戻るリリスを呆然として目で追っていたが、はっと我に返って慌てて呼び止めた。
「リリス」
「はい、何でしょう?」
「いや、その……」
呼び止めたものの、何を言えばいいかわからない。
はっきり言って、リリスの言動の全てがわからない。
結局、一番に思い浮かんだことを口にした。
「明日は……私が、あなたの部屋に行く……ことにする」
「わかりました。では、楽しみにお待ちしてますね!」
ぱっと顔を輝かせたリリスを目にして、自分の言葉が間違っていなかったことはわかった。
だが、本当にそれでいいのか、ジェスアルドは悩み、また眠れない夜を過ごすことになったのだった。




