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「テーナ、やったわ!」
「……おはようございます、リリス様」
「あ、おはよう。それでね、私、ついにやったのよ!」
「何をでございますか?」
「夜這いよ!」
「はい!?」
翌朝、珍しく夢を見ることもなく、上機嫌で目覚めたリリスは、朝の支度の用意をして入ってきたテーナに訴えた。
誰かに言わないと我慢できないくらい嬉しかったのだ。
だが当然のことながら、テーナはリリスの発言に驚いた。
思わずベッドを確認して、いつもより乱れていないことに眉を寄せる。
「リリス様……その、夜這いというのは……」
「殿下のお部屋に行ったの!」
「リリス様が……ですか?」
「もちろんよ。夜這いだもの」
恐る恐る問いかけるテーナに、胸を張ってリリスは答えた。
テーナは頭が痛むのか、こめかみを揉んでいる。
「それで……その、殿下は何と?」
「最初は話し合おうっておっしゃったわ。それで話し合った結果、無事に解決したから、赤ちゃんができるように頑張ったの」
「が、頑張られたのですか……」
うふふと恥ずかしそうに笑うリリスを見て、テーナはめまいを覚えた。
いったいどこの花嫁が――しかも一国の王女が、初めての夜……といっても三日は過ぎているが、夫へ夜這いをかけるのか。
テーナは近くにあったチェストに手をついて深呼吸をすると、心を強く持ち直した。
「……リリス様、お体は大丈夫でしょうか?」
「ああ、ええ。ありがとう、大丈夫よ。最初は痛かったし、想像していたのと違ってびっくりしたけれど、どうにかなったわ。今も少し違和感があるような気がするけれど……うん、大丈夫!」
「……さようでございますか。あの、このことは他の方におっしゃったりは……」
「いやだ、そこまで私も馬鹿じゃないわよ。こういうことは人には話さないのでしょう? テーナだからこそよ」
「そうですね。余計なことを申しました」
はっきり聞いたわけではないが、母が言いにくそうにしていたことや、皇后陛下の元侍女が声をひそめて話していたことから考えて、あまり大きな声で言うべきではないと、さすがにリリスも理解していた。
と同時に、フロイトの城で時々女性たちがひそひそくすくす小声で話していたことを思い出す。
テーナはほっと息を吐くと、頭を下げてから何事もなかったようにいつもの笑みを浮かべた。
リリスの奇抜な言動には慣れているので立ち直りも早い。
「では湯の用意をしてまいりますので、しばらくお待ちくださいませ」
「あら……そうね。ありがとう、テーナ」
能天気なリリスをベッドに残し、テーナは控えの間へ向かったのだった。
* * *
(シヤナ、シヤナ……シヤナ……あった! この国ね)
湯にも浸かり、朝の支度をすませて元気よく朝食を平らげたリリスは、少しの休憩の後に勉強を始めていた。
先日夢で見たジェスアルドや皇帝陛下の会話内容が気になって調べることにしたのだ。
(ふむふむ。フォンタエ王国よりさらに東、そのさらに向こうに広がる海の先にある国なのね)
新たに知った国の名に満足して、リリスは地図を置いた。
次に皇宮の図書室から昨日借りてきた司書お勧めの風土記と、特別に手に入れた最新の産業白書に目を通す。
今回の輿入れには、リリスの現実夢を実現させるための特別な人員が数名同行しているのだが、そのうちの一人に賢人と名高いフレドリック・グレゴリウスという者がいる。
グレゴリウスは各国から引く手あまたな人物なのだが、リリスの現実夢の話が興味深いために、ただの教師として名前を偽り、フロイト王城で生活していたのだ。
そんなグレゴリウスの弟子の一人がこのエアーラスの政務官として働いているため、産業白書を手に入れることができたのである。
そして、リリスは貴重な産業白書を軽い気持ちで読んでいたのだが、その表情は暗くなっていった。
夢で見た会話の通り、ホッター山脈の麓の町ブンミニ周辺では、鉱石の産出量が激減しており、仕事を求めて働き手の男性や若者が町を離れ、お年寄りや女子供だけで枯れた土地を耕し木材を売り、細々と暮らしているらしい。
(これは確かに問題よね。うーん。他人事とは思えないわ……)
リリスはずっとホッター山脈の麓で育ってきたのだ。
幸い、フロイト王国の土地は鉱物を産出することはなくとも、放牧など畜産には向いているお陰で今のところ皆が平和に暮らしている。
だがもし冬場に平年よりも大雪になれば、夏に日差しが弱ければ、そんな心配はいつだってあるのだ。
何か手伝えることがあればとリリスは考えたが、さすがに名案は浮かばない。どころか、眠くなってきた。
「テーナ、これから少し寝ることにするわ」
「かしこまりました。では、昼食は少し遅めに用意するようにいたしましょうか?」
「ううん、それは大丈夫。冷めていても、ここのお料理は美味しいもの。時間を遅らせてむやみに手間をかけさせるのも申し訳ないし、心配をかけてしまうかもしれないから」
「そこまでリリス様がお気になさる必要はありませんのに……」
「いいの、いいの。じゃあ、おやすみなさい」
「――おやすみなさいませ」
気遣うテーナの言葉に軽く手を振って、リリスは寝室へと入っていった。
昼食をずらさなかったのは、もし時間をずらしたことがジェスアルドの耳に入れば変に心配をかけてしまうかも――というより、後悔させてしまうかもと思ったからだった。
ベッドに横になってふうっと息を吐いたリリスは、昨夜のことを思い出してにやりとした。
衝撃的ではあったが、なかなか興味深い体験だと思う。
呪いもやはりただの噂でしかないようだし、これからもっと夫のことを知ろうと決意してリリスは目を閉じた。
起きたら今度はトイセンの街について調べてみようと考えながら。




