22
「私、子供が欲しいの」
「はい?」
「リーノのような可愛い赤ちゃんを産みたいの」
「……確かに、リーノ殿下はお可愛らしいですが……突然ですね」
「突然じゃないわよ。ずっと子供は欲しいって思ってたの。ただ、相手がいなかったから言わなかっただけ」
「それはそうですね……」
一国の王女が正式な婚約者もいないのに、子供が欲しいなどと言えないのは当然だった。
だがリリスには今、夫がいるのだ。
このような発言も間違ってはいないが、テーナはどう答えたものかと悩んだ。
「実は……コリーナ妃が亡くなられた時の噂ですが……」
「何? まだ何かあるの?」
リリスの寝支度を手伝いながら、テーナは言いにくそうに口を開いた。
やはり全てを伝えておくべきだと判断したのだ。
そんなテーナの様子に、リリスは興味津々で問いかける。
「正式に発表されたわけではないので、あくまでも噂ですが……コリーナ妃はご懐妊されていたのではないかと……」
「え……?」
少々のことでは動揺しないリリスもさすがに言葉を失ったようだった。
言うべきではなかったかとテーナは後悔したが、いずれは知ることになったのだからと思い直す。
「確かではございません。あくまでも噂ですので」
「ええ、わかっているわ。教えてくれてありがとう、テーナ」
リリスは無理して笑顔を作ると、テーナにお礼を言って下がってもらった。
もちろんテーナもリリスの嘘臭い笑顔には気付いていたが、「おやすみなさいませ」とだけ述べて下がる。
リリスも一人になると寝室に入り、ベッドに腰かけて深く息を吐いた。
(コリーナ妃が妊娠していたかもしれないなんて……)
そう考えて、あの場面を思い出し、ぞっとした。
もし本当にコリーナ妃が妊娠していたのなら、ジェスアルドはどれほどのショックを受けただろう。
それで「子はいらぬ」などと言ったのだろうか。
(そうよね、子供ができただなんて、一番幸せな時期だったでしょうに……)
リリスは母がダリアを妊娠した時のことをなんとなくだが覚えていた。
リーノに関してははっきり覚えている。
そして、そのどちらも母はもちろん、父も家族みんなもとても喜んだのだ。
(でも、妊娠中の女性の中にはそうじゃない場合もあるのよね。体の変化に心がついていかないとかなんとかで……。確か、どこかの世界でマタニティーブルーって言ったかしら?)
怒りっぽくなったり、涙もろくなったりすると聞いたことがある。
それならば、レセの言っていた話も辻褄が合う。
まさかそれが悪化して、自分で命を絶ったのだろうか。
そこまで考えて、リリスは慌てて否定した。
(ううん、そんなことないわ。そんなの悲しすぎるもの。きっと、あれは誰かが……)
考えれば考えるほど、あまりの悲劇に落ち込んでしまう。
寝る前にこれではダメだと、リリスは勢いよく立ち上がった。
こんな時には体を動かすに限る。
と思ったものの、昨夜の失敗を思い出し、気分転換にレセが用意してくれていたハーブ水を飲むだけにした。
(ああ、みんなに会いたいなあ。それから、リーノのぷにぷにほっぺにいっぱいキスして、ぎゅっと抱きしめたい!)
今朝、エアムに大丈夫だと言ったばかりなのに、リリスはもうホームシックになっていた。
そもそも子供が欲しいと強く思うようになったのは、リーノの存在があったからなのだ。
一年前にリーノが生まれてから、かなりの時間を割いて面倒をみてきた。
リーノも姉であるリリスによくなついてくれているが、やっぱりここぞという時には母でなければダメなのだ。
泣きじゃくるリーノが母を求めて、リリスの腕の中から手を伸ばし、母へと抱き取られたときの寂しさ。
自分本位な願いかもしれないが、どうしても自分の子供が欲しい。
自分を心から求めてくれる存在が欲しかった。
(そうよ。たとえ殿下が望まなくても、きっと陛下や他のみんなは喜んでくれるに決まっているわ。もし、父親の愛情が与えられなくても、それ以上に私の愛情で補ってみせる!)
だんっと勢いよくコップを置いたリリスは、ジェスアルドの部屋へと繋がるドアを睨みつけた。
子供がいらないというジェスアルドの希望をどうしてリリスが一方的に呑まなければいけないのか。
そう思うと腹が立ってきて、リリスは決意した。
(よし! 夜這いしよう!)
ずっと言葉は知っていても、意味がわからなかったことの一つである〝夜這い〟も今ならわかる。
ちょっとだけ怖い気もするが、子供を得るためならできると、リリスはドアへ近づいた。
そっとドアを開けると、静かに歩いて通路を抜け、ジェスアルドの部屋へのドアの前に立つ。
そしてリリスは、律儀にドアをノックした。
「……今度は何だ?」
ドアは驚くほどすぐに開かれ、ジェスアルドが訝しげに問いかけてきた。
リリスは自分の決意に怯みそうになりながらも、にっこり笑う。
「夜這いにきました」
「……は?」
「殿下は私を煩わせないとおっしゃいましたが、私が煩わせてはいけないとはおっしゃいませんでしたので」
「……いや、煩わせるとかの問題じゃないだろう?」
「ですが、殿下には責任を取って頂かなければなりません」
「責任?」
「はい。私と結婚した責任です」
「……」
手を出した責任を取って結婚しろならともかく、結婚した責任を取って手を出せと言われるとは思ってもおらず、ジェスアルドは言葉を失った。
返答に窮するジェスアルドに、リリスはさらに言い募る。
「殿下は子供はいらないとおっしゃいましたが、私は欲しいんです。なのに殿下だけの意見が通るのは不公平だと思いませんか? 夫婦なんですから、そこは平等に話し合いで解決するべきでしょう。ですが、平行線になっても時間の無駄ですし、ここはお互い妥協しませんか? 先日知ったところによると、子供を宿すには夫の協力が……殿下のお力が必要だと知りました。ですので、殿下にはそこまでご協力いただいて、あとは私が頑張ります。殿下に子育てに関わってくださいとまでは申しません。私がたっぷり愛情を持って育てますので。という結論に達したので、夜這いに来たんです」
「……」
ジェスアルドは人生で二度目の敵前逃亡をしたくなった。
そもそも妃との部屋へと繋がる通路に人の気配がした時点で、さっさと部屋から出ていくべきだったのだ。
ずいぶん忍んで来ているので、おそらくリリスだろうとは思いつつ、念のために剣を持って待ち構えていたのが間違いだった。
ここでどう反応すればいいのかわからず、呆然とするジェスアルドを横目に、リリスはさっさと部屋へ入り、さらにはベッドへとよじ登る。
そしてちょこんと座ったリリスはジェスアルドへと向き直り、にっこり笑った。
「では、よろしくお願いいたします」
「……」
据え膳食わぬは男の恥。――などという問題ではない。
どう考えても、ハニートラップでもない。
ジェスアルドは人生最大の難関を前にして、言葉もなくただ立ち尽くしていた。




