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「リリス様のこれから続く未来がよりよいものになりますよう、私たちはお祈り申し上げております。その、ですからどうか……」
「私は大丈夫よ。ありがとう、テーナ、レセ」
「……では、リリス様。私たちはこれで失礼させて頂きます」
「ええ。今日はあなたたちも疲れたでしょう? ゆっくり休んでね」
「ありがとうございます。それでは、おやすみなさいませ」
結婚式とそれに続く披露宴も無事に終わり、テーナたちが下がった今、リリスは寝室に一人になった。
ここは今朝、客間から移動したばかりの皇太子妃としてのリリスの新しい部屋だ。
色々と探検したいが、それは明日以降でいいだろう。
今は目の前に迫った花嫁の務めが待っている。
テーナとレセには笑顔で大丈夫だと言ったが、本当は心臓が飛び出しそうなほど緊張していた。
昨日、あの散策の後、十数年前に亡くなった皇后の侍女だったという女性から、皇太子妃としての心得を聞かされたのだ。
それは母がなんとなく濁していたことまではっきりと。
思わず「嘘でしょう?」と呟いたが、女性は眉を上げて返答はせず、ただ淡々と続けた。
そうしなければ子が成せないと聞けば、致し方ない。
受け入れるしかないが、自分にできるのか不安である。
それで夫婦は同じベッドで寝るのかと変なところで納得もしたが、リリスにとって一緒に眠ることはできない。
やはり事が終わればベッドから出ていってくださいと頼まなければいけない。
(大丈夫かな……)
現実夢を見て必ずうなされるわけでもないが、いつうなされるかもわからないので、一緒に眠るとなるとある意味賭けになる。
無理に起こされて戻れなくなっても困るし、場合によってはジェスアルドが傍にいたせいでうなされたと誤解されることだってあるのだ。
(困ったなー。やっぱり打ち明ける? ううん、それはまだダメよ……)
そこまで考えてひらめいた。
リリスは病弱なためゆっくり眠らなければならず、一人がいいと言えばいいのだ。
寝相が悪いとの理由にしようかとも思ったが、それでもかまわないなんて寛大な返事をもらっても困るので、ここでも病弱設定を使うことにした。
「うん。私って天才だわ」
ひとりごちていたリリスは、ふと時計を見て眉を寄せた。
遅い。
宴を退室する時にはまだジェスアルドは宴席にいたが、リリスがあれやこれやと準備をしている間に、もうずいぶん遅い時間になっている。
新郎がいつ退席するべきなのかは知らないが、普通の時でももう寝室に下がっている時間のはずだ。
ベッドの端に座って待っていたリリスは、疲れも出て大きくあくびをすると、ちょっとだけと横になった。
そして、そのまま目を閉じてしまい、次に目を開けた時には、朝陽がカーテン越しに射し込んでいた。
「そんな……」
思わず呟いたリリスは急いでベッドを、続いて室内を見回した。
隣の枕にくぼみはないし、自分は上掛けの上に横になったままで、誰かが親切に上掛けをかけてくれたなどといった様子もない。
要するに、あれから誰もこの部屋に来ていないのだ。
「何なの、それ……」
いや、ひょっとして、ジェスアルドは隣の部屋から覗くだけ覗いて、リリスが眠っているのですぐに自室に戻ったとも考えられるが、そうも思えない。
確かめるすべは一つ。
本人に直接訊けばいいのだ。
花嫁の心得は色々と聞かされたが、二人とも夫の部屋に訪ねてはいけないとは言わなかった。
リリスはずかずかと歩いて隣室に――ジェスアルドの部屋に繋がる部屋のドアを勢いよく開け、狭い通路を抜けて、もう一度勢いよくドアを開けた。
すると、驚いた様子の従僕と目が合う。
(しまった! 顔を洗ってなかったわ……)
手に洗面器とタオルを持った従僕を見て後悔したが今さらである。
リリスはかまわずに視線を動かし、枕にもたれて何かを読んでいるジェスアルドを見つけると、ぎっと睨みつけた。
「殿下! どうして昨日は――」
言いかけて、ジェスアルドが片手を上げて制したので思わず口をつぐんでしまった。
なんだか悔しいが、従僕に出ていくように指示を出しているジェスアルドをまた睨むだけにとどまる。
そして、従僕が出ていくと、ジェスアルドが口を開いた。
「私は個人的なことを、たとえ信頼する者にも知られたくはない」
「あら、それは残念ですね。だって、きっと私は昨日のことを侍女たちに言いますもの」
「昨日のこと?」
「殿下が昨日、部屋にいらっしゃらなかったことです!」
「……それはあなたが恥をかくとは思わないのか? それとも同情を誘うつもりか?」
「恥? 同情? 別にそんなことはどうでもいいんです。ただ、殿下が義務を放棄したと思われるでしょうね」
「なるほど。義務か……」
リリスが昨夜のことを話すのはテーナとレセだけだ。
きっと心配しているだろうから、何があったか、むしろ何もなかったと伝えたい。
そして二人が他に洩らすことは絶対にありえない。
だけど、腹を立てていたリリスはそのことは口にせずにジェスアルドをまた睨みつけた。
「もし今夜、いらっしゃらなかったら、昨日言った通り、尖塔のてっぺんから叫びますからね! 殿下の薄情者って!」
言うだけ言って、少しすっきりしたリリスは叩きつけるようにしてドアを閉めて自室に戻っていった。
その奇抜な行動を、ジェスアルドは怒るべきか笑うべきか測りかねて、結局は何事もなかったことにした。




