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「特には何も」
「何も?」
「ああ」
リリスの質問に、ジェスアルドはあっさり答えた。
しかもその内容は驚くほど淡白である。
「叔父上は今まであまりコンラードに関心を持っているようには見えなかった。だがここ最近になって将来の公爵としての自覚を持てと、コンラードに言い始めたようだが、今さらだろうな」
「公爵は幼い頃よりずっと、陛下を崇拝しておりましたからね。私などはよく嫉妬されましたよ」
「嫉妬?」
「はい。やはりご自分が陛下の一番でありたかったようで……。もちろん成長なさるとともに、そのような感情は絶対的な忠誠へと変わったようですが、だからこそコンラード殿に対して無関心でいらしたのではないでしょうか。いわゆるコンラード派に一番に敵意を抱いているのは公爵ですから」
バーティン公爵は初めての顔合わせの時から驚くほどにリリスを歓迎してくれた。
それからも顔を合わせる機会があれば、リリスを気遣い優しく接してくれる。
また妊娠してからは会っていないが、ポリーの事件のことでは労り心配する言葉を綴った手紙をくれ、祝いの品をいくつも贈ってくれているのだ。
まるで自分の孫の誕生を待ち望んでいるようだと、リリスはフレドリックやテーナたちと笑ったが、あながち間違いではなかったのかもしれない。
(公爵はジェドのこともすごく大切にしている感じだったけど、コンラードには……)
以前、夢で見た二人のやり取りをリリスは思い出した。
あの時はよくある甘い父親と我が儘な息子の関係なのだと思っていたが、今考えるとどこかよそよそしかった気がする。
もちろん世間では関係が希薄な親子も珍しくはない。
それでもリリスやジェスアルドに対する公爵の愛情を思えば、我が子であるコンラードへの冷たさが不思議だった。
「では、公爵夫人は心配しなかったのでしょうか? 病弱だった息子が一人で旅に出るなどと……」
リリスはふっくらしてきたお腹にそっと手を当てた。
もし我が子が一人旅をするとなれば、たとえ元気いっぱいでも心配は尽きないだろう。
リリスがこの国に嫁ぐと決めたときも、両親はもちろん家族みんなが心配し、何度も話し合い、旅立ちの際には涙を流した。
フロイトの家族のことを思い出して郷愁にかられたリリスは、ジェスアルドの申し訳なさそうな声で我に返った。
「残念ながら、私は叔母上についてもよく知らないんだ。公式行事以外で顔を合わせることもなく、話をしたことも片手で足りる」
「え……」
「殿下と公爵夫人は同じ皇宮内でも活動場所がまったく違いますから。それに……」
再び予想外の内容に驚くリリスに補足しようと、アレッジオが口を開いたものの、途中で止まった。
それにはリリスだけでなく、ジェスアルドも訝しむ。
「アレッジオ?」
「あ、はい。すみません。今になって不自然なことに気付いたので」
「不自然?」
「はい。まあ、独身の私が子育てについて語るのはおこがましいですが、コンラード殿と母親である公爵夫人はずっと離れて暮らしていらしたな、と。病弱なコンラード殿は生まれた時よりずっと帝都の公爵邸で暮らしていらしたのに対し、夫人はずっと領地で過ごされ、帝都にいらっしゃることがなかったのですよ」
「それは確かに……」
思わずリリスは呟いたが、それ以上は言えなかった。
子供を乳母に任せきりな上流階級の女性は多いが、それでもたいていは同じ屋敷で暮らす。
また子育てに関わっている場合でも、領地に子供を留守番させて両親だけが帝都に出てくることはあっても逆は珍しい。
(公爵夫妻の仲は良いとは思えないけど、あの公爵夫人がずっと領地に引き籠っていたなんて……)
父親側に子供を預けたまま別居する夫婦もいないことはないだろうが、あのバーティン公爵夫人が長い間人前に出てこなかったということが、リリスは信じられなかった。
そこでふとある考えが浮かぶ。
しかし、まさかとの思いから言葉にしなかったのだが、リリスの考えを代弁するようにジェスアルドが口にした。
「コンラードは……その、本当に叔母上の子なのか?」
「そのことに関しましては、間違いないかと思います。妊娠中の夫人の許を皇后様は何度か訪ねていらっしゃいましたから。また、今まで公爵に別の女性がいたという話は耳にしたことはありません。ただ……」
「何だ?」
アレッジオの言葉を聞いてリリスはほっと息を吐いたものの、まだ何かあるらしい。
ジェスアルドは亡くなった母の話題にかすかに表情をこわばらせながらも促した。
「コンラード殿を出産されてから夫人はひと月も経たずにご実家にお一人で戻られ、その後は先に述べましたとおり領地で過ごされ、時折ご友人の領地を訪ねていらっしゃったようです。帝都に戻っていらしたのは……皇后様が亡くなられてからでした。また、皇后様は何度もコンラード殿との面会を希望なさっていらしたのですが、公爵は何かと理由をつけて断っておいででした。そのため、ルータス王国との戦で公爵が留守にされているときに、皇后様は公爵邸に突撃訪問されたのです。コンラード殿を励ますためだと」
「母上は……私が幼い頃にはコンラードの名を口にしなかったが、やはり気にかけていたんだな。最終的に少々強引な手段に出たようだが」
「皆に細やかにお気遣いなされる、とてもお優しい方でしたから。少々強引でしたが」
二人の会話をリリスは興味深く聞いていた。
以前から話に聞くジェスアルドの母は素晴らしい人だったらしいが、少々強引でもあったらしい。
それもリリスには魅力の一つのように思えた。
もしまだ生きていたなら、ジェスアルドはこんなにも苦しまなかっただろう。
だとすれば、リリスと出会うことはなかったかもしれない。
(でも、ジェドが苦しまないですんだのなら、それでよかったのに……)
運命とはとても複雑で意地悪だと思う。
今までのジェスアルドの苦しみが、リリスに繫がったのだ。
それならば、これから先は幸せになればいい。
(絶対にジェドをこれ以上苦しめたりしないんだから!)
まずリリスがするべきことは、無事にお腹の子を産むことなのだ。
やはりずっと閉じ籠っているのは健康によくないので散歩に出かけるのだが、そのときはいつもジェスアルドと一緒である。
かなり用心しているお陰か、ポリーの事件以来は何事もない。
そもそも妊娠がわかってからリリスはコンラードを見ていなかった。
「コンラードは何だか得体が知れないですね……」
思わず呟いて、リリスははっとした。
いくらなんでも言い過ぎたと思ったのだが、ジェスアルドは頷いて肯定する。
「そのとおりだと思う。今まで違和感を覚えながらも見過ごしてきたが、コンラードの一つ一つの言動を改めて考えると謎が深まっていく」
「……ですが、動機がわかりません。しかも証拠がない」
「ああ、証拠がないことには断罪することはできない。ただ動機については考えても無駄だろう」
「無駄、ですか?」
「帝位に興味があればもっと違うやり方がある。私を殺したいのなら、もっと以前に叶えられたはずだ。ただ今は……」
アレッジオの疑問に淡々と答え、ジェスアルドは立ち上がった。
そして口を閉ざしたままのリリスの隣に座り、その手を握る。
「コンラードは私の幸せを壊そうとしている」
本来ならば冗談に聞こえる言葉も笑えない。
まったく根拠のないただの〝勘〟だと、ジェスアルドは最初に告げたが、今はもうリリスにも真実だと思えた。
「だが私は戦う。これ以上は絶対に許さない」
決意に満ちたジェスアルドの言葉に、リリスもアレッジオも力強く頷いたのだった。




