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あの事件からひと月が過ぎた頃、リリスは無事に安定期に入っていた。
それはジェスアルドはもちろん、テーナやレセ、皇宮内の多くの者たちがリリスの体を気遣ってくれているからだ。
その幸せを噛みしめていたリリスの許に、新たな幸せ――フロイトの家族からの手紙が届けられた。
国王である父や兄からは妊娠を祝い、体を気遣う言葉。母からは特に体を労わる言葉や心構えなどが書かれており、リリスは喜びに顔をほころばせて読んだ。
ダリアからは祝福の後にアルノーとの関係で心配をかけたことを謝罪する内容が続き、リリスはほっと胸を撫で下ろした。
どうやら一度距離を置いたことで自分の心を見つめ直し、改めてアルノーへの愛情を確認したらしい。
ダリアも少し成長したなと手紙を読み直しているとき、予定のないジェスアルドとアレッジオの訪問が告げられた。
「――急にすまないな、リリス」
「いいえ、嬉しいことですからお気になさらないでください」
「妃殿下、お元気そうで何よりです。午睡のお邪魔をしたのでなければよいのですが……」
「ありがとう、アレッジオ。でも大丈夫よ」
すぐにジェスアルドたちが入ってくると、リリスは笑顔で迎えてソファを勧め、自身も腰を下ろした。
一見して和やかに見えるが、ジェスアルドもアレッジオもどこか緊張している。
おそらくあの事件について何か進展があったのだろうと、リリスは心構えをして待った。
「昨日、ついにあの水脈から地下通路にたどり着くことができたんだ」
「では……どこに繋がっているのかわかったのですか?」
「ああ。――アレッジオ」
「はい。私からご説明いたします」
水脈から辿ることを半ば諦めていたリリスは思わず身を乗り出した。
地上に繋がる場所は、水脈の位置から当たりをつけての確認作業を始めたと聞いていたからだ。
リリスはジェスアルドからアレッジオへ驚いたまま向き直った。
「無事にたどり着いたのは私ではなく、以前お話ししていた泳ぎが得意な者ですよ。私ももっと若ければ、あやつに劣ることはなかったのですがね……」
「アレッジオはいったいどんな超人なのかと思いました。ですが、その方もすごいですね」
「はい、そうですね。それでも何度か潜って、行きと帰りとを調整しながら、進める最長距離を測っていたので少々時間がかかりました。腰には袋に入れたランプなども提げておりましたからね。ただ、あやつは『帰りは引っかかることなく滑らかに流れるので、気を失って出てきた場合は、ちゃんと救命してくださいね』などと言っておりまして……。最近の若いやつは無茶ばかりで困りますよ」
やれやれとぼやくアレッジオを、ジェスアルドはしらけた目で見た。
きっとアレッジオが一番無茶をするのだろう。
「アレッジオ、話が逸れている」
「あ、そうでした。申し訳ありません、妃殿下」
ジェスアルドに冷ややかに指摘され、アレッジオは悪びれる様子もなく謝罪した。
アレッジオは少しでも気持ちを明るくしようとしてくれたのかもしれない。
微笑んだまま首を振るリリスを観察するようにじっと見ながら本題に入った。
「無事に地下通路から地上への出口を見つけたとしても、塞がれている可能性もありました。また人の気配がすれば無理をせず場所の把握だけして戻ってこいと伝えておりましたので、その者は戻ってきたのですよ。そして記憶を頼りに地図で照らし合わせた場所を地上から捜索いたしました」
「どちらにあったのですか?」
先にジェスアルドがどこに繋がっているかわかったと言っていた。
そのためリリスは単刀直入に訊いたのだが、アレッジオはかすかにためらい、そして答えた。
「――バーティン公爵邸です」
「そんな……」
ショックを受けたリリスの声は囁くように小さかった。
だがすぐに気持ちを立て直し、頷いて続きを促す。
「リリス様もご承知のとおり、堀の捜索は犯人の遺留品を探すため、貴族屋敷の捜索も同様にポリーが男と一緒のところを目撃した者の証言として行われておりました。ですから、公爵も快く邸内の捜索を承諾してくれたのです」
「アレッジオが許可を求める際、私も陛下も立ち会っていた。しかし、叔父上にもコンラードにも別段変わりはなく……その後、地下通路への入口発見の報にもただ驚いているように見えた。叔父上はかなり動揺していたが、それは今回の事件に家人が関わっている可能性があるためだろう」
アレッジオの説明を補足するジェスアルドにも変わりはなかったが、落胆を隠しているようにリリスには見えた。
やはりコンラードを疑っているのかもしれない。
あの夜――コリーナ妃のことを話した夜からはコンラードの話題に触れていないのだが、一度きっちり話し合うべきだろう。
そう考えていたリリスの耳に力強いアレッジオの声が聞こえ、慌てて意識を集中させる。
「地下通路の入口は地下倉庫にありました。壁に据えられた棚の背板に不自然な点を見つけまして、調べたところ外せることがわかりました。そしてその奥に人が一人屈んで入れる穴を見つけたのです。地下へと続く階段には明らかに最近通った足跡も残されておりましたし、通路には水脈に潜った者が目印に残していったコインもありました。ただ、問題は分岐路が先ほど新たに発見されたことです。しかもそれは最近塞がれたらしく、奥へはいけないようになっておりました」
「それでは、そちらが本命ということもあり得るのですね?」
「はい。誰かがバーティン公爵に罪を着せようとしているか、もしくは攪乱しようとしているか……単純に、公爵家の誰かか」
そう答えて、アレッジオは口を閉ざした。
結局、犯人が特定できたわけではないのだ。
それでも、確実に絞られてはきている。
「わかりました。ありがとうございます」
リリスは背筋を伸ばし、はっきりした声でお礼を口にした。
まだ解決しない情報をこうして逐一教えてくれるのは、リリスを信用してくれているからだ。
また、適当な噂に惑わされるのを避けるためでもあるだろう。
(とにかく危険には――コンラードには近づかないようにしないと……)
リリスが初めてコンラードと顔を合わせたときには好印象さえ抱いていたのだが、次に会ったときには不自然に感じ、次第に不快に思うようになっていた。
そして今は不気味に思っている。
コリーナ妃が自ら命を絶った理由はわかっているだろうに、自責の念も何もまったく感じられず、平気でリリスに近づこうとするのだ。
ジェスアルドはいったいどう考えているのだろうと改めて思い、リリスがちらりと視線を向けると、しっかり目が合ってしまった。
どうやら一連の話で気分を悪くしていないか、心配していたらしい。
「大丈夫ですよ、殿下」
「そうか……。では、もう少しだけいいだろうか?」
「はい、どうぞ」
最近は簡単に意思の疎通ができる。
リリスが微笑んで答えると、ジェスアルドは軽く頷いてから表情を厳しいものに変えて静かに告げた。
「私は、今回の事件の首謀者はコンラードだと思っている」
本日4月27日(金)
『紅の死神は眠り姫の寝起きに悩まされる』2巻発売です!
ありがとうございます。
特典情報など、詳しくは活動報告をご覧ください!
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