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「おはようございます、殿下。妃殿下はいかがですか?」

「……今は眠っている。それで、どこまでわかった?」


 ジェスアルドが執務室に入るなり、呼ぶまでもなくアレッジオがやって来た。

 朝もかなり早い時間のため、フリオはまだ来ておらず、隣の部屋に宿直の事務官が二人いるだけである。

 ジェスアルドは不機嫌を隠さない様子でアレッジオに答え、問いかけた。


「ポリーが皇宮を徒歩で出て辻馬車を拾い、実家とは逆方向の貴族たちの屋敷が立ち並ぶあたりの一角で降りたまでは辿れましたが、それ以降の足取りはまだ摑めておりません。どうやら門番にはしばらく暇をもらって実家に帰るのだと伝えていたようです。まあ、当然実家にも帰っておりませんがね」

「アレッジオ、どうやらポリーはすでに殺されたらしい。ナイフで刺された後、どこかの川か用水路に捨てられたようだ」


 ジェスアルドの言葉に、アレッジオは目を見開いた。

 すぐに表情は改めたが、やはり驚きは隠せていない。


「妃殿下ですか?」

「ああ」

「それは……お気の毒に」

「ああ」

「それでは、念のために全ての水場を含めて捜索させます。川だとすれば、どこかに引っかかっていてくれたらいいのですがね……」


 リリスが夢で見たのだと悟ったアレッジオは、同情の言葉を呟いた。

 だが気持ちを切り替えると、早々に執務室から出ていく。

 ジェスアルドなら、知っている情報は全て開示してくれるはずであり、わざわざ詳細を問うこともしなかった。

 今わかるだけのことから推測するのはアレッジオの仕事なのだ。


 ジェスアルドはため息を吐きながら立ち上がった。

 今日は自室で執務をするとフリオに伝えるよう、宿直の事務官に言付けて自室へと戻る。

 リリスがまた悲しい夢を見ていなければいいがと思いながら寝室に入ったジェスアルドは、穏やかに眠るリリスを目にして安堵した。

 テーナも無言で大丈夫だと伝えてきたため、そっとドアを閉めて自室の居間に戻り、ひとまず食事をとることにした。

 その間も頭の中には帝都の地図が浮かぶ。


 帝都で川と言えば、都の西を流れるナウラド川である。

 ナウラド川は帝都西側の自然の防塞となっており、その支流を皇宮の堀へと取り込み、さらに守りを強固なものにしているのだ。

 そしてその支流は帝都の中央を流れ、そこから都中に用水路が張り巡らされており、皆がその恩恵に与っている。


 リリスが川か用水路と判断したからには、水の流れがあるところなのだろう。

 だとすれば、普通は死体を投げ入れるのに目立つ場所は選ばないはずだ。

 しかし、後はアレッジオからの報告を待つしかなく、ジェスアルドなりに今回の犯行の目的について考え始めた。

 しばらくしてフリオがやって来たために、通常の執務に取りかかったが、どうしても頭の片隅には消せない疑問が渦巻いていた。



 その日の午後――。

 リリスは自室の居間でジェスアルドや皇帝たちとテーブルを囲んで座っていた。

 本来なら、昨晩に引き続き皇帝が皇太子妃の部屋を訪れるなど注目を集めるために避けるところだが、今はそれどころではなかった。

 今朝早く、皇宮を囲む堀の一角で胸にナイフが刺さったままのポリーの死体が発見されたのだ。

 皇太子妃付きのメイドが殺されたことで皇宮内はかつてないほどに騒然としており、皆が何らかの形で説明されることを待っていた。


 そんな騒ぎの中でも、リリスが再び目覚めたのは昼前だった。

 いつもならばもう少しゆっくりするのだが、皇帝たちとの話し合いがあるためにそれでも急いだのだ。

 タンベイが食事を運んでくる頃には目の腫れも治まっており、皆の前に座るリリスはいつもと変わらないように見えた。


 しかし、その胸中は荒れ狂っていた。

 わかってはいたことなのに、やはり身近な人物の死――しかも自分に関わったせいで殺されたことはとてもつらく苦しい。

 アレッジオからポリーのことを聞いて、今まで以上に様々な感情が込み上げてくるのだ。

 だがジェスアルドやテーナだけでなく、皇帝やアレッジオもそんなリリスの内情を理解してくれている。

 しかも今日はフレドリックも同席しており、皆の心遣いがリリスを強くしてくれていた。


「――やはり今回の件で我が国の貴族が関与している疑いが強くなりましたが、まずはなぜポリーが堀で発見されたかです。堀にはもちろん、皇宮の周囲には多くの警備兵が巡回しておりますし、支流には水門が数か所設けられておりますから、上流から流されてきたとは考えにくい」


 アレッジオの疑問に誰もが考え黙り込んだ。

 ポリーがスープに毒を混入してからすぐに皇宮を出て、貴族の屋敷に向かったことはわかったが、まだ誰と会ったかまでは突き止められていない。

 しかし、警備の厳しい皇宮周辺で今回の犯行に及んだことのほうが問題なのだ。

 ポリーを殺した犯人は警備の穴を突いたことになる。


「外ではなく、内ということは考えられないのですかな? この皇宮には何本も水路があるのでしょう?」

「だがどの水路にも全て簡単には外せない柵を施している。先ほど確認させたが、どれも外された形跡はない。また、入れ違いにはなってしまったが、ポリーが出ていってすぐに皇宮に出入りする人間も物資も全て厳重に調べていた。再びポリーが戻るのは難しいだろう」


 やがて口を開いたフレドリックの問いに答えたのはジェスアルドだった。

 そのやり取りを聞きながら、リリスは何かが引っかかっていた。


「ですが、出入りできる道は他にもあるはずでは?」

「――そちらに関しましては、私が朝のうちに全て確認しましたが、ここ最近何者かが通った形跡はありませんでした」

「さようでございますか……」


 フレドリックが指摘したのは、ごく限られた者だけが知る道――脱出口である。

 リリスはまだ嫁いできて間もないという理由もあるが、ひ弱なリリスが利用しても逆に危険な場合もあるので、急いで教える必要はないと判断されているのだろう。

 そしてアレッジオ自ら調べたということは、それほどに知る者が少ないのだ。

 そこまで考えて、リリスは大切なことを思い出した。

 いつもなら必ずメモを取るので忘れないが、今回はショックが大きく、またジェスアルドの優しさに甘えてうっかりしていた。


「その抜け道は排水路に沿っていたりはしないのですか?」

「一本だけありますが、妃殿下の夢の話を伺い、そこは特に念入りに調べました。結果、何も見つかっておりません」

「そうですか……」


 どうやらリリスの言葉とポリーが堀で発見されたことで、すでにその可能性は考えたらしい。

 リリスとは圧倒的に経験値が違うのだから当たり前なのだが、なぜか役立たずのような気がしてしまった。

 別に夢で見なくても、すぐにわかったことなのだ。

 夜明け前から騒いで、ジェスアルドの睡眠を邪魔しただけではないかと落ち込みかけたリリスの手に、温かな手が重ねられる。

 はっと顔を上げると、ジェスアルドの紅の瞳が優しく細められていた。

 気にするなと告げているその眼差しを目にして、リリスは昨晩の言葉を思い出す。

 ――リリスにとって必要なことだから、夢によって伝えているのだ、と。


(そうだわ。テーナにだって前に言ってくれたじゃない。私に必要だから、神様は夢で教えてくれるんだって……)


 それならば、昨夜の夢にだって何か意味はあるはずだ。

 暗くて狭い、水が流れる場所。

 リリスはアレッジオが今現在摑んでいる情報を耳にしながらも、必死に考えた。

 あのときの感覚は、まるでブンミニの町で見学した坑道のようだった気がする。

 しかし、坑道はもちろん、どこかの洞窟などに帝都から短時間で移動していたとは思えない。


(ということは、帝都内にある地下道……? 皇宮から堀に向かう流れにポリーは落ちたんじゃなくて、どこか別の場所――上流から堀へと流れる水脈なのかも……)


 そもそも脱出路が城のすぐ近くにあっては、脱出した瞬間に敵陣の中などという事態になる。

 それを避けるためには、城から離れた場所まで脱出路は続くだろう。

 もちろん一本だけでは心許ないのだから、数本は用意されているはずだ。


(この皇宮はエアーラス王国建国より前に建てられて、増改築が繰り返されてきたのよね……)


 この国の歴史を少しでも勉強した者なら常識として知っていることであり、実際に今リリスたちがいる棟も十数年前に新しく建てられたばかりなのだ。


(うーん、でも皇帝陛下やアレッジオが見逃すかなあ……)


 そこまで考えて、やはり自信が持てないリリスだったが、ジェスアルドの温かく大きな手が勇気をくれた。

 言うだけ言えばいいのだ。


「……あの、よろしいですか?」


 アレッジオの報告がひと段落ついたところで、リリスは声を上げた。

 途端に皆の視線が集まる。

 思わず怯んだリリスだったが、一つ息を吸って気持ちを落ち着けると、今の考えを述べ始めた。




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