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「リリス様! 本当にお体に不調はないのですか!? 無理をなさっておられませんか!?」

「え、ええ。本当に大丈夫よ」


 部屋に入ってきたセブはリリスを目にするなり、悲壮な声で問いかけてきた。

 その勢いに押されつつもリリスは答えたのだが、セブは様子を窺うようにじっと見つめる。

 それからようやく納得したのか、ほっと息を吐き出した。

 どうやら大丈夫だと伝えられていても、自分の目で見るまでは安心できなかったらしい。


「リリス様はいつも我慢なされるから……。テーナさんがいらっしゃるので大丈夫だとは思ったのですが、以前のバター作りのことを思うと、やはり心配で……」

「ああ……そんなこともあったわね……」


 体調が悪くても我慢しがちなリリスの不調を、テーナは見逃さない。

 だが以前、フロイト王城の調理場でバター作りのための攪拌作業を手伝ったときに、無理をしすぎて手首を痛めたことがあるのだ。

 そのことを持ち出されたリリスは気まずくなって笑ったが、食事の用意を始めていたテーナとレセは何か言いたげにちらりとリリスを見る。

 その視線から逃れるようにジェスアルドに目を向けたリリスは、慌てて付け加えた。


「本当に大丈夫ですよ! 今度ばかりは自分だけでなく、この子もいるんですから――!」


 心配するジェスアルドに何もないと念押しして、リリスははっと口を閉ざした。

 妊娠したことは公表する予定ではあるが、まだセブは知らなかったはずだ。

 しまった、と思ったときには遅く、セブは目を見開いて口をポカンと開けた。

 次いで急にがばりと頭を下げる。


「リリス様! このたびは誠に申し訳ございませんでした! とても大切な時期ですのに、僕の――私の注意が足りませんでした!」

「セブ! 何を言うの!? あなたの責任ではないのよ!」

「ですが――!」

「セブ、リリスの言うとおりだ。よって、これからは今まで以上に気をつけてくれ」


 今度はいきなり謝罪したセブに、リリスは驚きすぐに否定した。

 しかし、セブはやはり素直に受け入れられないのか反論しかけ、ジェスアルドの有無を言わせぬ言葉に圧倒されて、再び深く頭を下げた。


「か、寛大なお言葉、ありがとうございます……」


 感謝の言葉を口にするセブの声は震えていた。

 セブは自分の料理に誇りを持っている。

 それなのにリリスに害を為すために利用されたのだから、かなりショックだっただろう。

 だがセブは一切弁解せず、ただリリスの体を心配していたのだ。


「セブ、こんなことに巻き込んでしまってごめんなさい。でもどうか、辞めたいなんて言わないでね?」

「もちろんです!」

「よかった。私、セブのお料理が大好きだから、これからも楽しみにしているわ」

「リリス様……ありがとうございます! これからも――いえ、今まで以上にリリス様のお体のことを考え、お口に合ったものをご提供できるよう精一杯頑張ります!」


 セブはさらにもう一度頭を下げてお礼を言うと、泣きそうな表情ながらも力強い言葉を口にした。

 リリスの妊娠に気付きながらもはっきりとは明言せず、沈黙を守ってくれている。


「ありがとう、セブ。よろしくお願いね」

「はい!」


 ようやくセブの体からは力が抜け、かすかな笑みさえ浮かんだ。

 リリスがほっと息を吐くと、ジェスアルドが労うように軽く手を叩く。

 それからセブはタンベイとともに控室へと下がっていった。

 タンベイは料理の給仕をするでもなく、ただ顔を見せただけらしい。

 それによって毒見は終わっていると告げていたようだ。


「殿下、リリス様、お食事のご用意が整いました」

「ありがとう、テーナ、レセ」


 リリスがジェスアルドにエスコートされて席に着くと、湯気の立つスープが供された。

 しかし、先ほどとは違うスープだ。

 それでも一口飲めば懐かしい味がして、セブが調理してくれたものだとわかる。

 リリスが嫌な思いをしないように、わざわざ作り直してくれたのだろう。

 この短時間でよく調理できたものだと思いながら顔を上げれば、ジェスアルドもテーナもレセも心配そうにリリスを見ていた。


「――すごく美味しいです」

「そうか……」


 ジェスアルドはすでに二口ほど飲んでおり、ひとまずは異常がないと確認した上で、リリスの様子を見守っていたらしい。

 テーナとレセもリリスの様子に安堵したらしく、かすかに強張っていた表情を和らげる。


「ですが、せっかくセブが来てくれていたのに、直接伝えられなかったのは残念です」

「いや、セブは後でまた顔を出すはずだ」

「そうなんですか?」

「おそらくな」


 ぼやくようなリリスの言葉に、ジェスアルドはちらりと控室に視線を向けてから頷いてみせた。

 どうやら気配でまだセブがいるとわかるようだ。

 気配に敏いジェスアルドに改めて感心したリリスは、それからは何事もなかったかのようにマリスや奉仕院について話しながら食事をしっかりとって皆を安心させた。


 そして食事が終わると、ジェスアルドの言ったとおりに再びセブが現れた。

 やはりタンベイとベルドマとともに、控室で待機してくれていたらしい。

 リリスは喜んで三人それぞれにお礼を言うと、ジェスアルドは一度自室へと戻っていった。

 気がつけば、すっかり遅い時間になっている。


 そのため、リリスは簡単に湯を浴びただけで夜衣に着替えて寝室に入った。

 すると、ジェスアルドもすぐに寝室に入ってくる。

 その手にはいつものように剣が握られており、ジェスアルドはベッド脇に立てかけた。


「何か飲まれますか?」

「いや、今夜はもう休もう。明日もまたリリスには負担をかけてしまう話し合いがあるのだから」

「負担というなら私だけではないですよ。ジェドだって一緒です。ですから、二人で分け合いましょう?」

「――ああ、そうだな」


 反論することなく素直に受け入れたジェスアルドは、そっとリリスを抱き上げてベッドへ運んだ。

 以前のジェスアルドなら全てを一人で解決しようとしていただろう。

 だが今は、父である皇帝やアレッジオたちに頼るべきだと――それは恥でも何でもないのだと思えるようになった。

 何より、守られるだけでなく一緒に戦おうとしてくれるリリスがいる。

 リリスの笑顔を見るだけで、ジェスアルドは強くなれる気がした。


「ジェドってすごいですよね?」

「……何がだ?」


 リリスは隣に横たわったジェスアルドにぴったりと引っ付いて、唐突に切り出した。

 体は疲れているはずなのにまだ眠くないのは、頭が興奮しているせいだろう。

 そう思いつつ、リリスは今夜はもう毒についての話はしないと決めていたので、別の話を持ち出したのだ。

 それは以前から感じていたことだったのだが、ジェスアルドには端的すぎて意味がわからなかったらしい。

 それも当然のことで、すぐに補足する。


「ジェドは人の気配を察することが得意じゃないですか。私も隣の部屋に誰かいるなっていうくらいならわかりますけど、相手が足音を忍ばせていたらわかりませんし、ましてや誰なのかとまではまったくわかりませんから」

「ああ、そのことか……」


 リリスの言いたいことを理解したジェスアルドは、少し考えてから話し始めた。


「昔から……私は他の者たちよりは敏感だったと思う。それが……母が亡くなった頃から命を狙われることが多くなり、さらに鍛えられたのだろう」

「そんな……そんな小さい頃から命を狙われていたなんて……酷いです」

「まあ、あの頃はまだこの国も父の敵も多かったからな。そして母が亡くなり、父が新しい妻を娶ることを拒否していたために、唯一の後継者である私を狙ったようだ。子供のほうが無防備だと」


 ぎゅっと抱きつくリリスを宥めるように、ジェスアルドは華奢な背中を撫でながら、自嘲ぎみに呟いた。

 すると、リリスはさらに強く抱きつく。


「ごめんなさい」

「なぜリリスが謝るんだ?」

「私も気配に敏感になれればと思ったのですが、そのせいでジェドにつらいことを思い出させてしまいました」

「いや……それは大丈夫だ。ただ気配に関しては……そうだな、ある程度は訓練すればできるようになるかもしれない」

「本当ですか?」


 自分の言葉でリリスが落ち込んでしまったことに焦ったジェスアルドは、つい励ましてしまった。

 途端にリリスの顔がぱっと輝く。


「――ああ。普段から隣の部屋に誰がいるのか、何をしているのか、など意識を向けるんだ。時間はかかるかもしれないが、やらないよりはマシだろう」

「なるほど……」

「だが、これも得手不得手があるだろうから、あまり無理はしないでくれ」


 余計なことを言ったかとかすかに後悔しつつ、ジェスアルドがアドバイスをすると、リリスは真剣に頷いた。

 そこで心配を口にしたジェスアルドに向けて、リリスはにっこり笑う。


「はい、無理はしません。得手不得手があるらしいことは私もわかっています。以前から、現実夢の中では気配に敏感な人に怪しまれることがあったので……。もちろん見つかったりは絶対ないですよ? 私の意識だけがそこにあって、実際には存在しないんですから」


 リリスの話にジェスアルドは表情を曇らせ、リリスは慌ててさらに説明した。

 そして付け加える。


「実は結婚前に一度、ジェドを現実夢の中で見たことがあるんです」

「私を?」

「はい」


 リリスの打ち明け話にジェスアルドは驚いたようだ。

 ジェスアルドに関する夢の全てを話すつもりはない。

 それでも少しだけならと、リリスはジェスアルドの表情を窺いながら慎重に続けた。


「ジェドはあのとき……陛下がフロイトとの同盟の条件に、私と――王女との結婚を加えたと知って、反対していたみたいです。その様子を見ていると、勢いよく振り向いたジェドと目が合ったんです。おそらく現実だったと私は思っているのですが……」

「あれは――いや、そうだな。はっきり覚えている。フロイトと同盟を結ぶことは承知していたが、まさかあんな無茶な条件を父上が提示したことは知らされておらず……。そうだ、あのときに誰かに見られているような――密偵がいるのかと思ったことも覚えている。あれがリリスだったのだとしたら、嬉しい驚きだな」

「……嬉しい?」

「ああ。結婚前からすでにリリスと出会っていたことになるだろう?」

「それはちょっと違う、ような……?」


 気持ち悪く思われないか心配していたリリスは、逆に嬉しいと言われて驚いた。

 だがその内容は微妙にずれているようで、リリスは首を傾げる。

 

「あのときは結婚などするつもりもなかったために、父上には大きく反発してしまったが、今は本当に感謝しているんだ。リリスが嫁いできてくれたこと、こうして私の腕の中にいることを。だから、先に出会えていたのだとしたら嬉しい。だが、リリスには不快な思いをさせてしまったな。すまない」


 そう言ってジェスアルドはリリスが苦しくない程度に腕に力を込めた。


「い、いいえ。私はあれで闘志を燃やしましたから。絶対にジェドを振り向かせてみせるって! 色々と恋愛指南の本を読んだりもしたんですよ? ことごとく失敗に終わりましたけど……」

「……いや、大成功だろう?」


 思いもよらなかった謝罪の言葉を聞いて、リリスは急いで否定した。

 さらに余計なことを言ってしまったのだが、密着したジェスアルドの体からは細かな振動が伝わってくる。

 どうやら笑っているらしい。

 リリスはほっと息を吐きながらも、勇気を出して問いかけた。


「ジェドは……嫌じゃないですか? 私はジェドの秘密にしておきたいことを、夢で見るかもしれません」

「秘密か……。だがそれはきっと秘密ではないのだろう」

「秘密ではない?」

「ああ。私はリリスが苦しむことは隠しておきたいとは思うが、他には特に秘密にしておきたいことはない。だからもし、リリスが何かを見たとしても私に対して罪悪感などを抱く必要はない。おそらく、リリスにとっては必要なことだからこそ、夢によってリリスに伝えているのだろう。私としては、それでリリスが苦しむのなら何もできない自分が悔しくはあるがな」

「ジェド……」


 力をそのまま受け入れてくれるジェスアルドの言葉に、リリスは込み上げてくる涙を必死に堪えた。

 きっとここで泣くと、ジェスアルドはまた心配してしまう。

 そのため、リリスはとっておきの笑顔を浮かべた。


「ありがとうございます」

「うん?」

「私はジェドが大好きです。ジェドと出会えたことは、人生最大の幸運です。ですから、私も陛下には本当に感謝しているんです」

「……そうだな。父上には腹が立つことも多いが、結局はいつも正しい。悔しいが認めるしかないだろう。こんなにも私はリリスを愛しているのだから」

「は、はい」

「では、もう寝ようか」

「そう、ですね。――おやすみなさい、ジェド」

「おやすみ、リリス」


 ジェスアルドはリリスの額に軽くキスをして、次に唇にキスをした。

 照れくさそうに微笑んだリリスが目を閉じると、先ほどまで眠れそうになかったのが嘘のように眠りに落ちていく。

 その様子を見守っていたジェスアルドは、穏やかな寝息が聞こえてきてからようやくほっと息を吐き、目を閉じたのだった。




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