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「リリス様は、ご自分を囮になさるおつもりですか!?」
「囮も何も、狙われているのは私とこの子なんだから、今さらよ」
「ですが――」
「テーナ、レセも心配しないで。大丈夫だから。陛下や殿下が守ってくださるわ」
リリスとテーナのやり取りを皇帝とアレッジオは黙って聞いていたが、ジェスアルドがふっと小さく息を吐いてテーナとレセへその紅の瞳を向けた。
「テーナ、レセ、お前たちの心配もわかるが、リリスの言うとおりだ。私はもちろん、陛下もアレッジオも全力でリリスを守る。それに、リリスが狙われていることを公表することによって、多くの者たちがリリスの味方となるだろう。皇宮内でリリスは多くの者たちに慕われているのだから」
「それはおっしゃるとおりですが……」
テーナは同意したものの、心配でたまらないのか珍しく不満げだった。
リリスの皇宮での人気は日々高まっている。
どうやらリリスに接した者たちから、朗らかで優しい人柄――表向きの人柄が広まっているのだ。
だが何より大きいのは、未だに〝紅の死神〟の呪いの影響がないだけでなく、最近ではその呪縛を解いたのではないかと噂されているからだろう。
「侍女殿の心配もわかるが、公にしてしまったほうが逆に妃殿下を狙う者たちは動きにくくなる。また今回のことには関与していなくても、心に疚しさのある者は疑心暗鬼に陥るでしょうな。そこで馬脚をあらわす者も出るでしょうから、我々としては動きやすくなります」
「では、リリス様に危険はないということですね?」
アレッジオに念を押すように訊いたのはレセだった。
テーナもレセも普段はこのような面々の中で自ら発言することは絶対にない。
ただリリスの安全については黙っていられないのだ。
本来なら不敬罪で罰せられてもおかしくはないが、皇帝もジェスアルドも不快には思っていないようだった。
これはリリスの侍女だからというわけでなく、二人とも身分の貴賤を問わず率直な意見を常に求めるからだが、そのことを知る者は少ない。
「――危険はないと、断言することはできない」
「そんな……」
アレッジオの返答はリリスも予想できたことだった。
おそらくレセも本当はわかっていただろうに、やはりショックだったようだ。
そんなレセに厳しい言葉を向けたのは、気持ちを立て直したらしいテーナだった。
「レセ、状況がどうあれ、私たちがリリス様の安全に気を配りお守りすることに変わりはないわ。今回の失態を取り戻すつもりで、今まで以上に気持ちを引き締めてお仕えすればいいのよ」
「は、はい。そうですね!」
レセの力強い返事を聞いて、今まで黙っていた皇帝が声を出して笑った。
ジェスアルドもかすかに微笑んでいる。
「アマリリス、貴女の侍女たちは頼もしいな」
「はい。私の自慢ですから」
「うむ、そうか。……では、我々はそろそろ引き上げよう。詳しいことは明日また話し合うことにする。よいな、アレッジオ?」
「はい。そのように手配いたします」
そう言って立ち上がった皇帝に従い、皆が立ち上がる。
皇帝は目に優しさを湛えて、ジェスアルドに支えられているリリスを見つめた。
「アマリリス、色々あったがお腹が空いているだろう? 今から新たな食事をタンベイにこの部屋までしっかり運ばせるから、安心して食べなさい」
「お気遣いいただき、ありがとうございます」
「ジェス、お前も今夜はもう執務はよいから、アマリリスと一緒にいてやりなさい。食事もまだだろう? また新しいことがわかり次第、アニータに報告させよう」
「はい、お願いいたします」
リリスとジェスアルドが皇帝の心遣いに感謝の言葉を述べると、皇帝は微笑みながら出ていこうとした。
ところが、途中で立ち止まり、振り返る。
「そうだ。大切なことを言い忘れていた。アマリリス、ジェスアルド、おめでとう。アマリリスが母子ともに無事に出産できるよう、願うだけでなく私も全力を尽くすぞ」
「――ありがとうございます」
今夜の出来事は喜びに水を差すものではあったが、皇帝のこの言葉でリリスの気分はまた上昇してきた。
それはジェスアルドも同様らしい。
リリスは満面の笑みで、ジェスアルドは照れくさそうに微笑んで感謝の言葉を述べると、皇帝は再び楽しげに声を出して笑い部屋を出ていった。
続いてアレッジオとタンベイが出ていく。
ベルドマはテーナとレセを手伝ってテーブルの上を片づけ始め、リリスはジェスアルドに促されて再びソファへと座った。
「リリス、体はどこも悪くないか?」
「はい、大丈夫です」
心配するジェスアルドに笑顔で答えた途端に、リリスのお腹が大きく鳴った。
どうやらテーブルまで聞こえたらしく、テーナとレセは微妙な表情になり、ベルドマは笑いをかみ殺す。
リリスは恥ずかしさのあまり俯いたが、目の前のジェスアルドが小刻みに震えていることに気付いて顔を上げた。
「……殿下?」
「い、いや……すまない……」
ジェスアルドは片手で口を覆いながら謝罪した。
どうやら笑っては失礼だと思っているらしい。
緊張していたジェスアルドの体から力が抜けているのを見たリリスは嬉しくなり、恥ずかしさも忘れてジェスアルドの手を摑んで下ろすと、にっこり笑った。
「笑ってもかまいませんよ。今のはお腹の子の訴えですから。腹が減っては戦はできないって」
「それは……ずいぶん勇ましいな」
「もちろんです。ジェドと私の子ですからね」
「――そうだな」
不安はあるが、今のところ体調に変化もない。
リリスはジェスアルドの笑顔が大好きで、この笑顔を見るためならどんなことでも頑張れるのだ。
しかもお腹にはジェスアルドとの子供もいる。
リリスは握ったままのジェスアルドの手に力を込めると、改めて自分の決意を口にした。
「ジェド、私……今夜のことはとても驚きましたし、怖かったですけど、みんながいてくれることで心強くも思いました」
「リリス……」
「みんながいてくれるから、私は頼ることができます。ジェドとこの子がいてくれるから、私は強くなれます。ですから私がこの子のことを絶対に守りますので、ジェドはジェドの思う最善の策を進めてください」
「――わかった」
リリスの力強い言葉を、ジェスアルドは表情を曇らせて聞いていたが、やがて静かに頷いた。
見えない敵から逃げることなく立ち向かおうとする、この強さこそがリリスなのだ。
「怖い」と弱音を吐きながらも、ジェスアルドを勇気づけてくれる。
「リリス、今日はもう疲れただろう? 今後のことは明日の午後にでもまた話そう」
「ですが……」
「明日の午後までには……新しい情報も入っているはずだ。だから今夜はゆっくり休んで、また明日になって考えればいい。腹が減っては戦はできないのだろう?」
冷静になったジェスアルドは穏やかな口調で言い聞かせると、リリスの手を軽く叩いた。
テーナたちが片づけを終わらせて下がった控室では、タンベイの気配がする。
リリスの言葉を逆手取ったジェスアルドの提案に、反論しかけたリリスも結局は笑って頷いた。
「そうですね」
リリスの声を合図にしたように、控室からノックの音が響き、応えればテーナたちが新しい料理を運んでくる。
ポリーのことはどうしても気になるが、リリスはジェスアルドの提案どおりにひとまずは忘れることにした。
だがそこで、一番最後に入ってきた人物を目にしたリリスははっと息を呑んだ。
タンベイの後ろから入ってきたのは、酷く顔色の悪いセブだった。




