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 リリスはジェスアルドの手を借りて立ち上がると、皇帝に向かって軽く膝を折った。

 その視界の片隅に、前室への扉を閉める瞬間の護衛の申し訳なさそうな表情が映る。

 もちろん彼を責めるつもりはない。


「陛下、ご心配をおかけして申し訳ございません。ですが、私はこのように無事でございます」

「そうか……。それはよかった」


 皇帝のこの言葉は本当に心から吐き出されたような安堵が窺えた。

 先ほど出ていったばかりのアレッジオが一緒にいるということは、事情も聞かされているのだろう。

 そしてもう一人、陛下の従僕らしき人物も後ろに控えている。


「アマリリス、彼はポーロ・タンベイ。私の従僕を務めてくれている」

「お初にお目にかかります、妃殿下。ポーロ・タンベイでございます」

「……はじめまして、タンベイ。わざわざ来てくださってありがとう」

「私ごときにもったいないお言葉をいただき、恐縮でございます。それでは、さっそく私はそちらの料理を調べさせていただいてよろしいでしょうか?」


 皇帝の紹介を受け、タンベイはどこかおどけた態度でお辞儀をした。

 それだけで、室内の緊張が緩む。

 さすが皇帝の従僕だなと思いながらリリスが挨拶を返すと、タンベイは慇懃に答えながらも単刀直入に切り出した。

 リリスがちらりとジェスアルドを窺えば、頷いて応えてくれる。


「では、よろしくお願いします。陛下、アレッジオ、あちらの席にどうぞおかけになってください」


 リリスが食事をしようとしていたテーブルの上はそのままの状態になっており、タンベイはベルドマとともに料理を調べ始めた。

 そこに首を突っ込んでも仕方ないので、リリスは皇帝たちに応接ソファを勧め、リリス自身もジェスアルドの隣に座った。


「それで、アレッジオがここにいるということは、もう犯人はわかったのか?」

「実行犯と思われる人物は掴めました。しかし、まだ捕らえてはおりませんので、事の真相を解明するにはもうしばらくお時間をいただくことになります」

「その実行犯とは?」


 淡々と交わされるジェスアルドとアレッジオの会話を、リリスも皇帝も黙って聞いていた。

 しかし、四人にお茶を淹れてカップをテーブルに置くテーナとレセはかすかに震えている。

 リリスにも二人の気持ちが痛いほどにわかった。

 本当はリリスも何かの誤解だと訴えたい衝動を必死に抑えていたのだ。

 だが無情にも、アレッジオの口からは聞きたくなかった名前が吐き出される。


「妃殿下のお部屋付きのメイドが――今夜のお食事を運んだメイドのポリーの姿が見当たりません。只今、部下たちに捜索させておりますが、おそらく彼女が実行犯でしょう」

「ポリーが……」


 わかってはいたが、やはりリリスはショックだった。

 アニータほどには親しくしていなかったが、ポリーとはこの国に嫁いできたときからの付き合いだったのだ。

 思わず失意の声を漏らしたリリスを、ジェスアルドが優しく抱き寄せた。

 普段ならジェスアルドが人前でこのような姿を見せることは絶対にないのだが、皇帝もさすがに冷やかすことなく、アレッジオに視線だけで続きを促す。


「問題は首謀者です。彼女を捕らえて指示した者の名を訊き出せれば早いのですが、簡単にはいかないでしょう。また何か手がかりがないか、ポリーの部屋とともに実家にも範囲を広げて捜索させています」


 アレッジオがそこで言葉を切ると、テーナとレセが一歩前へと進み出て深く頭を下げた。


「リリス様、申し訳ございません」

「テーナ? レセも……どうして謝るの?」


 リリスよりもテーナやレセはポリーと深く関わり、親しくなっていたはずだ。

 二人のほうがショックも大きいだろうに、なぜ謝るのかとリリスは驚いた。


「いくらポリーと親しくなっていたとしても、私どもがもっと気をつけるべきでした。ですから、今回のことは確認を怠った私どもの責任でもあります」

「テーナ、レセ、その話はもう終わったはずよ。だけど……ポリーにどこかいつもと違ったところはなかった? ここ最近の様子は?」


 皇帝の前なのでテーナとレセの謝罪は軽く流し、リリスはポリーについて訊ねることにした。

 すると、テーナが悔恨の滲んだ声で答える。


「今日のポリーはいつも以上に口数も少なく、元気がありませんでした。その時にどうしたのかとせめて尋ねていれば、何かわかったかもしれませんのに……」

「それは仕方ないわよ。相談されたならともかく、そうじゃないなら、あまり個人的なことをあれこれ訊くのも失礼だもの」

「おや、そういうものなのかね? 女性はすぐに何でも知りたがり、話してしまうものだと思っていたよ」


 リリスがテーナたちに慰めの言葉をかけると、皇帝が意外そうに口を挟んだ。

 話が逸れていることに苛立っているのか、ジェスアルドは軽く眉を寄せる。

 そこに、レセが遠慮がちに口を開いた。


「僭越ながら、申し上げてもよろしいでしょうか」

「うむ。かまわぬ」

「ありがとうございます。確かに女性は噂話を好みますし、良いことも悪いことも誰かに聞いてもらうことが大好きでございます。ですが、全ての女性がそうだとは限りません。ポリーはどちらかというとおとなしく、噂話に参加するような子でもありませんでした」

「そうね。ポリーはおとなしくて真面目で口が堅い印象だったわ」


 だからこそリリスの部屋付きのメイドに選ばれたのだろう。

 アレッジオをちらりと見れば、そのとおりだというように軽く頷いた。


「それが……実はここ最近、ポリーはとても浮かれているように見えました。特に何があったと口にすることはありませんでしたが、何かよいことがあったのだと私は思っていました」

「何かよいこととは?」


 続いたレセの言葉に疑問を投げたのはアレッジオである。

 リリスはポリーの変化にはまったく気付かなかった。


「はっきりとはわかりません。本人はあくまでも普通に過ごしているつもりのようでしたから、ポリーの性格的にあまり深く訊くと嫌がると思って……。ただ、これはただの勘ですが、恋人ができたのだと思います。少なくとも恋をしているのだと」


 そうレセが言うのなら間違いないだろう。

 レセはリリスの知る限り誰よりも人の心の機微に敏感で、だからこそ相手を気遣い、好かれるのだ。


「ということは、その恋人とやらが怪しいな……。しかし、アニータからは何も報告がなかったが……」

「あの、ポリーはアニータのことを苦手としていましたから」

「ああ、そういえばそう言っていたな。アニータは誰にでも親しげに振る舞うが、稀にアニータの本質に無意識に気付いて警戒する者もいるからな」


 アニータの失態にならないよう、アレッジオに意見したのはテーナだった。

 天然であるレセとは違って、仕事上で明るく無邪気な性格を装うアニータに、敏感な人は違和感を覚えてしまうのだろう。

 ほんのわずかな沈黙――いったいポリーが恋した相手は誰だろうと、おそらくみんなが考えたとき、先ほどとは違って真剣なタンベイの声が部屋に響いた。


「陛下、調査が終わりました」

「それで、結果は?」

「はい。やはりベルドマの検分どおり、他の料理に混入物はありません。スープ以外は私が調理場で検分し、ポリーへと渡したままの状態です。そしてスープにも〝星の薬〟以外の異物は混入されておりません」

「そうか……」


 タンベイの報告に答えたのはジェスアルドだった。

 そのまま黙り込んでしまったジェスアルドに代わり、アレッジオが今回のことを考察する。


「やはり実行犯はポリーで間違いないでしょうな。タンベイが検分した後にポリーが妃殿下の控室まで運ぶ間、常に二名の護衛が付き添っています。その二名や侍女殿の目を盗んで〝星の薬〟を混入させるには、一品が精一杯だったということでしょう」


 アレッジオは最後にテーナとレセに視線を向けた。

 応えて、テーナとレセは頷く。

 二人ともリリスに関することでは、控室でもできるだけメイドには任せないのだ。

 ジェスアルドはそんな二人から視線を目の前の皇帝とアレッジオに戻し、自分の考えを述べ始めた。


「スープを選んだのは故意的でしょうね。毒を素早く混ぜるには液体が一番簡単です。しかも、今日という日を選んだのも偶然ではないでしょう。セブの――フロイト料理のスープ……あの香草を煮込んだスープがリリスの好物であることは、関係者なら皆が知っています。しかも普通の者なら匂いに違和感を覚えないでしょうから。ただ問題は味ですが……」

「〝星の薬〟がそこまで味に癖があるとは知らなかったのではないか?」

「いえ、それはさすがにないでしょう。ここまで周到に計画している者が味を知らないなどとは……。おそらくポリーも指示されたとおりに実行しただけでしょうし、その指示自体も今日いきなりされたのだと思います」

「そうですな。前もって指示されていたのなら、ポリーはもっと挙動不審になっていたでしょうし、アニータも気付いたはずです。とすれば、今日ポリーに接触した者を調べる必要もありますが……。未だにポリーを発見したという報告がないということは、やはり上手く手引きして逃がした者がいるのでしょう」

「あの! 少しいいでしょうか?」


 ジェスアルドの発言から始まった皇帝とアレッジオを交えた三人の会話に、リリスは声を上げて割り込んだ。

 途端にジェスアルドが心配に顔を曇らせる。


「どうした、リリス? やはり調子が悪いのか?」

「いえ、体は大丈夫です」


 ジェスアルドの表情には少しばつの悪そうなものも浮かんでおり、リリスを話し合いから置き去りにしていたことを後悔していることがわかった。

 リリスは苦笑交じりに大丈夫だと答えると、表情を改めて三人の顔を順に見て切り出す。


「今回は幸い私も無事でしたが、この先はわかりません。わからないことといえば、今回の目的さえわからないのですが……。とにかく警戒が必要なことはわかりました。ですから、まだ安定期に入ってはおりませんが、この子のことはできるだけ早く公表したいと思います」

「リリス……」


 庇うようにお腹に手を添えて宣言したリリスの肩に回されたジェスアルドの腕にかすかに力がこもる。

 リリスはジェスアルドに向き直り、にっこり笑った。


「今回の首謀者が誰だかはこれから調べるとして、もうこの子のことは知られてしまっているのですから、公表したほうが動きやすいですよね? そもそも陛下がこの部屋にいらっしゃったことで、すでに何かが起きたことは知られてしまっているでしょうし……」

「アマリリスの言うとおりだな」


 リリスに同意する皇帝に、誰のせいだと言わんばかりの視線をジェスアルドが向けた。

 しかし、皇帝は気にした様子もない。

 そんな二人を取りなすように、アレッジオが口を挟む。


「まあ、妃殿下のおっしゃるとおりですね。そのほうが堂々とベルドマを派遣できますし……今度の新しい両殿下のお部屋の控室にベルドマ専用の部屋を用意しましょう。ベルドマの管理する薬草などに手を加えられることも考えられますから、ベルドマの部屋にも警備も必要です」

「……確かにそうだな」


 アレッジオの提案に答えたのはジェスアルドだったが、リリスも大きく頷いた。

 ベルドマが傍にいてくれるのなら、これほどに心強いことはない。

 その気持ちのまま、リリスは続けて自分の考えを述べた。


「それから……妊娠の発表とともに、私に毒が盛られたことも公表してください」


 この言葉の意味を瞬時に悟ったジェスアルドと皇帝、アレッジオはさらに真剣な表情になり、タンベイとベルドマはただ静かに佇んでいた。

 だがテーナとレセは顔色を変え、賛成できないとばかりに声を上げたのだった。




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