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「ベ、ベルドマは大丈夫なの?」


 本来、ベルドマに介抱してもらうべきリリスが心配したのも仕方ないだろう。

 息を切らしたレセに連れられているベルドマの顔色は土気色に変わっており、呼吸困難に陥っているように見える。

 どうやらレセに引っ張られて走ってきたらしい。


「とりあえず座って水を飲んだほうがいい」


 呆気に取られていたテーナはジェスアルドの声で我に返ったらしく、急いで新しいグラスに水を注いだ。

 レセが近くに据えられている一人掛け用の椅子にベルドマを運んで座らせると、テーナがグラスを渡す。


「ご、ごめんなさい、ベルドマ。急ぐあまり、あなたのことを考えていなかったわ……」

「い、いえ……ひで、んかのいち大事なら……仕方ありま、せん……から」


 水を二口飲んでからレセの謝罪に答えるベルドマの言葉は途切れ途切れではあったが、それでも顔色は徐々によくなっている。

 ほっとしたリリスは、テーナが水を新たに注ぎ足しながらも、レセに対して怒りを抑えていることに気付いた。

 これは後でかなりのお説教になるだろう。

 だがそれも、リリスを心配してのことなのだ。


「あの、ごめんなさい、ベルドマ。無理をさせてしまったわね。うっかり変なスープを口に入れてしまって。でもすぐに吐き出したし、しっかり口もゆすいだから今のところは大丈夫なんだけど……落ち着いたら、一応診てもらえるかしら?」

「もちろんで、ございます。それで、その()()スープはどちらに?」


 ベルドマの問いにリリスが答えるよりも早くスープを差し出したのはジェスアルドだ。

 スープ皿を受け取ったベルドマは、鼻へと近付けて匂いを確かめた後、指ですくって舐めた。


「ベルドマ!?」


 突然のことで驚き声を上げたリリスだったが、ベルドマは熟練の薬師だと思い直して口を噤んだ。

 ジェスアルドもテーナも冷静にベルドマの様子を見ている。

 ベルドマはテーナに向けて一度頷くと、レセへと振り返った。


「レセさん、それらを控室に持っていって、ポット一杯分の白湯を用意してください」

「はい、わかりました!」


 レセは片手に持ったままだった籠を大事そうに抱えて、控室に戻っていった。

 どうやらベルドマの薬草がいくつも入っているらしい。


「リリス、私は――」


 何か言いかけたジェスアルドは口を噤むと、素早い動きで寝室側の扉へと近づき、腰の剣を抜いた。

 だが、ジェスアルドにそこまでの緊張感はなく、リリスたちが驚き見守る中で、扉に向かって誰何する。


「誰だ?」

「アレッジオです、殿下」

「入れ」


 声は確かにアレッジオで、ジェスアルドも入室の許可を与えたのに剣はしっかり構えたままだった。

 そのことに気付いているらしいアレッジオは、扉を開けたもののすぐには入室してこない。

 知らず息を詰めていたリリスは、アレッジオの姿を目にしてほっと息を吐いた。

 テーナもリリスを庇うように立っていたが、体から力を抜く。

 またベルドマも、一連のやり取りを見届けてから、控室へと入っていった。


「リリス様、お加減はいかがですか? アニータを遣わされるなど、余程のことだと私も参りましたが……」

「アレッジオ、リリスは今のところは無事だが、あのスープに異物が混入されていたようだ。すぐにあのスープに関わった者を洗い出してくれ」

「かしこまりました」


 ジェスアルドとアレッジオの会話を聞いたリリスは今さらながら、この状況がどれほどの重大事かを思い出した。

 自分に関わることではあるが、ここは口を出すべきではない。

 それでもリリスは言わずにはいられなかった。


「セブは、セブは違います!」

「――わかっております、妃殿下。ですが私は全ての可能性を否定せず、調べなければなりません」

「ええ、そうね……。お願いするわ」


 アレッジオのもっともな言葉にリリスは消沈しながらも頷いた。

 だが、セブではなくても当然誰かが関わっているのだ。

 何かの偶然だとはリリスも思えず、故意であるからこそ犯人がわかれば極刑は免れないだろう。

 今はどこも体に不調はないように思えるが、もしお腹の子に何かあればと考えると怖かった。


「リリス、大丈夫か?」

「……はい。体は何ともないようです。でもお腹の子が心配です」


 アレッジオが出ていくよりも早く、剣を鞘に収めたジェスアルドはリリスの足下に跪いて問いかけた。

 おそらく先ほど言いかけたことは、アレッジオが現れたことで必要なくなったのだろう。

 そして今は皇太子としてでなく、夫としてリリスを心配してくれている。

 リリスはそんなジェスアルドに甘えてつい本音を吐露してしまった。

 ジェスアルドは励ますように、膝の上で握りしめられたリリスの両手を両手で包み込む。


「我慢する必要はないんだ。心配するのは当然なのだから。私は怖い。リリスに、お腹の子に何かあったらと思うと耐えられそうにない」

「殿下……」

「今回のことは、私の甘さが招いたことだ。リリスを守ると言いながら、何もできなかった……」

「ほらほら、そんなに悲痛な顔をなされないでください。ご両親がそれでは、お腹の御子も不安になってしまわれますよ」

「ベルドマ……?」


 落ち込むリリスとジェスアルドに、控室から戻ってきたベルドマが明るく声をかけた。

 その手には湯気の立つカップが握られているが、先ほどのスープの比ではないほどに怪しげな臭いを発している。

 二日酔いの薬湯といい勝負かもしれない。

 しかし、お腹の子供のためならば、どんなものでも飲める。

 そう思ったリリスは何も言わずに、ベルドマからカップを受け取った。


「これは毒消しか何かなの?」

「正確には、荒れた胃と肝を優しく癒し、体とお腹を温める薬草を煎じたものでございます。あの二日酔いの薬湯と同じものも入っておりますよ」

「……やっぱり」


 においからそうではないかと思ったが、そのとおりだった。

 しょんぼりしながらもリリスはあの二日酔いのときのように覚悟を決めて、呼吸を止めて、一気に飲み干した。

 今度ばかりはむせそうになっても、一滴も零すものかと気合を入れる。

 リリスが飲み終わると、テーナが水の入ったグラスをすかさず差し出してくれた。


「ありがとう、テーナ」


 お礼を言って水を飲むリリスを、ジェスアルドはじっと見つめていたが、大丈夫だと判断したのか視線をベルドマへと向けた。

 その表情は気遣わしげなものから、厳しいものに変わっている。


「ベルドマ、スープに混入されていたものは何かわかったのか?」

「はい、においから予想はできましたが、念のために口に含んで確認いたしました。他に混入されたものはないでしょうし、妃殿下のご様子からもお言葉からも判断して、お飲みになってしまわれたとしてもほんのごくわずか……。お体に害が出るようなことはございません」

「そうか……。では、リリスはもう休んだほうがいい。ベルドマ、お前とは――」

「待ってください」


 ベルドマの説明を聞いたジェスアルドは今度こそ見るからにほっとして、リリスに優しく微笑みかけて休むように言うと、立ち上がりかけた。

 だが、リリスはジェスアルドの両手を強く握り、押しとどめる。


「どうした、リリス?」

「どうもしません。ただ、私も何が混入されていたのか知りたいだけです。私のことなんですから、私にも聞かせてください」

「リリス……」

「大丈夫です。ショックで倒れたりして、この子を危険にさらしたりはしませんから」

「……わかった」


 ジェスアルドがリリスのために休むようにと言ってくれたのはわかったが、自分のことなのだから知っておきたい。

 そんなリリスの考えに、ジェスアルドはかすかにためらってから、了承してくれた。

 テーナはもちろん理解してくれており、レセもまた控室から戻ってくると、きっちり扉を閉めてその脇に立つ。

 ジェスアルドがリリスを守るように隣に腰かけると、ベルドマは一度テーナをちらりと見た。

 応えてテーナが頷く。

 そこでリリスは、そういえばテーナがレセに指示を出したときに、混入されたものについて何か言っていたなと思い出した。

 しかし、その名前が何だったかを考えるまでもなく、ベルドマが答えてくれる。


「――妃殿下のスープに混入されていたものは〝星の薬〟という名で呼ばれているものです」

「〝星の薬〟? 毒ではないのか?」


 どうやらジェスアルドには初耳らしい。

 リリスは先ほどテーナが口にしたときではなく、いつだったか聞いた覚えがあることに気付いた。

 そんなリリスとジェスアルドに対し、ベルドマは感情を抑えるように無表情なままで続ける。


「殿下がご存じないのも当然かと思います。〝星の薬〟は公に認められたものではなく、一部の女性たちの間でだけしか知られていないものですから」

「まさか……」


 ベルドマの説明を聞いて、あることに思い至ったリリスははっと息を呑んだ。

 ジェスアルドはリリスを気遣い、優しく背中を撫でる。

 そのお陰で落ち着いていられるリリスに、ベルドマは肯定するように頷いた。


「〝星の薬〟とは……堕胎薬なのです」




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