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「あ、〝暁の星辰〟はどうなっているんですか!?」

「いや、それは今は関係ないだろう……」

「で、ですがジェドの二つ名は大切です」

「……そうかもな」


 どうやらパニックになっているらしいリリスを見て、ジェスアルドはあまり刺激しないほうがいいだろうと判断した。

 これくらいではさすがにお腹の子に影響があるとは思わないが、リリスの言動は予想がつかない。

 次にどう反応するのだろうと、ジェスアルドは用心深く見守る。


「慈愛の女神だなんて……。それならまだ眠り姫のほうがいいですよね? でももう私はジェドの妻で姫ではないですから……〝エアーラスの眠り妻〟はどうでしょう?」

「それはおかしいだろう」

「え? 変ですか? そうですか……。でも〝勇者アマリリス姫〟も違うし……」


 リリスの思考は自分の二つ名に戻ったようで、口にした二つ名候補を聞いたジェスアルドは素で突っ込んでしまった。

 そんなジェスアルドに気を悪くしたふうでもなく、リリスは皇宮内の一部で呼ばれている二つ名まで持ち出して、まだ真剣に考えている。

 子供の名前は二人で一緒に決めたいと考えていたジェスアルドだったが、やめたほうがいいかと思い直し、そこで話がすっかり逸れてしまっていることに気付いた。


「リリス」

「はい?」

「奉仕院についての話だが……」

「え? ああ、そうでした! あれですね、マリスのことが発表されると、またトイセンに多くの求職者がやって来るでしょうし、奉仕院の開院もちょうどいい時期ですよね?」

「そうだな。だが、問題は開院してからだ。受け入れにしても作業にしても体制が整っていないために、初めはかなり混乱するだろう」

「確かに……手順を記したものがあったとしても、いくらでも予想外のことは起こるでしょうし、職員が臨機応変に対応できなければいけませんよね。とはいえ、それもまたしっかりした指導者が必要で……」


 奉仕院についての作業手順などの手引書はフレドリックとともにすでに作成はしていた。

 職員の選定はフレドリックを通して、事務官に任せているのだが、その者たちも大方決まったと聞いている。

 ただいくら他の孤児院などでの経験があっても、奉仕院は初めての試みであり、トラブルは避けられないだろう。

 当初はトイセンでのマリスのこともあり、フレドリックが現場で指揮を執ることも案としては出たが、高齢であることを除いても無理だとの結論に至った。

 近いうちにフレドリックが〝賢人・グレゴリウス〟であることは知られるだろうことから、皇宮に留まったほうが身の安全を図れるのだ。


「リリスの心配するとおりだ。そこで、現場の指揮者としてヘルゲ・エクマンという政務官を派遣することになった」

「ヘルゲ・エクマン……」


 すでに対策を取ってくれているジェスアルドに感謝しつつも、リリスは知らされた名前に聞き覚えがあり、飲み込むように繰り返した。

 すると、ジェスアルドが苦笑交じりにリリスの疑問に答えてくれる。


「ヘルゲは以前、フレドリック殿に師事していたらしい」

「ああ! そうでした。フウ先生から聞いたことのある名前でした」


 もやもやが晴れてすっきりしたリリスは、同時に安堵もした。

 フレドリックの弟子であるヘルゲならまず間違いなく大丈夫だろう。

 この皇宮に数人いるらしいフレドリックの弟子のうちの一人で自信家の人物だ。


「近々、トイセンに向けて発つ予定だから、それまでに一度、リリスの許に挨拶にくるはずだ。そのときは、体調さえよければ会ってやってくれ」

「はい、わかりました」


 奉仕院の責任者としてヘルゲが任されるのなら、立案者としての立場であるリリスが優先して会うことはおかしくはない。

 正直に言うならば、奉仕院が開院すると瞬く間に噂は広まり、どっと人が押し寄せるかもしれないとリリスは危惧していた。

 今でも十分に街の人口は増えている。

 その者たちは建築作業などの仕事を与えることによって落ち着いているが、彼らもまだ住居も定職も持たないのだ。


「……問題はまだまだ山積みですけど、ジェドはヘルゲに任せて大丈夫だと思っているんですよね?」

「ああ。彼なら間違いなく上手く解決していくだろう」

「では、試すわけではありませんが、ヘルゲに今度会うときに、いくつかの質問をしてもよろしいでしょうか?」

「もちろんかまわない。むしろそのほうがリリスも安心するだろう。ただ……いや、まあ、大丈夫か……」

「ええ? 何なんですか? すごく気になります」


 ジェスアルドは政務官たちときちんと話を詰めてくれているだろうと考え、リリスは直接ヘルゲに疑問をぶつけることにした。

 その考えを読み取ってジェスアルドは頷いたが、その後に何か言いかけてやめる。

 これはずるい。

 そのため、リリスは不満を顔に出して続きを促した。


「いや、ヘルゲについてだが……彼はとても優秀で頭の回転も速い。しかも弁が立ち行動力もある。――が、かなりの変わり者でもあり、初対面ではたいていの者が圧倒されてしまう。しかし、リリスはフレドリック殿で慣れているので大丈夫だと思ったんだ」

「なるほど……。ですがフウ先生もさすがに初対面では好々爺としていて、今のように意地悪ではありませんでしたよ? でも、先生は『昔は、私も尖っておりました』と言っていたので、そんな感じなのかもしれませんね。ヘルゲさんは」

「……そうだな」


 ジェスアルドがフレドリックと初めて対面したときは慇懃無礼という言葉がまさに当てはまった。

 丁寧な言葉遣いでありながらチクチクと棘があり、笑顔の中で目だけが笑っていなかった。

 そしてジェスアルドの一挙手一投足に厳しい視線を向けてくる。

 それがリリスへ向けられた途端に、可愛くてたまらないといった様子で優しさに溢れるのだ。

 今のジェスアルドにはその気持ちを十分にわかるどころか、おそらく同じように周囲からは思われているだろう。


「さて、それではそろそろ寝支度をしたほうがいいな」

「そうですね」


 その言葉を合図に二人は立ち上がり、ジェスアルドはリリスの寝室を通って自室に戻っていく。

 またすぐに会えると思うと、リリスも寂しくはなかった。

 それでも急いで夜衣に着替え、寝室に入ってジェスアルドを待ったのだった。


   ◇ ◇ ◇


 この日から七日後。

 リリスはフレドリックとともに、出発前のヘルゲと初めて対面した。

 話に聞いていたとおり、ヘルゲは自信に満ちており、一歩間違えれば傲慢とも取られかねないほどであった。

 しかし、言葉の端々に実力が垣間見えて周囲を黙らせるだけの力があり、リリスは深く納得したのだ。


「やっぱりフウ先生のお弟子さんよねえ。的を射た嫌味が上手だったわ」

「そういう問題ではないかとは思いますが、優秀な方だというのはわかりました」

「私は苦手です。三十五歳になって未だに独身だと伺いましたが、納得いたしました」

「あら、独身なの?」

「レセ、あの方の私生活は関係ないでしょう?」


 夕食の時間になり、フレドリックとヘルゲが退室してから、リリスたちはあれやこれやとヘルゲの話で盛り上がった。

 リリスの部屋にフレドリックとコンラード以外の男性――政務官が訪れたことは初めてであり、三人とも物珍しさもあってか話が弾む。


 ヘルゲは少々きつい面差しをしており、さらにその口からは鋭い言葉が飛び出してくるのだから、女性たちは敬遠してしまうだろう。

 だが、奉仕院に対するリリスの不安や疑問に、ヘルゲはすぐさま明確な答えを提示し、リリスを安心させた。

 この人物なら奉仕院に問題が発生しても、あっという間に片づけてしまうだろうと思えるほどの才覚がはっきり表れていたのだ。


 リリスはテーナとレセと楽しく会話しながらも席に着き、スプーンを手に取るとスープをすくい上げた。

 今日はセブの作ったフロイト料理の日だ。

 野菜をじっくり煮込んだスープはリリスの大好物でもある。

 レセがテーナに私生活が仕事に与える影響について語る言葉を耳にしながら、リリスはスプーンを口元へと運び、一度動きを止めたものの馴染んだ上品な仕草で一口飲んだ。

 ――瞬間、リリスはスープを吐き出したのだった。




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