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翌日の夕食は、フロイト産のリンゴジュースでの乾杯から始まった。
それから次々供されるフロイト料理について、リリスがジェスアルドにあれこれと説明する。
中にはリリスが考案した――というよりも夢で見た料理もあり、そのときのことを面白おかしく話した。
そして最後にデザートを食べ終えると、セブが挨拶のために訪れ、かちこちになりながらジェスアルドに頭を下げた。
「セブ、心配しなくても、殿下はとてもお優しい方よ」
「は、はい。た、ただ……このように高貴な方の御前で緊張してしまって……」
「ええ? 私に対しては普通なのに? そういえばセブって、お兄様やダリアの前では私への態度と違ったわよね……」
「い、いいいや! それは誤解です!」
「ごめんなさい、今のは冗談よ。セブはいつだって私の言うことに無理だなんて言わず、できることを考えてくれていたものね。ありがとう」
「――ご苦労だったな、セブ」
「も、もったいないお言葉でございます!」
リリスとセブのやり取りを見ていたジェスアルドは、最後に色々な意味を込めてセブに声をかけた。
途端にセブは先ほどよりも深く頭を下げる。
ジェスアルドは苦笑しながらも、いくつかの言葉を交わし、セブが退室すると場所をソファに移してリリスと一緒にお茶を飲むことにした。
祝いは楽しかったが、話し合っておかなければならないことはたくさんある。
「リリス、今後のことだが……」
「はい」
「まず妊娠についての発表は、もう少し落ち着いてからがいいと思う。時期はベルドマとリリスの判断に任せるので、二人で相談して決めてほしい」
「わかりました」
ジェスアルドの言葉ににこにこしながら答えたリリスが飲んでいるのは、ベルドマが今日届けてくれた薬草茶だ。
匂いもきつくなく、あっさりしていて飲みやすい。
それなのになぜかジェスアルドには合わなかったらしく、リリスと一緒のものでいいと言ったものの、レセにいつものお茶を淹れ直してもらっていた。
「正直なところ……リリスが病弱だと皆に思われていて助かった。これからは本来なら公の場に出る機会が多くなるはずだが、気分が悪いと部屋に籠っていても怪しまれないだろう? もちろん、リリスの好きなときに部屋の外へ出てくれてかまわないがな」
軽く息を吐いて、ジェスアルドはカップをテーブルに置いた。
ジェスアルドの言いたいことを理解したリリスは、今度はにんまり笑って頷く。
「噂というものは面倒なときもありますけど、上手く利用すれば便利でもありますよね。それで、本来の私が公の場に出なければならないのは、マリスについてですか? それとも奉仕院について?」
「その両方だ」
「では、マリスについての方針も決定したんですね?」
「ああ。フロイトの使節団がマチヌカンの総統や執政官の前で上手くマリスについて話題を持ち出してくれたらしい。執政官たちは各国の有力な商会出身の者たちばかりだからな。昨日三件、今日に至っては五件の問い合わせが――各国の商会の使いの者たちがやってきている」
「早いですね……」
「彼らは早さが勝負だ。中でも目端の利く者たちはすでにトイセンに人を遣っているだろうから、買い付けも早いはずだ」
「さすがです……」
商人たちの逞しさはリリスもよく知っている。
フロイト王国にいた頃、リリスたちが何か新しいものを開発すれば、どこからともなく情報を得て――おそらく城にいる密偵か何かだろうが――たとえ雪深くなった悪路を進んででも、取引のためにやってくるのだ。
当然、専売権を求める者たちも多い。
しかし、フロイト王は常に製法を公開しており、専売権をどこかの商会などに与えることは一度もなかった。
ただし、フロイト王国を一躍有名にした世界的飢饉の際には、製法をすぐには公開しなかった。
あのとき公開していても付け焼き刃にもならないことはわかっていたので、交渉を有利に運ぶために取った措置だったのだ。
要するに、各国の使者だけでなく民間の商会にも、不当な利益を得ないよう――裕福な者だけが買い占めないように約束を取り付けるためである。
もし約束を破ることがあれば、今後はいっさいの取引をしないという通告を与えて。
元々、フロイトの花の精油は貴重で高値で取引されており、そこに長期保存の利く食品が加わることで、ほとんどの商会が約束を守った。
残念ながら一部は闇市などに流れていたらしいが、さすがにそこまでは監視できないので仕方ないだろう。
「エドガーからの連絡で、また新たなマリスが焼き上がったらしい。それらは今、厳重に保管しているが、十日後にはこの皇宮で前回焼き上がったマリスを公表し、同時にトイセンでの卸しを始める予定だ。この皇宮に今現在あるものは、試作品も含めて手放す予定はないが、トイセンではおそらく大騒ぎになるだろう。そのため、エドガーとハンスの安全を確保するためにも、製法を秘さないことも同時に公表する。それが皇太子妃の意思だとな。皆、皇太子妃がフロイトから嫁してきたことから、そのことには納得するはずだ」
「――わかりました」
おそらくかなりの騒ぎにはなるだろうが、盗難や誘拐などの懸念を取り除けるだけの準備ができたのだろう。
あの窯の周辺には高い壁が張り巡らされたのかもしれない。
まだトイセンを発ってから六十日ほどだが、リリスは懐かしく思いながらも真剣に頷いた。
ジェスアルドは全てをきちんと理解しているらしいリリスを目にして、感心せずにはいられなかった。
本当に帝国は――自分は素晴らしい妃を手に入れたのだ。
「以前から決めていたように公にはしないが、マリスの発案者はフレドリック殿だとしてある。シヤナの制作方法を知っていたフレドリック殿は、トイセンとブンミニの町を訪れる皇太子妃に同行したことによって、シヤナの再現ができると確信し、エドガーとハンスの協力を得てマリスを完成させたと。そして我々は表向きとして、皇太子妃の力添えでエドガーとハンスはマリスを生み出すことができたので、アマリリスの名から〝マリス〟と名付けたと発表する」
「はい」
「まあ、トイセン周辺の者たちはその発表を素直に受け入れるだろうから、皇太子妃の帝国内での人気は高まる。さらには製法を公開することによって、次々に新しい窯ができるだろうが、〝マリス〟の名だけは、エドガーの窯で守り続けることも決まった。そのため、アマリリスは――リリスは後世にもずっと名を残すことになるな」
「それはちょっと、恥ずかしいですね」
ほんのり頬を染めるリリスが可愛くて、ジェスアルドは立ち上がると、リリスの隣に改めて腰を下ろした。
テーナもレセも気を利かせてくれており、居間には二人きりである。
「ジェド?」
「気分はどうだ? まだ休まなくても大丈夫なのか?」
「はい。今日もお昼寝はたっぷりしましたから。あまりにいつもと変わらないくらいで、自分でも戸惑ってしまいます」
「そうか……」
ジェスアルドはほっと息を吐くと、リリスを抱き寄せた。
病弱だと嘘をついていたときから思っていたことだが、ジェスアルドは意外と過保護である。
おそらくジェスアルド本来の優しさの表れなのだろうが、そのことに気付かない者たちへリリスは苛立たしいような、自分だけが知っている秘密のような気がして複雑だった。
「私としては、マリスの偽物が出回るだろうことが腹立たしいな。リリスの名を汚される気分だ」
「確かに、人を騙してお金儲けをするのは許せませんよね。どうしてもイタチごっこになってしまうのがもどかしいですけど、できるだけ取り締まりは強化していきましょう!」
「ああ、そのとおりだな」
リリスは贅沢品であるマリスよりも、長期保存が利く食品についてフロイト産だと偽って粗悪品で商売をする者たちがいることが以前より許せなかったのだ。
ジェスアルドは思いのほかリリスから強い反応が返ってきたことに、かすかに驚きながらも頷いた。
正義感の強いリリスは怒りのために頬を紅潮させている。
それさえも可愛いなと思う自分は重症だとジェスアルドは自嘲しつつ、リリスの自己申告どおり、まだ体調は良さそうだと判断して、話を戻した。
「十日後にマリスのことが正式に発表されれば、どうしてもリリスの周囲も騒がしくなるだろうが、どうか気にせず今までどおりに過ごしてほしい。また各国からの面会希望者も増えることは予想される。それについては、リリスの判断で決めればいい。私も父もリリスを信頼しているからな。ただ、その場合は室内に護衛騎士を入れて面会するようにしてくれ」
「わかりました。ありがとうございます」
ジェスアルドや皇帝に信頼されていることが嬉しくて、リリスは満面の笑みを浮かべてお礼を口にした。
とはいえ、当分は引き籠るつもりである。
「次に、奉仕院のことだが、今のところ建設は進めていても目的は発表していない。おそらく今の調子だと、あと二十日もすれば一応の完成は見られるだろう。ここまでは、リリスも報告を受けていると思うが?」
「はい。フウ先生から聞きました。一応っていうのは、まだ農作物の植え付けをしていないからですよね?」
「ああ。本当の完成は農作物が育ち、その他の作業もできるようになって、自給自足とまではいかなくても、それに近いものになってこそだからな。そして今回の建設にリリスが関わっていることはすでに知られているようで、現地ではある噂が流れているらしい」
「どんなものですか?」
今度はどんな噂だろうと、フレドリックから聞かされていなかったリリスは興味津々で続きを促した。
ジェスアルドは困惑したような、それでいて楽しげな複雑な表情で笑う。
「何が建てられるにしろ、皇太子妃殿下が関わっていらっしゃるのなら、我々にとっては素晴らしいことに違いない、と。実際、すでに雇用が生まれて街は潤い、浮浪児も減ったからな」
「それは、コーナツの街のジャンから――赤毛のジャンからも手紙をもらって知りました。最近は温かい場所で寝起きできるようになったと。食事もしっかりとれているようでお礼を言ってくれたんですよ」
「そうか……。あの子は元気なんだな」
リリスが攫われたとき、救出に協力してくれたコーナツの街の浮浪児だった赤毛のジャンの話を聞いて、ジェスアルドはさらに複雑な表情で微笑んだ。
いったい何だろうとリリスが首を傾げると、ジェスアルドが言いにくそうに口を開く。
「まあ、それでだ。最近ではトイセン周辺で、妃殿下は……リリスは〝フロイトの眠り姫〟ではなく〝エアーラスの慈愛の女神〟だと広まっているらしい」
「……はい?」
ジェスアルドから聞かされた話がすぐには飲み込めず、リリスは思わず問い返した。
しかし、徐々に頭へと言葉が沁み込むにつれ、リリスの口はぱかんと開いたのだった。
いつもありがとうございます。
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