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 その夜。

 いつもより早く寝室に訪れたジェスアルドに、リリスは妊娠が確かだったことを告げた。

 途端にジェスアルドはリリスを優しく抱きしめたが、ただそれだけで何も言わない。

 それでもリリスには、ジェスアルドの喜びがしっかりと伝わった。


「……ジェド、ありがとうございます」

「お礼を言うのは私のほうだ。ありがとう、リリス」

「では、お互い感謝ですね!」


 そう言ってジェスアルドの腕の中で顔を上げたリリスはにっこり笑った。

 そんなリリスをジェスアルドは目を細めて見つめる。


「私は子供が欲しかったんです。でもジェドの子供だからこそ、こんなにも嬉しくて、ジェドが喜んでくれるからこそ、こんなにも幸せなんです」

「リリス……。私の気持ちは言葉だけでは足りないが……少しでも伝えたい。本当に、あなたと出会えてよかった。私を幸せにしてくれてありがとう」

「はい、私もです!」


 元気よく返事をしたリリスを、ジェスアルドは抱き上げ長椅子へと連れていった。

 そしてそっと下ろすと、ひざ掛けだけでなく薄手の上掛けまでベッドから引っ張り出してリリスをぐるぐる巻きにしていく。


「ジェ、ジェド?」

「妊婦は体を冷やさないほうがよいのだろう?」

「まあ、それはそうですけど……これはちょっと大げさすぎです。それに身動きができません」


 ひざ掛けはリリスの膝の上に掛けられたものの、ジェスアルドは上掛けをリリスの肩からぐるぐると巻いたものだから腕が動かせない。

 しかも正直に言えば、少々暑い。

 リリスの小さな抗議を聞いて、リリスが囚われの身になっていることにようやく気付いたジェスアルドは、慌てて上掛けを解いていった。


「すまない、リリス。苦しくなかったか? 妊婦は体を締め付けないほうがよいのだったな?」


 本気で心配しているらしいジェスアルドのことはありがたくもおかしくて、リリスは噴き出した。

 ジェスアルドは珍しくばつの悪そうな顔をする。


「すまない、リリス。やはり私は未だに冷静さを欠いているようだ……」

「何度も謝らないでください。私は嬉しいですから。それに偉そうに言いましたが、実際に妊娠するのは私も当然初めてなので、本当はわからないことだらけです。ですから、これから二人で色々と勉強していきましょう」

「……そうだな」


 腕が自由に動かせるようになったリリスは、隣に座ったジェスアルドにそっと抱きついた。

 するとジェスアルドはリリスの背中に腕を回し、ゆっくりとその背を撫でる。

 それからリリスの言葉に頷くと、少しだけ体を離してリリスの緑色の瞳を真剣に覗き込んだ。


「今のところ、リリスの体に負担はないんだな?」

「――はい。大丈夫です」

「では他に、私が知っておくべきことは? その、いつ頃生まれるかはもうはっきりわかっているのか?」

「ベルドマが言うには、やはり春先のようです。今はまだ安定していないので、無理はしないようにということと……。でも、あとひと月もすれば安定期に入るそうですから、そうすればまずは一安心だそうです。その頃にはお腹もふっくらとしてくるようです」

「春先か……。きっと皇宮中が賑やかになるな」

「……そうですね」


 リリスの言葉を一つ一つ丁寧に頷いて聞いていたジェスアルドは、ふっと表情をほころばせて呟いた。

 その表情があまりに遠いものに憧れているような切ないもので、リリスは知らず涙が込み上げてきてしまった。

 それを慌てて押し込めて、微笑んで答える。

 絶対にこの子を守り生むのだと改めて決意し、ジェスアルドに回していた手をお腹に当てた。

 リリスの仕草に気付いたジェスアルドもまた、リリスの手に手を重ねて包み込む。


「本当に……ここにリリスと私の子がいるのだな」

「はい」

「不思議な気分だ……」

「そうですね……。女性よりも男性のほうが実感はなかなか湧かないって言いますから。でもあとふた月もすればお腹の中で赤ちゃんが動くのが感じられるようになるみたいです。実際にジェドが触ってもわかるようになるのは、まだまだ先ですけど……」


 母の妊娠中、母は早くから胎動を感じていたようだが、リリスが実際に触ってわかるようになったのはかなり後だったことを思い出す。

 しかも、なぜか父がお腹に触ると今まで活発に動いていたはずの赤ん坊――リーノはぴたりと動きを止めていた。

 母は「きっと恥ずかしいのよ」と慰めていたが、父が「なぜいつも……」とがっかりしていることを覚えている。


「リリス、ベルドマについてはすまなかった」

「何がですか?」

「その、産婆だということを隠していたことだ」


 しばらく二人でまだ平らなリリスのお腹に手を触れたまま黙っていたのだが、またジェスアルドが謝罪の言葉を口にした。

 いったい何のことかと問い返せば、ベルドマの素性についてである。

 ジェスアルドの責任ではないのに、相変わらず真面目だなと思い、リリスは小さく笑いながら答えた。


「それは仕方ないですよ。それにジェドも知らなかったんですよね?」

「ああ、今朝知らされたばかりだ。アレッジオに相談したところ、もうすでに解決法を用意されていた」

「それについては、アレッジオの周到さに感謝です。お陰でこんなに早く確認できたわけですし、ベルドマはとても……信頼できる人だと思います」

「そうか……。私もベルドマとは一度しか会ったことはないが、そのときの印象では悪い人物ではないとは思った。それでも、私はアレッジオを信頼しているが、ベルドマのことはよくわからない。だから、リリスが何か思うことがあればいつでも言ってほしい」

「はい、わかりました」


 きっとベルドマは大丈夫だろうと思いつつ、リリスは素直に返事をした。

 余計な心配はできるだけジェスアルドにかけたくない。

 だからこそ、今日の診察でベルドマに言われたことは黙っていた。

 今はまだ何も問題がないが、ひょっとして出産時は大変かもしれない、と。


 リリスは平均的成人女性より体が小さいため、赤子が大きくなりすぎると難産になるかもしれないのだ。

 だがリリスの母もリリスほどではないが、小柄だった。

 そのため、リリスは今から心配しても仕方ないと、ベルドマにそのことについては口止めをお願いしたのである。


「それにしても、今日一日はとても長く感じた。早く結果を知りたかったが、普段と違う行動を取るわけにはいかず、ひどくもどかしかったな」

「私も……早く伝えたかったです」


 ジェスアルドは再びリリスの体に腕を回し、深く息を吐きながら呟いた。

 リリスにとってはそのように思ってくれていただけで嬉しい。

 それなのにジェスアルドは悲しさと悔しさが混じったような声で続ける。


「やはり私はあなたに謝罪しなければならないことばかりだ。本来なら喜ばしいことなのに……しばらくは隠さなければならない」

「それは大丈夫ですよ。確かに必要以上の用心は必要ですけど、だいたいは安定期に入ってから皆には伝えるものですから。母も義姉も公にしたのは安定期に入ってから……あとひと月は経った後でした」

「そうか……」

「はい。ですから、それまでは二人だけの……というわけでもありませんが、でも秘密を楽しみましょう?」

「――そうだな」


 ようやくジェスアルドの声に明るさが戻り、リリスは微笑んだ。

 そしてリリスの提案に頷くと、今度は楽しげな表情になる。


「それでは、さっそく明日の夜は祝いをしよう」

「明日の夜ですか?」

「ああ、二人だけの祝いの晩餐だ。明日はフロイト料理の日だろう? セブとやらの料理はとても美味しかったが、できれば今度はリリスと一緒に食べたいと思っていたんだ」

「いいんですか!?」

「当然だ。しかも今の私は、たまに妻と一緒に食事をしてももう驚かれることはないからな」


 小さく笑うジェスアルドはまるで悪戯を考えている子供のようで、リリスはわくわくしてきた。

 個人的に初めてリリスとジェスアルドが一緒に食事をとったときはかなり騒ぎになったが、最近では珍しくはあっても、当初の騒ぎほどではなくなっている。


「セブのフロイト料理は、師匠であるジェフの味にまったく引けを取りませんからね。ジェドに本場のフロイト料理を召し上がっていただけるのはすごく嬉しいです!」


 フロイトの使節団が発ってからも、リリスたちには七日に一度はセブが料理したものが供されるようになっていた。

 リリスはもちろん、リリスに従ってきたフロイトの者たちに郷土料理を楽しんでもらうためである。

 当初、リリスは嬉しくもあったが、皇宮の料理人が気を悪くしないか心配もしていた。

 しかし、どうやらセブは皇宮の料理人たちとも上手くやっているようで、お互いのレシピを交換したり切磋琢磨しつつ、新しい料理を考えたりしているらしい。


「今も幸せなのに、もう明日が楽しみになってしまいました」

「それは同感だな」


 期待に満ちた表情で笑うリリスにジェスアルドは軽くキスすると、そっと抱き上げてベッドへと運んだ。

 いつまでもこうしていたいが、明日もある。

 ジェスアルドにとって明日が楽しみに思える日が来るなど、少し前には想像もしていなかったことだった。

 これが本当の幸せというものなのだなと思いつつ、燻る不安を押し込める。

 そして、リリスの温かな体を優しく抱きしめ、目を閉じた。




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