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「リリス様、お幸せそうで何よりですぞ!」
「セ、セザール……くるし……」
「おっと、これは失礼。リリス様は相変わらずちっこいですなあ。ちゃんと食べておりますか? ちっとも大きくなっておりませんぞ」
「セザール、私はもう十九歳よ。普通は成長しないわ」
「ですが、お心は成長されてもよいものを……」
「ちょっと、オラス! どういう意味よ!?」
使節団が到着したその日の夕刻、諸々の仕事を片づけてリリスの部屋をさっそく訪ねてきたのは、やはりオラスとセザールだった。
歓迎晩餐会は明日開かれるので、今日はもう暇――ではなく、自由らしい。
それでもアルノーは明日から始まる様々な報告や会談のために準備をするらしく、与えられた客間に籠ってしまったそうだ。
相変わらず真面目だなと思いつつ、リリスはオラスとセザールとの数ヶ月ぶりの再会を素直に楽しむことにした。
「まあ、とにかく、二人とも元気そうでよかったわ。長旅は老体には堪えたでしょう? 今日はゆっくり休んでね」
「ほっほっほっ。相変わらずリリス様はお優しいですなあ。さすがは〝フロイトの美しき眠り姫〟。おお、今は〝勇者アマリリス姫〟でしたかの?」
「やーめーてー」
ちょっとだけ嫌みを込めたリリスの言葉は、オラスにしっかり返り討ちにされてしまった。
リリスは耳を塞いで降参したが、セザールは顔を輝かせて続ける。
「それはわしも聞きましたぞ。何でも魔王を倒されたとか。さすがはリリス様ですな。それで、倒れた魔王にリリス様が口づけをなされて、あれほどの美青年に変わられたのですかな?」
「セザール、色々な物語が混じってるわ」
まったく悪気のないセザールの言葉にはリリスも毒気を抜かれた。
だが、突っ込まずにはいられない。――どころか、惚気ずにはいられない。
「それに殿下は最初からかっこよかったの。やっぱりあの時、みんなの反対を押し切って嫁いできてよかったわ。殿下はね、かっこいいだけじゃなくて、優しくて、強くって、とっても素敵なの!」
「ほうほう。それで?」
「セザール、リリス様の惚気話は留まるところを知らぬぞ。よって、適当に聞き流すか、別の話題に変えるかしたほうがよいと忠告しておこう」
ジェスアルドのことを考え、うっとりして話し始めたリリスの惚気を素直に聞くセザールに声をかけたは、いつの間にかやって来ていたフレドリックだった。
ちなみにオラスはすでにソファに座って、のんびりお茶を飲んでいる。
「おお、フレドリック。相変わらずふてぶてしい顔をしておるな!」
「ひびの入った岩のような顔のお主には言われたくないわい」
「何をどう見たらひびに見えるのだ! これは名誉ある戦いで負った傷の数々! どうやらお前の目は、この数ヶ月で衰えたらしいな!」
「何が名誉ある戦いだ。その頬の傷は猪、額からこめかみにかけての傷は熊相手に負った傷ではないか」
「フレドリック……。お前、猪や熊がどれほど我ら人間に害を為すか知らぬわけではあるまい。あやつらは狼のように家畜を襲うことはまずないが、農作物を荒らす天敵だぞ! あれは確か、リリス様がお生まれになった年、冷夏に見舞われた我が国は……」
フレドリックとセザールは見た目も性格も対照的で、顔を合わせればいつもケンカを始める。
そのためリリスは気にせずオラスの向かいに腰を下ろして、テーブルの上のお菓子を目にして顔を輝かせた。
「これって、ひょっとしてジェフの作った焼き菓子じゃない?」
「さすがはリリス様。よくおわかりになりましたな。ジェフがぜひリリス様にと、日持ちのする菓子をたくさん用意してくれたのですよ」
「では後でジェフにお礼の手紙を書かないと。……ああ、そうそう。この味! 懐かしいわ……」
焼き菓子を一枚口に入れたリリスは、懐かしい味に思わず顔がほころんだ。
うっとりしながら呟き、もう一枚口に入れてもぐもぐと咀嚼するリリスの姿は小動物のようで可愛い。
そんなリリスを目にして、オラスだけでなく、フレドリックもセザールもケンカをやめて笑みを浮かべた。
焼き菓子一つでこれほどに幸せになれる姫もいないだろう。
そしてリリスの幸せは伝染する。
フレドリックとセザールもおとなしくソファに座り、テーナの淹れてくれたお茶を飲むことにした。
「――リリス様、お気持ちはわかりますが、夕食前でございますので、それ以上はお控えになったほうがよろしいのでは?」
「うーん、そうね。おやつは別腹だけど、楽しみは取っておいたほうがいいものね。残りは明日にするわ」
テーナに忠告されたリリスは、少し悩んで素直に従った。
以前と変わらないやり取りに、オラスもセザールも笑う。
しかし、オラスの笑みは何か企んでいるようなものに変わった。
「楽しみと言えば、リリス様にとっておきの驚きを用意しておりますぞ」
「おお、そうであったな」
「驚き? どんな?」
「楽しみは取っておいたほうがよろしいのでしょう? ですから、明日までお待ちくだされ」
「ええ……。酷いわ。それならいっそ、明日まで黙っててくれたらよかったのに……」
リリスの言葉を逆手に取ったオラスは、相変わらず意地悪である。
いったい何なのか気にはなるが、やはり楽しみに待つしかないだろう。
ちょっと拗ねた様子でリリスがぼやくと、フレドリックが楽しそうに笑った。
「リリス様はお生まれになった時からずっと、この偏屈爺と脳筋馬鹿の相手をされていらっしゃったことを感謝されるべきかもしれませんな。この爺どもに比べると、帝国の政務官たちは優秀とはいえ、扱いやすいですからなあ」
「誰が脳筋馬鹿だ!」
フレドリックの言葉に、セザールはすぐさま抗議したが、オラスは何も言わず微笑んでいる。
自覚があるどころか、フレドリックの意見に賛成のようだ。
自惚れかもしれないが、リリスがジェスアルドの許に嫁ぐと決めたときに後押ししてくれたのは、これも理由の一つのような気がした。
今のところ、リリスが手強そうだと感じるのは、ジェスアルドは別として、皇帝とアレッジオくらいである。
もちろんコンラード派などの中には、己の才覚を隠している者もいるだろうが、油断はできずとも今から心配する必要もないだろう。
「……そうね。確かにフウ先生の言うとおりだけれど、ご自分のことを忘れているわ。フウ先生とは数年の付き合いではあるけれど、十分に鍛えられたもの」
「おや、お褒めに与り光栄ですな」
「褒めてないわ、嫌みよ」
リリスの言葉どおりの嫌みにもフレドリックはいつもと変わらず、セザールだけが嬉しそうに笑った。
そこで、オラスが「どっこらしょ」とわざとらしく声をかけて立ち上がる。
「さてと。変わらぬ我らの姫様にお会いできたことですし、そろそろ失礼しましょうかの」
「あら、一緒に食事をしていけばいいのに」
「それは嬉しいお申し出ではございますが、あの若造を――いや、アルノーの様子も見てやりませんとな。それよりも先ほども申しましたが、明日の晩餐会の前に少しだけお時間をいただけませんか?」
「ええ、それは大丈夫よ」
リリスは皆を引き止めようとしたが、アルノーを理由に出されたので素直に引くことにした。
謁見の時の様子からも、アルノーは放っておけば自分で自分を追い詰めてしまうだろう。
アルノーのことで軽くため息を吐いたリリスは、明日の楽しみとやらを思い出して笑顔になった。
ただ晩餐会を前に、オラスに言っておきたいことがある。
「オラス、その……帽子は今の季節には合わないんじゃないかしら……?」
「リリス様、心配してくださるのは嬉しいですが、暑いわけでもありませんし、大丈夫ですぞ。それに我々は寒い地方から参ったのですからな。しかも毛糸は我が国の特産品。これでよいのです」
「そう……かな?」
はっきりしないリリスの返答にもかかわらず、オラスは珍しく優しい笑みを浮かべて続けた。
「私は幼い頃より、リリス様に嘘はいけないと申してまいりましたね。ですが、一つだけ言い忘れていたことがありました」
「……言い忘れたこと?」
「はい。自分を守るためだけの嘘や、人を傷つける嘘は絶対にいけません。きっといつか、何倍にもなって自分に返ってくるでしょう。ですが、人を守るため、傷つけないための嘘は、時として必要になるのだとお伝えし忘れておりました」
「オラス……」
オラスの言葉に、リリスは何と返せばいいのかわからなかった。
本当は帽子ではなく底敷だと言い出せないでいることを、オラスは知っているようでもある。
それともアルノーのことを好きでいながら、諦めたことを知っているのかもしれない。
「まあ、要するにリリス様は、リリス様のままでよいのです。いかに仲の良い夫婦でも一つ、二つの秘密はあるもの。それが相手を思いやるものならば、墓場まで持っていけばよいのですよ」
最後に付け足された言葉にリリスが目を丸くしているうちに、オラスはいつもの意地悪い笑みを浮かべて去っていった。
セザールはわけがわからないといった様子ではあったが、こういう時は余計な口を出さない。
そしてフレドリックまでもが、何も言わずに部屋から出ていった。
いったいオラスはどこまで知っているのだろう。
リリスが見た夢――コリーナ妃の夢の全てをジェスアルドに打ち明けられずに悩んでいることで、励ましてくれたようでもある。
残されたリリスは、オラスにも本当は何か不思議な力があるのではないかと思いながら、三人を見送ったのだった。




