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 翌朝、いつもの時間にジェスアルドは目を覚まし、リリスを起こさないように、そっとベッドから抜け出そうとしていた。

 しかし、残念ながら目覚めてしまったようだ。

 リリスはぱちりと目を開けて、勢いよく起き上がった。


「ジェド、大変です」

「どうした?」

「あ、おはようございます」

「……おはよう、リリス」


 何か大変な夢を見たのかと緊張したジェスアルドだったが、どうにも言葉の割には切迫した様子がない。

 わずかに体から力を抜いて、ジェスアルドは改めて問いかけた。


「リリス、何か夢を見たのか?」

「それが……今朝は何も見ていないのですが、昨日のお昼寝で見たことをお伝えするのをすっかり忘れていました」

「昨日の……?」

「はい。ジェドが手紙を届けに来てくれたときに、お伝えするべきでしたがうっかりしていました。すみません」

「いや、それはいい。リリスは嫌な思いをしていないか?」

「大丈夫です。ありがとうございます」


 夢の内容よりもリリスを心配してくれるジェスアルドに、リリスの心はほんわりと温かくなった。

 思わず押し倒したくなるほどに。

 だが、ジェスアルドが朝から忙しいことを理解しているリリスは衝動をぐっと堪え、昨日見た夢のことを話し始めた。


「ええっと、私がコンラードとお茶をして、その後のコンラードの行動です」

「コンラードの?」

「はい。この皇宮内にコンラード派がいるのは知っています。それでたぶん気になっていたからだと思うのですが……」

「……それで、どうだったんだ?」


 リリスが派閥について知っていても今さら驚きはしないが、言いながら顔を赤らめたのがジェスアルドは気になった。

 コンラードが女性に人気があることを気にしたことは今までなかったのに、つい嫉妬してしまいそうになる。

 もちろんリリスの心に疑いを持つわけではないが、どうしてもコンラードに対してジェスアルドは劣等感を抱いてしまうのだ。


「おそらくですけど、コンラードは私の部屋を出た後、真っ直ぐにバーティン公爵のお部屋に行きました」

「叔父上の?」

「はい。公爵は私のことをとても心配してくださっていて、私が誘拐事件のことで怖がっていないか、国へ帰ると考えていないかとコンラードに質問されていました。コンラードは大丈夫だと答え、さらに私がジェドのことを本当に慕っているようだと言うと、公爵はとても安堵されたようでした」

「そうか……」


 話の内容を聞いたジェスアルドはほっと息を吐いた。

 叔父の心配は、もうすぐフロイトから使節団が訪れることによって、リリスが郷愁にかられないかということもあるのだろう。

 そう考えていたジェスアルドに、リリスは気まずそうに続けた。


「その後は、公爵がもっと政務に関わるようにとお説教を始めたのですが、コンラードは適当に答えて部屋を出ると、ある部屋で女性と……会っていました。その、私はすぐにその場を離れて目が覚めてしまったので、相手の女性が誰かはわからなかったのですが……」


 先ほど以上に顔を赤らめたリリスを見て、ジェスアルドはどういう現場かを悟った。

 同時にリリスが赤くなった理由もわかり、気の毒に思いつつも、馬鹿らしい嫉妬をした自分を笑いたくなる。

 しかし、その気持ちを抑え、ジェスアルドはどうにか微笑んだ。


「気にする必要はない、リリス。コンラードの相手の女性を知ろうと思えば、日が暮れる」


 それだけコンラードに相手はいるという意味である。

 どうやらリリスにもその意味は伝わったらしい。

 わずかに嫌悪感を見せたが、すぐにいつものにこやかな表情に戻った。


「バーティン公爵は私の心配というより、ジェドの心配をしているようでした」

「ああ……。確かに、叔父上は私を可愛がってくださっているが、それは私が父上の――皇帝陛下の息子だからだ。叔父上は陛下を崇拝しているからな。それに……」


 苦笑交じりにリリスの言葉に答えていたジェスアルドは、急に口を閉ざした。

 その様子に、言いにくいことなのだろうと察したリリスは深く追及することなく――なんてこともなく、ぐいっとジェスアルドに詰め寄った。


「それに、何ですか? 秘密は心の健康によくありません。さあ、吐いてしまいましょう」


 リリスらしい物言いに、ジェスアルドは笑った。

 別に隠すことでもなく、皇宮に仕える者たちは知っていることなのだ。

 ただジェスアルドはその必要もないのに、なぜか負い目を感じてしまうだけで。


「……噂でしかないが、叔父上は母上に――皇妃陛下に懸想していたらしい。だからこそ、母上の忘れ形見である私を受け入れているのだと言われている」

「また噂ですか? はっきり言って、この皇宮の人たちってくだらない噂が好きですよね? ジェドのお母様だったのですから素敵な方なのは間違いないですもの。公爵が憧れないわけがないですよ。でも、それとこれとは別ですよね。叔父として甥っ子が可愛いだけに決まっています。しかもジェドはこんなにも素敵なんですから!」

「……ありがとう、リリス」

「本当のことですから、お礼には及びません。私も会ったことはないですけど、スピリスお兄様とお義姉様の間に生まれた姪っ子のことは、話に聞くだけで可愛いですから。しかも、私にちなんでリリアンナって名付けてくれたんですよ。もう嬉しくって」

「そうだったな」


 先日、公式に送った祝いの品に対して、お礼状が届いたことを思い出し、ジェスアルドは微笑んだ。

 最初は儀礼的な文章だったのに、最後のほうはリリスのことをとても案じたものになっていた。

 エアム王子にしてもそうだが、リリスは家族に本当に愛されているのだなと思ったジェスアルドは、ふと自分もそうであることに気付いた。


 父も叔父もコンラードでさえも、呪われているなどといった噂などないかのように、愛情をもって接してくれている。

 亡くなった母も当然の如く。

 それなのにジェスアルド自身が噂に惑わされ、固い壁を築いて周囲を拒絶していたのだ。

 そんな壁を遠慮なく壊してくれた目の前の妻に――リリスに、ジェスアルドはめったに見せない満面の笑みを向けた。


「――っ、だ、だめですよ、ジェド。そんな顔をしては、やっぱり押し倒したくなってしまいます!」


 そう言いながらも、リリスは押し倒す勢いでジェスアルドに抱きついた。

 だがジェスアルドは倒れることなく、しっかりとリリスを受け止める。

 そして残念に思うリリスの耳元で、ジェスアルドは優しく囁いた。


「それで、リリスに秘密はないのか?」

「……え?」

「吐いてしまえば健康に良いのだろう?」


 リリスの華奢な体を抱きしめるジェスアルドの腕は、まるで逃がさないかのように力強い。

 それどころか、艶っぽい声とともに感じる吐息が、リリスの思考を混乱させた。

 結婚するまで気付かなかったが、耳はリリスの弱点だったのだ。


「そ、そんな! 秘密なんて、たくさんありすぎて困ります!」

「……たくさん、あるのか」

「あ……」


 パニックに陥ったリリスは、秘密がたくさんあるという秘密を口にしてしまった。

 リリスが失敗したことに気付いた時には遅く、腕の力を緩めて離れたジェスアルドは、先ほど以上にめったにない――というよりも初めて見せる、慈愛に満ちていているようで意地悪な笑みを浮かべていた。


「今はあまり時間がなくて残念だ。しかし、私たちにはこれからたくさんの、時間があるだろう?」

「そ、そうですね」

「だから、ゆっくりでいいぞ」

「そ、そうですか?」

「だが今でも、一つくらい聞く時間はある。まずは一番大きな秘密から吐きだそうか?」

「そ、それは……」


 優しく促されているが、確実にジェスアルドは本気だと感じ、リリスは珍しく言葉に詰まった。

 リリスの一番大きな秘密――それはコリーナのことを見た夢の全てを話していないことだ。

 話してしまえば楽になれるのかもしれないが、朝からする話題ではないとリリスは内心で言い訳をした。

 そのため、口にしたのはもうすぐ訪れるであろう困難への秘密だった。




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