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「リリス様、どうかおかけになってください」
リリスはテーナに声をかけられて、ようやく冷静さを取り戻した。
そして周囲を見回せば、テーナどころか片づけに現れたレセさえも心配してリリスを見ている。
リリスはにっこり笑うと、ソファではなく長椅子に座った。
「フロイトの使節団が来るなんて知らなかったからびっくりしてしまったわ。それよりも、テーナ、レセもだけど、もしコンラードや誰か身分を振りかざして言い寄ってくる男性がいたらはっきり断るのよ。身の危険を感じたら、あそこを蹴り上げてもいいわ。私の名前で許されているって言えばいいんだからね」
フロイトから使節団が来ることを知らされていなかったのはショックではあるが、きっと入れ違いか何かだろうとリリスは結論を出した。
前回、ジェスアルドに現実夢のことを打ち明けたと家族に宛てて出した手紙の返事はまだ届いていないのだ。
ジェスアルドの口から聞けなかったのも残念だが、きっと事情があるのだろう。
たとえリリスがフロイト王国の元王女でも、国同士の政治的やり取りは別問題である。
またアルノーが代表者だというのも驚いたが、ダリアが寂しがるだろうなという感想しかない。
そのことより、コンラードがテーナに向けた視線が気になった。
テーナもレセもリリスの――皇太子妃の侍女であり上級使用人の中でも特に権限がある使用人である。
それでも不埒者はどこにでもいるから油断はできない。
「テーナもレセも美人だから、本当に気をつけてね」
「ご心配いただき、ありがとうございます。私もレセも困った時には、リリス様の御名前を使わせていただきます」
テーナは自信ありげに微笑んで答え、レセも同意して頷いている。
その姿を見て、ひょっとしてもうすでに何度か言い寄られたのかもしれないなと、リリスは思ったが何も言わなかった。
二人ともリリスの輿入れの同行に選ばれるだけの人物なのだ。
リリスがほっと安堵すると、疲れが一気にやって来た。
一番の懸念がひとまず片付いた今、コンラードについて考えたいことはたくさんある。
「何だか疲れてしまったから、夕食までしばらく休むことにするわ」
「かしこまりました」
寝支度を手伝ってもらったリリスはベッドに入ったが、頭の中では先ほどのコンラードとの会話を思い出していた。
やはり誘拐事件について触れてはきたが、コンラードが関わっていたとは思えない。
ただ、コンラードの言葉の裏を読めば、リリス救出はジェスアルドの自作自演だとでも言っているように聞こえた。
(さすがにそれは考えすぎか……)
ごろりと寝返りを打って、目を閉じる。
以前から、ジェスアルドの悪い噂はコンラードが流しているのではないかとリリスは疑っていた。
今回もジェスアルドのことを化物のように言ったことが許せない。
しかし、コンラードにはまるで悪意が感じられないのだ。
ジェスアルドの評判を落として自分が皇帝にという野心ではなく、単純に自分へ関心を集めたいがための言動に感じられる。
(あまりに子供っぽいわ……)
あれでは、皇帝になっても地位に満足するだけで、簡単に傀儡と化してしまうだろう。
コンラードはちやほやしておけばいいのだ。
それでも何か大切なことが抜け落ちているような気がした。
疲れのために思考能力が低下しているらしい。
徐々に眠気がやってきたリリスは、素直に眠ることにした。
そして、次にリリスが意識した時には、皇宮内の貴族たちに与えられた個室が並んでいる棟にいた。
久しぶりの現実夢だ。
何があるのだろうとわくわくしていたリリスは、少し先にコンラードを見つけた。
服装からして、どうやらリリスと面会したすぐ後のようだ。
リリスはコンラードから少し離れて、ふわふわとついて行った。
コンラードはとある立派なドアの前に立つと、ノックもせずに開けて入っていく。
ここがコンラードの個室かと思いつつ、リリスが閉められたドアを通り抜けると、そこにはコンラードの父であるバーティン公爵がいた。
『コンラード、戻ったか。妃殿下はどのようなご様子だった?』
『お元気そうでしたよ。まあ、部屋の模様替えを張り切っていらっしゃると聞いておりましたから、予想はできましたけどね』
『そうか。では、誘拐事件などのせいで、国へ帰るなどとはおっしゃっていなかったな? ジェスとの関係も良好そうだったか?』
『ええ、大丈夫そうですよ。ジェスのこともどうやら本気で慕っていらっしゃるようです。何せ僕の魅力にもなびかないくらいで……。妃殿下は変わった方だ』
『いい加減にしろ、コンラード。お前は、妃殿下まで誘惑するつもりか?』
『別にそんなつもりはありませんよ。ただ妃殿下がおつらい思いをされているなら、お慰めしようとしただけで。ですが、その必要もありませんでした。そのうち御子にも恵まれるのではないでしょうか?』
『おお、そうか! それは素晴らしいな! きっと兄上も喜ばれるだろう!』
『……まだですよ。そうなるのではと言っただけで。では、私は約束があるので、これで失礼します』
『コンラード。お前ももう少し政務に関わるよう努力をしろ』
『僕は楽しいことが好きなんです。政務なんてちっとも楽しくない。人生は面白おかしく生きなきゃ損ですよ』
コンラードはひらひらと手を振りながら、叱る公爵を残して部屋を出ていった。
その様子を見ていたリリスは、どちらにしようかと迷い、コンラードについていく。
今回の会話で、以前から感じていたことに確信が持てた。
コンラードの父親であるバーティン公爵には野心がない。
初めての顔合わせの時も心からリリスを歓迎してくれているようだったし、兄である皇帝に心酔しているようにも見えたのだ。
(やっぱり公爵は……ジェド排斥には関わっていないようね……)
公爵夫人のほうがよほど権力志向が強いように感じる。
そう考えれば、息子を皇帝にと願うことだってあるかもしれない。
(ううん。その気持ちはあっても、夫である公爵に隠れてまで何かができるとは思えないわね……)
ましてやコリーナ妃暗殺などに関わるとは、とてもではないが思えない。
何度か会ったことのある公爵夫人は、リリスの存在で自分の地位を脅かされることには神経質になっているようだったが、それだけだ。
リリスが病弱なために、ほとんど部屋から出ないことに安心し、お茶会でも公爵夫人に頼り切ってみせると満足していた。
(ひとまず、バーティン公爵夫妻は〝身内の敵〟から除外していいわね……って、あれ?)
ぼんやり考えていたせいか、気がつけばコンラードを見失ってしまっていた。
たった今まで目の前にいたはずなのにと、リリスは驚き訝しみ、急ぎコンラードを捜す。
この先は行き止まりのはずなのだ。
まさかとは思うが、知られたくない誰かに会うために、音も立てずに隠し部屋のようなものに入ったのかもしれない。
そう思い、リリスは近場の部屋らしき場所を一つ一つ覗いていった。
そして、コンラードの約束とは、密会のことだったと知った。――女性と。
顔は見えないが、雰囲気から身分ある既婚女性だとわかる。
(お、お邪魔しました……)
現実夢の中のリリスには伝わるわけのない熱気が、薄暗い部屋には満ちているようで、リリスはすごすごとその部屋を出たのだった。




