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「コンラードが?」
「はい。できれば今日の午後にお会いしたいと……」
「そう……。相変わらず空気を読まない人ね。でもいいわ。受けてちょうだい」
「かしこまりました」
翌日、いつものようにゆっくりと目覚めたリリスは朝の支度を整え、これから遅めの朝食というところで、面会の申し込みが入っているとテーナから聞かされたのだ。
結局、引越し作業を終えてから、使われていない部屋の家具を見て回るという名目で皇宮内を午後に少しずつ探索する以外は、部屋から出ていない。
お茶会も面会も忙しさを理由に断っていたのだが、昨日の午後に皇帝を部屋に招いたことが耳に入ったのだろう。
そこで自分もとなるところがコンラードらしい。
面倒ではあるが、この先のことを思うと避けてはいられない人物でもあるのだ。
ジェスアルドの言う、身内の敵がコンラードに関わっていることは間違いないが、彼自身はどうなのだろうか。
本当にただの傀儡なのかどうなのか、リリスは見極めたかった。
(まあ、人を見る目はないんだけどね)
フレドリックに同席を頼もうかと思い、やはり今日は一人で相対することにする。
きっとこれからも機会はあるはずだ。
(私一人を相手にどういう態度を取るかよね……)
コンラードとはトイセンから戻って一度面会の申し込みがあったが、断って以来何もなかった。
そのため、直接会うのはかなり久しぶりになる。
トイセンでリリスが誘拐されたことはさすがに知っているはずで、そのことを話題に出してくるかどうかも気になった。
サウルの――フォンタエ王国の協力者はこの皇宮にいるのだ。
ただし、それがコンラード派の者なのか、また別の派閥なのかはわからない。
(普通に考えるなら、コンラード派もフォンタエ王国に敵対して然るべきよね。別にフォンタエ王国の力を借りなくても皇位には就けるもの。ジェドと私の将来の子供さえいなければ……)
そこまで考えて、リリスはつい庇うようにお腹に両手を当てた。
まだ妊娠がわかる時期ではないが、可能性がないわけでもない。
(ダメダメ。こんな仕草をしていたら変に勘ぐられるかもしれないわ)
リリスは自分を叱咤してお腹から手を離し、もう少し考えた。
フォンタエ王国に協力を仰げば、コンラードが皇帝になっても見返りを――利権を求められるだろう。
それはあまりにも割に合わない。
やはり皇宮に潜り込んだ間諜が情報を流し、サウルを動かしたというのが、一番しっくりくる。
リリスを人質に、エアーラス帝国だけでなく、フロイト王国からも身代金やその他色々と奪うことができたのだから。
(まあ、その計画も素敵なジェドによって阻止されたけどね!)
あの時のことを思い出すと、未だに顔がにやける。
まるで海賊のようでもあり、白馬に乗った王子様のようでもあり、リリスの萌えを刺激するのだ。
コンラードとの面会はさっさと終わらせて昼寝をし、今夜はジェドを起きて待って押し倒そうかと思うほどに。
「リリス様、残念な笑い声が漏れていらっしゃいます」
「あ、あら、失礼」
テーナに指摘されて、リリスは「むふふ」と怪しげに笑っていたことに気付いた。
もうすぐコンラードとの約束の時間になる。
リリスの病弱設定が嘘であることは、帝国側ではジェスアルドと皇帝、アレッジオ以外には打ち明けるつもりはないので、世間の噂通りに儚げな姿でなければいけないのだ。
リリスが気合を入れ直したところで、ちょうどコンラードがやって来た。
「お久しぶりです、妃殿下。お加減はいかがですか?」
「お久しぶりね、コンラード。お陰さまで、最近は調子がいいのよ。殿下も陛下も、それに皇宮の皆様もとてもよくしてくださるから」
「そうですか。それを聞いて安心しましたよ。旅先で体調を崩された妃殿下を置いて、ジェスが一人で戻ってきた時には、なんて冷たいやつだと思いましたがね。しかも妃殿下は不埒者にかどわかされてしまったのですから……さぞ恐ろしかったことでしょう」
「……殿下はお忙しい方ですから、私のことはお気になさらずお戻りください、と申したのは私のほうなのです」
「なんと健気な……」
「しかも私が愚かだったばかりに警戒を怠り、攫われかけた時にも、殿下は颯爽と現れて助けてくださったのです。そのお姿はそれはもう素敵で、恐ろしさなど吹き飛んでしまいましたわ」
「……そうですか。それならばよかった。ひょっとして妃殿下は恐ろしい目に遭われたために、もうこの国にはいたくないと思っていらっしゃるのではないかと心配していたのですよ。てっきり妃殿下を引き止めるために、ジェスは部屋の模様替えを提案したのかと」
「まさかそのような……」
お決まりの挨拶を終えて場所を移し、始まった会話はやはりリリスの誘拐に関することだった。
リリスは控えめに答えながら、こっそりコンラードの表情を窺う。
コンラードは本音で言っているのか、嫌みで言っているのか、ここまではよくわからない。
ただ、この仮の部屋が気に入らないのか、さっと室内を見回して顔をしかめた。
「それにしてもジェスが突然皇宮を飛び出していった時には驚きましたよ。護衛もほとんどつけておりませんでしたからね。しかも〝妃殿下を迎えにいってくる〟と伝言を残して。まるでこの度の事件を前もって知っていたかのような偶然ですよね?」
「……ええ、確かに」
「以前からジェスには予知の力でもあるのではないかと噂されていたんですよ。戦の時には何度も敵の急襲をかわし、返り討ちにしていましたから。そのせいで〝紅の死神〟の呼び名が余計に浸透してしまったのです。予知などと化物めいた力を持っているとね」
「まあ……」
「ああ、申し訳ありません。お慰めするつもりが、かえって怯えさせてしまったようですね。ご安心ください。あくまでも噂ですから」
「そう、ですね……」
相槌を打つ声が震えていたのは怒りのためだが、コンラードはリリスがすっかり怯えていると思ったようだ。
すっと立ち上がるとリリスの隣に座り、膝の上に重ねていた両手をいきなり握る。
一連の動きはあまりに非常識で、リリスはただされるがままぽかんと見ていただけだった。
しかし、はっとテーナが息を呑む声が聞こえ、我に返ったリリスは急ぎ手を振り払う。
「コンラード、無礼です!」
「ああ、これは失礼いたしました。ついお慰めしたくなりまして……。どうかお許しください」
リリスは立ち上がって距離を取り睨みつけたが、コンラードは謝罪を口にしながらもまったく悪びれた様子はない。
たとえリリスが小国出身でも、今はコンラードよりも身分の高い皇太子妃なのだ。
ただでさえ女性に許しもなく触れるなど、無礼な行為である。
だがコンラードは、怒りのために顔が赤くなっているリリスを、照れて頬を染めているとでも思っているようだった。
確かにコンラードは顔も身分も申し分ない。
その上、一見して明るく人当たりの良い性格に思えるので、今まで女性に拒まれたことなどないのだろう。
リリスはこれ以上はもう無理だと判断し、怒りを抑えるために一度大きく息を吐くと、口を開いた。
「……許します。ですが、今日はもうお引取り願えますか?」
「かしこまりました。ただ私は、妃殿下のか弱いながらに強くあろうとする姿に惹かれてしまったのです。どうかもう会わないなどとはおっしゃらないでいただきたい。妃殿下、どうか……」
コンラードもまた立ち上がって芝居じみた言葉を口にして懇願する。
どうやら自分に酔っているらしい。
リリスが望もうと望まなかろうと、コンラードとは顔を合せなければならないのだ。
諦めのため息を呑み込み、リリスは左手で胸を押さえ右手をすがるように差し出すコンラードに仕方なく向き直った。
「会わない、などとは申しません」
「ああ、よかった……。妃殿下は本当にお優しい方だ。フロイト王国の方々は皆、妃殿下のようにお優しいのでしょうか?」
コンラードは大げさに息を吐きながら、次に何かあったらリリスを守れるようにと構えているテーナにちらりと視線を向けて問いかけた。
その視線から逆にテーナを守るようにリリスはかすかに動き、嘘臭い笑みを浮かべて答える。
「さあ、それはどうでしょうね? 普段はとても穏やかな者たちばかりですが、だからといって、怒り方を知らないわけではありません。ですから気をつけていないと、反撃されてしまいますよ?」
「それは面白いですね」
リリスの嫌みが通じていないのか、コンラードは声を出して笑った。
白けた目でリリスもテーナも見ていたが、やがてコンラードは馬鹿笑いをやめて、なおも言い募る。
「私の楽しみが増えましたよ。もうすぐフロイトから使節団がいらっしゃるのですから」
「え?」
「おや、ジェスからお聞きになっていませんでしたか? 確か、代表者はアルノー・ボットという者らしいですよ。妃殿下の妹君の婚約者だそうですね?」
「――え、ええ」
「では、私はこれで失礼いたします」
コンラードはフロイトの使節団についてリリスが知らなかったことに満足したのか、楽しげに笑って去っていった。
リリスも体に染みついたマナーでコンラードを見送ったが、その後は色々なことが頭の中で混乱して、呆然と立ち尽くしていたのだった。




