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 翌日は、ジェスアルドと昼食を一緒にとることになり、リリスは詳しい説明を受けた。

 午後からは引っ越し作業になるのだが、どうやら新しく用意された部屋は同じ階の一番端にある皇族用のものらしい。――今までに使われたことは一度もないそうだが。

 少し手狭ではあるが、夫婦用のものなのでジェスアルドも移る予定なのだと言う。


 それだけでもリリスの心は浮かれたが、さらには二人の部屋を全面的に改装するので、リリスの好きなようにしていいと告げられたのだ。

 そもそもが、この小さな引っ越しは改装のためだと皆に思わせる必要がある。

 ただリリスにとってはそんな些細なことよりも、ジェスアルドの部屋も任されたことがとにかく嬉しかった。


「本当に、殿下のお部屋まで私がしてもいいんですか?」

「ああ、好きなようにしてくれ。ただ、あまり華々しいのは遠慮したいが……」

「では、花柄はやめておきますね!」

「花柄……」

「冗談ですよ。ちゃんと殿下がくつろげるようなお部屋にしてみせますから」

「そうか……」


 一抹の不安を抱いたジェスアルドに、リリスは悪戯っぽく笑う。

 普段のリリスの服装や部屋に飾られた細々としたものを見ても、ジェスアルドの好みに合わないものはない。

 珍しいリリスの冗談にジェスアルドは微笑んで応え、それからもう一つ今朝決まったことを口にした。


「陛下との面談だが、五日後の午後に決まった。それでリリスは大丈夫だろうか?」

「はい、もちろん大丈夫です。当面はお部屋の模様替え以外に予定はありませんから。合間を見て招待された皇宮でのお茶会などは出席するかもしれませんけど」

「どうかあまり無理はしないでくれ。リリスは今まで通りのペースで過ごせばいいんだ」

「ありがとうございます。睡眠だけはしっかりとるようにしますので、大丈夫です」


 ジェスアルドは何もかもをリリス優先に考えてくれている。

 本当にこんなに幸せでいいのかと、リリスは逆に不安になるくらいだ。

 何かこの先に大きな落とし穴が待っているような気がして、リリスはすぐにその考えを追い払った。

 前向きになると決めたのだから、この幸せを満喫すればいいのだ。


 ただし、感謝の気持ちは絶対に忘れてはならない。

 リリスがこうして過ごしていられるのも、ジェスアルドだけでなくテーナやレセ、フレドリックに寛大な皇帝のお陰でもあるのだから。

 そして、油断は禁物。

 そのことを強く心に刻み込んで、リリスはジェスアルドとの昼食を楽しんだ。


 その後、引っ越しが始まったために、邪魔になるだけのリリスはフレドリックと庭園を散策することにした。

 選んだ庭は迷路庭園である。

 これは偶然出会う者たちを除いて貴族たちに挨拶する必要もなく、頭の中に地図をしっかり叩き込むことに集中するためでもあった。

 皇宮はとても広いが、リリスはできるだけ全ての構図を覚えておきたかったのだ。

 そして皇族用の居住棟に戻り、仮住まいである部屋に入ると、テーナとレセが待っていた。


「もう終わったの?」

「はい。移すものはリリス様のお衣装がほとんどで、あとは小物類ばかりでしたから」

「それもそうね」

「しかも、デニスさんから伺いましたが、殿下のほうもすでに終わったそうですよ」

「そうなの? 殿下は……確かに必要なものは執務室に置いてそうだものね」


 余計なものはいっさい置いていないジェスアルドの寝室を思い出し、納得したリリスだった。

 またリリスの荷物も、急な婚姻だったために大型の花嫁道具が用意できなかったとの理由で、ずいぶん簡素な物ばかりである。

 本来は国の威信をかけて用意するものなのだろうが、フロイト王はそのような見栄で財政を圧迫するようなことはせず、皇帝の身一つでかまわないとの言葉を素直に受け取ったのだ。

 もちろん嫁いだ当初はそんなリリスを田舎者と笑う貴族たちもいたが、どちらかというと同情のほうが強かった。

 最近では、あの〝紅の死神〟を手懐けたと、一部から尊敬さえされているらしい。


「とにかく、二人ともご苦労様。余計な仕事を押し付けてしまった上に、またこれからも色々と働いてもらうことになるけど、よろしくお願いね」

「かしこまりました」

「とても楽しみです!」


 リリスの労いの言葉とお願いに、テーナは落ち着いて、レセは意気込んで答えた。

 明日からは塗り替える壁の色を選んだり、新しい家具の手配などで忙しくなるだろう。

 自分の部屋はともかく、ジェスアルドの居間などは一度しっかり見てから考えようと決めた。


 ただ浪費は、リリスの――フロイト王家の敵でもあるので、使われていない部屋の家具などを利用するつもりである。

 そう理由をつければ、皇宮内の各部屋を堂々と見て回れるのだ。

 ジェスアルドの言う身内にいる敵のことを考えれば、いざという時に不利にならないようにしておきたい。


(そうだ。ジェドに護身術を習いたいって、お願いしなくちゃ)


 ジェスアルドや護衛騎士を信用していないわけでも、今さら自分でどうにかできるとも思っていないが、人質に取られないくらいの技は身につけておきたかった。

 そうして夜になり、リリスはジェスアルドをどうにか説得し、アレッジオにならと渋々了承してもらったのだった。



   * * *



 五日後――。

 約束の時間になったリリスは、仮の自室に皇帝とアレッジオを招いていた。

 表向きは、皇太子夫妻の部屋の模様替えの進捗状況に、皇帝が興味を持っているというものである。

 そして、リリスはレセが緊張しながら淹れてくれたお茶を一緒に飲み、落ち着いたところで切り出した。


「今、皆様がお茶をお飲みいただいているカップ、ソーサーもですが、それらは全てシヤナではなく、トイセンで焼いたものです」

「ほう?」

「それは気付きませんでしたな……」


 改めてカップとソーサーを持ち上げてしげしげと見る皇帝とアレッジオに比べて、ジェスアルドはわかっていたのだろう。

 小さく頷いただけだったが、その仕草はまるで励ましてくれているようで、リリスは心強く感じながら続けた。


「この茶器セットは、わざわざシヤナに似せて焼いてもらったものです。おそらく素人目には本物かどうか見分けがつかないのではないでしょうか? 正直に申しますと、私もわかりません。――裏を見なければ」

「裏?」

「はい。カップやソーサーの裏側です」


 リリスの言葉に、今度はジェスアルドも訝しげに眉を寄せ、三人がカップを持ち上げたり、ソーサーをひっくり返したりして裏側を見た。

 そして軽く目を瞠る。


「なるほど。紋か……」

「おっしゃる通りです。そちらは、陶工のエドガーと絵付けを担当してくれているハンスが相談して入れてくれたのです。一見しても私にはわかりませんが、どうやら珍しい顔料らしく、贋作を防ぐためにと。その、紋の模様は仮ですが……」

「アマリリスの花か」

「――はい」


 自分で言うのは気恥ずかしく、かすかに言い淀んだリリスの言葉を補うように、ジェスアルドがはっきりと告げた。

 その声は感心しているようにさえ聞こえる。


「その陶工たちもずいぶん洒落たことをしてくれるな。仮ではなく、このままでいいと思うぞ」

「ええ、そうですね。私もそう思います」


 皇帝が楽しそうに笑い、ジェスアルドも同意する。

 すると、同じように笑っていたアレッジオがふと思いついたように問いかけてきた。


「では、焼き物の名前はどうするのですか? シヤナにしろ、トイセンにしろ、焼き物の産地の名で呼ばれておりますが?」

「ああ、確かに。トイセンではストーンウェアと被ってしまうし、紋と同様にアマリリスとするか?」

「それには賛成しかねます」

「なんだ、嫉妬か?」

「違います。ただ花の名前と混乱するのではと思うだけです」


 アレッジオの疑問に皇帝が提案したが、ジェスアルドはきっぱりと反対した。

 その反応に皇帝がからかうように問いかけ、ジェスアルドは表情を崩すことなく真面目に答える。

 二人のやり取りをアレッジオもフレドリックも楽しげに見ていたが、リリスはそんな余裕もなく、恐る恐る口を挟んだ。


「あの、それは……これも二人が考えてくれた案なのですが、〝マリス〟がいいのではないかと……」

「マリス? 農耕の神か……」

「おお! それはアマリリス妃殿下のお名前にも因んでいて、よろしいですな」

「ふむ。農業国のフロイトから嫁してきた姫がもたらしてくれた宝として、大々的に宣伝もできるな」

「いえ、あの、でも……」


 マリスと聞いて、すぐに南方の国の神の名前を思いつくのはジェスアルドも他の二人もさすがと言うべきだろう。

 ただリリスにとっては、アレッジオや皇帝の当然とばかりの言葉が恥ずかしくていたたまれなかった。

 リリスにとっては、かなり珍しい状況である。

 そんなリリスを見て、フレドリックだけでなくジェスアルドまでもが笑いを堪えた。

 しかし、ジェスアルドはすぐに気持ちを切り替えたのか、生真面目な口調で二人の言葉に続ける。

 とはいえ、その目はまだ笑みが浮かんでいるが。


「当然ではあるが、今回の焼き物――マリスに関してはフレドリック殿の知恵を借りたという形で密偵たちには情報を摑ませる。その上で、リリスは『マリスの宣伝』に利用されるんだ」

「利用、ですか?」

「今や妃殿下の人気は西方地方を中心に高まっていますからな。この皇宮でも、あの〝紅の死神〟を相手に健気に尽くす姿に心打たれている者が多いと聞きましたぞ」


 アレッジオの言葉に「ぶふぉっ!」と噴き出したのはフレドリックだ。

 リリスはフレドリックを睨んだが、ジェスアルドも顔をしかめていた。

 そこへ皇帝がにやりとしながら言い添える。


「いや、アレッジオ。〝紅の死神〟はもう古いぞ。最近では〝暁の星辰〟との呼び名に変わりつつあるのだからな」


 この言葉にリリスは顔を輝かせたが、ジェスアルドはお茶を飲んでいたわけでもないのに何かに咽た。

 さらにフレドリックは限界を超えたらしく、ついには声を出して笑い始める。

 酷く咳き込むジェスアルドの背中をリリスが優しく撫でれば、アレッジオが「さすが健気に尽くされますなあ」と呟き、皇帝はにやにや笑いを止めない。

 室内はちょっとしたカオスに陥った。


「――ありがとう、リリス」

「いえ、大丈夫ですか?」

「ああ」


 ようやく咳が治まったジェスアルドは、かすかに笑んでリリスにお礼を言うと、にやにや笑いの皇帝とアレッジオ、フレドリックと順番に睨みつける。

 そして皇帝に視線を戻すと口を開いた。


「いい加減にしろ、クソじじいども」

「え?」

「お?」

「ほう?」

「また反抗期か?」


 ジェスアルドとは思えない言い様にリリスは呆気に取られたが、アレッジオは懐かしそうに、フレドリックは意外そうに、皇帝はさらに笑みを深めた。

 だが、ジェスアルドはそんな皇帝を無視したまま、リリスに優しげな視線を向ける。


「すまない、リリス。すっかり話が逸れてしまったが、新しい焼き物の名前は〝マリス〟でいいと思う。それで、他にも何か考えがあるんだろう?」

「は、はい」


 ジェスアルドに促され、リリスは姿勢を正した。

 焼き物の名前や紋についてこの面談を希望したわけではないと、ジェスアルドはやはりわかっていたらしい。

 ここからが本題なのだ。

 リリスはごくりと唾を飲み込み、勇気をかき集めるように膝の上で手を握り締めた。




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