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 室内は一瞬で刺すような緊迫した空気に包まれた。

 リリスは自分の発言を後悔したが、もう遅い。

 ジェスアルドがリリスを守るための話を持ち出したことによって、勝手に口から飛び出していたのだ。

 リリスの安全に皆が神経質になるのは、一度誘拐されただけでなく、やはりコリーナ妃のことがあったからではないかと。

 言ってしまったものは取り消すことはできず、覚悟を決めたリリスが真っ直ぐに視線を向けると、ジェスアルドはしっかり受け止めた。


「――コリーナは……心を病んでいた。そして自ら命を絶った」


 ためらいながら、それでもはっきりと答えてくれたジェスアルドの言葉に、リリスは混乱してしまった。

 覚悟していたはずなのに、どうやらショックを受けているらしい。

 そう感じたリリスは、気持ちを落ち着けるように何度か深呼吸を繰り返した。


 そんなリリスを心配そうに見守りながらも、皇帝もアレッジオも口を挟む気はないらしい。

 フレドリックに至っては、この成り行きを興味深げに見ていた。


 リリスの頭の中に夢で見た光景が錯綜する。

 確かにコリーナ妃の言動はおかしかったようで、あの洗面台の前での場面は自死したように見えた。

 しかし、不気味な男たちの会話は今でも思い出せる。


「それは……確かなんですか?」

「――なぜだ?」


 思わず出たリリスの問いかけに、ジェスアルドが厳しく問い返した。

 男たちの夢のことは言わなければならない。

 ここで打ち明ければ、なぜもっと早く言わなかったのかと責められるかもしれないが、これ以上黙っておくことも、嘘を吐くこともリリスにはできなかった。


「私……見たんです。数人の男たちが、コリーナ妃を殺める相談をしている夢を」


 リリスの言葉に、険しい表情だったジェスアルドの表情は驚きに変わった。

 はっと息を呑む声も聞こえる。

 おそらくアレッジオだろう。

 視界の隅に見える皇帝とフレドリックはあくまでも冷静だった。


「それが誰か、わかるかね?」

「いいえ。残念ながら、彼らのことは見えなかったのでわかりません。会話だけが聞こえて、コリーナ妃が身籠ったことに焦っていました。本当は、もっと早くに打ち明けるべきでしたのに……。申し訳ございません」


 今や青ざめ口を閉ざしてしまったジェスアルドの代わりに、皇帝が質問する。

 その問いかけに、リリスは否定することしかできないのが悔しかった。

 

「いや、あなたが謝罪することではない。言いにくいことだったろうに、打ち明けてくれて感謝している。それで、他には何か言っていなかっただろうか?」

「他には……警護が厳しくても方法はあると、一人の男が自信を持って言っていました。ですが夢なので、絶対にこの会話が本当だとは言い切れないのです。しかも、暗闇の中で男たちの話し声を聞くことしかできず……その声もくぐもっていて、所々は聞き取れませんでしたから」

「そうか……」


 皇帝の言葉を最後に、また部屋には沈黙が落ちた。

 リリスは不安な思いでジェスアルドを見ていたが、その視線にも気付かないのか、肘をテーブルについて片手で顔を覆っている。

 アレッジオは腕を組んだまま皇帝と皇太子の様子を窺い、どちらかの発言を待っているらしい。

 だが皇帝は両肘をテーブルにつき、組んだ両手に顎を乗せて目を閉じ、もう発言する気はないようだった。

 フレドリックは椅子に背を預け、我関せずといった様子である。


 リリスは自分が巻き起こした沈黙に耐えられず、何か言わなければと焦っていた。

 しかし、何も言えない。

 そこに手を下ろしたジェスアルドが口を開いた。


「あの時は、状況からコリーナが自ら命を絶ったとすっかり思い込んでしまったが……。もう一度調べ直す必要があるな」

「そうですね」

「アレッジオ、警護の見直しとともに後ほど話を詰めるぞ」

「かしこまりました」


 ジェスアルドの言葉にアレッジオが大きく頷いた。

 すると、ジェスアルドは真っ直ぐリリスに視線を向ける。


「リリス、あなたのことは必ず守ると約束する。だから、心配しないでくれ」

「――はい。大丈夫です」


 ジェスアルドはリリスが夢について黙っていたことには触れなかった。

 ただ「守る」と約束してくれただけだ。

 お互いに言いたいこと、言いたくないことは、やはりまだたくさんある。

 それでもきっとこの先、少しずつ折り合いをつけられるだろう。

 その気持ちを胸に仕舞って頷いたリリスに、ジェスアルドは微笑みを向けると、次にフレドリックへ声をかけた。


「フレドリック殿にはお願いがある」

「何でしょう?」

「貴殿には、今のままフレドリックとしてリリスの傍にいてもらいたい」

「フレドリックとして?」

「できるだけ、リリスが〝フロイトの謎〟だと知られることは遅らせたほうがいいだろう。そのためには、賢人と名高いグレゴリウスが身を隠すためにフレドリックと名乗ってリリスの傍にいるのだと、各国の者たちに思わせておく必要がある。トイセンでの新しい焼き物が知られるようになれば、リリスとあなたはかなりの注目を浴びるだろう。その時、リリスはあくまでも後援者としてあなたを手助けしているという立場を貫いてほしい。信頼のおける者をトイセンの焼き物の担当者にするので、連絡事項は全てフレドリック殿か私を通してリリスに伝わるようにしよう。手間はかかるが、リリスはそれでいいだろうか?」

「はい。もちろんです」


 先ほどまでの沈黙が嘘のように、これからのことを提案するジェスアルドに、そんな場合ではないとわかっていてもリリスは見とれていた。

 日頃から思ってはいたが、やはりジェスアルドは人の上に立つだけの風格を備えている。

 今はまだ、皇帝の威光の影に隠れてしまっているが。

 そして皇帝は、満足そうにジェスアルドを――息子を見ていた。


「フレドリック殿もそれでかまわないか? もちろん、これからはあなたの周囲にも目立たないように、それでいて間諜にはわかるように警護を配する予定だが?」

「ええ、かまいません。今さら、帝国を敵に回してまでこの老いぼれを欲しがる国があるとも思えませんがな」

「いや。あなたが〝フロイトの謎〟ならば、絞り出せるだけ絞り出そうとするはずだ。ただでさえ衰えている体にそれは酷だろう。リリスの身代わりをしてくださるのですから、精一杯守らせていただきます」

「ほっほっほ。なんと皇太子殿下はお優しいことを」


 ジェスアルドもフレドリックも微笑み合っていたが、火花が散っているようにも見える。

 その幻覚よりも、リリスはフレドリックを今以上に危険にさらしてしまうことに気付いて動揺した。


「フウ先生はそれでいいんですか? ただでさえ、足腰が弱っているのに……」

「リリス様、心配してくださるのか、けなされるのか、どちらかにしてください。まあ、先日もリリス様がおっしゃった通り、口は元気ですからの。心配なさらずとも命を危険にさらすことはしませんよ。相手方さんも、私を殺しては意味がないのですからな」

「……では、とても心苦しいですが、よろしくお願いいたします」

「ええ、任せてくだされ」

「フウ先生……皆さんの前で言質は取りましたからね。後であそこが痛いとかここが痛いとか、文句を言わないでくださいね?」

「なんと、リリス様! 謀りましたな!」

「フウ先生は何かと苦情が多いですからね」


 生真面目にリリスが答えると、皇帝が噴き出した。

 アレッジオもジェスアルドさえも笑い、リリスもフレドリックも笑う。


 本当はフレドリックが心配で、リリスは身代わりなんてやめてほしかった。

 それでもこの国の皇太子妃としての自分の価値は、前回の誘拐事件の時に痛感している。

 護衛騎士やテーナやレセさえ犠牲にしてでも、自分は生き残らなければ――無事にこの国の皇太子妃としてあらなければならないのだ。


 このやり取りでその場は一気に緊張が解け、警備の見直しに関しては後ほどアレッジオとジェスアルドたちが話し合うことになったところで、リリスたちは部屋へと戻る時間になっていた。


「陛下、最後に一つだけよろしいでしょうか?」

「何だね?」

「もし時間がごさいましたら、この場で新しい焼き物の取り扱いについて提案させていただく予定でした。ですが今日はもう時間がありませんので、後ほどまた機会をいただけるでしょうか?」

「ふむ。正直なところ、そのことについては全てあなたに一任してもよいと思っている。だが、こうしてまたお茶ができるのならいつでも私は歓迎だ。よし、明日にしよう!」

「ダメです」

「リリスは忙しいんです。また確認して調整しますので、それまでお待ちください」


 リリスの言葉に皇帝は快諾し、さらに明日に予定を入れようとしてアレッジオとジェスアルドが阻む。

 皇帝は威厳も何もなく、むうっと膨れた。


「えっと、予定を確認いたしまして、ご連絡いたしますので、よろしくお願いいたします」

「では、できるだけ早いほうが嬉しいと、私が申しておったことを秘書官には伝えてくれるかな?」

「――はい、かしこまりました」


 むくれていた皇帝は、可愛い義娘の――リリスの言葉にぱっと顔を輝かせた。

 正直なところ、この反応が演技なのか素なのか、さっぱりわからない。

 ついでに言うなら、リリスに秘書官などいない。

 しかし、ジェスアルドとアレッジオは呆れたようにため息を吐くだけ。

 仕方なくリリスは立ち上がると、辞去の礼をして、フレドリックと部屋を出たのだった。




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