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翌日、朝食のあとにリリスとジェスアルドが南庭園の散策に出ると、皇宮内はちょっとした騒ぎになった。
あの賭け以来、両殿下の仲が良いことは知られるようになっていたのだが、まだ半信半疑の者も多数いたのだ。
その疑いを払しょくさせる出来事に、皇宮に仕えている者なら出入り自由の南庭園には、やたらと人が――見物人が増えていた。
中には掃除道具を持ったままのメイドや調理器具を持ったままの料理人までいる。
リリスは腕を組んだジェスアルドを見上げて、わざとらしく片眉を上げた。
「やっぱり遊んでいらっしゃるでしょう?」
「リリスと一緒に過ごすのは楽しいからな」
「その誤魔化しは甘んじて受け入れましょう。わたしも同じ気持ちですから。『何とかと言う花』もとても綺麗ですし、お忙しい殿下とこのようにご一緒できるなんて、本当に夢みたいです!」
最後のほうは周囲に聞こえるほどの声で言うと、リリスはジェスアルドの肩に甘えるように頭を寄せた。
途端に周囲からざわりと声が上がり、ガシャンと何かを落とす音が多数、草木が激しく揺れる。
さらには、わずかに距離を取ってついてきている騎士たちの誰かが躓いたような気配がした。
「……楽しそうですね?」
「リリスもな」
ジェスアルドの肩が小刻みに揺れていることからの問いかけだったが、リリスも楽しんでいることはしっかりお見通しだったらしい。
だが突然、ジェスアルドは足を止めた。
「殿下?」
「嫌な予感がする。今すぐ戻ろう」
「え?」
そう呟いて、ジェスアルドはリリスを庇うように抱き寄せ、いきなり踵を返した。
リリスは突然の進路変更に驚きながらも、素直に来た道を戻る。
同じように驚く騎士たちの間を通り抜け、また騎士たちとある程度距離が取れたところで、背後から声がかかった。
「待ちたまえ、愛する息子よ。私の可愛い義娘を連れてどこへ行く?」
「陛下の邪魔が入らない場所です」
「何という冷たいことを。ひどい息子だ」
「……陛下、仕事はどうしたのです? 明日の午後に時間をたっぷりと取るために、予定を前倒しにされていると伺いましたが?」
「心配するな。私には優秀な息子がいる」
「私は昨夜もどこからともなく回ってきた書類を片づけなければならなかったのですがね。妻は私の体調を心配して無理をしないようにと言ってくれております。ですので、私は今以上の仕事を抱えるつもりはありませんし、陛下の予定が押すようでしたら、明日の面談は延期ということで――」
「ダメに決まっておるだろう!」
「はいはい、親子ゲンカはやめてください。妃殿下がお困りになっていらっしゃいます」
ジェスアルドと皇帝のやり取りに呆気に取られていたリリスだったが、別の男性の声が二人の間に割り込んで、はっとした。
声の主は国土調査庁長官のアレッジオだ。
結婚前に紹介された主要人物たちの中で、リリスが一番油断できないなと感じた人物である。
そのため、秘密をアレッジオにも打ち明けていいかと問われても、不審には思わなかったほどだ。
「アレッジオ、なぜ陛下を止めなかった?」
「お止めできるわけがないでしょう? 殿下と妃殿下が庭を散策なされているとの大事件をお耳にしたのですから。責任は殿下におありです」
「要するに二人に責任があるということだな。二人とも反省しろ。その間に私は可愛い義娘と庭を散策してくるぞ」
「ダメです」
「陛下、いい加減にしてください。馬に蹴られますよ」
「では、いったい私はいつ義娘と親睦を深めればいいのだ?」
「――それは明日の午後ではないでしょうか? 私は明日をとても楽しみにしております。明日の午後、たくさんお時間を取っていただけるのなら、ぜひ召し上がっていただきたいフロイト産の茶葉がございますので、〝明日の午後〟のためにご用意しておきますね?」
「なんと! 可愛い義娘が私のためにお茶を用意してくれると申しておるぞ? 聞いたか、アレッジオ?」
皇帝と皇太子の近衛騎士がそれぞれ話し声が聞こえない程度に距離を取っているので、他の者たちはさらに遠くから四人の様子を見ていた。
そして、あまりにもくだらない内容であるにも拘わらず、雰囲気から言い争いをしていると感じたのか、不安そうにしている。
そのため、無礼を承知でジェスアルドが答える前に割り込んだリリスだったが、皇帝は気にするどころか喜色満面でアレッジオに喜びを訴えた。
「はいはい。明日の午後、楽しみですね」
「うむ。では、明日の午後のために仕事を片づけねばならぬな。ジェスアルド、アマリリス、また明日の午後、待っておるぞ」
「はい。約束の時刻には参ります」
「陛下、お会いできて嬉しゅうございました。また明日を楽しみにしております」
明日の午後と何度も強調したリリスの言葉に納得して、皇帝はアレッジオとともに去っていった。
同時に、周囲からほっと安堵する気配が伝わる。
リリスとジェスアルドはその背を黙って見送り、自分たちも宮へと戻り始めた。
「すまなかったな、リリス」
「いいえ、今の陛下が皆様に慕われていらっしゃる理由がよく理解できました」
「そうか……」
「でも、意地悪です」
「気付いたか」
「それはそうですよ。あれほどの方があのような場所であのように振る舞われるなど」
小声でぼやいたリリスに、ジェスアルドが苦笑する。
そこでリリスは確信した。
やはりあれは試されていたのだと。
周囲の動揺にも気付かず、ただ親子の会話を傍観していただけなら、明日の面会時には侮られていたかもしれない。
前回の面会ではかなり猫をかぶり、フレドリックに助けてもらう形を取っていたのだから。
おそらく、今回の面会にアレッジオを同席させるようジェスアルドが手配したことから、何かあると勘付いているのだろう。
「すまなかったな」
「殿下が謝罪なさる必要はございません。陛下はとても慈悲深くお優しい方だと、この皇宮でよく耳にしました。ですから、明日がとても楽しみになりました」
「それは怖いな」
「……殿下には、私の考えを前もってお伝えするべきでしょうか?」
小声で会話しているので周囲には聞こえないはずである。
だが、どこに耳があるのかわからない皇宮の廊下で話せる内容ではないので、曖昧な言い方になってしまったが、ジェスアルドには伝わったらしい。
「リリスからの話はちゃんと聞いた。明日は、妃殿下としての話を陛下とともに聞こう」
「……わかりました。ありがとうございます」
ジェスアルドのきっぱりとした返答に、リリスは嬉しそうにお礼を言った。
今の言葉は、ジェスアルドが好きだと言ってくれたリリスと、公人としてのリリスを区別して考えてくれている。
しかも皇太子妃としてのリリスを信頼してくれているのだ。
部屋に戻ったリリスは、ジェスアルドに恥をかかせないよう、もう一度しっかりと計画を見直したのだった。




